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2026年7月28日火曜日

舞鶴実家跡の活用の開始 その3

 7/26での舞鶴実家跡地での5階建てマンション建設工事の様子が姉から届きました。第3報です。
はやいもので杭打ちが始まって1月足らずで縦横の鉄筋建が進行中のようです。
隣地との境界ギリギリに建物が建ちます。ここは商業地域だったこともあるのでしょうか、隣地境界線と建物のスペースは最近の住宅地とは違って狭いようです。 

 
舞鶴実家跡の様子から。工事右側
です。姉から届いた写真をそのまま
引用させてもらっています。

工事左側です。マンションの
地下1階の駐車場の工事のように
見えます。

2026年7月19日日曜日

舞鶴実家跡の活用の開始 その2

 先日、郷里の舞鶴四条にあった実家跡地での建築工事の進捗として7/8と7/14の現場写真が姉から届きました。 岩盤への杭打ちが終わり、別の重機2機が入って建物(5階建てマンションとのこと)の基礎工事が始まったようです。深さ5m程にコンクリートの基盤を打っているとのこと。他所事ながらしばらくは様子を見守りたいと思っています。 


7/14でのコンクリート基礎工事。大きな重機の
ほかに小さなパワーシャベルも入っています。

7/8の舞鶴四条の工事全景

(参考)舞鶴四条にあった実家の面影から
2024年3月に、建物内の内装品や残置物の整理、処分を終え、建物の取壊しに取り掛かる直前の様子を、当ブログに下記の記事をアップしていました。

舞鶴実家の取壊し工事開始 ー残置物処理がほぼ終了ー

また、その前の2016年8月には実家の前の四条通りから北の東舞鶴港の岸壁方向を見た以下のようなスケッチを残していました。10年前のこの時期は空き家になった実家や墓の今後を色々と考えている頃でした。今から思うと懐かしい風景です。

取壊し工事直前の実家と四条通りの朝の様子
から。終戦まで祖父が洋服店をしていたことで
以前には1階の道路側を店舗に貸していました
が、家屋が築76年と古くなりこの頃から空き家
でした。
中庭から

四条通り。正面奥が東舞鶴港。
前島に係留中のボートが見えます。
左手前から3軒目が実家です。

八島商店街(絵の中段辺りを左右に走ります)
のアーケード。四条通り左側に見える2つの
看板のうち手前の丸二金物店は今も健在
ですが、奥の愛知旅館は今は閉店しています。

2026年7月3日金曜日

舞鶴実家跡の活用の開始

 4/2には舞鶴の姉から実家跡地の建設工事が始まった、との連絡がありました。
ここには5階建てのマンションが建つ予定だそうです。
この土地は昨年6月に地元の不動産会社に売却し、その買主さんが1年経って着工されました。
売却した時の仲介会社によると、最近舞鶴では、人口減に備えて駅周辺に町の機能や居住を集約するコンパクトシティ化が進んでおり、ここもJR東舞鶴駅に近いことから、その住替え需要を見てのビジネスとみれる、そうです。この土地は海に近く地盤が柔らかいので、20m程の杭を数10本打つ工事が必要になるとのこと。完成は来春に間に合うかどうかで、昭和40年頃から変わらなかったこの一画の光景も大分様子が変わりそうです。
この工事がこの地区の新しい局面を開くきっかけのひとつになればと、期待するところです。


舞鶴の実家跡地に5階建マンションの建設
工事が始まりました。(姉撮影の写真を引用)

