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2026年7月6日月曜日

第11回楽写会写真展

属する写真クラブの第11回楽写会写真展が7/3~9に富士フォトギャラリー銀座で行われており、 7/6には午前中の在廊当番で会場に立ち会いました。半日で60人ほどの来場があり、暑い時期にも拘わらず盛況で、来ていただいた方々には感謝ばかりです。
この日は、その後の移動を含めて10,700歩コースでした。


今回の私の出展作品でタイトルは
「一等花見所 横浜 旧根岸競馬場」です。
「一等花見所」は右奥の建物が明治初期に作られた
日本で最初の西洋式競馬場の「一等馬見所」だった
ことに掛けてみました。

会場風景から

会場風景その2。手前にはここ3回の写真展の
作品集を小机に置いています。今回は
16作品の出展でした。
会場入口から

案内状から
京橋駅前の東京スクェアガーデン前の
ピラカンサスもビルの谷間で見頃でした。

京橋の親柱。伝統的な和風の橋の欄干には、
ネギの穂の形に似た「擬宝珠(ぎぼし)」という
飾りがよく使われたそうで、京橋は明治8年に
石造りのアーチ橋に架け替えられた際、伝統的な
擬宝珠の形を残した親柱が作られました。その後
大正11年に撤去された時にここに京橋の碑として
親柱が史跡として残されたとのこと。
写真展会場のビルの横にある銀座一丁目交番。
京橋親柱の京橋の碑と道路を挟んで対向して
います。屋根は京橋の「擬宝珠(ぎぼし)」風
の欄干をイメージしたとのこと。銀座通りの
両側に「擬宝珠(ぎぼし)」が並びます。
京橋については、昨年6月2日にここを訪れ
当ブログに下記の記事をアップしていました。

             「京橋の碑」と紫陽花


(参考) 数寄屋橋交番
近くの数寄屋橋交差点にある交番も同じような
設計です。欧州で1910~30年頃流行った装飾様式
のアール・デコ調だそうです。2012年スケッチを
始めた頃のレッスンで描いていました。

2026年6月8日月曜日

堀切菖蒲園での早目の夏季撮影会

 6/2には、属する写真クラブの夏季撮影会が堀切菖蒲園で行われ、参加してきました。この日は台風6号が関東を直撃する予報のなか、ギリギリ到来直前になるかどうかの微妙なタイミングでの開催で、講師を含め8名の参加でした。結果的には、一時パラパラと降られましたがなんとか雨の中の撮影には免れました。とはいえ、被写体は花菖蒲ですから雨もまたよし、ではありましたが。通常は夏季撮影会を7〜9月に開催していましたが、このところの暑さから熱中症など安全をみて今年は6月初旬の開催となりました。
咲き具合は丁度見頃にあたり、いくつも群生していました。写真仲間とも「被写体に全く問題なし」といいながら、張り切って2時間ほど撮り回りました。同行の先生からも「背景を暗くボカして主役を浮き上がらせる撮り方」、「原則真横から撮ること」など、熱心に説得力のあるご指導をいただき収穫の多い撮影会でした。
この日は、近くの荒川沿いの堀切菖蒲水門にも立ち寄りました。これは荒川 → 中川 → 綾瀬川」への洪水逆流を防ぎ、上流の都市部の水害を防ぐための治水対策として作られた重要な水門だそうです。1991年の水害を教訓に1997年に完成したとのこと。
この日は、10,100歩コースでした。
因みに、2週間ほど前5/20にここの下見に来た時の様子を、当ブログの下記に記事をアップしていました。この日本番の様子からみると下見では一分咲きといったところでした。

堀切菖蒲園の花菖蒲


                 《堀切菖蒲園》 


花菖蒲は咲き始めの濃い色(濃紫・
濃青・濃赤紫など)から咲き進んで
淡くなり、満開時には明るく柔らかく
なり、おわりには白っぽく褪色します。
これは終りの色に近い株です。





