2026年10月14日水曜日

天王町の松原商店街再訪ー旧東海道保土ヶ谷宿跡ー

 10/10には孫娘の手習いのピアノ発表会で天王町に出かけました。少し早めに現地に到着したため、近くの松原商店街を2年ぶりに訪ねました。天王町は相模鉄道(相鉄)で横浜から3つ目の駅で、JR東海道線の保土ヶ谷駅からも歩いて12分程の距離にあります。
松原商店街は、天王町駅から旧東海道を北に10分程歩いたところに300mに亘って並ぶ商店街です。場所的には東海道保土ヶ谷宿跡の一部になりますが、直近では、戦後米軍接収地が解放されたあとに個人商店が集まって自然発生的にできた商店街のようです。今も、魚や野菜などが安いと地元でもよく耳にしますし、テレビの街頭インタビューでも見かけます。
私には、昭和時代の商店街の様子を思わせる懐かしい光景に見え、商品の陳列や買い物をする人々の動きに親しみをおぼえます。私自身が郷里の舞鶴で当時大繁盛していた八島商店街のすぐ近くで育ったこともあるかもしれません。
また、街を歩いてみると、保土ヶ谷宿の総鎮守 神明社や商店街の入口にあって本殿の裏側に回って拝む橘樹(たちばな)神社(注1)など、この地区に多くの寺や神社が密集してあるのに気づきます。また、この商店街の通称は「洪福寺松原商店街」で、もともと近くの旧東海道(いまの国道1号線)と八王子道(いまの国道16号線)の交差点にある臨済宗建長寺派の洪福寺(こうふくじ)(注2)の門前町であり、その後保土ヶ谷宿として栄えたそうです。

この日は、7,200歩コースでした。

2024年10月にもここを訪ね、当ブログに以下のような記事をアップしていました。

天王町の松原商店街

                                            

                                                  《   松原商店街 再訪 》

通称「洪福寺松原商店街」と名前にも冠されている海東山臨済宗建長寺派洪福寺。商店街のすぐそばの国道1号線(写真前後)と国道16号線の交差点にあります。禅寺としてはちょっと変わった屋根の造りです。

松原商店街の八百屋さんの売場光景から
同上
雑貨店店頭から。「松原シール」という商店街固有のポイントサービスがあるようです。
松原商店街全景。旧東海道で直ぐ脇を国道1号線が走ります。
松原商店街の入口アーチです。この日も賑わっていました。
「旧東海道保土ヶ谷宿 歴史の道」と刻まれています。発表会会場の岩間市民プラザ前にて。

商店街にある床屋にはこんなハロウィンの飾りも。呼び込みでしょうか、手を振っています。ユーモアのある店長さんのようです。客引きになるかどうかは別にして通行者の目を引くのには成功しています。撮影を快諾していただきました。客がくれば骸骨は退けるそうです。

橘樹神社。珍しく本殿の後方から参拝します。

《 ピアノ発表会から 》
岩間市民プラザ ホールでの発表会の会場模様から。日頃からの成果を奏でてくれました。

(注1) 橘樹神社(たちばな)について (関連HPから引用・編集)
鎌倉時代初期の文治2年(1186年)、源頼朝が天下平定を祝い子孫繁栄を祈願して京都の祇園社(現・八坂神社)の御分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。江戸時代までは「牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)」と呼ばれており、これが現在の「天王町」という地名の由来になりました。御神体が正面を向いていると眩い光を放ち人々が直視できないという言い伝えから、本殿の裏側に回って拝む「後向きの天王様」という珍しい参拝の風習が今も残されています。
(注2) 洪福寺について  (同上)
海東山臨済宗建長寺派洪福寺。1330年代(鎌倉時代末期〜南北朝時代)に、旧東海道と八王子道の分岐点にあたる「袖摺山(そでずりやま)」に、鎌倉・建長寺の第30世住職である枢翁妙環和尚(あるいは仏寿禅師)によって薬師堂が建立されたのがルーツとされています。

