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2026年9月18日金曜日

瓢箪の季節ー実用品と縁起物ー

 9/14には、数日続いた雨天が晴れ、この時期の瓢箪の様子見に鎌倉街道関の下近辺の「休処」にある瓢箪棚に出かけました。
今年の夏は炎暑続きで葉の枯れ具合が昨年より進んでいましたが、身の成り方は順調のようでした。ただ、いつもはこの棚に一緒に植えられているヘチマ(糸瓜)は今年は植付けを見合わされたようでした。
昔の日本人が庭に瓢箪を植えた理由をたどると、持ち易いくびれのある実が水筒、酒器などの軽量で持ちやすい器として、出たばかりの実の漬物などの食材として、また葉の旺盛な茂りが夏場の日除けとしての実用品として便利に幅広く使われてきた側面と、その繁殖力やつける実の多さなど、植生を通じた特性から、無病息災・厄除け・子孫繁栄などの縁起を担いできた側面があるようです。
なかには、「六つの瓢箪」を「六瓢(むびょう)」と読んで、「無病」=無病息災に通じるとして、縁起がよいものとされたとか、語呂合わせもあります。また、瓢箪は、酒や水のほか薬味や薬を入れる容器として使われたことから、邪気を払うもの、病を封じるものととしても扱われた歴史もあるようです。このため瓢箪の形をした飾りを家に置いたり、身につけたりする風習が今も残ります。さらに、瓢箪は一つの株にたくさんの実をつけることから「子宝・子孫が繁栄する」という意味・祈りを込める場合もありました。秀吉の旗標の「千成瓢箪(せんなり)」はこの流れでしょうか。

この日は、4,800歩コースでした。

去年の丁度同日2025年9月14日にもここを訪れて、当ブログに下記のような記事をアップしていました。

今年の「休処」の瓢箪と実家の瓢箪

また、小さな実(ベビー瓢箪)が「ひょうたん漬け」としても利用されることもあり、2023年6月25日に当ブログに以下のような記事をアップしていました。この品物は珍味の域で一般的とはいえませんが。

ひょうたん漬け


休処の瓢箪棚


 

2026年9月15日火曜日

舞鶴実家跡の活用の開始 その6

 
舞鶴実家跡の5階建マンション建築が進行する様子を、舞鶴在住の姉から9/3、9/12、9/15時点の写真として着々と送ってもらっています。感謝です。
先回記事 (下記その5) にあるように、8月末までには地下の基盤、基礎工事はほぼ終了し、9月に入ってからは、地上の建物の建設が急ピッチで進められています。
どうやら鉄筋コンクリート造りではなく木造壁板を柱代わりにして建てる工法のようです。大型クレーンが入り足場や木造壁板の束を次々と運び込み積み上げています。
9/15時点では、1階の間取り工事がおおよそできているようで、中央の通路の右側に一見小さな部屋が多く並びワンルームマンションのようにも見えます。推測ですが。
これから2階、3階と工事が進むと見込まれ、もうしばらくウォッチを続けたいと思います。

《 9月3日の様子から 》


大型クレーンが入りました。左側の2軒の建物の中間が実家跡地で工事用足場のような鉄鋼枠が設置されています。右側道路が表通りの四条通りです。(姉撮影の写真引用。以下同様)

工事用足場の敷設工事です。木造壁板を繋ぐ結合材でしょうか。

大型トラックで運ばれてきた鉄鋼材が次々と現場に運び込まれています。右奥は八島商店街のアーケードです。

舞鶴実家跡地活用の建築工事現場全景


《 9月12日の様子から 》

木造壁板の束が次々と現場に運び込まれます。木造壁板を柱代わりにして建てる工法のようです。2~3階建の木造住宅ではこの工法が多く見られますが、このような5階建マンション建築にも適用されるようです。空の鰯雲に季節を感じます。


