2026年10月19日月曜日

舞鶴実家跡の活用の開始 その9

郷里舞鶴での実家跡地でのマンション建設が進んでいます。10/13と10/19時点の工事現場の様子を撮影した写真が届きました。
10/13には、二階の間取り工事が進行中のようです。一階は内装工事も始まっているのでしょうか。
 10/19には、工事用の薄いシートが四方につるされています。工事用具や塗料の周囲への飛散、景観の悪化を防ぐためなのか、風雨などの外からの影響を防止するためなのでしょうか。近く帰省した時にも立ち寄って聞いてみたいと思っています。
もうしばらくフォロウしたいと思っています。

 

,〈 10月13日の様子 》


二階の間取り工事が進行中です。

 《 10月19日の様子 》

周囲にシートが張られています。

横浜俳話会の俳句大会

 10/14には横浜俳話会70周年記念横浜俳句大会に参加してきました。
横浜駅近くの県民ホールが会場でした。俳話会が発足して70年、その活動を示す俳句大会としては69回連綿として続いているとのことで感心しました。ボランティアベースの趣味の会の継続する力の強さをあらためて感じた次第です。関係者が俳句を文化として社会に定着させ次の世代まで継続することをいわば主な使命として日頃から策を打ち活動されてきているように思いました。
このところ幾つかの団体の俳句大会に参加して、その進行パターンが凡そ分かってきました。バラツキはあるもののざっとは以下の通りです。午後半日丸々続く密度の高いイベントです。
①半年前から実行委員会が発足して準備が始まります。会場は1年前に予約します。
②3か月程前に講演者、来賓など関係者と日程調整しプログラムを固め、開催案内を公表します。その中に、俳句大会での応募が公表され投句の公募が行われます。大体2句応募で1,000円程度で、何句でも応募できます。多い人は10〜
20句も応募されるようです。これは主催団体への財務的な支援になるため多数の応募が推奨されます。投句は郵送とネット応募の併用です。この日の応募数は1,064句だったとのこと。選者は審査が大変です。
③大会開催2月前までに投句の審査が行われます。入賞者に通知されます。
④当日には、大会は12時スタートが多いようです。当日には、当日一句俳句大会が席題で行われます。兼題が指定され、この日は「夜長、葉」(詠み込み)でした。
⑤当日応募句の審査があるため、1時間ほどの講演が入ります。この日は俳話会顧問の山本一歩氏の「出会った人びと」でした。
➅投句審査の結果が報告され、表彰が行われます。
➆当日一句大会の審査結果が選者毎に報告され、点盛りの後に表彰されます。
⑧主な選者から選句おの意図と講評が行われます。「披講(ひこう)」といわれます。
⑨お開き宣言のあと、別会場で懇親会が行われます。幹事の慰労も兼ねているようです。

この日の私の席題投句は以下で、2名の選者から並選を頂きましたが、投句を一覧にした清句表を見て他の方々の投句のレベルの高さをしっかりと感じさせてもらいました。

瓢箪の肌に棚葉の斑かな(2点)



来賓挨拶から

講演から。
表彰式から

2026年10月18日日曜日

臨時列車_赤コキア号ー国営ひたち海浜公園ー

 10/18には茨城県勝田市にある国営ひたち海浜公園に赤コキアを観てきました。
最近ではシーズン(10/10~11.10/17~18)を見計らってJR東日本が北はいわき、西は高崎、川越、高尾、青梅、平塚から臨時特急「絶景赤コキア○○号」が出るようになりました。JRさんもなかなか力が入っています。私は絶景赤コキア平塚号に横浜から乗り2時間足らずで勝田駅に着きます。横浜からは二駅の直行便で水戸で止まり5分後に勝田に着くという便利さです。 全席指定で乗車率8割くらいに見えました。勝田駅から茨城交通バスで20分の海浜公園西口から入園します。ここは戦時中は海軍の飛行場だっただけに広く一周するにも専用の観覧車で回ります。コキアとコスモスのコラボが観れる見晴らしの丘は西口から15分程歩きます。
到着すると全面のコキア畑の丘に圧倒されます。この日は天気も良く外国の行楽客も多く行列のようになって丘の頂上周辺を回ります。
今年は夏の天候不順で、コキアの木が丸く育たないとか、背丈が例年より低い、などと報じられていましたが、その規模と黄色コスモス(キバナコスモスとは別種だそうです)との対照的な色の取り合わせ、開花状況などは絶好で、ゆっくりと常陸国の秋を満喫してきました。途中地元テレビ局の報道班の若手と前後になり、聞くと放送局内でも今日が今シーズンではベストらしいと聞き急ぎカメラ取材に来たと言われていました。確かにコキアと言い、コスモスと言い見頃でした。また、コキアの彩りについても高い真上からの陽射しよりは、西日に近くなるほどコキアの赤色が冴えるように感じました。なにか理由があるのかもしれません。
ここではついつい写真を400枚ほど撮りました。取り急ぎは下記の写真をピックアップしましたが、追っていいショットは順次アップしたいと思っています。
因みに、臨時列車名の「赤コキア」ですが、こちらで知りましたが、コキア内は4種類あり色付きの違いがあるとか。中でも白コキア(ホワイトコキア)という紅葉しない品種もあり、これと区別した名称だそうです。
この日は、16,600歩コースでした。 ちょっと歩き過ぎか少々疲れました。