2026年10月11日日曜日

舞鶴実家跡の活用の開始 その8

10/7時点の郷里 舞鶴四条にある実家跡地での マンション建築現場の様子の写真が、姉から届きました。いつもの速報で有難く思っています。
高層階のための大型クレーンが木造壁板をどんどんと積み込んでいます。
早いものですでに入居応募が始まっているようです。ネットで見ると、物件名は「ラス・パルマス浜四条」、鉄筋コンクリート造(RC造) 5階建で、部屋タイプは単身者・新婚カップル等に向けた 1K および 1LDK が中心だそうで、来年3月から順次入居開始とアナウンスされています。
これをも含めて、この近くの街が変わる切っ掛けになればと思っています。

因みに、10日前の9/26までの様子を示す先回の記事は以下の通りでした。進捗は順調のようです。

舞鶴実家跡の活用の開始 その7

《 10月7日の様子から 》


郷里の舞鶴の実家跡地の再利用として始まった5階建マンション建築工事の現在の様子です。足場は5階まで届いているようです。姉撮影の写真を引用し若干調整しています。

2026年10月8日木曜日

仲秋の三渓園ーニシキヘビの「穴惑」ー

10/6には久々に三渓園の仲秋を訪ねました。
この時期の蛇の挙動については、「蛇 穴に入る」とか「穴惑(あなまどい)」という言葉がありますが、今回たまたま遊園中にシマヘビが黒い大きな庭石の上を這っているのを見かけ、「穴惑」を生で現実に目の当たりにしたように思いました。見かけたのは80㎝程のニシキヘビで無毒の日本固有種とのこと。まさに冬眠に籠る穴を探しているような穴惑の様子で、昔の人はよく言ったものだと感心しました。
手持ちの角川俳句歳時記には以下の記述があります。

蛇は春先に穴から出て夏の間動き回り、秋になるとまた穴に入り冬眠します。その穴に入るのが彼岸の頃といわれますが、晩秋天気の良い日にはまだ姿を見せることがあります。それを、穴に入るのを迷っているとみて「穴惑」といいます。秋の季語としては、穴惑、蛇 穴に入る、秋の蛇、があります。

そこで、一句、

穴惑三渓園のヘビの影
首振りて穴に入る蛇聴秋閣

この日は、他にも園内中央にある大池に雁や鴨が渡ってくる直前の静かな睡蓮池の片隅で、水面の小枝に止まるカワセミを珍しく見かけ、季節の移り変わりを感じてきました。
また、三渓園は高浜虚子など多くの俳人がここを訪れ句会を催したこともあり、地元でも定評のある俳句の吟行地です。今年も10/16までに三渓園俳句展の投句募集がされています(園内の藤棚にある投句箱に投句します)。私の属する横浜俳話会も来春にここで行われる俳句大会の運営に協力することもあり、今年はなんとか投句してみたいと思っています。
この日は、9,000歩コースでした。


内苑の蓮華院近くの庭石に顔を出したニシキヘビ。緑の縦縞がみえます
冬眠で籠る穴を探しているのでしょうか。背景は臨春閣の内池です。

内苑の聴秋閣とススキ

孟宗竹はこの時期に緑の色を濃くします。竹の春(秋の季語)です。
竹は春には筍を育てているので黄葉し落ちる葉もあり竹の質も落ちるそうで、今頃に(新暦の9~11月)伐るのがよいとか。伐採時期の好機を旧暦で「木六  竹八」ということを、手入れ中の庭師さんに教えてもらいました。

大池の隣にある睡蓮池。写真中央の水面近くの小枝にカワセミが止まっています。わかりにくいですが。
写真中央にかすかに小枝に静止したカワセミが見えます。撮影中の同年配のバードウオッチャに聞いて所在をなんとか確認できました。マークアップなしでは到底認識できません。

内苑の月華殿から見た亭樹

内苑の聴秋閣とススキ

聴秋閣全景。大正11年(1922)に京都二条城から移築されました。徳川家光、春日局ゆかりの楼閣建築だそうです。

臨春閣とススキ。臨春閣は江戸初期(1649年)に紀州徳川家初代藩主頼宣が紀州川沿いに建てた数寄屋風書院造りの別荘として建てられたもので、大正6年にここに移築されています。