2025年12月18日木曜日

ある墓じまいのこと

 12/13午後には、郷里の舞鶴にある得月寺の墓地内の一区画の墓じまいの法要を本堂で親族が集まって行い、ようやく一区切りがつきました。
ここに至るまで3年ほどかかったように思います。墓じまいの一つの事例に過ぎませんが、手探りで直接に関わったことからその大まかな流れを振り返ってみました。
墓碑の生い立ちと墓じまいの経過は以下の通りです。
(1) 昭和3年(1928)5月、初代に当たる私の曾祖父の妻(曾祖母)の死去(昭和2年7月)に伴い二代目にあたる祖父により墓碑と休み石が建設されました。今年が建設97年目になります。
(2) 昭和40年(1965)5月、三代目にあたる父により、戦死した自身の弟の供養と先祖供養のための石灯篭2基とそれまでに埋蔵した霊を刻字した墓誌が建てられました。 それまでお盆には、竹竿で四角の枠を組み木製で障子貼りの灯篭をぶら下げて使っていましたが、石燈篭に変わりました。
(3) その後、新たな逝去者が出るたびに遺骨を埋蔵し、墓誌にはその戒名等を逐次刻字してきました。この墓碑には、初代から三代目まで全部で10体の本骨が埋蔵されています。
(4) 令和5年頃から今後の墓碑の管理について現世代に合った墓碑の管理の仕方を親族で、また墓地管理者のご住職とも相談してきました。ご住職とは3度くらいこの件でお会いしました。その結果、令和7年11月、これまでの墓碑を墓じまいし、遺骨を得月寺永代供養墓(合同墓)に本骨として改葬することにしました。さらに、一部を分骨し、私の現住所に近い横浜市営 日野こもれび納骨堂にも12月末に納骨することにしました。 日野こもれび納骨堂は3年前の開設時に一区画を30年契約で賃借しています。
(5) この背景には、私や親族が年齢や居住地が遠いことで、持続的な墓碑の管理が難しくなってきたという檀家側の事情とともに、お寺さん側も、墓地が山の急斜面の中腹にあるため昨今の大雨でいつ崩れるかもしれないという恐れがあり、被害を事前に回避するために、代替わりや遠隔居住などの事情のある檀家については、別の場所への早目の改葬などを勧めておられるところでもありました。
(6)この墓じまいの考え方と段取りを存命の親族(すでに叔父叔母は逝去し従兄弟や甥姪になります)に訪問したり、書簡を通じて説明してきました。
(7) 関係者の了解を得て、令和7年10月に舞鶴市に改葬・分骨許可申請をし、2週間後の同月末に許可証が送付されてきました。申請には、墓地管理者である得月寺の承諾が必要になります。
(8) 許可を受けて、ご住職に紹介された地元の石材店により、11月1日に墓石の取壊し・撤去工事が行われ、納骨室(カロート)から先祖の遺骨を取出し、本骨と分骨に分けて2つの骨壺に収めました。石材店では、1週間ほどかけて乾燥させます。
(9) 令和7年12月に、親族が集まり今回の改葬・分骨に伴う先祖供養法要を得月寺で行いました。祭壇には2つの骨壺が並んで置かれます。
(10) 本骨は永代供養墓に近くご住職によって納骨されます。また、分骨は私が横浜の自宅に一旦持ち帰り、年末に日野こもれび納骨堂に家族で納骨します。

上記の段取りは、ご住職からも「今回は「フルコース」ですね」、と言われましたが、一般には同じ檀家寺あるいは別の寺への改葬だけ、分骨だけ、というのが多いようです。
郷里から離れて居住し、現世代もそうですが次の世代による墓守、墓参りが難しい場合の墓じまいの一つの事例かと思っています。
昨年令和6年6月には実家の取壊し・撤去工事を行いましたが、この墓じまいで長年の背中の荷物をひとつ下ろしたようなところです。 

 

改装・分骨前の先祖の墓碑。いまは
更地になっています。


改葬後に納骨する永代供養墓。これからは
先祖の墓参りはこの墓碑と本堂内に置かれた
位牌(これは改装前と変わりません)になります。

2025年12月14日日曜日

東舞鶴の見所スポット半日巡り

 12/13午前には、先祖供養の法要の為に久しぶりに舞鶴に来た息子親子に東舞鶴の見所を半日コースで案内しました。
この日巡ったのは、引揚記念公園(引揚記念館は会館前でした)からの引揚げ桟橋の眺望スポット、五郎ヵ岳展望台からの舞鶴港の俯瞰スポット、舞鶴東港のクルージング「海軍ゆかりの港めぐり遊覧船」(キャッチコピーから)、赤レンガパークの赤レンガ倉庫、赤レンガ博物館、でした。この他には、飛鳥時代に創建され西国三十三所第二十九番札所の真言宗 松尾寺(まつのおでら)、紅葉と五重塔が評判の鹿原(かわら)の金剛院、などが挙がります。
このようなことでもないと地元民はこれらのスポットを回ることはありませんが、久し振りに巡ってみると、それぞれに観光地化しているなと感じました。また、各所で多くの地元シニアボランティアが日頃の観光客受入れをさり気なく支えているようにも感じました。引揚記念館のボランティア活動は希望者が多いと聞きます。ここまでは海外のインバウンド客は来ていないようです。
この日は、10,800歩コースでした。