きれいに観れるのも係の方の穂積みのお陰で、
感謝です。これが、染料など何かの材料に
なればよいのですが。




大紫です。

花菖蒲の群生です。

堀切菖蒲園入口。堀切菖蒲祭中でした(5/25~
6/14)。
堀切菖蒲園に行く途中の紫陽花道路。湧水が
噴き出しています。


《堀切菖蒲水門》 


菖蒲園の傍の荒川沿いにある堀切菖蒲水門。
左下の丸い堰(円筒型ゲート)が降りて右側の
上流都市部への洪水逆流を防ぎます。 

水門が監視する綾瀬川上流。上流の都市部への
洪水逆流による増水をこの水門で堰き止める
とのこと。すぐ左側を荒川が流れます。

2026年6月5日金曜日

横浜開港祭「時計塔にのぼろう!」に参加

 6/1には、横浜開港祭(6/1~2)の一環として、いつもは非公開の横浜市開港記念会館の時計塔が公開され、のぼってきました。これまで事後にタウンニュースの報道で見てきましたが、実際にのぼるのは初めてでした。たまたま先日の蕎麦屋談義吟行会の途中にここに立ち寄り、この企画を事前に知りました。
この記念会館は、開港50周年を記念して市民の寄付により大正6(1917)年に創建されて以来、市街中心部にある市民の集会場として使われてきました。関東大震災で大きな被害を受けながらも再建され、昭和34(1959)年からは横浜市開港記念会館の名称で、公会堂として利用されています。
時計塔は36mあり、登る途中もいつもとは違う眺めです。時計塔は横浜の3塔のなかの「ジャックの塔」と呼ばれ親しまれています。この日は10〜14時の4時間に300人の観客を受け入れる企画で、一人当たり8分で昇り降りする忙しい見学会でしたが、一市民としても珍しい経験ができました。この日は0930から整理券で並び、しばらく入場で待ち、見学が終わったのが1300と正味時間の割に見かけの長いツアーでした。ボランティアガイド団体の「ジャックサポーターズ」の方々が精力的に動かれていました。
この日は、10,400歩コースでした。
ここで、一句、

白南風(しろはえ)やジャックの塔の螺階いく
風薫る時計塔からみるキング

因みに、2023年7月にははす向かいの神奈川県庁を訪ね、下記のような記事を当ブログにアップしていました。当時、ここ開港記念館のジャックの塔は改装工事中でした。

文月の会展と県庁キングの塔


横浜市開港記念会館。中央が時計塔で36mあり
ます。時計塔は年2回公開され一般客が登れます。
赤レンガと花崗岩を使ったフリークラシック
という建築様式だそうで、東京駅を設計された
辰野金吾氏のお弟子さん達が設計されました。
東京駅にスタイルは似ています。辰野氏が英国
留学中に知り習得し日本に広めたとか。
2階フロアから時計塔への登り口
となる螺旋階段。
時計塔頂上から。はす向かいには県庁が
見えます。県庁は「キングの塔」と呼ばれ、
記念会館の時計塔は「ジャックの塔」と呼ばれ
ます。因みに「クィーンの塔」は近くの横浜
税関の塔の愛称です。この塔の運営には
「ジャックサポーターズ」というボランティア
ガイド組織が指定管理者として協力されて
います。
頂上階から見た時計塔階段
頂上階東側には県庁越しに大桟橋と横浜港が
見えます。
登る途中の梯子階段

頂上階の時計の裏側。すぐ裏に時計が動いて
いました。時計の直径は2mはあります。

記念会館西側の棟。先にドームが見えます。

地上からみたドーム。震災後設計関係者の
遺品から図面が見つかり再建されました。
時計塔低層階からみる県庁全景。左奥が
横浜港です。右下が東急みなとみらい線の
日本大通り駅です。

記念会館北側の棟の屋根
2階正面のステンドグラス
「咸臨丸」
1〜2階の階段

2階正面の銅枠窓
1階正面の講堂。この日は全国安全週間関係の
会議が予定され準備中でした。

おまけ_整理券228番(300人中)が「当たり」
券でこの日記念のカップをいただきました。
一地元住民として大事にしたいと思います。

当日の企画のチラシから

2026年5月18日月曜日

山下公園周辺での世界トライアスロン横浜大会

ワールドトライアスロン・パラトライアスロンシリーズ横浜大会(通称:世界トライアスロン横浜大会)が5/16~17に山下公園周辺で開催されており、5/16の山下公園での吟行会でたまたま遭遇しました。余り見ることのない種目ですので、吟行のかたわらその様子を覗いてきました。
10時頃東急みなとみらい線の元町・中華街駅から山下公園に入ると、途中からブルーのビニールシートで仕切られた通路が長く続いており、一般客は自由に移動できません。海岸に出るのも大回りすることになります。これが、世界トライアスロン横浜大会のランコース(10Km,2.5Km×4周)とバイクコース(40Km,4Kmx10周)の設定でした。競技中に一般歩行者を入れないためのものです。海ではスイムコース(1.5Km,0.7KmX2周)が何槽もの小型船やドローンで監視されています。トライアスロンでは、スイム⇒バイク⇒ランの順に競技が進みます。
この日1030頃にわれわれ吟行仲間が公園に入るとオープニングで放水船が放水を始めたところで、氷川丸の奥に見えました。中に入ると、海岸では数十人で泳いでいるのが見えます。これがトライアスロンのスイム競技中の選手たちでした。
大会での競技は、幾つかグループがあり、この日0630からエリートパラトライアスロン競技から始まり、1015からエリート女子競技、1300からエリート男子競技、1500からエリート/エリートパラ競技表彰式と続きます。翌日5/17には、エイジグループパラトライアスロン競技、スタンダード競技、スプリント競技、表彰式が行われ終了します。