三渓園内苑全景。左から亭樹、聴秋閣、臨春閣です。写真中央の奥の(聴秋閣の奥)が11月には紅葉の見所になります。

穂すすきと聴秋閣

三渓園外苑の大池と三重塔。渡ってきたばかりの鴨(か越年した鴨)がわずかに見られますが、これから毎年300羽の渡り鳥で賑わう直前の静かな大池です。ボランティアガイドの方によると、北方からの渡り鳥は10~2月に飛来しここと近くの本牧市民公園に滞在するとのこと。

2026年10月4日日曜日

映画「わたしのかあさん」

 10/3には関係する社会福祉法人と金沢区が主催する映画会に参加し「わたしのかあさん―天使の詩―」を観てきました。なかなか感動的でありながら、考えさせられる映画でした(注1)。会場の金沢区公民館講堂に定員200人、多分実際にはそれ以上が集まりました。
派手な映画ではありませんが、「障がい者を理解しましょう」という一方向の啓蒙映画でもなく、家族、親子、障がい者、偏見、福祉について静かに考えさせられる作品でした。特に、主人公高子の年齢を重ねて見ると、子供の頃の「親を子どもの立場から「恥ずかしい存在」として評価していた時期」から、年月を経るにつれて母親を見る目が変わり「親の人生そのものを理解できるようになった時期」への変化と戸惑いが、自然に表現されていました。この誰にもある戸惑いを理解しながらも、しかし障がい者と健常者の共生を声高に言うのではなく、当たり前のこととして社会・企業・コミュニティで受け入れ(normalizationといわれます)の、定着させることの意味を、山田監督が、ご自身で障がい者の長女を育てた経験からも、訴えているようにも思えました。作中の小杉医師(高子の母親の主治医)が戸迷う高子に言う「障がい児としてこの世に生を受けるかどうかは「神の御業」なのであって、どうすることもできない。このことは、世間では、容易に理解し難いことなのでしょうが、自然に受け入れることが大事ではないか」というセリフからもうかがえるように思いました。映画としては福祉映画のジャンルだそうです。
こういったことを含め、最近は高齢のいち当事者(お年寄り)としても『「子供も、大人も、お年寄りも、障がいのある人も」共生する地域つくり』(注2)のことを考える機会も段々と増えてきました。
この日は、7,700歩コースでした。

因みに、2022年5月には、耳が聞こえない両親と子の二人兄妹との生活をリアルに映像化した「Codaーあいのうたー」を近くにあるミニシアタのジャックアンドベティで観て当時もいろいろ考えさせられたことを思い出しました。

キビレと「Codaーあいのうたー」



映画「わたしのかあさん―天使の詩―」のチラシから
右下のコラムは山田監督の挨拶文です。


(注1)映画 『わたしのかあさん ―天使の詩―』の概要とあらすじ
2024年3月30日に公開された日本映画です。監督は山田火砂子、主演は寺島しのぶと常盤貴子。児童福祉文化賞を受賞した菊地澄子の児童文学『わたしの母さん』が原作です。株式会社現代ぷろだくしょん提供。
・あらすじ
主人公の山川高子は、現在は障がい者支援施設の園長として働いています。
しかし、子どもの頃の高子は、両親が知的障がい者であることを恥じていました。小学3年生の頃、母・清子が授業参観に来ることを嫌がり、参観のお知らせを隠してしまいます。ところが母はそれを見つけて学校へやって来ます。子どもたちの前で騒いだり、おどけたりする母を見て、高子は恥ずかしさと怒りを感じます。
やがて高子は、両親が知的障がい者であることを知り、大きなショックを受けます。ところが成長するにつれて、両親の一見「不器用」で「周囲と違う」行動の奥に、娘を愛する純粋な気持ちがあったことに気づいていきます。特に母・清子の、損得や世間体とは無縁の愛情が、高子の心を少しずつ変えていきます。
そして成人した高子は、両親への理解を深めるだけでなく、自ら福祉の道に進むことになります。
・キャスト
母・清子を演じるのは寺島しのぶ、成長した娘の高子に常盤貴子。その他、難役の吃音の父を渡辺いっけい、清子の主治医に船越英一郎、その娘に安達祐実、近所の老人に山田邦子、養護学校の教員に東ちづる、さらに清子の兄に春風亭昇太、祖母に高島礼子 他の演技派キャストにて映画化されました。
・作品について
この作品は山田監督の10作目で、公開直後2025年1月に92歳で逝去されました。日本初の女性公認医師・荻野吟子や、女性教育家・矢嶋楫子など、歴史の中で活躍した女性たちを映画化したことで知られています。また、自身が重度の知的障がいのある娘を育てた経験から、障がい者福祉を題材にした映画製作や著作にも取り組まれました。
(以上、映画公式HPから引用・編集)