因みに、2023年3月にこの引揚記念館の展示が東京駅前でも行われたことがあり、当ブログに下記のような記事をアップしていました。

舞鶴引揚記念館・平和祈念展示資料館 合同展示ーシベリア抑留の記憶をつなぐー

また、文中の松尾寺と金剛院については、2023年10月の訪問記事を当ブログに下記のようにアップしていました。

松尾寺:
西国33か所巡礼第29番札所 青葉山松尾寺

金剛院:
舞鶴 鹿原の金剛院


<舞鶴引揚記念公園・引揚桟橋>


クレインブリッジ(鶴の橋)。この先にある
関西電力の火力発電所建設のための工事用
道路の一部として造られました。2羽の
鶴が飛び立つ様を表しているとか。この日は
好天で波が静かでした。

望郷慰霊之塔。引揚記念公園のシンボルです。

引揚げ桟橋の一部(当時は左にもっと長くあり
ました)。終戦から昭和33年まで13年間に66万人
のシベリア、満州、朝鮮からの引揚者がここ
あった引揚援護局での検疫と入国手続きを受けて
全国に帰還しました。すぐそばに引揚者の遺品
などを展示する引揚記念館があります。全国に
あった引揚港の中で最後まで受入が続きました。

引揚に因んだ歌「異国の丘」と「岸壁の母」の
歌詞が刻まれています。もう一つ田端義夫の
「かえり船」もありました。これらはいつの間にか
私のカラオケ定番にもなりました。また、これらは
私にとっては、舞鶴小唄、舞鶴風流音頭、軍艦マーチ
とともに郷里のご当地「民謡」です。

引揚桟橋の奥にはべニア板工場が今も健在で、
いつもながらの煙を出していました。林べニア
産業舞鶴工場です。その右奥には車のガラスを
造る日本板硝子の舞鶴事業所があります。

<五郎ヵ岳展望台>


舞鶴東港全景。奥は若狭湾で、左下は「国際
物流ポート」で市が肝いりで開発中です。

舞鶴西港側。ここでも雲が低く垂れ下がって
います。湾上に雲海ができる兆しです。
中段左端は丹後富士(建部山)です。

中央奥は関西電力の舞鶴(高性能)火力発電所。

<舞鶴東港クルーズ>


掃海艇「はつしま」と「あいしま」。
魚雷探知のために磁気に反応しない木製とか
繊維強化プラスチック(FRP)製の胴体とのこと。
近々木製胴体艇は引退とのこと。

多用途支援艦「ひうち」。小さいながら
艦隊には必須の存在だそうです。背後は
補給艦「ましゅう」です。13隻で構成される
舞鶴艦隊の最小艦と最大艦の取り合わせです。

