2025年9月11日木曜日

烏森神社@新橋に立ち寄り

9/10には虎ノ門で用があり、帰りには新橋まで歩きました。
久々に新橋駅前の西南側のビルの谷間にある烏森神社(からすもり)を訪ねました。新橋界隈の店の商売の神様という風情は今も変わらず、門前で礼をして通り過ぎる人も見かけますし、お参りする人も地元の方が多いようです。古くから地元に根差し大事にされてきた神社と感じます。(注)
また、神社前の小路は以前には「(烏森)神社横丁」と呼んでいたと思いますが、余り変わっていませんでした。1980年(昭和55年)代の頃には、日比谷、虎ノ門や神谷町での仕事の後に、この横丁に仲間と立ち寄ったことがよくありました。10席ほどしかないような小さな飲み屋が沢山並んでおり、満席であれば次々とはしごして探した記憶があります。その頃このあたりは「サラリーマンの聖地」と言われ賑わっていました。
神社とともにこの横丁も、変わり映えしない再開発に流されず、リフレッシュする場として残ってほしい場所のひとつです。その頃には、川崎の駅前にあった「望郷横丁」、横浜の屋台街も同じような雰囲気の飲み屋街でしたが、ともに大分前になくなりました。
この辺りには、かつての花街の雰囲気が残っており、いまも明治期創業の料亭「古今亭」や「多㐂本(たきもと)」など、新橋芸妓組合が存在していた名残が見られるとか。
この日は、10,000歩コースでした。


参拝者が続く静かな一角です。新橋駅から
歩いて2分の場所とは思えません。

この神社前の小路は、「(烏森)神社横丁」と呼ばれ
ていました。様子は大きくは変わっていません。
背後に2分戻ると鉄道公園を経て新橋駅烏森口です。

ちょっと変わった鳥居です。昭和46年に
できたモダン造りだそうです。

(注)烏森神社について
・創建は平安時代・天慶3年(940年)平将門の乱の際、鎮守府将軍・藤原秀郷(俵藤太)が武蔵国の稲荷神社で戦勝祈願をしたところ、白狐が現れ白羽の矢を授けたという伝説があります。その後、夢に現れた白狐の導きで「神鳥(烏)が群がる場所」に神社をここに創建したのが烏森神社の始まりとされています。
・江戸時代には「江戸三森」の一社として崇敬椙森神社(日本橋)、柳森神社(神田)と並び、稲荷信仰の中心として賑わいを見せました。初午の稲荷祭では江戸で一二を争うほどの盛り上がりだったと伝えられています。
・明暦の大火(振袖火事)を免れた奇跡の社で、江戸市中が焼け野原となった中、烏森神社だけが類焼を免れたことから、神威の強さが信仰をさらに高めました。
・カラフルな御朱印や「心願色みくじ」など、現代的な感性を取り入れた授与品が人気で御朱印ブームの火付け役とも言われています。
(神社HPなどから引用・編集)

2025年9月8日月曜日

八景島シーパラダイスでの海の夏物撮影


 9/7には、横浜・八景島シーパラダイス(地元では「シーパラ」と言われます)をイルカ、クラゲなど、今年最後の夏物の撮影に近くの写真仲間と訪ねました。
八景島は、京急金沢八景駅からモノレールの横浜シーサイドラインに10分弱乗り八景島駅から海沿いを歩いて10〜15分の所にあります。ここを訪ねるのは久々で、10年程前に島内のアジサイ園の撮影に来て以来です。この日は、この島の水族館施設にあたるアクアミュージアムなどを初めて観てきました。ここは、全国でいくつもの水族館がグループとなって経営をしているようで(品川、仙台、上越、名古屋、沖縄、台湾…)、きちんと管理されています。他にも、ヨットハーバー「八景島マリーナ」、遊園地や海釣り(釣り堀)施設なども併設されています。また、展示生物の育成には東大の三浦臨海試験場も協力しているようです。また、エサ造りや魚の養生など、バックヤードも見せてくれます。
水面でジャンプなどして大きく動き回るイルカも直近の水槽で不規則に動くクラゲや熱帯魚など魚類も、撮影には捉えずらい被写体です。最近では、カメラ側で追跡してピント合わせをする機能などが色々と出てきていますが、この日はこれらをたまには思い出しながら使うトレーニングの場でもあります。
帰りには、金沢八景の駅前でクールダウンを兼ねてしっかりと反省会をして、この日の撮影での気づきの交換を思いつくままにしてきました。