公式サイトと予告編は以下にあります。
・公式サイト
https://www.gendaipro.jp/mymom/?utm_source=chatgpt.com "映画「わたしのかあさん ―天使の詩―」公式サイト"
映画「わたしのかあさん ―天使の詩―」公式サイト
・予告編
https://cinemarine.co.jp/mymom/?utm_source=chatgpt.com
わたしのかあさん | 横浜シネマリン

なお、横浜では2024年4月に横浜シネマリンで上映され(私もよく通うミニシアタですが見逃していました)、その後も横浜市内の関内ホールなどで上映会が行われていました。

(注2)『「子供も、大人も、お年寄りも、障がいのある人も」共生する地域づくり』は関係する社会福祉法人の運営コンセプトのひとつになっています。この上映会も法人施設のある地域との交流活動の一環でした。

今秋の収獲ー綿と風船葛と実山椒ー

10/1には、気象庁から9月の天候トピックスが発表されています。秋雨前線の停滞や相次ぐ台風(24号・25号・26号)の影響により、東日本太平洋側での日照時間は平年比46%にとどまり、統計を始めた1946年以降、9月として「最多の雨」と「最少の日照時間」とのこと。また、月間降水量も平年の2.36倍で過去最多だったそうです。このことは、身近な庭での収獲の様子からも分かるように思いました。

 今年も庭先の綿、風船葛、実山椒が収穫期に入ります。葉山椒はこの時期にも葉はつけていますが香は薄く夏が収穫期のようです。結果的には、いずれも不調で8月の台風と9月の長雨が影響したように思えます。
特に低調なのが綿でした、7月頃から白い花をつけ始め受粉すると花弁が1日で紅く変わり実をつけやがて実が割れて白い綿が収穫できます。今年は、7月までは順調でしたが8月の日照不足でしょうか花の数が少なく、白い花が咲いても、紅い花が雨で落ちていたりしていました。9月には付けた実が大きくならない状況が続き、実が小さいまま褐色に変色し割れるケースも多くありました。収穫した綿花も割れる前の綿の実としての成長が不十分で全体的に小ぶりで、収穫できた数も昨年の半分程度の見通しです。
また、風船葛は7~8月に蔓の背丈がどんどん伸びて多くの風船をつけ順調でした。例年9月に入って順に風船が茶褐色に変色し、中から3つのハートマークのついた種子がとれます。今年は昨年の1.5倍程度の種子がまあまあ収穫できていますし最終的には2倍くらい採種できそうです。しかし、9月の日照時間が短かったことと低温で緑の風船の袋の成長が芳しくなくこちらも袋の形が小型で中の種子も小粒、3個あるところが2~1個しか種子が採れないケースもありました。それも、例年ですと袋全体が薄茶色にゆっくりと色づきますが、今年は斑に急に変色するケースが多くありました。
実山椒では、今年は2回も青虫に侵蝕され葉が修復するまでの期間が長く、今年苗木を植え始めたばかりですが、実はひとつも収穫できませんでした。

このような温暖化による気候変動は、身近な庭の植生にも影響し始めていることをあらためて感じました。
現に農業、宿泊・飲食サービスや小売、卸売の景況感は良くないようです。報道によると1993年にも記録的な冷夏があったそうです。この時には、一部商品の購買意欲を弱めた一方で購入を控えたことで家計に余裕が生まれ、その分が別の消費に回ったとされ、結果的には消費全体に与えた影響はそれほど大きくなかったとか。しかし、今日では少子高齢化などで成長率の水準がその後低下しており、天候不順の影響を吸収する経済の力が弱まっているため、今はより悪影響が表れやすい、そうで、要注意です。


