4/2には舞鶴の姉から実家跡地の建設工事が始まった、との連絡がありました。
ここには5階建てのマンションが建つ予定だそうです。
この土地は昨年6月に地元の不動産会社に売却し、その買主さんが1年経って着工されました。
売却した時の仲介会社によると、最近舞鶴では、人口減に備えて駅周辺に町の機能や居住を集約するコンパクトシティ化が進んでおり、ここもJR東舞鶴駅に近いことから、その住替え需要を見てのビジネスとみれる、そうです。この土地は海に近く地盤が柔らかいので、20m程の杭を数10本打つ工事が必要になるとのこと。完成は来春に間に合うかどうかで、昭和40年頃から変わらなかったこの一画の光景も大分様子が変わりそうです。
この工事がこの一画の新しい局面を開くきっかけのひとつになればと、期待するところです。
きのけん 日頃の散歩路
2026年7月3日金曜日
舞鶴実家跡の活用の開始
2026年6月30日火曜日
「夏越の大祓」に初めて参加
6/30には、「夏越の大祓(なごしのおおはらえ)」(水無月祓(みなずきはらえ)とも言われます)に、近くの永谷天満宮(ながや)で初めて参加し、茅の輪くぐり(ちのわ)を含めて一連の神事を身近に体験してきました。神官による丁寧な解説と資料付きでいわばそのフルコースでした。1年の半分が過ぎて、上半期の罪や穢れ(けがれ)を祓い清め一年の後半を人々が清浄な心身で清々しく過ごすことを祈願する神事だそうです。これまで後日に報道で見聞きしながら、実際に参加したいものだと長く思ってきました。
永谷天満宮は、横浜市営地下鉄上永谷駅から歩いて10分程のところにある古い神社で、三体しかない菅原道真公自刻の自像の一つを祀ります。地元の初詣では人気のスポットのひとつです。背後には、街並に囲まれそう広くはありませんが鎮守の森(天神山)があり、熊笹の中で紫陽花や百合の花が楽しめます。
この日、15時過ぎから受付が始まり、氏子衆を含めて300人ほどが境内に集まります。受付では①「大祓式次第」を印刷した紙、②個人のお祓いに使う切麻(きりぬさ)と人形(ひとがた)の入った半紙を折った袋、③大祓詞(おおはらえことば)を印刷した紙、④夏越の大祓についての由緒、茅の輪くぐりの意味とくぐり方を書いた「夏越の大祓について」の紙、⑤茅の輪のミニチュアの「茅の輪守り」、などが授与されます。多くの氏子会の皆さんが協力されているようです。茅の輪造りにも茅の採取から備え付けまで氏子会の有志が協力されたそうです。
16時から神事が始まり、以下のような式次第の通り進められます(資料①より)。
一、斎主招神祝詞(かみおぎののりと)
神主が祝詞奏上する間、軽く頭をお下げ下さい。
一、献饌(けんせん)
神主が神様にお供え物をおすすめ致します。
一、大祓詞(おおはらへことば)を奏上
神主に合わせて皆様で奏上下さい。参列者全員が大祓詞(資料③)を読み上げます。
一、切麻を取りて祓う
切麻で、ご自身の身体を「左、右、左」とお清め下さい。切麻とは、白い紙を5㎜角に切った紙片と1㎝程に切った藁をさします(②の紙袋)。
一、人形を取りて祓う
人形(人の形に切った半紙)でご自身の身体を頭から足にかけてなで、最後に息を吹きかけます。人形は再度半紙にお包み下さい(②の紙袋)。
一、人形を集め、唐櫃に納める
神主が皆様の人形を集めますので、最前列の方に人形を包んだ半紙をお回し下さい。
一、大麻(おおぬさ)で祓う
神主が大麻でお祓いしますので、頭をお下げ下さい。
一、玉串を奉りて拝礼
一、徹饌(てっせん)
お供え物をお下げいたします。
一、斎主送神祝詞(かみあげののりと)
神主が祝詞奏上する間、軽く頭をお下げ下さい。
一、茅の輪くぐり
資料④に従って神主に引き続き、茅の輪をくぐります。くぐったあとは拝殿に上がりお参拝ください。
梅雨晴間の強い西日の中で1時間ほどかかる祭事でしたが、終って振る舞われる西瓜を有難く頂戴して身体を冷やし、今年も1年の真中に来たことを感じながら、気持ちだけは清々しい思いで帰路についた次第です。
この日は、少な目で5,800歩コースでした。
因みに、2023年6月にもここと隣の貞昌院の紫陽花を訪ねて、下記のような記事を当ブログにアップしていました。
地元永谷天満宮と貞昌院の紫陽花
「茅の輪守り」です。他は式次第や
大祓詞などです。
お供え物を備えた祭壇です。
グループに分けて進められます。
積まれています。
上永谷駅近くのこの空地から氏子会有志によって |