《 9月15日の様子から 》


1階の間取りの工事が進んでします。中央に通路があり右側が区分住宅のようです。

因みに、8/27までの建築現場の様子を、当ブログに下記のように記事をアップしていました。

舞鶴実家跡の活用の開始 その5


地元町内会の落語会


9/13には、地元町内会の65歳以上を対象にしたふれあい食事会が、町内会館で行われました。
いつも落語、講談、手品などが前半にあって、後半は昼食会です。
今回は落語で、地元の落語家「恋南亭真っ平師匠」(こいなんてい まっぴら)の登壇でした。お住いがすぐ近くの上大岡駅近くだそうで、まさに地元落語家です。冗談のようなお名前ですが、現役では衣料関係の仕事をされていて、一念発起されて第二の人生で落語家を選び、兄弟子と近くの杉田劇場で寄席を毎年開催されているそうです。以前には、この落語会では今は亡き桂歌丸師匠門弟の桂歌助師匠が定番でしたが、ご自身の健康問題もあり交代されたようです。
この日の演目は、タイトルは不明でしたが、落語の起源からはじまり(江戸中期の京都での小話が起源だとか、そのネタの書籍も残っているそうです)、気候の変化に移り、明治5年の旧暦から新暦への切り替え時の混乱、その切り替え時期に起こった借金の返済の前倒しで困った長屋の住人夫婦と長屋の大家、そして質屋の亭主との間での騒動が、面白おかしく語られます。
この日の話で面白かったのは、地球温暖化で衣料業界が困っているとのことでした。 温暖化で四季の春と秋が短くなり夏と冬の二季に近くなると、衣料品では春物と秋物を売る時期が短くなり夏物や冬物で代用されてしまうために需要も供給も減るそうです。四季が商品系列に直結する業界には大きな減速要因かも知れません。ビジネスマンっぽい落語家さんでこれからも楽しませてもらえそうです。また、旧暦から新暦に変えるときの混乱を思い起こさせられました。
二季化では、俳句の世界でもこれまでの歳時記が現実の月々の景と合わなくなり混乱が起こりつつあります。ただ、京都の旧暦ベースでできた歳時記を京都以外の地にあるいは新暦に置きなおすことにはある意味でこれまでに慣れていますので、二季化もさらに置きなおすことになるのでしょうか。
そこで、一句、

鰯雲町内会の落語会

因みに、上記の桂歌助さんの高座については、2023年2月18日に同じ町内会館で行われ、下記のような記事を当ブログにアップしていました。

ふれあい茶話会

 ふれあい茶話会
https://kinoken33.blogspot.com/2023/02/blog-post_20.html


ふれあい食事会での落語高座。素朴な造りに親しみが持てます。

2026年9月2日水曜日

舞鶴実家跡の活用の開始 その5

 郷里舞鶴四条にあった実家跡地の活用事例として、8/27時点での5階建マンション建設の様子が姉から届きました。この地区の変化に繋がりビジネスとしてもうまく回ってほしいという思いから、他所事ながら気になり様子見を続けています。
前回(同上その4、下記) 地下の基礎工事段階で林立していた鉄骨が役割を終えたのか、間取りの壁の部分だけになり短くなっています。これから一階ごとに積み上げていくようです。また、表(写真手前)の四条通り側はエントランスか駐車場のスペースのようにも見えます。
そのうち分かるのでしょうが、段々と間取りが単身者向きなのか、家族向きなのか、その組み合わせなのか、にも興味が出てきます。この区域の長期的なコンパクトシティ化志向なら家族向けの間取りでしょうし、当面の回転の速い顧客がターゲットなら単身者向けのワンルームになるように思います。数年前お世話になった地元の不動産業者が駅前に建てられたのは確か5階建てのワンルームマンションで竣工直後全室埋まったと言われていました。
もうしばらく工事の推移を見守りたいと思っています。

先回には8/8時点の工事現場の様子を下記のように当ブログにアップしていました。

舞鶴実家跡の活用の開始 その4

舞鶴実家跡地の建設現場の四条通りからの様子。
敷地の北側です。鉄筋が間取りの境界だけに立っています。
(姉撮影の写真引用、以下同様)

