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2026年7月20日月曜日

川崎大師風鈴市2026と「久寿餅」

7/19 には、7/17~21に開催中の川崎大師風鈴市に、梅雨明け寸前の猛暑の中休み休みでしたが巡ってきました。
京急蒲田駅から分岐する京急大師線で川崎大師駅で降りると20分程で参道を経て山門に辿り着けます。
全国各地から800種を越す風鈴が勢揃いしているそうです。テント内での風鈴市も盛況でした。コロナ前からこの時期ここに来ていますが、コロナ禍で開催が縮小されたりして変則的なことが続いてきましたが、今回でおおよそ陳列の規模や方法はコロナ前に戻ったようでした。暑いなかでしたがしっかりと涼しさをもらってきました。
参道途中にある久寿餅の製造・販売をしている住吉総本家さんの喫茶部で冷えた久寿餅(くずもち)をいただき、熱中症を心配しながら途中クールダウンしつつのゆっくりした移動でした。久寿餅は、葛粉ではなく小麦粉を発酵させて作るのが「久寿餅」だそうで、葛餅と同様に黒蜜ときな粉をかけて食べます。亀戸天神近くの船橋屋の葛餅とは別種のようですが、葛餅に比べてコリコリ感が余りなく小麦から出るグルテンによるねっとりとした食感でした。
ここで、一句、

風鈴市800曲の多重奏
風鈴市久寿餅食みてクールダウン

この日は、8,500歩コースでした。


大山門の前の風鈴棚

経蔵に納められている大きな五鈷杵(ごこしょ)。
長さが1.5mはあります。真言宗や天台宗の密教
系の儀式で用いられる仏具でよく見かけます。
煩悩を打ち砕く武器に由来し厄除けや難除けの
役割があるとか。ここではこれを使って
「清浄金箔」という儀式が行われるそうです。

大本堂を背景に風鈴棚

大本堂前にも出品された風鈴が一列に並びます。

風鈴棚の奥は献香所

境内には日光おさるランドから
「りゅうきと大河」の気の合った
コンビによる猿回しです。なか
なかレベルの高い演技でした。

大山門を背景に
テント内の風鈴市も盛況でした。

左の階段から右の階段に大ジャンプです。

八角五重塔を背景に風鈴が風に吹かれ涼し
そうに鳴ります。
大本堂手前に出品する全国各地の風鈴が
木の棚に揃って陳列されています。

大山門を入ると左手に立派な八角五重塔が
現れます。その手前のテントが風鈴市会場で
出品された風鈴が威勢よく販売されています。

金剛山 川崎大師平間寺山門

参道のだるま屋でも風鈴のオンパレードです。
テントの横には第31回の風鈴市の標識も

参道の店舗店頭から。籠入りの風鈴も。

住吉総本家の久寿餅。「久」の字は創業者の
「久兵衛」さんに因んでるとか。詳しくは
下記(参考)。

この店もダルマと風鈴が並びます。

参道も賑わっていました。正面奥が大山門です。

参道入口です。

風鈴市での出品風鈴リスト。
全国66種あります。
住吉総本家本店の掲示から。川崎大師周辺が
小麦の産地だったことと災難が絡んでいます。

2026年7月6日月曜日

第11回楽写会写真展

属する写真クラブの第11回楽写会写真展が7/3~9に富士フォトギャラリー銀座で行われており、 7/6には午前中の在廊当番で会場に立ち会いました。半日で60人ほどの来場があり、暑い時期にも拘わらず盛況で、来ていただいた方々には感謝ばかりです。
この日は、その後の移動を含めて10,700歩コースでした。


今回の私の出展作品でタイトルは
「一等花見所 横浜 旧根岸競馬場」です。
「一等花見所」は右奥の建物が明治初期に作られた
日本で最初の西洋式競馬場の「一等馬見所」だった
ことに掛けてみました。

会場風景から

会場風景その2。手前にはここ3回の写真展の
作品集を小机に置いています。今回は
16作品の出展でした。
会場入口から

案内状から
京橋駅前の東京スクェアガーデン前の
ピラカンサスもビルの谷間で見頃でした。

京橋の親柱。伝統的な和風の橋の欄干には、
ネギの穂の形に似た「擬宝珠(ぎぼし)」という
飾りがよく使われたそうで、京橋は明治8年に
石造りのアーチ橋に架け替えられた際、伝統的な
擬宝珠の形を残した親柱が作られました。その後
大正11年に撤去された時にここに京橋の碑として
親柱が史跡として残されたとのこと。
写真展会場のビルの横にある銀座一丁目交番。
京橋親柱の京橋の碑と道路を挟んで対向して
います。屋根は京橋の「擬宝珠(ぎぼし)」風
の欄干をイメージしたとのこと。銀座通りの
両側に「擬宝珠(ぎぼし)」が並びます。
京橋については、昨年6月2日にここを訪れ
当ブログに下記の記事をアップしていました。