補給艦「ましゅう」。護衛艦中では最長で
年間の出港期間も長い艦だとか。

新型護衛艦「やはぎ」と「あがの」。少ない乗員で
運航できるとか。こちらも人手不足のご時世です。

ヘリ空母「ひゅうが」。この日はJMU(ジャパン
マリーンユナイテッド)舞鶴工場で修理中でした。

クルーズではクレインブリッジにも立ち寄ります。

海上自衛隊舞鶴地方総監部 北吸(きたすい)
桟橋。海自では一番長い桟橋とのこと。背景
正面中央の山頂には五郎ヵ岳展望台が見えます。

この日は在籍13隻のうち12隻が停泊中とか。
珍しいそうです。左手前が補給艦「ましゅう」、
中央は護衛艦「みょうこう」、「あたご」、
「ふゆづき」

舞鶴港のクルーズ船です。この日は手前の後部
座席に搭乗しました。

<赤レンガパーク
:赤レンガ倉庫と赤レンガ博物館>


赤レンガの博物館としては日本唯一だそうです。
近くでレンガが作れることも水の確保とともに
明治期の軍港(鎮守府)指定の要件だったとか。

赤レンガ博物館二階窓から。右の2隻は
掃海艇です。

赤レンガの歴史、製法、組上法などが
丁寧に展示されています。

明治から軍港物資の保管に使われた赤レンガ
倉庫。明治期の映画のロケ地だそうです。
 

2025年12月12日金曜日

舞鶴の今どきの旬魚と舞鶴東港

 12/11に東舞鶴入りし、お寺さんと法要の段取りなどを打合わせた後に、近くのスーパーで、今どきの季節の魚を見かけました。
つばす については、丹波、丹後、若狭地方をはじめ主に関西での、ブリの成長に伴う名前の変化の一つです。サイズを目安として、幼魚(約20cm以下)ツバス、若魚(約30~40cm)ハマチ、中型魚(約60cmまで)メジロ、成魚(約80cm以上)ブリ と出世します。関東では、ツバスはワカシで、以降イナダ、ワラサ、ブリだったと思います。私も関東での呼び名の違いにはじめしばらく混乱しました。
冬の舞鶴で今一番の旬魚はやはりブリです。親からも以下のようなことを聞かされてきました。冬の舞鶴で、活きてブルブルするブリを魚河岸で仕入れ、新聞紙で包んでぶら下げて持参するのが一番の贈答品で地元で有難がられる、と。現に父親がそうしていたのに同伴した記憶があります。
12/13には、舞鶴東港に雲が低く漂っていました。この時期気象条件によって湾上にできる雲海の兆しのようにも見えます。

因みに、ニギスについては2024年3月に、当ブログに以下のような記事をアップしていました。

舞鶴の今時の旬 ー背甲(せいこ)ガニとニギス(似鱚)

また、雲海について、隣県福井の越前大野城周辺にできたとの報道を本年11月4日に当ブログの記事にしていました。

越前大野城が天空の城に



干しニギス。似キスとも書きハマギスに似た
(沖キス)、との意味とか。(写真以上に)半透明で
新鮮そうな生干しです。焼き網で焼いて食べたい
ところです。

左上から真鯛、石鯛、左下から真鯵、
イトヨリ鯛、ブリの幼魚つばす2本、大きな
カワハギ。いずれも舞鶴港産。カワハギは
刺身でもパック詰めされており、早速に
ホテルで試食。さっぱりしてコリコリした
懐かしい味でした。

いまどきはカレイの種類が多く出ます。
左2列が小浜港産の真かれい、右が黒ひれかれい。

ウルメイワシの丸干し。カタクチイワシの
とはちょっと違い味が淡白です。

12/13の前島沖。雲が低く垂れ下がっています。
この時期湾上に雲海のできる兆しでしょうか。

12/14の東舞鶴港。いつもの光景です。
沖合に停泊する船が多い日です

2025年12月11日木曜日

京都駅中のなじみのうどん屋さん

 12/11には、墓じまいに伴う先祖供養の為に郷里の舞鶴に帰省しました。
その途中、京都で新幹線から舞鶴直行の高速バス(京都交通)に乗り換えます。その間に、時間が取れれば、いつも寄る関西風うどん店があります。「麵屋」という大阪、神戸、京都近辺のチェーン店のようですが、味はしっかりしていて、ニシンうどん(これは旨かったです)やきつねうどん、ちくわ天うどん、朝定食などが私の定番でよく所望します。私には関西はいつもうどんで、讃岐うどん程堅くはなく大阪風にほどほどの堅さのうどんでした。ここ40年くらい帰省のたびに、ここで、関東モードから関西モードに切り替えたような記憶があります。
ところが今回もいつも通り店に行くと閉店になっていて移転案内が出ていました。これまで30,31番線のホームのすぐ手前にありましたが、50mほど離れたやや人通りの多い区域に移ったようです。
早速、新店の味を試してみることにして、朝麺定食を注文しましたが、味は昆布だしが効いた醤油の薄味で、もとのまま変わらず安心しました。店構えは前と同じ感じで店の広さはやや小さくなりましたが店員も変わり小さく再スタートしたようです。こちらも世代交代でしょうか。
この日は、8,500歩コースでした。