5年前の2021年10月にもここを訪ねていまして、その時の様子を当ブログに以下のよう記事をアップしていました。この頃はピンクのコスモスと赤コキアのコラボでした。確かにこの頃のピンクと赤の同系色よりは今の黄色コスモスとの取り合わせの方が色合いが対照的で配色上は良いかもしれません。また、色合いに加え咲き方も密度が高く、コキアとピンクコスモスの「主演・助演」の関係からコキアと黄色コスモスの「共演」の関係に変わったようにも感じました。途中公園側で植栽品種の変更という大きな判断があったことが想像されますが、十分に成功しているように思いました。

コキアの紅葉


国営ひたち海浜公園の見晴らしの丘全景

左奥には黄色のコスモスも一面に植えられ丁度見頃でした。

見晴らしの丘の中腹から

ツワブキの花も木洩れ日のなか丁度満開でした。地味な花ですが好みの一種です。

ここの見晴らしの丘では黄色いコスモスがコキアと対照的に大量に植えられていますが、その脇にはわずかですがピンクのコスモスも見かけました。

西口近くのピンクのコスモス畑から

山下公園の秋バラ2026

 10/13には、桜木町で用を済ませたあとに、山下公園まで足を伸ばし秋バラの様子を足ばやに見てきました。秋バラの見頃にはまだ1週間程は早いかなと感じましたが、園内の他の植栽を含めてそれはそれで見応えがありました。
この日は、7,000歩コースでした。



百日草と蜜を吸うホウジャク。手前は前ボケしていますがぺニセタム(チカラシバの仲間)の穂です。

ツルバキア



ユウゼンギク(友禅菊)

一株で咲く花の色が違います。

コリウス。褐色の葉が印象的です。


ソリダゴ。アキノキリンソウの仲間だそうです。

水の守護神(GUARDIAN OF WATER)。
この像は、横浜市と姉妹都市であるサンディエゴ市との友好の証として1960(昭和35)年にサンジエゴ市から贈られました。水瓶を持つ女神の姿には、水の恵みや人々の暮らしを守る願いが込められているとのこと。背景は氷川丸です。



バラ園全景。奥の公園ではワールドフェスタヨコハマ2026が開催中でした。EU、米国、タイ、トルコ、パキスタン、シンガポール、日本(鈴廣かまぼこ、地ビールなど)などのソウルフードの店がテントやキッチンカーで出店していました。イチョウの黄葉も進んでいます。

