2026年9月27日日曜日

いろは歌の替え歌とAI

9/26には近くに住む古い同年代の仲間4人で集まり、いつもの蕎麦屋で会食をしました。そこで出た話題の中で気になったのが、いち早く有料老人ホームに入居しているメンバ(A氏)から出た以下のよう経験談でした。
それは、「いろは歌の替え歌作り(注1)が一般的なAIでは苦手なようだ」ということでした。老人ホームで居住者の交流会があるそうで、そこで入居者の一人(B氏)から出た話だそうです。この話題を提供したB氏は趣味としていろは歌のいくつかの替え歌を自ら手で試行錯誤しながら作っておられるとか。
これを機にホーム内の何人かが、一般的な生成AI(Gemini,ChatGPT,Copilotなど)を使ってパソコンで替え歌作りを試みたところ、いづれも時間オーバーとなり失敗してしまい回答が得られなかったそうです。
この原因を調べてみると、Geminiなどの回答では以下の通りでした。

Q.いろは歌の替え歌はいまの生成AIでは対応できますか。
A.いろは歌(仮名47文字を重複なく1度ずつ使って作る手習い歌)の替え歌(パロディや新作)を作成することは、AIでも原理的には可能ですが、完全に成立させるのは極めて難易度が高い領域です。というのは、
(1)AIが対応可能な点としては、
➀「意味の通る文」や「七五調のリズム」を作る:文章の脈絡を整えたり、和歌や俳句のような五七五七七や五七五のリズムに合わせたりするのはAIの最も得意な分野です。
②テーマに沿ったアイデア出し:「春をテーマにした歌」「現代風の歌」といったテーマを与えて文脈を組み立てることは容易です。 一方で、
(2) AIが苦手・苦戦する点(完全な「アナグラムまたはパングラム」(注2)の難しさ)は、以下の通り。
いろは歌の本質は、「指定された47文字(仮名・重複なし)をちょうど1回ずつすべて使い切る」という厳密な制約(完全制約付きパロディ)にあります。
③ 文字カウントの正確さ:大型言語モデル(LLM)は文字を「音」や「視覚的な文字」ではなく「トークン(単語や部分単語のまとまり)」として処理するため、1文字ずつの重複チェックや漏れのカウントが苦手です。
④濁点・半濁点や歴史的仮名遣いの扱い:現代語のルールで「濁点(が、ざ等)は原音(か、さ等)と同等とみなすか」といったルールの切り替えを文字単位で厳密に守る際、途中で文字が足りなくなったり余ったりしがちです。
結論として、「雰囲気を真似た替え歌」であればAIは一瞬で非常に上手なものを生成できますが、「47文字重複なしの厳密ないろは歌」を1発で完成させるのは現状のAIでは失敗しやすいというのが実情です。なお、正解に近い替え歌を得る方法は幾つかあります(注3)。

同様に、漢字について「千字文(せんじもん)」という「重複しない1,000個の漢字」を使い、「四字一句の韻文(詩)」として意味を通わせる言葉遊びが昔から中国にあり、それの文字数を減らすなどして簡易化して漢字の習い本にした出版物が市販されていますが、現在のAIにとってはむしろ、いろは歌(仮名47文字)よりもはるかに難易度が跳ね上がるそうです。
どうやら、いま流通して重宝しているAIにも向き不向きがあるようで、得意なのは「8割程度のクオリティで素早く下書きを作ること」「パターンに沿った大量データの要約や分類」で、「100%の精度(厳密性)」「文字・数値のミクロな制御」「人間の感情・常識・因果関係の理解」が求められる処理は不得手なようです。しかし日々進化するAIがB氏に迫るのは時間の問題かもしれません。
以上はAIの不得手な面の一例でしょうが、こんなことも考えながらAIを使っていく、付き合っていく必要がありそうです。これらは人間が最終的にはチェック(人間による最終判断、最終責任)を行う仕組み(「Human-in-the-loop」といわれます)が不可欠となるのでしょうか。


