7/28には岩手県北上市横川目の義弟から米「ひとめぼれ」を30Kgの米袋(中には紙の1俵袋に半分詰められています)でいただきました。毎年この時期のおいしい産直の米を頂戴し感謝するばかりです。北上の水と親族の手による産物をしっかりと味わいたいと思っています。
2026年7月29日水曜日
2026年7月19日日曜日
舞鶴実家跡の活用の開始 その2
先日、郷里の舞鶴四条にあった実家跡地での建築工事の進捗として7/8と7/14の現場写真が姉から届きました。 岩盤への杭打ちが終わり、別の重機2機が入って建物(5階建てマンションとのこと)の基礎工事が始まったようです。深さ5m程にコンクリートの基盤を打っているとのこと。他所事ながらしばらくは様子を見守りたいと思っています。
2024年3月に、建物内の内装品や残置物の整理、処分を終え、建物の取壊しに取り掛かる直前の様子を、当ブログに下記の記事をアップしていました。
舞鶴実家の取壊し工事開始 ー残置物処理がほぼ終了ー
また、その前の2016年8月には実家の前の四条通りから北の東舞鶴港の岸壁方向を見た以下のようなスケッチを残していました。10年前のこの時期は空き家になった実家や墓の今後を色々と考えている頃でした。今から思うと懐かしい風景です。
四条通り。正面奥が東舞鶴港。
前島に係留中のボートが見えます。
左手前から3軒目が実家です。八島商店街(絵の中段辺りを左右に走ります)
のアーケード。四条通り左側に見える2つの
看板のうち手前の丸二金物店は今も健在
ですが、奥の愛知旅館は今は閉店しています。
前島に係留中のボートが見えます。
左手前から3軒目が実家です。
のアーケード。四条通り左側に見える2つの
看板のうち手前の丸二金物店は今も健在
ですが、奥の愛知旅館は今は閉店しています。
2026年7月18日土曜日
地元理髪店のリニューアルオープンとかつての「峠の茶屋」
7/17には、地元の桜道理髪店「ヘアーサロン桜道」が1年半ぶりに家を新築し、店をリニューアルオープンしました。
元々50歳代の若い理容師のオーナーが一人で経営する店で、自宅一階の一室を使ったこじんまりとした店です。リニューアル後も写真の通り、店頭前面上の「SAKURAMICHI」の看板と店頭の赤、青、白の帯がくるくる回る床屋のサインポールがなければ、一見一般の住宅と変わりません。ドアには店名も書いてありません。完全予約制で待ち席は2席だけでコンパクトな仕事場の造りです。ただ、地元では「床屋」といえばこの店を指し、地元のひいき客が多い店で、女性客も通います。町内会の集まりでも早い再開を望む声を聞いてきました。今時の理髪店の在り様なのかも知れません。
私はこれまで長く使っていた大船の床屋を今は通っていますが、ここは自宅から100m程と至近のところにあるため、今後身体が不自由になった折などには、ここに通おうかと思っています。
もうひとつ、この店は近くの桜道商店会の桜道坂上地区では最後の店になることも注目されています。もともとここには雑貨店、八百屋、ラーメン店などもあったと聞いています。最後2軒目の雑貨店「亀井商店」は、私がこちらに引っ越してきた直後の2019年12月31日に57年の営業を経て閉店し、よく使っていた近くの小中学生からも惜しむ声、感謝の言葉の寄せ書きが店内に沢山張り出されていたことを思い出します。私も最寄りのバス停にも近くちょくちょくお世話になっていましたので記念にと閉店直前の様子をスケッチしていました。亀井商店は桜道の頂上ぼ三叉路にあり、正に「峠の茶屋」を思わせる店でした。店の前には小さな空地があって据え付けのしっかりした大きな木製テーブルがあり、郵便ポスト、自動販売機や雑誌・新聞の売棚が並び、3方向から坂道を登ってきた人がひと休みする格好の休み処、交流の場、生徒たちのたまり場でした。亀井商店は閉店後取り壊され半年程で一般民家に生まれ変わっています。