同敷地中央です。

同敷地南側です。

地下の基礎工事が終わった段階の舞鶴実家跡地の全景です。

2026年8月21日金曜日

もう一つの先祖の霊の埋葬方法

 8/16には、近くの港南桜道沿いにある乗願寺の墓地で従来型の個別葬(墓石式)と新しい合葬(樹木葬や納骨堂)の中間のような、密集型の墓石式個別葬を見かけました。最近、金沢文庫に住む知人から、この新しいタイプの墓を建てた、との話を耳にしました。海が見渡せるとのこと。そこでこの乗願寺(正式には真宗高田派本山専修寺 横浜別院 乗願寺です)にも数年前に新しいタイプの墓地が造られていたことを思い出し、散歩の途中に再訪してみた次第です。
ここの墓地には大きく4種類あり、25cm角または25×50cm、深さ70cm程の縦長の石の筒(カロート)に骨壺を棚に積んで埋葬するタイプ(タイプ2、タイプ1)です。上に小さな石の墓碑銘(プレート)を置きます。檀家には、いずれのタイプもお墓の維持管理のための草刈りや掃除などの手間はかからないようです。寺からすると、狭い墓地に多くの檀家の墓石を置くことができます。先に知人から聞いたのはどうやらこのタイプの墓だったようです。聞いた話とつじつまが合います。
また、従来の墓石に近い墓を高さ70cm程の台の上にコンパクトに詰めて置くタイプ(タイプ4)もあります。こちらも隣とは密着していて草の生えるスペースはありません。
今どきの埋葬に関する日本人の考え方や維持管理の簡素化などのニーズの変化に合わせて、寺側でも 、限られた土地の収容効率を上げて多くの墓石を置きたいという考えのもとに色々と工夫されているな、と感じます。埋葬法のバリエーションの多さには驚きます。因みに、法律では「埋葬」は土葬を意味し、骨壺の収納は「埋蔵」というそうです。昨年末の墓仕舞いを通して知りました。
この日は、6,800歩コースでした。

関連して、2026年1月に金澤七福神を巡った折に、金沢文庫赤井の正法院をお参りした際にもこのような密集型の墓地をみかけ当ブログに下記のような記事をアップしていました。正法院でも乗願寺と同く、山腹にある墓地に高密度化の工夫がされています。そういえば正法院からも海(平潟湾)が見えました。

地元の七福神巡りその3

25×50x70cmの個別墓(タイプ1)。後のタイプ2に比べるとゆったりと墓石が納められています。内部のカロートでは骨壺が縦の棚に収納されます。

25x25x70cmの個別墓(タイプ2)。高さ70㎝程の台の上に○○家と刻まれた墓石(プレート)が置かれます。中央奥にも別の二階式で縦型のタイプのお墓が置かれています(タイプ3)。

従来型の墓石が並びますが高さ70㎝程の台に置かれます(タイプ4)。

普及版なのでしょうか、ここではこのタイプ2が最多です。右奥は利用者が決まっていない空き区画です。「○○家」と刻んだ墓碑銘の墓石にはその下に小さく戒名が刻印されることもあります。
タイプ4も縦型、横型と様々です。墓石の横や下に埋葬の履歴を記した墓誌が置かれたり、墓石に「○○家」のほかに「和」、「笑」、「夢」などの故人に相応しい言葉が刻まれたりしています。高さがあるので骨壺の出し入れも簡単にできるようです。

2026年8月14日金曜日

暑気払いと大井町トラックスーそのコンセプトなどー

8/12には、以前の職場の仲間で暑気払いを大井町で楽しんできました。会場が、この3月末にJR東日本が大規模な再開発をしてできたばかりの大井町トラックス内のスペイン料理店「リザラン((LIZARRAN)」でした。男女子供7人が久々に気軽に集まり、懐かしい話、今の職場の話、小学校の話題・ゲーム、職場仲間の消息など、美味しいお酒と料理を合わせての愉しい会でした。いま小学校4年生で流行っているクイズも教えてもらいました。短期的な記憶力が試されました。認知症のチェックには良さそうです。
私には折角の機会かと思い、少し早めに出かけて施設内をさっと散策してきました。興味があったのは、この時期にこの場所で、このようにかなり力の入った大規模開発をする経緯とコンセプトでした。
現地で見聞きする中で幾分かは断片的にわかってきました。もともと歴史的にはJR東日本の鉄道車両整備拠点、社宅であり、直近までは暫定的に劇団四季の劇場やスポーツ施設として利用されていた場所でした。これまでは線路の東側の庶民的な繁華街に比べて目立たない地区でした。
大井町トラックスは、JR東日本が品川〜大井町エリアを「都市生活のイノベーション拠点」として再編する戦略の一環として誕生したとのこと。ホテル・オフィス・商業・住宅・広場を備えた新しい都市生活を共創する拠点として、歴史的な“線路=TRACKS”の記憶を継承しつつ、新たな交流・回遊・防災・ゼロカーボンを軸にした未来型まちづくりが狙いだそうです。
「駅を中心とした都市生活の新しい価値を共創する拠点」という考えは、これからの人口減少社会におけるコンパクトシティ化、防災機能の強化などの課題に鉄道会社として布石を打ったようにも思いました。
さらに、JR東日本としては、大井町周辺をもう少し広く考えているようです。浜松町〜大井町を 「広域品川圏」 と捉えて、これからの羽田空港の国際化に備えたゲートウェイ機能、リニア中央新幹線開業を見据えた駅舎新設と周辺の都市再編を推進する、また近年増える防災拠点とする、とのこと。さらにはここをも核にして南東京の都市競争力を強化しようとも考えているとか。なかなか壮大な構想に感心しました。
ここがオープンした2026年3月28日には、同日に2つ駅先の高輪ゲートウェイ駅周辺の高輪ゲートウェイシティの町並みも全面開業し、「広域品川圏」が本格始動したとのこと。
また、近く開始する品川区新庁舎の建設と連携し、行政・地域・企業が協働する「一体的なまちづくり」をも目指しているそうです。
一巡する中で、いろいろと考えられた広域の先行投資型で、またテナント店を回りながらも随所になかなか力の入った再開発と感じました。とくに、大正期の車両工場・線路の記憶を名称に込め、鉄道文化をまちのアイデンティティとして再構築しようとしているところ、CO₂排出量を一般ビル比で約50%削減しようとしている点には感心しました。
いつも気になることですが、この大井町 トラックスの想定する商圏内の在来商店への影響です。確実にかなりの商店は大きな影響を受けると思われますが、大井町駅東口の古い繁華街(旧市街でしょうか、昭和世代には格好です)とは、同西口の新しい繁華街としてなんとかうまく棲み分けて両方が持続してほしいものです。我々利用者もできれば両方に行くようにしなければなりません。
この日は、8,500歩コースでした。