近所の散歩道で見かけるムラサキシキブも満開です。

紫色の実の穂がこの時期映えます。

ホトトギスはこれからです。

道端でハナニラも見頃でした。

(注1) いろは歌の替え歌 について
いろは歌とは、仮名47文字を一度ずつ用いて作られた教訓的な和歌です。平安時代に成立し、仮名の手本や順序表として長く使われました。
いろは歌として代表的な歌は
「いろはにほへと ちりぬるを
 わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす」
という七五調の一首です。現代語では、おおよそ
「美しい色もやがて散る。この世は誰のものとも常ではない。さまざまな迷いの山を今日こえて、浅い夢も見まい、酔いもしまい」
といった無常観・目覚めの決意を表す内容とされます。仏教、とくに「諸行無常」を説く経典(涅槃経)との関わりが指摘され、作者は僧侶とみる説が有力ですが、特定の人物には絞りきれていません。最古の用例は11世紀の仏教書に見え、以後、「いろは」は辞書や手習い本で仮名の配列として広く使われました。
その後、この替え歌として多くの歌が作られてきました。

(注2)「アナグラム、パングラム」について
アナグラム(Anagram)は、あらかじめ決められた文字列(文字の集合)の順番を並べ替えて、別の意味を持つ文章を作る言葉遊びです。類似の意味で、アルファベットやひらがななど、特定の文字セットの全文字を少なくとも1回以上(理想的には1回ずつ)使って作る文章のことは「 パングラム(Pangram)」ともいわれます。日本語の「いろは歌」は、仮名47文字を重複なくすべて使い切ったパーフェクト・パングラムの代表例として世界的に知られています。

(注3) いろは歌の替え歌の正解に近い替え歌をAIを用いて得る方法について
以下のような方法で完全な回答に近づけられるそうです。
・制約を少し緩める
「すべての文字を重複なしで使う」のではなく、「いろは歌のリズム(七五調)と雰囲気を真似したパロディを作って」と指示すると、クオリティの高い文言が即座に生成されます。
・プログラミング(Python等)と組み合わせて作らせる
AIに直接文を作らせるのではなく、「指定した47文字を1度ずつ使って意味の通る歌を生成するPythonコード(ロジック)を書いて」と指示し、アルゴリズムで制御させることで完全なアナグラムを作成できます。
・何度も文字数をカウントさせて修正を繰り返させる
 AI単体で作らせる場合は、「まず案を出し、使用した仮名の一覧をリスト化し、使っていない文字・2回以上使った文字を指摘して修正する」という作業を対話形式で何度も繰り返す(プロンプトで自己修正を促す)ことで完成に近づけられます。

2026年9月25日金曜日

鎌倉鶴ケ岡八幡宮の神幸祭の中止

 9/15には、鎌倉鶴ケ岡八幡宮で行われる秋季例大祭(9/14-16)の仲日に行われる、氏神様が氏子の町内を回る神幸祭に参加してきました。
と言いたいところですが、実は、たどり着いて知ったのですが、神幸祭は雨天で中止でした。この日は午前までは雨天で午後からは曇りとの予報でしたので13時から始まる神幸祭は開催されるものと勝手に思い込んでいました。境内では、入口で囃子や祭太鼓も出ていましたので、てっきり開催されると思ってしまったのが間違いでした。境内には、神社名入りの引き出物の入った紙袋を持つ多くの人を見かけましたが、実はこれが当日の神幸祭(しんこうさい)に参加予定の多くの氏子衆(奉仕者といわれていました)で祭りが終わった後に渡される品を、この日は中止のために開始時刻前に渡されていたのでした。
この日の午後は薄曇りで行列そのものは実施可能でしたが事前の野外での大規模な準備のことを考えると主催者の実施判断では難しかったのかもしれません。それにしても残念でした。観客もそうですが、神幸祭の行列に加わる予定の方々には尚更だったと思います。途中見かけたテレビ神奈川(TVK)の取材班もご存じなかったようで残念がっておられました。
ここの神幸祭では、本殿から御祭神が室町時代の神輿3基に移られて神官や氏子の行列が出発し、ゆっくりと移動して参道の二の鳥居に設けられた御旅所(おたびしょ)まで行かれます(渡御(とぎょ)といわれます)。御旅所で儀式があり、ひと休みされた後本殿に同じルートで戻られます(還御(かんぎょ)といわれます)。移動には参道の段葛の両側の道路(若宮大路)が使われます。
今年は例大祭3日目の翌日9/16午後の、狩装束の射手が疾走する馬上から3つの的を射抜きする、源頼朝以来の流鏑馬神事(やぶさめ)も中止されました。ただ、この日夕方に行われる、神前に供えられた鈴虫を境内の自然へ放つ鈴虫放生会は拝殿で行われたようです。こちらも頼朝由来の生命を慈しむ放生会の精神を今に伝える神事とのこと。流鏑馬神事と鈴虫放生会は後日報道で見るものの私は現物をまだ見たことがなく、近くに住む者として一度は目にしたいものだと思っています。
また、この日は境内手前の源平池で枯れる途中の蓮の葉や破蓮(やれはちす、敗荷(やれはす)ともいいます)、いまにもこぼれそうな蓮の実を含んだ黒く変色した花托も初秋を思わせます。
思うとこれは一例で、この時期全国の神社で行われる例大祭で、このところのこの時期には珍しい雨日和や台風到来はこのような大きな影響を受けているのではないでしょうか。今年の花火大会も雨で混乱していると聞こえてきます。
この日は、7,500歩コースでした。
ここで、一句、