した「桜道理髪店」。心機一転、頑張って
ほしいと思います。因みに、サインポールの
赤・白・青の3色は、中世ヨーロッパで
理容師が外科医を兼ねていた歴史に由来し、
赤は動脈、青は静脈、白は包帯を表している
そうです。次の写真の亀井商店はこの絵の
手前の桜道を右に30m程上ったところに
ありました。
7年前まで桜道の頂上の角地にあった雑貨店
「亀井商店」の閉店直前の様子。まさに今流の
笹下釜利谷街道の関交差点 に出ます。また、
右横に300m程行くと日野公園墓地の入口に
なります。 桜道理髪店からは30m程桜道を
上ったところにあります。
2026年7月6日月曜日
第11回楽写会写真展
属する写真クラブの第11回楽写会写真展が7/3~9に富士フォトギャラリー銀座で行われており、 7/6には午前中の在廊当番で会場に立ち会いました。半日で60人ほどの来場があり、暑い時期にも拘わらず盛況で、来ていただいた方々には感謝ばかりです。
この日は、その後の移動を含めて10,700歩コースでした。
「一等花見所 横浜 旧根岸競馬場」です。
「一等花見所」は右奥の建物が明治初期に作られた
日本で最初の西洋式競馬場の「一等馬見所」だった
ことに掛けてみました。
作品集を小机に置いています。今回は
16作品の出展でした。

案内状から京橋駅前の東京スクェアガーデン前の
ピラカンサスもビルの谷間で見頃でした。
京橋の親柱。伝統的な和風の橋の欄干には、
ネギの穂の形に似た「擬宝珠(ぎぼし)」という
飾りがよく使われたそうで、京橋は明治8年に
石造りのアーチ橋に架け替えられた際、伝統的な
擬宝珠の形を残した親柱が作られました。その後
大正11年に撤去された時にここに京橋の碑として
親柱が史跡として残されたとのこと。写真展会場のビルの横にある銀座一丁目交番。
京橋親柱の京橋の碑と道路を挟んで対向して
います。屋根は京橋の「擬宝珠(ぎぼし)」風
の欄干をイメージしたとのこと。銀座通りの
両側に「擬宝珠(ぎぼし)」が並びます。
当ブログに下記の記事をアップしていました。
「京橋の碑」と紫陽花
近くの数寄屋橋交差点にある交番も同じような
設計です。欧州で1910~30年頃流行った装飾様式
のアール・デコ調だそうです。2012年スケッチを
始めた頃のレッスンで描いていました。
設計です。欧州で1910~30年頃流行った装飾様式
のアール・デコ調だそうです。2012年スケッチを
始めた頃のレッスンで描いていました。
2026年6月26日金曜日
目黒の庭園美術館
6/23午後には、目黒の自然教育園を 一巡した後に、すぐ隣にある東京都庭園美術館にも立ち寄りました。
この日は来週に開催予定の陶芸の美術展の準備のため美術館には入れないとのことでしたが、庭園だけでもと拝観することにしました。といいましても65歳以上には入場料はかかりません。最近都立の施設はそういうところが多いようです。
ここは昭和8年(1933)に朝香宮家の自邸として建てられました。その後、終戦の昭和22年(1947)に朝香宮家は皇籍から離脱され、ここを離れられたそうです。昭和58年(1983)に美術館として開館しています。1910〜1930年に欧州で広がったフランスのアール・デコの装飾様式(注)を採り入れた日本の皇室建築でもユニークな建物とのこと。近代の皇室の変遷を見るようでもあり、その結果として本館は美術館として生まれ変わり庭園も西洋庭園、日本庭園、芝庭として公開されました。
確かに、隣の自然教育園とは好対照で、自然のままをありのまま残す地区とここのようにしっかりと手入れ、管理された庭園が隣接するのも、これまた一興といったところです。庭園には多くの種類の四季の花木が植栽されています。
ここは大分前2018年2月にも一度訪ねていて、本館のスケッチを残していました(参考)。
隣りの自然教育園の素朴な野草と合わせて、季節ごとに庭木と野草を訪ねてみたいコンパクトなスポットです。