             「京橋の碑」と紫陽花


(参考) 数寄屋橋交番
近くの数寄屋橋交差点にある交番も同じような
設計です。欧州で1910~30年頃流行った装飾様式
のアール・デコ調だそうです。2012年スケッチを
始めた頃のレッスンで描いていました。

2026年6月26日金曜日

目黒の庭園美術館

6/23午後には、目黒の自然教育園を 一巡した後に、すぐ隣にある東京都庭園美術館にも立ち寄りました。
この日は来週に開催予定の陶芸の美術展の準備のため美術館には入れないとのことでしたが、庭園だけでもと拝観することにしました。といいましても65歳以上には入場料はかかりません。最近都立の施設はそういうところが多いようです。
ここは昭和8年(1933)に朝香宮家の自邸として建てられました。その後、終戦の昭和22年(1947)に朝香宮家は皇籍から離脱され、ここを離れられたそうです。昭和58年(1983)に美術館として開館しています。1910〜1930年に欧州で広がったフランスのアール・デコの装飾様式(注)を採り入れた日本の皇室建築でもユニークな建物とのこと。近代の皇室の変遷を見るようでもあり、その結果として本館は美術館として生まれ変わり庭園も西洋庭園、日本庭園、芝庭として公開されました。

確かに、隣の自然教育園とは好対照で、自然のままをありのまま残す地区とここのようにしっかりと手入れ、管理された庭園が隣接するのも、これまた一興といったところです。庭園には多くの種類の四季の花木が植栽されています。
ここは大分前2018年2月にも一度訪ねていて、本館のスケッチを残していました(参考)。
隣りの自然教育園の素朴な野草と合わせて、季節ごとに庭木と野草を訪ねてみたいコンパクトなスポットです。


ヒペリカム(小坊主弟切:コボウズオトウトギリ)。
花とは別に赤い実を付けます。

立派な黒松も
入口の西洋庭園のオブジェ。休息をイメージ
しているように思えます。これもアール・
デコ流(注)なのでしょうか。

新館(ギャラリー棟)。本館の奥に繋がって
います。左手前も仏国彫刻家による犬の
作品です。

日本庭園内にある茶室「光華」にて。
床の間の掛け軸の書は「和敬清寂」です。
茶道の根本精神だとか。

日本庭園

本館(旧朝香宮邸)側面から。左隣に新館が
繋がっています。後に増築されたのでしょうか。

本館前の中国風の狛犬雌。子供
同伴です。

中国風の狛犬雄。しっかりと睨みを
効かしています。和洋中の折衷で、
いわば日本文化の典型です。

本館正面から

東京都庭園美術館正門

(参考)20180224にもここを訪ねていました。
当時も本館の建物に惹かれたようです。
 
(注)アール・デコについて(パンフレットから引用)
1910〜1930年にフランスを中心に欧州を席巻した工芸・建築・絵画・ファッションなど広い分野に波及した装飾様式の総称。直線と立体の知的な構成と幾何学的な模様が特徴とされる。

2026年6月25日木曜日

目黒の自然教育園

 6/23には、午前中にある会社の株主総会に出席した後、目黒の街中にある国立科学博物館附属自然教育園(注)に立ち寄りました。
以前に近くの五反田に通っていた頃、ここでハンゲショウ(半夏生。半化粧、片白草とも)などのこの時期の野草が多くみられると聞いて、半信半疑でここを訪ね、 確かに大都市ながらも自然な環境が残され多くの野草が自生しているのを見て驚いた記憶がありました。
前回訪ねたのは10数年前のことでしたが、最近では道端の野草にも人手の入らない自然さに惹かれはじめたこともあり、たまたま、この梅雨時にここの今はどうなっているだろうかと思い起こし、この日午後に立ち寄ってみた次第です。
栽培に手を入れない園の面影はそのままで、自然のままの植生が残されていました。逆に目当の野草を探すのも、観客が自分でありそうなところを特定し探し回りますので、苦労します。
今回、資料ではじめて知りましたが、ここの敷地内の全てが1949年に天然記念物及び史跡に指定されているそうです。いまも大部分が非公開地域で、人の影響をできるだけ排除して、自然の生態系を丸ごと保存し、都会の森林がどのように変化しているかを見守っているとのこと。よく見かける大学付属の植物園や野草園などとはまた主旨が異なるようです。
時期をみて、季節の野草を観にまた訪ねようと思います。園内の「路傍植物園」などは私には格好です。
ここで、一句、