破蓮(やれはちす)神幸中止の濡れた道
神幸の中止を告げし破蓮
破蓮神幸祭の朝の雨

因みに、昨年同日2025年9月15日に行われた神幸祭の様子を、当ブログに下記のような記事でアップしていました。

鶴岡八幡宮の例大祭と神幸祭

蓮の実が落ちる直前の枯れた蓮の花托。枯れる葉は破蓮(やれはちす)といわれます。
 
翌日の鏑流馬神事の行われる隧道。中央が砂利になっています。実際には、雨のため中止となりました。

社務所門前の若布(わかめ)。何を意味するかはまた調べたいと思います。

社務所の門の両脇には若布が祀られています。

拝殿から見た舞殿です。

拝殿の横には神幸祭の行列に参加するなどの奉仕者に引出物が渡されていました。本来ならば行列が終わってから渡されるのでしょうが、神幸祭が中止になったこの日には13時過ぎから順次渡されていました。聞くと奉仕者は主に氏子さん方と協賛する企業、団体の方々だそうです。

拝殿への階段からの舞殿。階段の右側に実朝が暗殺された時のイチョウの木の切株があります。

拝殿への階段

この日の神幸祭の奉仕者の方は引出物を引取って早々に帰られていました。右奥は三の鳥居です。

鶴ケ岡八幡宮の舞殿(手前)と拝殿・本殿

境内入口の囃子小屋。祭りを盛り上げます。

源平池の蓮の花托

同上

源氏池の蓮園

源平池の破蓮

参道途中の置石地区の控事務所

参道の横を通過する祭太鼓車。子供衆も活躍しています。

鶴ケ岡八幡宮参道の段葛(だんかずら)。桜並木はこれからが紅葉です。この日は中央に日の丸が並んでいます。参道の若宮大路の中央を走ります。神幸祭の行列では渡御には右側、還御には左側の道路が使われます。正面が鶴ケ岡八幡宮の三の鳥居、本殿です。

2026年9月22日火曜日

敬老の日と軽石ー「敬老の日」のできた日に生れたとはー

昨日の9月21日が敬老の日でした。はからずもこの歳になってこの日の歴史を知ることになりました。
いつも週日の朝8時前に聴いている 文化放送の武田鉄矢のラジオ番組「今朝の三枚おろし」のプロローグで、敬老の日のはじまりが1947年9月15日に兵庫県多可郡野間谷村(現・多可町)で始まった「としよりの日」が起源と聞き、それは実は私が生れた日だと気づき、にわかに関心をもった次第です。制定されたのが意外と新しいのに驚きました。
調べてみると、敬老の日制定の経緯は(注)の通りで、兵庫県の野間谷村で「としよりの日」が制定され敬老の会が催されたことが端緒となって県レベル、国レベルに広がり、昭和41年(1966年)の祝日法改正で国民の祝日になりました。
あらためて、誕生日としての敬老の日の意味を考えさせてもらいました。それにしても敬老の日ができた日に自分が生まれたとは、世の中分からないものです。
ここで、一句、

軽石の減りゆく月日敬老日

たまたま出句した句会でまずまず好評でした。軽石と敬老日の取り合わせの句です。


我が家の軽石たち。郷里の舞鶴と横浜で少なくとも3世代にわたって使い込んでいます。4世代の可能性が高いですが今となっては確認できません。仏壇と同じくらい長寿命です。写真下の二つは現用品で今も十分に機能して重宝しています。上3つは予備品です。