花とは別に赤い実を付けます。
しているように思えます。これもアール・
デコ流(注)なのでしょうか。
います。左手前も仏国彫刻家による犬の
作品です。
床の間の掛け軸の書は「和敬清寂」です。
茶道の根本精神だとか。
同伴です。
効かしています。和洋中の折衷で、
いわば日本文化の典型です。
1910〜1930年にフランスを中心に欧州を席巻した工芸・建築・絵画・ファッションなど広い分野に波及した装飾様式の総称。直線と立体の知的な構成と幾何学的な模様が特徴とされる。
2026年1月31日土曜日
早春の取り合わせ風景―梅と菜の花のコラボー
1/31には平塚の花菜ガーデンに久々に出かけました。この時期話題になる菜の花と梅の取り合わせをここで一見したいと思っての散歩コースの選択でした。菜の花と桜は同時期に咲くことが多いですが、梅と一緒に観るのは関東ではそう多くはありません。
結果的には正解で、白梅も菜の花も咲き始めた時期で規模はそう大きくはありませんが早春を目の当たりにしました。
花菜ガーデンには、平塚駅北口から秦野駅行の神奈中バスで20分ほど北上し降車すると10分程で到着します。入口前にはJA湘南の運営する地元農作物の大型直売所「あさつゆ広場」があり賑わっていて、私もいろいろと物色してきました。ここは明治期以来の農業試験場だったところで、2006年に試験場が伊勢原市に統合されたことで、その跡地を「農業と園芸」を楽しみながら学ぶ場所として2010年に市民に開放されました。地元ではバラの交配やコレクションでよく耳にします。
もうひとつ、ここはチェコの園芸家カレル・チャベックの園芸を理想としているそうで、中央に「チャベックの家と庭」をイメージして再現されたエリアがあります。彼の著作「園芸家12か月」(1929年頃出版)は世界で今も愛読されているとのこと。また彼はSF作家でもあり「ロボット」という言葉の創始者だそうです。
ここで、一句、
春隣梅と菜の花の揃い踏み
この日は、10,700歩コースでした。
因みに、3年前の秋20221011にここを訪ねて下記のような秋バラの記事を当ブログにアップしていました。
花菜ガーデンの秋バラ
2026年1月11日日曜日
地元の七福神巡りその1
今年の正月には、地元の横浜金澤七福神を15年程振りに2日に分けてゆっくりと巡ってきました。1/1~1/8の御開帳の期間は過ぎていましたが、正月休みの参拝客による混雑も過ぎた、晴天の1/9と1/10の午後に訪ねました。また、年齢もあり、移動にはフルに公共交通機関を使ってのやや変則的な(安易な)七福神巡りでしたが、それでも道中には所々に起伏もあり、私には結構ハードなトレッキングでした。
横浜金澤七福神は横浜市の南東部の東京湾沿いに当たる金沢区にある7つ寺社に七福神7柱(恵比寿・大黒天・毘沙門天・弁財天・福禄寿・寿老人・布袋尊)が祀られ巡拝します。途中に海を望みながら廻れる爽やかのコースだとか。七福神巡りは、室町時代から続く庶民信仰で、仏教、神道の宗教、宗派に関わらず歴史ある寺社が選ばれて、一巡すれば七つの災いを避け、七つの幸福を授かるそうです。ここの七福神の正月イベントは新しく今年が21回目で、2005年から途中の商店、レストランなどのPR、街おこしを兼ねて始まっており、今流の「平成の七福神」、今どき「21世紀の七福神」といった趣もあり、祀られた御神体はいずれも真新しい御影石造りでした。
場所的には、京浜急行金沢八景駅周辺の瀬戸神社、龍華寺(りゅうげじ)、伝心寺のグループ1、京急富岡駅近くの富岡八幡宮、長昌寺のグループ2、その他の正法院と宝蔵院のグループ3に分かれます。
今回は、前2グループを1/9に最後のグループを1/10に訪ねました。
まずは1/9 瀬戸神社、龍華寺、伝心寺巡り(グループ1)から始めました。
1.瀬戸神社_弁財天