地上23階建てのビジネスタワー。
都内最大級の無柱オフィス(基準階約5,000㎡)を備えたオフィスフロアが6~最上階に含まれます。低層階にはTOHOシネマズも入り都内初の高品質音響のドルビーシネマ機能をを備えているとか。

ステーションパーク。
左奥が商業施設。1〜5階に約81店舗が入ります。JR東日本系のアトレが運営しアトレ初のアウトモール型だそうです。5km圏を商圏とし、地域住民と広域来街者の両方を取り込む戦略だとか。この日の暑気払い会場もこの商業施設の4階でした。


トラックスパークのウッドテラス。右奥手前が23階のビジネスタワーでその奥が26階のホテル・レジデンスタワー。後者にはメトロポリタンホテル(6~13階)、賃貸住宅(18~25階)、長期滞在向けのサービスレジデンス(15~17階)法人登記可能なSOHO 20戸、クリニック、スパ・サウナなどが入ります。手前がトラックスパークで広域避難場所にもなる芝生広場。ここでは帰宅困難者約3,000人を受け入れ可能で 72時間の備蓄を確保し、 広場を避難場所として開放するとのこと。昨今の災害動向から、これは十分に起こりえることです。またホテル・レジデンスタワーの最上階にはルーフトップバーが入ります。「鉄道旅」をテーマとした内装で レストランやバーはもちろん「トレインビュー」の客室もあり、眼下に現行の山手線車両基地を眺めながら過ごすことができるとか。

ステーションパーク。この施設の表玄関になります。左側前後に東急大井町線が走り手前に行くとJR/東急大井町駅に直結します。なかなか便利なモールです。これもJR東日本ならではでしょうか。右奥の背景はホテル・レジデンスタワーです。

2026年7月3日金曜日

舞鶴実家跡の活用の開始

 4/2には舞鶴の姉から実家跡地の建設工事が始まった、との連絡がありました。
ここには5階建てのマンションが建つ予定だそうです。
この土地は昨年6月に地元の不動産会社に売却し、その買主さんが1年経って着工されました。
売却した時の仲介会社によると、最近舞鶴では、人口減に備えて駅周辺に町の機能や居住を集約するコンパクトシティ化が進んでおり、ここもJR東舞鶴駅に近いことから、その住替え需要を見てのビジネスとみれる、そうです。この土地は海に近く地盤が柔らかいので、20m程の杭を数10本打つ工事が必要になるとのこと。完成は来春に間に合うかどうかで、昭和40年頃から変わらなかったこの一画の光景も大分様子が変わりそうです。
この工事がこの地区の新しい局面を開くきっかけのひとつになればと、期待するところです。


舞鶴の実家跡地に5階建マンションの建設
工事が始まりました。(姉撮影の写真を引用)

