9/10には虎ノ門で用があり、帰りには新橋まで歩きました。
久々に新橋駅前の西南側のビルの谷間にある烏森神社(からすもり)を訪ねました。新橋界隈の店の商売の神様という風情は今も変わらず、門前で礼をして通り過ぎる人も見かけますし、お参りする人も地元の方が多いようです。古くから地元に根差し大事にされてきた神社と感じます。(注)
また、神社前の小路は以前には「(烏森)神社横丁」と呼んでいたと思いますが、余り変わっていませんでした。1980年(昭和55年)代の頃には、日比谷、虎ノ門や神谷町での仕事の後に、この横丁に仲間と立ち寄ったことがよくありました。10席ほどしかないような小さな飲み屋が沢山並んでおり、満席であれば次々とはしごして探した記憶があります。その頃このあたりは「サラリーマンの聖地」と言われ賑わっていました。
神社とともにこの横丁も、変わり映えしない再開発に流されず、リフレッシュする場として残ってほしい場所のひとつです。その頃には、川崎の駅前にあった「望郷横丁」、横浜の屋台街も同じような雰囲気の飲み屋街でしたが、ともに大分前になくなりました。
この辺りには、かつての花街の雰囲気が残っており、いまも明治期創業の料亭「古今亭」や「多㐂本(たきもと)」など、新橋芸妓組合が存在していた名残が見られるとか。
この日は、10,000歩コースでした。
参拝者が続く静かな一角です。新橋駅から
歩いて2分の場所とは思えません。
この神社前の小路は、「(烏森)神社横丁」と呼ばれ
ていました。様子は大きくは変わっていません。
背後に2分戻ると鉄道公園を経て新橋駅烏森口です。
・創建は平安時代・天慶3年(940年)平将門の乱の際、鎮守府将軍・藤原秀郷(俵藤太)が武蔵国の稲荷神社で戦勝祈願をしたところ、白狐が現れ白羽の矢を授けたという伝説があります。その後、夢に現れた白狐の導きで「神鳥(烏)が群がる場所」に神社をここに創建したのが烏森神社の始まりとされています。
・江戸時代には「江戸三森」の一社として崇敬椙森神社(日本橋)、柳森神社(神田)と並び、稲荷信仰の中心として賑わいを見せました。初午の稲荷祭では江戸で一二を争うほどの盛り上がりだったと伝えられています。
・明暦の大火(振袖火事)を免れた奇跡の社で、江戸市中が焼け野原となった中、烏森神社だけが類焼を免れたことから、神威の強さが信仰をさらに高めました。
・カラフルな御朱印や「心願色みくじ」など、現代的な感性を取り入れた授与品が人気で御朱印ブームの火付け役とも言われています。
(神社HPなどから引用・編集)