帰りの境内で姫岩垂草(ヒメイワダレソウ)を
見かけました。
2026年6月26日金曜日
目黒の庭園美術館
6/23午後には、目黒の自然教育園を 一巡した後に、すぐ隣にある東京都庭園美術館にも立ち寄りました。
この日は来週に開催予定の陶芸の美術展の準備のため美術館には入れないとのことでしたが、庭園だけでもと拝観することにしました。といいましても65歳以上には入場料はかかりません。最近都立の施設はそういうところが多いようです。
ここは昭和8年(1933)に朝香宮家の自邸として建てられました。その後、終戦の昭和22年(1947)に朝香宮家は皇籍から離脱され、ここを離れられたそうです。昭和58年(1983)に美術館として開館しています。1910〜1930年に欧州で広がったフランスのアール・デコの装飾様式(注)を採り入れた日本の皇室建築でもユニークな建物とのこと。近代の皇室の変遷を見るようでもあり、その結果として本館は美術館として生まれ変わり庭園も西洋庭園、日本庭園、芝庭として公開されました。
確かに、隣の自然教育園とは好対照で、自然のままをありのまま残す地区とここのようにしっかりと手入れ、管理された庭園が隣接するのも、これまた一興といったところです。庭園には多くの種類の四季の花木が植栽されています。
ここは大分前2018年2月にも一度訪ねていて、本館のスケッチを残していました(参考)。
隣りの自然教育園の素朴な野草と合わせて、季節ごとに庭木と野草を訪ねてみたいコンパクトなスポットです。
花とは別に赤い実を付けます。
しているように思えます。これもアール・
デコ流(注)なのでしょうか。
います。左手前も仏国彫刻家による犬の
作品です。
床の間の掛け軸の書は「和敬清寂」です。
茶道の根本精神だとか。
同伴です。
効かしています。和洋中の折衷で、
いわば日本文化の典型です。
1910〜1930年にフランスを中心に欧州を席巻した工芸・建築・絵画・ファッションなど広い分野に波及した装飾様式の総称。直線と立体の知的な構成と幾何学的な模様が特徴とされる。
2026年6月25日木曜日
目黒の自然教育園
6/23には、午前中にある会社の株主総会に出席した後、目黒の街中にある国立科学博物館附属自然教育園(注)に立ち寄りました。
以前に近くの五反田に通っていた頃、ここでハンゲショウ(半夏生。半化粧、片白草とも)などのこの時期の野草が多くみられると聞いて、半信半疑でここを訪ね、 確かに大都市ながらも自然な環境が残され多くの野草が自生しているのを見て驚いた記憶がありました。
前回訪ねたのは10数年前のことでしたが、最近では道端の野草にも人手の入らない自然さに惹かれはじめたこともあり、たまたま、この梅雨時にここの今はどうなっているだろうかと思い起こし、この日午後に立ち寄ってみた次第です。
栽培に手を入れない園の面影はそのままで、自然のままの植生が残されていました。逆に目当の野草を探すのも、観客が自分でありそうなところを特定し探し回りますので、苦労します。
今回、資料ではじめて知りましたが、ここの敷地内の全てが1949年に天然記念物及び史跡に指定されているそうです。いまも大部分が非公開地域で、人の影響をできるだけ排除して、自然の生態系を丸ごと保存し、都会の森林がどのように変化しているかを見守っているとのこと。よく見かける大学付属の植物園や野草園などとはまた主旨が異なるようです。
時期をみて、季節の野草を観にまた訪ねようと思います。園内の「路傍植物園」などは私には格好です。
ここで、一句、
自然園水辺をともす半夏生
木漏れ日を集めて白し半夏生
ノカンゾウ(ユウスゲ(夕菅)とも呼ばれます)。
一日で咲き終わり翌朝には別の花を咲かせます。
チダケサシ(茅茸刺)も
湿地にはコウホネ(河骨)も見かけました。
黄色い椀形の花の開花には少々早かった
ようです。
ねじれて今頃花を付けるネジバナもやっと
見つけました。
シオカラトンボも
ひめがま。園内ではきめ細かく
植物名がこのように表示されています。
(半夏生、半化粧) もなんとか
見つかりました。確かに人手が
入った様子はありません。
バードウォッチングで人気の対象としてよく耳に
します(先日も町田の薬師池近くで見かけました)。
日本で見られる猛禽類の中で最も小型のタカで、
都市部でも見られる身近な猛禽だそうです。
ここにもいるのでしょうか。この日もここの
池の傍で鳥見族を見かけました。