(注)「敬老の日」制定の経緯  (関連HPから引用・編集)
敬老の日の起源は、1947年9月15日の兵庫県多可郡野間谷村(現・多可町)で始まった「としよりの日」です。  門脇政夫村長が、村の知恵者である高齢者を敬い、村づくりに生かすために始めた行事です。経緯には以下のステップがありました。
- 兵庫県多可郡野間谷村の「としよりの日」制定(1947年9月15日 )
- 兵庫県の「としよりの日」制定 (1950年 ) 
- 全国社会福祉協議会による全国行事化  (1951年 )
- 老人福祉法での「老人の日」制定  (1963年 )
- 祝日法での「敬老の日」制定  (1966年 )
- 9月15日から第3月曜日へ移行(ハッピーマンデー制度)(これで今年は9月21日でした)
9月15日となったのは、この日の起源となった野間谷村が「としよりの日」の設定について、「養老の滝」伝説を敬老会の日付選定の理由の一つとして「9月15日は養老の滝伝説にちなむ“孝行の象徴の日”である」と紹介したことから、両者はゆるやかに結びついています。この他にも、農閑期で天候も安定した時期であることも考慮されました。
「養老の滝」伝説とは  舞台は岐阜県養老町で、孝行息子・源丞内(げんじょうない)が、病気の父のために水を汲みに行くと、 滝の水が酒に変わっていた、という伝説で、息子の孝心に感動した天が与えた恵みとされ、 親を敬う心の象徴として古くから語られてきました。この物語は奈良時代の『続日本紀』にも記録があり、  日本文化における孝行の象徴的エピソードとして長く受け継がれてきました。

2026年9月20日日曜日

大船の初秋とヒョウタン展 ー萩と彼岸花そして瓢箪ー

 9/15には、雨天の合間に大船フラワーセンターの萩や彼岸花などの初秋を見に久々に出かけました。
園内中央には萩(ミヤギノハギ)の株が並ぶ横に長いエリアがあります。まだ二分咲きでしたが、赤紫色の蝶型の花を穂状に付け、穂が風にうねるように揺れて咲く様は風情があります。このことから「風聞草(カゼキキグサ)」とも言われるとか。万葉集でも最も多く詠まれた花だそうで、秋の七草の代表格です。萩は仙台の市花で、滞在した頃にこの時期に見聞きしよく話題になる秋の花として萩(ミヤギノハギ)を初めて知り、市内東部にある野草園の萩まつりには下宿の仲間と何度かでかけ、そこで萩に親しんだ記憶があります。それをきっかけに神奈川ではここや鎌倉で萩の寺といわれる海蔵寺や宝戒寺を訪ねるようになりました。
他にも、秋の花木では、白い彼岸花、キバナコスモス、コウホネ(河骨)、秋バラ、瓢箪など、夏の名残では、睡蓮、蓮、旱蓮木(かんれんぼく)、仙人草(クレマチス)など、が楽しめました。
瓢箪では、アジア、中南米、アフリカの各地で様々な容器として利用されている瓢箪の現物を展示するヒョウタン展が開かれていました。東京農大にもおられた植物学者湯浅浩史氏が50年かけて世界45か国で収集された2,000点以上のコレクションから230点が並びます。この日も湯浅氏は会場におられ熱心に見物客に説明されていました。それぞれに溶け込んだ生活スタイルを想像しながら「人類の原器」(瓢箪は1万年以上前から人類が利用してきた最古の栽培植物のひとつだとか。また古代土器の底が丸いのは瓢箪をイメージしているそうです)を巡るのも一興です。ここでの展示は今回が6回目だそうですが、中国で伝統的なコオロギを戦わせる闘蟋(とうしつ)で使われるコオロギ入れや南米のマテ茶の茶器、3mほどある細長い長瓢箪など、軽くて水漏れしにくく加工もしやすい瓢箪容器を集めた貴重な企画と思いました。虫にとっても繊維質で居心地の良い器なのかもしれません。この企画はいわば「人類の原器」展でしょうか。残念ながら、近年は安価なプラスチックに代えられて民族独特の文化が消えていく時期でもあるようです。
因みに、後援団体の特定非営利活動法人全日本愛瓢会は、名誉総裁を2004年から秋篠宮様(文仁親王)が務められています。宮中の畑で育てられていた百成瓢箪の植生に触れたのをきっかけに幼少期から瓢箪に興味をもたれ、アフリカ種との交配による大型化の研究や収集をされてきたそうです。その研究成果でしょうか、会場にも宮様所有の2m以上あるような大きな瓢箪が展示されていましたが、ここだけは撮影禁止でした。また、秋篠宮様と全日本愛瓢会との関りの経緯を記した宮様からのメッセージ「大型瓢箪と愛瓢会」も会場に掲載されていました。単なる形式的な名誉職ではないようです。宮様の人柄の一端を知る機会になりました。
台風の合間の短い時間でしたが、初秋を満喫しました。
この日は、7,500歩コースでした。