瀬戸神社は八景駅から海沿いに出ると5分で行ける至近です。源頼朝が古代からの整地 瀬戸に三島明神をお祀りして瀬戸神社を造営した時に、妻の北条政子が日頃崇敬した弁財天を祀ったのが境内で平潟湾に突き出た琵琶島神社だったことが由縁だそうです。頼朝の故事にはいつも政子の陰が付きまといます。
瀬戸神社から龍華寺に向かう途中に、明治憲法草創の碑が建っています。伊藤博文ほかがプロイセンの憲法をベースにここの近くの料亭「東屋」で明治憲法草案を練ったとか。また、その先には鰻屋「饅松」があり、店の前の東屋には伊藤博文の書が掲示されており、明治初期の面影をうかがわせます。この先国道16号線君が崎交差点までを「歴史の道」(通称「バス通り」)というそうです。
2. 龍華寺_大黒天
鎌倉期初期、当時この地の海の守りとして栄えた金沢の港と瀬戸神社を結びつける形で、最初の寺院 浄願寺を山中に建立したことが龍華寺の起源とされれいます。その後1499年にこの地に龍華寺として統合され、真言密教の修行道場として再興されたそうです。東国における中世の密教世界を知る貴重な史料も多く見つかり注目されているとか。
山門をくぐり境内に入ると正面に藁葺屋根の古風な鐘楼が見られ、この珍しい配置にもなにか所縁がありそうです。
3. 伝心寺_毘沙門天
伝心寺(傳心寺)は鎌倉期1247年に北条時頼の開基により 、曹洞宗発展の時期にこの地での信仰の拠点として創建されたそうです。その後、戦国時代に再興されています。海に近い金沢の地で、 地域、漁や海運の安全を見守り続けてきた寺とのこと。
境内には木守柿のように柘榴(ざくろ)が古木に残っており、目に留まりました。また、山門前には白梅が咲き、私には今年初めての梅でした。
伝心寺境内には木守柿ならぬ「木守柘榴
(ざくろ)」が昨秋から古木に残っていました。
龍華寺に向かう「歴史の道」の入口には
「明治憲法草創の碑」が建っています。この近くの
料亭「東屋」で伊藤博文、金子堅太郎他が起草した
そうです。それもあって伊藤博文はこのすぐ先の
に別邸を造って 船で通ったそうです。
釣宿 荒川屋でのランチです。釣人飯の感じが
します。この日はアジ、シロキス、太刀魚の
天ぷらでした。地元産海苔の佃煮も(左上)。
弁天屋の釣舟で今釣れるのは、カワハギ、
太刀魚、シロギス、アマダイ、鯵など
のようです(左下の看板から)。
釣宿「弁天屋」の釣果の魚拓から。この辺りは
交通の便がよいため釣舟屋、釣宿が多く
並びます。
「疫病退散」と幟に掲げて祈願する瀬戸神社の
様子をスケッチしていました。
大船の初秋とヒョウタン展 ー萩と彼岸花そして瓢箪ー
9/15には、雨天の合間に大船フラワーセンターの萩や彼岸花などの初秋を見に久々に出かけました。 園内中央には萩(ミヤギノハギ)の並ぶ長い横丁エリアがあります。まだ二分咲きでしたが、赤紫色の蝶型の花を穂状に付け、穂が風にうねるように揺れて咲く様は風情があります。このことから「風聞...
-
長く地元で行きつけの飲み屋のひとつになっていた「養老の滝 蒔田店(まいた)」が29年間の営業を3/20で終了することになったことを知りました。市営地下鉄蒔田駅前に入居するビルの取壊し計画が具体化したこととコロナ禍以降の諸物価の値上がりで経営が急速に厳しくなったことが原因だそうで...
-
先日、舞鶴に帰省の折に、空き家がうまく活用されている例を見かけました。 JR東舞鶴駅の駅前通りである三条通りに面する築100年になる空き家を改装し、古民家「涼庵」の屋号で地元の陶芸作家 高井晴美さんによる陶器の展示会が行われていました。涼庵での初めてのイベントだったとか。 高井...
-
11/30-12/2には。二泊と短期ですが、主に入院中の弟の見舞いに郷里の東舞鶴に帰省しました。12/1朝には小春日和に誘われて自転車で東舞鶴海岸の前島界隈を私なりのいつものコースで一巡してきました。この日は、前島埠頭での小鯵釣りが当たり日だったようで、皆さんよく釣れていました...