2026年4月25日土曜日

妙見本宮 千葉神社

 4/23には、千葉大の西千葉キャンパス内にある産学協同施設に事務局をおく産業用ドローンの普及団体の監査があり、4年目となる監事として参加しました。
その朝には、前泊した千葉駅前のホテルから歩いて10分程のところにある妙見(みょうけん)本宮 千葉神社とすぐ横に並ぶ千葉天神を地元神社へのご挨拶代わりにお参りしてきました。千葉天神は、千葉神社の境内にあり千葉神社の御祭神とともに菅原道真公を祀り摂社と呼ばれるそうです。妙見信仰は方向の神様を祀る信仰で、神仏習合の頃から神道とともに仏教にも関係し、この地でもなにか複雑な歴史がありそうでです。ただ、いまも地元では厄除の神様「妙見さん」と親しまれているようです。
朝7時頃の境内にはまだ人気もなく、地元の方々が毎朝のお参りに参内する、清々しいひと時でした。
この日は、13,500歩コースでした。 
西千葉での監査も今年が最後になりそうです。

千葉神社本殿。日本初の重層社殿で御祭神を
上下二層の拝殿(北辰殿、金剛殿)から参拝
できるそうです。入口では古風な狛犬が
参拝客の邪気を払います。
妙見延寿の井。古来「一願成就の霊泉」
とされる井戸とか。
延寿の井脇ではつつじが見頃でした。
妙見さまに関係する神様を祀る末社
手水舎と千葉天神。手水舎は戦中の七夕空襲を
生き延びた唯一の建物で、江戸期の意匠を残す
とのこと。千葉神社の旧社殿を移築した建物で、
妙見様の御神力も同時に授かるとされるそう
です。「ツキ(月)を呼び、勝(星)を拾う」
縁起で受験生にも人気だとか。
尊星殿(そんじょうでん)。1998年竣工の
楼門と社殿が一体化した分霊社で中央が福徳殿
で左右が日天楼、月天楼。本殿の真ん前に
あります。

太陽を祀る八角形の日天楼(左)と福徳殿。
御祭神の妙見尊星王は方向の神様だそうで、
八角形に配置された星宮が方位・五行・十二支
などを司るとか。
重層本殿全景。方角の神様 北辰妙見尊星王を
祀ります。

千葉市は千葉都市モノレールが
南北を便利に走る都市です。
1988年にできていまも世界最長の
懸垂式モノレールだとか(15.3Km)。
いまからみると地下鉄に比べて輸送量
に限界があるかもしれません。当時の
千葉の都市計画、交通、土地事情に
合っていたということでしょうか。 

2026年3月29日日曜日

いまどきの電子署名のことー実印不要の時代へー

3/27には、郷里の舞鶴で先代から相続した土地の賃貸借契約の再契約のため、地元の上大岡公証役場を初めて利用しました。そこで契約締結で始まったばかりの電子署名を経験しました。
まず、冒頭に両者の本人確認がマイナンバーカードや運転免許証などで行われます。その後、紙に印刷された契約書が配られ、契約両者の前でひと通り公証人が契約書全文を読み上げ、内容を双方で確認します。その後「電子署名に移ります」とのことで、10インチサイズのタブレットが使われ、甲乙が順に既定のマスにタッチペンで署名します。その後、公証人が同様にタブレットに署名し、ちょっとした内部処理の後、「これで契約はすべて終了しました」とのこと。実印や印鑑証明は使いません。
説明では、昨年11月に法律がされ契約締結の電子化が法制化されました。まだ導入していない公証役場もあるそうですが、今後広まるとのこと。原本は甲乙、公証人の3者が署名した電子版契約書で、今回配布された紙版は副原本となります。よく見ると、これまでの割印の代わりに「公証」の刻印がされ、「同一事項証明書面(正本相当)」と印刷されています。
これでこれまでの署名・捺印(実印でした)相当の本人証明ができるということでしょうか。マイナンバーカードの導入による恩恵ですが、ただ大災害時などの電子ファイルの消滅に備えた二重化などの予防策はお願いしたいところです。


従来の割印に代わって左脇に「公証」の
刻印がされています。

2026年3月3日火曜日

ちょっと変わった新型の傘

 3/3は横浜では終日雨で、たまたま出かける途中のバス停で並ぶ小学5~6年の男の子が、変わった楕円形の傘をさしているのに気が付きました。
一見、写真で小学生は黒い傘と青い傘を重ねてさしているように見えますが、これがひとつの傘です。背負うリュックがすっぽりと傘に覆われています。最近はリュックを背負って移動する人が増えましたが、雨の時にはリュックに思いのほか雨水が染み込み中の資料や本が濡れてしまうことがあります。私も何度か経験しました。
本人に聞くと、学校の同級生では流行っている、とのことでした。小学生も大きなリュックを担ぐ姿を見ますので、どうも、雨天の時の困りごとを解決する新製品だったのかもしれません。リュックの中が濡れて困る親の気持ちもわかります。
また、この製品は、前のひとつの三角部分が透明のビニールになっていて前もよく見える機能付きです。これは以前から見かけたことがありますが、いろいろと組み合わせるなど、傘の業界も新しいニーズを探されているなと感じました。