園内のミヤギノハギは開花間もないようでした。二分咲きといったっところでしょうか。





萩の枝帆が風になびくのは趣があります。

 菖蒲園の脇には黄色の彼岸花も咲き始めていました。
彼岸花はこの地域では今月下旬が見頃になります。
キバナコスモスも畑で咲き始めていました。
園内の水辺には河骨(コウホネ)も見かけました。

薔薇園では数株の秋バラが咲き始めていました。

イボヒョウタン。瓢箪はこれから充実します。企画館では各国での瓢箪の利用例を展示する「ヒョウタン展」が開催中でした。

入口正面の睡蓮池にはそろそろシーズンを終えた睡蓮が幾分残っています。



仙人草(クレマチス)も満開でした。

蓮池の一角に新たにオニバスが植えられていました。写真左はその幼葉です。

オニバスはいまで直径50㎝程でしたが、まだまだ大きくなると思います。

鉢植えの蓮の最後の一輪でした。

鉢植えの蓮が並びます。俳句では枯れていく蓮を破蓮(やれはちす)というようです。

小さなバナナのような房をつける旱蓮木(かんれんぼく)または喜樹(きじゅ)

フィリピンやアフリカの物入れや肉入れ

マテ茶の茶器も瓢箪製でした。南米チリ、アルゼンチン、パラグアイの品です。
瓢箪で作った世界各地の化粧用品も並びます。

秋篠宮文仁親王からのメッセージ「大型瓢箪と愛瓢会」。これは撮影可能でした。

ヒョウタン展全景

ヒョウタン展チラシから。今年6回目の企画だとか。私は2回目でしたが、前回より充実していました。

同上。液体容器、流動物容器、粉末容器、固形物容器、シンボル・呪術など用途は多様です。

2026年9月18日金曜日

瓢箪の季節ー実用品と縁起物ー

 9/14には、数日続いた雨天が晴れ、この時期の瓢箪の様子見に鎌倉街道関の下近辺の「休処」にある瓢箪棚に出かけました。
今年の夏は炎暑続きで葉の枯れ具合が昨年より進んでいましたが、身の成り方は順調のようでした。ただ、いつもはこの棚に一緒に植えられているヘチマ(糸瓜)は今年は植付けを見合わされたようでした。
昔の日本人が庭に瓢箪を植えた理由をたどると、持ち易いくびれのある実が水筒、酒器などの軽量で持ちやすい器として、出たばかりの実の漬物などの食材として、また葉の旺盛な茂りが夏場の日除けとしての実用品として便利に幅広く使われてきた側面と、その繁殖力やつける実の多さなど、植生を通じた特性から、無病息災・厄除け・子孫繁栄などの縁起を担いできた側面があるようです。
なかには、「六つの瓢箪」を「六瓢(むびょう)」と読んで、「無病」=無病息災に通じるとして、縁起がよいものとされたとか、語呂合わせもあります。また、瓢箪は、酒や水のほか薬味や薬を入れる容器として使われたことから、邪気を払うもの、病を封じるものととしても扱われた歴史もあるようです。このため瓢箪の形をした飾りを家に置いたり、身につけたりする風習が今も残ります。さらに、瓢箪は一つの株にたくさんの実をつけることから「子宝・子孫が繁栄する」という意味・祈りを込める場合もありました。秀吉の旗標の「千成瓢箪(せんなり)」はこの流れでしょうか。

この日は、4,800歩コースでした。

去年の丁度同日2025年9月14日にもここを訪れて、当ブログに下記のような記事をアップしていました。

今年の「休処」の瓢箪と実家の瓢箪

また、小さな実(ベビー瓢箪)が「ひょうたん漬け」としても利用されることもあり、2023年6月25日に当ブログに以下のような記事をアップしていました。この品物は珍味の域で一般的とはいえませんが。

ひょうたん漬け


休処の瓢箪棚


 

いろは歌の替え歌とAI

9/26には近くに住む古い同年代の仲間4人で集まり、いつもの蕎麦屋で会食をしました。そこで出た話題の中で気になったのが、いち早く有料老人ホームに入居しているメンバ(A氏)から出た以下のよう経験談でした。 それは、「いろは歌の替え歌作り(注1)が一般的なAIでは苦手なようだ」という...