目黒駅(品川区・港区の境界近く)から徒歩圏内にある「国立科学博物館附属自然教育園」は、大都市・東京の真ん中にありながら、奇跡的に手つかずの豊かな生態系が残されている場所です。
1. 自然教育園の歴史
この土地が今日まで豊かな自然を保てたのは、数百年にわたり一般の立ち入りが制限され、開発から守られてきた歴史があるためです。
室町時代(豪族の館):
「白金長者」と呼ばれた豪族 太田新六郎がこの地に館を構えたと伝えられており、現在も園内にその当時の「土塁(どるい)」の跡が残っています。
江戸時代(大名屋敷):
水戸黄門(徳川光圀)の兄にあたる、高松藩主・松平頼重の下屋敷(別邸)となりました。
明治〜大正時代(軍の施設から御料地へ):
明治時代には陸海軍の「火薬庫」となり、一般人の立入りが厳しく制限されました。
大正時代(1917年)には宮内省の管轄となり、「白金御料地(皇室の所有地)」となりました。戦後〜現在(天然記念物・史跡へ):
1949年(昭和24年)に、歴史的・学術的な価値の高さから、敷地全体が国の「天然記念物及び史跡」に指定され、一般公開が始まりました。1962年からは国立科学博物館の附属施設となっています。
戦後には、住民の中心としてここの保存について高速道路やホテルの建設計画と調整することもありました。結果として、高速道路はここを回避して曲がり、ホテル建設は中止になりました。
2. 自然教育園の特徴
一般的な「きれいに手入れされた庭園や植物園」とは異なり、「自然のありのままの姿(生態系)を保存・展示する野外博物館」である点が最大の特徴です。
①武蔵野の面影を残す「奇跡の森」
都心の喧騒から切り離された約20ヘクタール(東京ドーム約4個分)の敷地には、かつての武蔵野の里山を思わせる落葉広葉樹の森、湿地、池などが広がっています。
②豊かな生物相
園内では、約1,470種の植物、約2,130種の昆虫、約130種の鳥類が記録されています。
③「変化」もそのまま観察する独自の管理
自然教育園では、あえて過度な手入れをせず、植物が自然に移り変わっていく「植生遷移(せんい)」をそのまま見せる工夫がされています。大正時代には針葉樹(モミやマツ)が中心だった森が、時代の変化とともに現在は落葉広葉樹中心の森へと自然に移り変わっており、それ自体が貴重な研究対象となっています。
隣接する「東京都庭園美術館」が美しく整えられた人工美の庭園であるのに対し、自然教育園は「ありのままの自然美」を体感できる場所として、絶妙なコントラストを成しています。都会のオアシスとして散策や森林浴、自然観察にぴったりのスポットです。
2026年6月24日水曜日
今年も棉の木と風船かずら
梅雨空の中、小さな玄関花壇で今年も幾つか芽吹き始めています。
6/21での棉(わた)の木、風船かずら、葉山椒、実山椒、南天、紫陽花などです。棉と風船かずらは昨年収獲した種子から育ち、葉山椒、実山椒は園芸店で苗木を買い求め、南天、紫陽花は頂き物です。
いまは梅雨を受けて日に日に伸びる時期ですが、これからは今年も猛暑だそうで、枯らさないよう十分な水やりと台風の風雨と潮除け(ここは海から潮気の雨粒が飛んできます)には気を付けようと思っています。
どう育ってくれるか楽しみです。葉山椒は収穫しはじめ葉を手の平にのせてたたいて香りを引き出して食卓で利用し始めました。手でたたくのは関西風だそうで強い香りが出ます。
秋には1m程にも育ちます。
2m程のグリーンカーテンになります。
たたいて香りを引き出します。
苗木です。
舞鶴実家跡の活用の開始
4/2には舞鶴の姉から実家跡地の建設工事が始まった、との連絡がありました。 ここには5階建てのマンションが建つ予定だそうです。 この土地は昨年6月に地元の不動産会社に売却し、その買主さんが1年経って着工されました。 売却した時の仲介会社によると、最近舞鶴では、人口減に備えて駅周...
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長く地元で行きつけの飲み屋のひとつになっていた「養老の滝 蒔田店(まいた)」が29年間の営業を3/20で終了することになったことを知りました。市営地下鉄蒔田駅前に入居するビルの取壊し計画が具体化したこととコロナ禍以降の諸物価の値上がりで経営が急速に厳しくなったことが原因だそうで...
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