ソリダゴその2

氷川丸の前での親子釣り。カサゴと黒鯛が狙いとのこと。

コリウスその2

山下公園に係留されている戦前、戦後の元貨客船 氷川丸

2026年10月14日水曜日

天王町の松原商店街再訪ー旧東海道保土ヶ谷宿跡ー

 10/10には孫娘の手習いのピアノ発表会で天王町に出かけました。少し早めに現地に到着したため、近くの松原商店街を2年ぶりに訪ねました。天王町は相模鉄道(相鉄)で横浜から3つ目の駅で、JR東海道線の保土ヶ谷駅からも歩いて12分程の距離にあります。
松原商店街は、天王町駅から旧東海道を北に10分程歩いたところに300mに亘って並ぶ商店街です。場所的には東海道保土ヶ谷宿跡の一部になりますが、直近では、戦後米軍接収地が解放されたあとに個人商店が集まって自然発生的にできた商店街のようです。今も、魚や野菜などが安いと地元でもよく耳にしますし、テレビの街頭インタビューでも見かけます。
私には、昭和時代の商店街の様子を思わせる懐かしい光景に見え、商品の陳列や買い物をする人々の動きに親しみをおぼえます。私自身が郷里の舞鶴で当時大繁盛していた八島商店街のすぐ近くで育ったこともあるかもしれません。
また、街を歩いてみると、保土ヶ谷宿の総鎮守 神明社や商店街の入口にあって本殿の裏側に回って拝む橘樹(たちばな)神社(注1)など、この地区に多くの寺や神社が密集してあるのに気づきます。また、この商店街の通称は「洪福寺松原商店街」で、もともと近くの旧東海道(いまの国道1号線)と八王子道(いまの国道16号線)の交差点にある臨済宗建長寺派の洪福寺(こうふくじ)(注2)の門前町であり、その後保土ヶ谷宿として栄えたそうです。

この日は、7,200歩コースでした。

2024年10月にもここを訪ね、当ブログに以下のような記事をアップしていました。

天王町の松原商店街

                                            

                                                  《   松原商店街 再訪 》

通称「洪福寺松原商店街」と名前にも冠されている海東山臨済宗建長寺派洪福寺。商店街のすぐそばの国道1号線(写真前後)と国道16号線(写真左右)の交差点にあります。禅寺としてはちょっと変わった屋根の造りです。

松原商店街の八百屋さんの売場光景から
同上
雑貨店店頭から。「松原シール」という商店街固有のポイントサービスがあるようです。
松原商店街全景。旧東海道で直ぐ脇を国道1号線が走ります。
松原商店街の入口アーチです。この日も賑わっていました。
「旧東海道保土ヶ谷宿 歴史の道」と刻まれています。発表会会場の岩間市民プラザ前にて。

商店街にある床屋にはこんなハロウィンの飾りも。呼び込みでしょうか、手を振っています。ユーモアのある店長さんのようです。客引きになるかどうかは別にして通行者の目を引くのには成功しています。撮影を快諾していただきました。客がくれば骸骨は退けるそうです。

橘樹神社。珍しく本殿の後方から参拝します。

《 ピアノ発表会から 》
岩間市民プラザ ホールでの発表会の会場模様から。日頃からの成果を奏でてくれました。
ピアノ発表会チラシから

(注1) 橘樹神社(たちばな)について (関連HPから引用・編集)
鎌倉時代初期の文治2年(1186年)、源頼朝が天下平定を祝い子孫繁栄を祈願して京都の祇園社(現・八坂神社)の御分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。江戸時代までは「牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)」と呼ばれており、これが現在の「天王町」という地名の由来になりました。御神体が正面を向いていると眩い光を放ち人々が直視できないという言い伝えから、本殿の裏側に回って拝む「後向きの天王様」という珍しい参拝の風習が今も残されています。
(注2) 洪福寺について  (同上)
海東山臨済宗建長寺派洪福寺。1330年代(鎌倉時代末期〜南北朝時代)に、旧東海道と八王子道の分岐点にあたる「袖摺山(そでずりやま)」に、鎌倉・建長寺の第30世住職である枢翁妙環和尚(あるいは仏寿禅師)によって薬師堂が建立されたのがルーツとされています。

2026年10月11日日曜日

舞鶴実家跡の活用の開始 その8

10/7時点の郷里 舞鶴四条にある実家跡地での マンション建築現場の様子の写真が、姉から届きました。いつもの速報で有難く思っています。
高層階のための大型クレーンが木造壁板をどんどんと積み込んでいます。
早いものですでに入居応募が始まっているようです。ネットで見ると、物件名は「ラス・パルマス浜四条」、鉄筋コンクリート造(RC造) 5階建で、部屋タイプは単身者・新婚カップル等に向けた 1K および 1LDK が中心だそうで、来年3月から順次入居開始とアナウンスされています。
これをも含めて、この近くの街が変わる切っ掛けになればと思っています。