新型の傘でしょうか。

2026年2月24日火曜日

いまどきの山形風芋煮会

 2/22には、関係する社会福祉施設の横浜市柳町地域ケアプラザが地元住民との交流を図るために企画する「柳町の芋煮会」に参加してきました。
施設は京急線金沢八景駅から南に15分程歩いた六浦川沿いにあります。
今回が初めての企画だそうで、いろいろ検討した結果、炊き出し形式の芋煮会とし、この日は200食を準備し完売をもって終了するということで、地元の家族ずれやお年寄り仲間が多く集まって交流の場になっています。こういった地道な活動が、円滑な世代間、年齢によらず健常者と身体の不自由な人たちとの地域での共生のためには大事なことと思っています。

この芋煮会の芋煮の作り方で、今ならではの変化を感じました。
施設所属の栄養士の話では、芋煮を造る際に、本場でも専用の調味料を使って芋煮の出汁をとることが定着している、とのことでした。私は学生時代を含め社会人になってからも何かと仲間で芋煮会をすることがよくあり、今回も何かの因縁かと思っていました。ただ、これまでは、芋煮の味付けは、そのとき集まった中で味に覚えと自信のあるメンバがおもむろに醤油と砂糖だけを使ってすることが常でした。いわゆる鍋奉行のようなものです。出汁は、山形風は牛肉、宮城風は豚肉、里芋、葱や牛蒡などの野菜の具から取るものとばかり思っていました。しかし、今回は、評判の山形風芋煮用の出汁「味マルジュウ」(注)があってそれを使ったとのこと。芋煮の味にも鍋ごとの個性がなくなりつつあることを感じました。これもご時世でしょうか。勿論、しっかりと濃厚な芋煮の味でした。
また、山形風は牛、葱、牛蒡、コンニャクだけで作ると聞いていましたが、今回はニンジンや舞茸などが入っていました。これも今流かもしれません。
この日は、8,300歩コースでした。


案内チラシから
会場の窓に貼られていた芋煮レシピから。
「横浜金沢流の山形風」かもしれません。

平潟湾。会場の横浜市柳町地域ケアプラザは、
平潟湾に注ぐ六浦川沿いにあり、行く途中に
金沢八景駅から平潟湾の沿道を散策しました。

芋煮会の帰りに通りかかった臨済宗
建長寺派の昇天山金龍禅院に寄り
ました。墓地内にある枝垂れ梅が
満開で近所の方々が三々五々訪ねて
いました。

(注)「味マルジュウ」について
「味マルジュウ」 は、山形県の老舗醤油蔵 丸十大屋(まるじゅうたや) が造る、だし入り醤油(だししょうゆ) の定番商品です。単なる醤油ではなく、鰹節(かつおぶし)、宗田節、鯖節(さばぶし)、煮干しなど国産の素材からとった一番だしをたっぷり加えてある風味豊かな調味料です。だしのうまみがしっかりきいているので、薄めても風味が抜けません。 里芋や牛肉で作る山形の郷土料理「芋煮」の味付けにぴったりとして地元でも愛されています。 (関連HPから引用、編集)

2026年2月11日水曜日

産業用ドローンのイノベーションピッチ

2/10には、東京湾臨海地区で開催された「JDCイノベーションピッチ(注)」に参加してきました。ここ13年間かかわってきた日本ドローンコンソーシアム(JDC)主催の年一度の企画です。JR新橋駅でゆりかもめ線に乗り換えて東京テレポート駅から3分程の便利な場所で産総研臨海副都心センター別館の一室を借りての開催でした。参加者は60名ほどでした。
産業用ドローンの普及について、バッテリの高密度化、8時間超の滞空時間の長期化、空気より軽い超軽量素材、長距離ドローンエンジン、航空防除(農薬・肥料散布)、物流の普及策、ドローン用コネクタ開発、などが発表されました。
ピッチ後の懇親会では最高齢の参加者だったようで宴の中締めの役回りでした。最近こういうこともちょくちょくありそれぞれにそろそろそ引退を考える時期かと思っています。
この日は、少な目の6,200歩コースでした。