自然園水辺をともす半夏生
木漏れ日を集めて白し半夏生


ノカンゾウ(ユウスゲ(夕菅)とも呼ばれます)。
一日で咲き終わり翌朝には別の花を咲かせます。

チダケサシ(茅茸刺)も

湿地にはコウホネ(河骨)も見かけました。
黄色い椀形の花の開花には少々早かった
ようです。

ねじれて今頃花を付けるネジバナもやっと
見つけました。

シオカラトンボも

ひめがま。園内ではきめ細かく
植物名がこのように表示されています。

イヌヌマトラノオ

カヤキリ(クビキリギス)もひと休みのようです。

目当てのひとつのハンゲショウ
(半夏生、半化粧)  もなんとか
見つかりました。確かに人手が
入った様子はありません。
クロアゲハも水辺で幾つか見かけました。

ひょうたん池。ここも手入れがされていない
様子です。緑の映り込みが独特です。
ミソハギ(盆花)。私には懐かしい野草です。
管理棟で見かけたツミの剥製。ツミは散歩中にも
バードウォッチングで人気の対象としてよく耳に
します(先日も町田の薬師池近くで見かけました)。
日本で見られる猛禽類の中で最も小型のタカで、
都市部でも見られる身近な猛禽だそうです。
ここにもいるのでしょうか。この日もここの
池の傍で鳥見族を見かけました。

教育管理棟と入口

(注)国立科学博物館附属自然教育園について(関連HPから引用・編集)

目黒駅(品川区・港区の境界近く)から徒歩圏内にある「国立科学博物館附属自然教育園」は、大都市・東京の真ん中にありながら、奇跡的に手つかずの豊かな生態系が残されている場所です。


1. 自然教育園の歴史

この土地が今日まで豊かな自然を保てたのは、数百年にわたり一般の立ち入りが制限され、開発から守られてきた歴史があるためです。

  • 室町時代(豪族の館):

    「白金長者」と呼ばれた豪族 太田新六郎がこの地に館を構えたと伝えられており、現在も園内にその当時の「土塁(どるい)」の跡が残っています。

  • 江戸時代(大名屋敷):

    水戸黄門(徳川光圀)の兄にあたる、高松藩主・松平頼重の下屋敷(別邸)となりました。

  • 明治〜大正時代(軍の施設から御料地へ):

    明治時代には陸海軍の「火薬庫」となり、一般人の立入りが厳しく制限されました。
    大正時代(1917年)には宮内省の管轄となり、「白金御料地(皇室の所有地)」となりました。

  • 戦後〜現在(天然記念物・史跡へ):

    1949年(昭和24年)に、歴史的・学術的な価値の高さから、敷地全体が国の「天然記念物及び史跡」に指定され、一般公開が始まりました。1962年からは国立科学博物館の附属施設となっています。
    戦後には、住民の中心としてここの保存について高速道路やホテルの建設計画と調整することもありました。結果として、高速道路はここを回避して曲がり、ホテル建設は中止になりました。


2. 自然教育園の特徴

一般的な「きれいに手入れされた庭園や植物園」とは異なり、「自然のありのままの姿(生態系)を保存・展示する野外博物館」である点が最大の特徴です。

①武蔵野の面影を残す「奇跡の森」

都心の喧騒から切り離された約20ヘクタール(東京ドーム約4個分)の敷地には、かつての武蔵野の里山を思わせる落葉広葉樹の森、湿地、池などが広がっています。

②豊かな生物相

園内では、約1,470種の植物、約2,130種の昆虫、約130種の鳥類が記録されています。

③「変化」もそのまま観察する独自の管理

自然教育園では、あえて過度な手入れをせず、植物が自然に移り変わっていく「植生遷移(せんい)」をそのまま見せる工夫がされています。大正時代には針葉樹(モミやマツ)が中心だった森が、時代の変化とともに現在は落葉広葉樹中心の森へと自然に移り変わっており、それ自体が貴重な研究対象となっています。


隣接する「東京都庭園美術館」が美しく整えられた人工美の庭園であるのに対し、自然教育園は「ありのままの自然美」を体感できる場所として、絶妙なコントラストを成しています。都会のオアシスとして散策や森林浴、自然観察にぴったりのスポットです。

今どきのパソコン用TVチューナー -4代目の調達-

 先日7/28には、パソコン用USB接続テレビチューナーを新機種に交換しました。パソコン(PC)でテレビ(TV)を視るためにPCのUSB端子に接続する簡易なTV信号変換器です。ここ20年程、居間とは別に自分の書斎でもTVを視たり留守中に録画したりするために利用し重宝してきました。...