この日は、15,200歩コースでした。結構歩きました。


シンクロしたパフォーマンスです。

お馴染み、海水浴の嫌われ者の赤クラゲです。

ここの主役です。

保護色でしょうか。

ここの名物ステージだそうです。シロイルカと
気の合ったダンスを見せてくれています。

おばけクラゲというそうです。笠の大きさは
30㎝程はあります。

5頭のバンドウイルカのシンクロ演技です。



アクアミュージアム正面。大きな三角屋根が
八景島のシンボルでもあります。

往路、八景島の岸壁で小学生に
ハマギスが釣れていました。
得意気でした。

激流の中をボートでくぐり
抜けるアクアランド

背景左側は平潟湾越しの住友重機横浜工場で、
同右側の山は野島(のじま)です。
シーパラダイス入口には、懐かしいメリーゴウ
ランドも活躍中でした。馬の表情が面白い。

平潟湾越しの野島(正面奥)。右には海の砂浜
公園があります。親子3代で釣りに来られて
いましたが、大人は暑さでテントに籠り
子供が頑張っていました。(笑) エサは
ジャリメとのこと。舞鶴にいた頃にはこの
時期砂浜海岸で私もよくキス釣りをしました。

平潟湾。金澤八景駅に向かう帰りのシーサイド
ライン車中から。右側ビルの奥に野島が見え
ます。この入江はハゼの釣り場でもあります。

2025年9月5日金曜日

不忍池の蜂巣

 先日、つくばで用があり、帰路に、枯蓮(黒花托、蜂巣とも呼ばれます)の様子を観れればと不忍池に立ち寄りました。
この日には、まだ花をつけている株もパラパラ見かけましたが、花弁が散り、殆どは黒花托ないしは黒になる前の一部に緑~茶色の残る花托に変化していました。地下では、これから冬に向けて蓮根が大きくなるそうです。
蓮池の初秋を感じさせてくれます。
この夏には、近くの旧岩崎邸庭園で撮影会があったこともあり、3回ここを訪ねました。お陰で撮影ポイントも段々とわかってきた気がします。
因みに、初回7/21に訪ねた折の記事を、当ブログの下記にアップしていました。様変わりです。

台風一過の上野 不忍池のハスと風鈴

 

不忍池の蓮池全景。背景は寛永寺の辯天堂です。

2025年9月4日木曜日

今年の初秋刀魚

 9/4には、最寄駅前にある行きつけの店での会食で初秋刀魚を楽しみました。隣席で賑やかに食べているのに誘われて、我々もついつい焼きを注文してみました。
今年の秋刀魚は、全国の漁獲量が前年同期比5割多いと報じられ、著しい不漁だった前年までと比べると大型で安めと聞いていましたが、実際に関東でも、その通りであることを実感しました。サイズはここ10年くらいは小型化し(注1)、私の場合には、ここ数年はサイズが小さすぎて塩焼きを諦めることが続いてきました。これとともに秋刀魚刺しも見かけることが減っていたように思います。
この日の秋刀魚は北海道 道東の、釧路と根室の中間にある厚岸(あっけし)産でしたが(注2)、サイズ、ボリュームとも小型化前とさほど変わらない印象で、値段も格安でした。周りを見ても、皆さん焼き秋刀魚を注文しているのには驚きました。
秋刀魚は、はじめは根室沖で漁穫が始まり、三陸、福島、茨城と徐々に魚群が南下して太り脂ものってくるそうですので、これからも楽しみです。ただ、これまでも繰り返してきた収穫のし過ぎにも注意し、長く続いた不漁期の苦い経験を活かしたいところです。
そこで、一句、

秋刀魚焼くビルの隙間に弾む声
形もよし今年の秋刀魚久しけり
秋刀魚焼く久し振りかなフルサイズ


なかなか良い形の塩焼きです。

店頭では氷水の中に大型の秋刀魚がおかれ
販売中でそのまま持ち帰りもできます。

厚岸(あっけし)というと牡蛎の産地と聞いて
いましたが(注2)、秋刀魚やアサリ、シマエビ、
毛ガニなどの漁獲もあるようです。

(注1) 秋刀魚などの浮遊魚の小型化について、当ブログの下記の記事にコメントをアップしていました。

ビッグなアジと魚の小型化

(注2) 厚岸の牡蠣
厚岸は「牡蠣の町」として全国的に有名で、通年で生食用牡蠣を出荷できる日本唯一の地域です。冷涼な海水が牡蠣の成長をゆっくりにし、旨味が凝縮されるのが特徴です。(厚岸町のHPから引用)

烏森神社@新橋に立ち寄り

9/10には虎ノ門で用があり、帰りには新橋まで歩きました。 久々に新橋駅前の西南側のビルの谷間にある烏森神社(からすもり)を訪ねました。新橋界隈の店の商売の神様という風情は今も変わらず、門前で礼をして通り過ぎる人も見かけますし、お参りする人も地元の方が多いようです。古くから地元に...