(注) ピッチ(pitch)について
ビジネスシーンで最近よく使われる「ピッチ」という言葉ですが、一言で言えば「相手を口説き落とし、短時間で行動(投資や契約)を促すためのプレゼン」を指します。
もともとは野球の「投げる(Pitch)」からきており、相手のミットに向けてアイデアをズバッと投げ込む、というニュアンスが含まれています。
ピッチの最大の特徴は、「短時間」で「相手にアクションを起こさせる」ことにあります。
・目的: 投資を受ける、契約を結ぶ、パートナーシップを得るなど。
・時間: 数十秒(エレベーターピッチ)から、長くても10分程度。
・内容: 「なぜ自分(自社)なのか」「どんな課題をどう解決するのか」「将来いくら稼げるのか」という、提案者の熱意とビジネスの可能性にフォーカスします。
(関連HPなどから引用・編集)


講演時間は10〜20分と速いペースで
進行します。
会場フロアからは南東側には東京ゲートブリッジ
(恐竜橋)が遠くに望めます。羽田空港が近いため
橋の「高さ」を低く抑える必要があり、一方で大型船
が通るため、橋脚の間隔を広く高く空ける必要が
ありました。その結果、 橋脚上に高く伸びる支柱が
必要な吊り橋にできず、この「トラス構造」の橋脚に
なったそうです。今更ながら当時の設計陣の
苦労がうかがえます。
別館外観画像
会場は産総研臨海副都心センター
別館12階でした。
開催チラシから

2026年1月17日土曜日

大寒どきの石焼き芋屋

大寒のこの時期(1/20〜2/3)には、街中で焼き芋売りの車を見かけます。
1/17この日は、最寄りの上大岡駅前の商店街でたまたま見かけました。
よくある懐かしい光景です。いまどきの掛け声は、肉声だけの拡声器でなくギター伴奏付きのフォーク風で縦型スピーカから流れます。
そこで、一句、

松過や響く石焼芋の声/松過や響く石焼藷の声

なお、俳句では、「薩摩芋」の「芋」に代わって植物の分類に使われる「甘藷」から「藷」が使われます。「芋」は里芋を意味するとか。先日の句会で指導されました。

2025年9月11日木曜日

烏森神社@新橋に立ち寄り

9/10には虎ノ門で用があり、帰りに新橋まで歩きました。
途中久々に新橋駅前の西南側のビルの谷間にある烏森神社(からすもり)を訪ねました。新橋界隈の店の商売繁盛の神様という風情は今も変わらず、門前で礼をして通り過ぎる人も見かけますし、お参りする人も地元の方が多いようです。古くから地元に根差し大事にされてきた神社と感じます。(注)
また、神社前の小路は以前には「(烏森)神社横丁」と呼んでいたと思いますが、ここも余り変わっていませんでした。1980年(昭和55年)代の頃には、日比谷、虎ノ門や神谷町などでの仕事の後に、この横丁に仲間と立ち寄ったことがよくありました。10席ほどしかないような小さな飲み屋が沢山並んでおり、満席であれば次々とはしごして探した記憶があります。その頃このあたりは「サラリーマンの聖地」と言われ賑わっていましたが、遠隔の通勤客が多いことから10時過ぎには多くが閉店モードになったことを覚えています。
神社とともにこの横丁も、変わり映えしない再開発に流されず、リフレッシュする場として残ってほしい場所のひとつです。その頃には、川崎の駅前にあった「望郷横丁」、横浜の運河沿いにあった屋台街も同じような雰囲気の飲み屋街でしたが、ともに大分前になくなりました。
この辺りには、かつての花街の雰囲気が残っており、いまも明治期創業の料亭「古今亭」や「多㐂本(たきもと)」など、新橋芸妓組合が存在していた名残が見られるとか。
この日は、10,000歩コースでした。