因みに、10日前の9/26までの様子を示す先回の記事は以下の通りでした。進捗は順調のようです。

舞鶴実家跡の活用の開始 その7

《 10月7日の様子から 》


郷里の舞鶴の実家跡地の再利用として始まった5階建マンション建築工事の現在の様子です。足場は5階まで届いているようです。姉撮影の写真を引用し若干調整しています。

2026年10月8日木曜日

仲秋の三渓園ーニシキヘビの「穴惑」ー

10/6には久々に三渓園の仲秋を訪ねました。
この時期の蛇の挙動については、「蛇 穴に入る」とか「穴惑(あなまどい)」という言葉がありますが、今回たまたま遊園中にシマヘビが黒い大きな庭石の上を這っているのを見かけ、「穴惑」を生で現実に目の当たりにしたように思いました。見かけたのは80㎝程のニシキヘビで無毒の日本固有種とのこと。まさに冬眠に籠る穴を探しているような穴惑の様子で、昔の人はよく言ったものだと感心しました。
手持ちの角川俳句歳時記には以下の記述があります。

蛇は春先に穴から出て夏の間動き回り、秋になるとまた穴に入り冬眠します。その穴に入るのが彼岸の頃といわれますが、晩秋天気の良い日にはまだ姿を見せることがあります。それを、穴に入るのを迷っているとみて「穴惑」といいます。秋の季語としては、穴惑、蛇 穴に入る、秋の蛇、があります。

そこで、一句、

穴惑三渓園のヘビの影
首振りて穴に入る蛇聴秋閣

この日は、他にも園内中央にある大池に雁や鴨が渡ってくる直前の静かな睡蓮池の片隅で、水面の小枝に止まるカワセミを珍しく見かけ、季節の移り変わりを感じてきました。
また、三渓園は高浜虚子など多くの俳人がここを訪れ句会を催したこともあり、地元でも定評のある俳句の吟行地です。今年も10/16までに三渓園俳句展の投句募集がされています(園内の藤棚にある投句箱に投句します)。私の属する横浜俳話会も来春にここで行われる俳句大会の運営に協力することもあり、今年はなんとか投句してみたいと思っています。
この日は、9,000歩コースでした。


内苑の蓮華院近くの庭石に顔を出したニシキヘビ。緑の縦縞がみえます
冬眠で籠る穴を探しているのでしょうか。背景は臨春閣の内池です。

内苑の聴秋閣とススキ

孟宗竹はこの時期に緑の色を濃くします。竹の春(秋の季語)です。
竹は春には筍を育てているので黄葉し落ちる葉もあり竹の質も落ちるそうで、今頃に(新暦の9~11月)伐るのがよいとか。伐採時期の好機を旧暦で「木六  竹八」ということを、手入れ中の庭師さんに教えてもらいました。

大池の隣にある睡蓮池。写真中央の水面近くの小枝にカワセミが止まっています。わかりにくいですが。
写真中央にかすかに小枝に静止したカワセミが見えます。撮影中の同年配のバードウオッチャに聞いて所在をなんとか確認できました。マークアップなしでは到底認識できません。

内苑の月華殿から見た亭樹

内苑の聴秋閣とススキ

聴秋閣全景。大正11年(1922)に京都二条城から移築されました。徳川家光、春日局ゆかりの楼閣建築だそうです。

臨春閣とススキ。臨春閣は江戸初期(1649年)に紀州徳川家初代藩主頼宣が紀州川沿いに建てた数寄屋風書院造りの別荘として建てられたもので、大正6年にここに移築されています。

三渓園内苑全景。左から亭樹、聴秋閣、臨春閣です。写真中央の奥の(聴秋閣の奥)が11月には紅葉の見所になります。

穂すすきと聴秋閣

三渓園外苑の大池と三重塔。渡ってきたばかりの鴨(か越年した鴨)がわずかに見られますが、これから毎年300羽の渡り鳥で賑わう直前の静かな大池です。ボランティアガイドの方によると、北方からの渡り鳥は10~2月に飛来しここと近くの本牧市民公園に滞在するとのこと。

舞鶴実家跡の活用の開始 その9

郷里舞鶴での実家跡地でのマンション建設が進んでいます。10/13と10/19時点の工事現場の様子を撮影した写真が届きました。 10/13には、二階の間取り工事が進行中のようです。一階は内装工事も始まっているのでしょうか。  10/19には、工事用の薄いシートが四方につるされていま...