因みに、2023年4月に帰省した折の、ここの記事を当ブログに下記の通りアップしていました。

親鸞展と三十三間堂といつものうどん店


新装の麵屋京都駅中店

麵屋近辺。左奥が京都駅北口で、右手前先が
嵯峨野線、舞鶴線ホームです。

2025年11月3日月曜日

秋の舞鶴帰省と墓じまい

 10/31-11/2には、墓じまいのために舞鶴に帰省しました。
このところ諸手続きもあり結構頻繁に帰省しています。
10/31の秋の冷雨の中、翌日の墓碑取壊し工事の前に最後の墓影を撮影しておきたいと思い、墓地に出かけました。気になっていた墓石の刻印などの撮影を行い、見納めとしました。
翌日11/1には朝0830から工事が始まり10時には墓石は取壊し・撤去され更地になりました。工事に当たっては、東京から駆け付けてくれた従兄弟と一緒に終始立会い、来られなかった親族の分を含めて見納めをしました。墓は簡単な石の構造物ですが(御影石と安山岩とのことでした)、親族の多くの思いを長年積め込んで、人の記憶にはその何倍も重く大きなものなのだとあらためて感じました。工事では、墓石は小さく砕かれ隣県の高浜に移送さ許可されたところに集積されて土に還ることになります。
取り上げた先祖の遺骨 本骨10体は、石材業者によって一旦乾燥され12/13に予定しています檀家寺の得月寺での永代供養墓への納骨(改葬・分骨)に伴う先祖供養法要に備えます。
なお、工事に先立ち、舞鶴市に提出していた改葬・分骨許可申請に対して、10/27付けで改葬・分骨許可証が自宅に届きました。正式には、この許可証を受けて業者は着工することになります。実際には、寺と合意できていれば、この手続きを踏まないケースも多いようです。
そこで、一句、

秋霖や百年越しの墓じまい
墓じまい想い連なる神無月

これで、親族への説明や檀家寺のご住職との相談から始まり、ここ3年くらいかかった墓じまいも、これで一連の段取りが半分くらい終わったことになります。半分肩の重荷を下ろしたように感じます。

その翌日11/2は、東舞鶴ではだるま祭りや地元三宅神社の子供神輿の日だったようで、いつになく街が賑わっていました。
また、前島埠頭では休日の好天だったこともあり多くの釣り客がでており、何もなかったのように、この時期いつも通り子アジ(豆アジ)のサビキ釣りが大漁でした。
この日午後には、地元の友人にも昼食会で経過を報告し、帰路につきました。

 
昭和3年建立の墓碑。97年に亘って親族の
先祖への想いが詰まっています。背景は
檀家寺の得月寺本堂、その先は東舞鶴港
です。
 

 
墓石取壊し後の墓地(左中央)。ポッカリと
空地になっています。
 

得月寺の永代供養墓。先祖の霊はここに
12/13に納骨し改葬して供養を続けます。
また、身近な横浜の納骨堂にも分骨し併せて
先祖供養をすることにしています。
 
舞鶴東港 東側
  
舞鶴東港 西側

五条公園でのだるま祭り。岐阜から来た
アルトサックス奏者が熱演中でした。

八島商店街。以前は街の賑わいの中心でした。
 
東舞鶴のかつての繁華街 八島商店街も
この日はだるま祭りで賑わっていました。

この時期どこの家でも屋内や縁側で干し柿造りを
します。こちらは畳屋さんですが舞鶴には
今も多くの畳店や表装具店が残っています。

三宅神社の例大祭に行われる子供神輿。
町内会を練り歩くそうです。

ざっと300匹は釣れています。

前島埠頭での味釣りはどの釣り人も大漁でした。

岸壁も大混雑です。背景は海上自衛隊教育隊
です。奥の先に突き出た桟橋は立入禁止ですが
この時期全くお構いなしでほぼ満席です。
この日はヘリ空母「日向」が接岸中でした。
中央です。

海自舞鶴総監部全景

こちらも120~150匹は釣れています



「大六丸」のメニューから

宿泊するホテルには「さざれ石の巌」が置かれて
います。ここは元海軍御用達の老舗旅館
「松栄館」の面影が残っています。しかも
一部が残る旧建屋の庭先にももうひとつの巌が
置かれています。

JR東舞鶴駅前。最近は駅前から高速バスで
京都駅まで出て新幹線ひかりで新横浜まで
帰ります。京都駅まで直通で1時間55分、
便利になりました。

今どきのパソコン用TVチューナー -4代目の調達-

 先日7/28には、パソコン用USB接続テレビチューナーを新機種に交換しました。パソコン(PC)でテレビ(TV)を視るためにPCのUSB端子に接続する簡易なTV信号変換器です。ここ20年程、居間とは別に自分の書斎でもTVを視たり留守中に録画したりするために利用し重宝してきました。...