一般客は 途中のワンカットしか見れませんが、男女を問わず、立派な体格のアスリートが前を走ったり、バイクをこいで猛スピードで駆け抜けていきます。想像するに、水泳で上半身を鍛え、バイクで下半身を鍛え、ランで持久力を鍛える、何拍子もそろった屈強の選手(アイアンマン)をめぐる競技なのだと感心ばかりでした。また、長い競技コースの出入りを管理する必要があり、多くのボランティアの方々が協力しているのがわかります。
調べてみると、 トライアスロン競技の起源には、現在の近代的なスポーツとして確立された「ハワイでの誕生」説と、それより半世紀以上前にフランスで行われていた「前身とされる3種競技レース」説の2つの歴史があるようです(注)。その後米国で人気が高まり2000年のシドニーオリンピックから正式種目に20年余りの短期間でなったとか。
ここで、一句、

海風やバイクで抜けるアスリート
若葉風放水柱出迎える

疾走中のバイク。山下公園通りです。

一団となってスイム競技中の選手。背景は
大桟橋です。
万国橋近くのバイク競技の折り返し点。
ここを10周し40Km走ります。

ランコース。ここを4周します。
スイムからバイクへの着替え、乗換え場所
公園のコース横にはバイク競技用の自転車の
販売店のテントが並びます。マウンテンバイクに
似た車体で欧州メーカが強いそうです。

薬物使用の注意喚起も。確かに、薬物の効果が
成績と直結しやすい競技のように思えます。
 

実況中継も

公園入口からは、オープニングセレモニー
での放水柱が見えました。右手前は係留中の
氷川丸の煙突です。

(注)トライアスロン競技の起源について(関連HPから引用・編集)
『ハワイでの「言い争い」から誕生した』説では、以下の通りです。
現在世界中で行われているトライアスロンの直接的なルーツは、1978年に米国ハワイ州で開催されたレースです。
そのきっかけは、あるユニークな「言い争い」でした。「どのスポーツの選手が一番タフか?」と1977年ハワイで行われた長距離走の表彰式の席で、アメリカ海軍の将校(ジョン・コリンズ中佐ら)と地元のランナーたちが議論を始めました。
「水泳選手、自転車選手、ランナーのどれが最強か?」という結論の出ない議論に対し、コリンズ中佐が「それなら、ハワイで開催されている3つの過酷なレースを全部続けてやって、1番になった奴を『アイアンマン(鉄人)』と呼ぼう!」と提案したのです。
翌1978年2月18日、オアフ島で最初の大会が開催されました。組み合わせたのは以下の3レースです。
1. ワイキキ・ラフウォーター・スイム(水泳:3.86km)
2. アラウンド・オアフ・バイクレース(自転車:180.2km)
3. ホノルルマラソン(マラソン:42.195km)
このタフなレースに挑戦したのはわずか15人。そのうち12人が見事に完走し、初代「アイアンマン」の称号を手にしました。これが、現在のアイアンマンディスタンス(ロングディスタンス)の起源です。
その後、オリンピック競技へと進化します。
ハワイで産声を上げたトライアスロンは、1980年代に入ると米国を中心に爆発的なブームを巻き起こします。あまりに過酷なロングだけでなく、より多くの人が参加しやすいように距離を短縮した「オリンピックディスタンス(スタンダードディスタンス)」が考案されました。
各種目での距離はアイアンマンディスタンス(ハワイ起源)からオリンピックディスタンス に以下の通りに大幅に短縮されました。
・スイム(水泳)3.8 km から1.5 km に短縮
・バイク(自転車)180 km から40 kmに短縮
・ラン(長距離走)42.195 kmから10 kmに短縮
このスタンダードな距離が制定されたことで競技人口はさらに拡大し、誕生からわずか22年という異例のスピードで、2000年のシドニーオリンピックから正式種目として採用されることになりました。

大船の初秋とヒョウタン展 ー萩と彼岸花そして瓢箪ー

 9/15には、雨天の合間に大船フラワーセンターの萩や彼岸花などの初秋を見に久々に出かけました。 園内中央には萩(ミヤギノハギ)の株が並ぶ横に長いエリアがあります。まだ二分咲きでしたが、赤紫色の蝶型の花を穂状に付け、穂が風にうねるように揺れて咲く様は風情があります。このことから「...