参拝者が続く静かな一角です。新橋駅から
歩いて2分の場所とは思えません。

この神社前の小路は、「(烏森)神社横丁」と呼ばれ
ていました。様子は大きくは変わっていません。
背後に2分戻ると鉄道公園を経てJR新橋駅の
烏森口です。

ちょっと変わった鳥居と社です。昭和46年に
できたモダン造りだそうです。

(注)烏森神社について
・創建は平安時代・天慶3年(940年)平将門の乱の際、鎮守府将軍・藤原秀郷(俵藤太)が武蔵国の稲荷神社で戦勝祈願をしたところ、白狐が現れ白羽の矢を授けたという伝説があります。その後、夢に現れた白狐の導きで「神鳥(烏)が群がる場所」に神社をここに創建したのが烏森神社の始まりとされています。
・江戸時代には「江戸三森」の一社として崇敬椙森神社(日本橋)、柳森神社(神田)と並び、稲荷信仰の中心として賑わいを見せました。初午の稲荷祭では江戸で一二を争うほどの盛り上がりだったと伝えられています。
・明暦の大火(振袖火事)を免れた奇跡の社で、江戸市中が焼け野原となった中、烏森神社だけが類焼を免れたことから、神威の強さが信仰をさらに高めました。
・カラフルな御朱印や「心願色みくじ」など、現代的な感性を取り入れた授与品が人気で御朱印ブームの火付け役とも言われています。
(神社HPなどから引用・編集)

2025年8月26日火曜日

五反田で暑気払い

3/25には、以前の職場の同僚と五反田で暑気払いをしてきました。立秋が過ぎても猛暑日が続くこの頃にはピッタシの企画でした。
西五反田にあったかつての職場のオフィスビルに近い居酒屋「多吉」がこの日の会場だったため、若干早めに到着し周辺を久々に歩くことができました。
まず驚いたのは、かつて通ったオフィスビルがこの5月からの解体工事中だったことです。2026年3月には取壊しが終了する予定で、その後33階の高層マンションビルの建設が予定されているとか。このビルには2015年から6年程通いましたが、思い出も多いビルです。ここは、1989年に建てられ元々万年筆のパイロットさんも上層階に入居されていたそうで(当時は「パイロット第一生命ビル」と呼ばれていたとか)、その後クラウド会計の会社などが入居し同居していました。
山手線五反田駅西口を出て北に5分程行ったところで目黒川と山手線の間の繁華街の一角にありました。便利な割に地域のオフィス賃貸料は目黒、大崎周辺ほど高くはない、とのことでした。確かに、東急池上線、都営浅草線と山手線がクロスします。少し歩きますが東急目黒線の不動前から通う人もいました。このためか周辺には地域ブランドを気にしないIT関係のベンチャ企業が集まっているそうで、米国のシリコンバレーよろしく「五反田バレー」などと報道されたこともありました。この意味では、「渋谷ビットバレー」が先行していましたが。
春には、目黒川の桜並木には近くよく目黒まで川沿いを職場仲間と何度も花見をしました。また、ビルの5階にいましたがすぐ下も商店街沿いに桜通りが走り、開花時期には、真上から花見ができる珍しい場所でした(よくある、下から、横から見るのとはまた違う光景です)。よく耳にしたのは、五反田は、山手線の駅の中でも、大学(近くに立正大学、清泉女子大などがあります)、オフィス街、居住街、繁華街が駅周辺にコンパクトに集まったのが特徴的、ということでした。好みにもよるのでしょうが、ある意味では、働きやすい、住みやすい町、親しみやすい町、だったのかもしれません。
五反田駅前はかつては山手線沿いでも有名な歓楽街でしたので、その名残もあってか、昼食や夜の会食の場所には、ピンからキリまで、和洋中と苦労することもありません。
同僚とよく使った、近くの店が「多吉」とオフィㇲの道路向いにあった「かね将(かねしょう)」でした。多吉は何も変わらず健在でしたし、かね将は当時から地元の人気店でしたが、いつの間にか道路真向かいに2号店を出していて繁盛している様子でした。
懐かしい仲間6人も皆元気で、暑さを忘れて、久々にじっくりと懐かしい話や近況の情報交換などができました。
この日は、6,800歩コースでした。
因みに、2022年5月には「かね将」について当ブログに以下の記事をアップしていました。

五反田「かね将」


暑気払い会場の「多吉」さん。店構えも、
料理長も仲居さんも変わらずでお元気でした。

地域でも人気の「かね将」の2号店。地下
1階に出来たばかりでまだ試していません。
コロナ禍を乗り越えられたようです。

一時は入居した12階のオフィスビルは
解体中でした。右奥には学研本社が
あり、左右の通りは「学研通り」と
呼ばれていました。

大船の初秋とヒョウタン展 ー萩と彼岸花そして瓢箪ー

 9/15には、雨天の合間に大船フラワーセンターの萩や彼岸花などの初秋を見に久々に出かけました。 園内中央には萩(ミヤギノハギ)の並ぶ長い横丁エリアがあります。まだ二分咲きでしたが、赤紫色の蝶型の花を穂状に付け、穂が風にうねるように揺れて咲く様は風情があります。このことから「風聞...