収獲した綿花。個数では昨年の半分ほどの量です。

風船葛の実は、数は昨年の1.5倍ほどですが大きさはやや小粒です。最終的には昨年の2倍は採種できそうです。

 

2026年9月29日火曜日

台風通過直後の小出川彼岸花まつり2026

 9/26午前中には、第19回小出川彼岸花まつりを駆け足で巡ってきました。この日午後には雨模様の予報でしたので。市営地下鉄湘南台駅から通学用の2連バスに20分程乗り慶応大湘南藤沢キャンパス入口で降りると歩いて10分程で小出川(こいでがわ)に出ます。川沿いに約3Kmに亘って両側の土手に彼岸花の咲く遊歩道が続きます。
結果的には、心配した通り、例年の咲き具合とは大分違う咲きぶりでした。
ひとつは、今年は、直前の大きな台風25号が通過し、小出川では両側の土手を越す増水があり、彼岸花はもろに影響を受け多くがなぎ倒されたそうです。
いまひとつは、今年の夏の猛暑とその後の急な温度低下によって彼岸花の開花が早まり、開花時期が例年より2週間程早く咲き始めたそうです。いつもなら9月下旬から10月初旬が見頃ですが、今年は9月中旬、15日頃が見頃だったそうで、温暖化などの気候変動で彼岸花も「彼岸前花」になろうとしているようです。大雨に流されたり咲き頃が過ぎた株が多く、例年随所で見られた蝶と彼岸花のコラボは殆ど見られませんでした。これからは開花時期は前後に大きく変動することを訪問に先立って早めに想定しておく必要がありそうです。写真撮影には尚更です。
この日は、これらの厳しい気候変化に耐えた株が咲き残った、という印象を受けました。 
ここで、一句、

重なりてたわむ高稲架(たかはざ)里の暮
ずっしりとたわむ稲架木(はざぎ)や畦の道

台風の跡に一輪彼岸花
台風の爪あと深き小出川
暴風のあとの空突く彼岸花
秋の雨書棚の隅の星座盤

 この日は、11,000歩コースでした。

因みに、2025年9月、2024年10月、2023年9月、2022年9月にも小出川彼岸花まつり(前後)を訪ねており、下記のような記事を都度当ブログにアップしてました。辿ってみると2022年9月から毎年訪ねています。どうもここは私にとって近い里山で、好みの彼岸花鑑賞地のようです。

2025年9月27日: 小出川彼岸花まつり

2024年10月4日: 収獲の里山風景からー藤沢 小出川周辺

2023年9月28日: 小出川の彼岸花と稲田と蝶

2022年9月23日: 地元小出川の彼岸花

 



小出川沿いの彼岸花。3日前の台風25号の風雨による影響が随所に出ていました。

遠藤会場近くの柿畑から


コスモスも咲き始めていました。



小出川越しのアオサギと彼岸花


小出川の中流。左奥に慶応大湘南藤沢キャンパス(SFC)があります。



彼岸花まつり遠藤会場。川沿いに他に三つの地元の農産物などを即売する会場が設けられています。この日はここだけに寄り引き返しました。

実りとともに深々と垂れ下がります。

遠藤会場では地元で採れた珍しい「四角豆」が販売されていました。

遠藤会場にて

途中の畑では生垣に使われる常盤万作(トキワマンサク)の苗木が栽培されており、花が満開でした。
台風25号による風雨の影響がみられます。

小出川彼岸花まつりパンフから

同上

2026年9月28日月曜日

舞鶴での先祖の墓の今の様子から

 9/20時点での郷里 舞鶴での先祖の墓の様子が、姉から写真で届きました。これまでは墓石を撤去して整地したままでしたが、最近土色のコンクリートで舗装されました(1つ目の写真)。維持管理のための一時的な工事にも見えます。実家跡地と同様に、こちらの墓地跡もこれからどう活用されるかを元ここの墓地を長くお寺さんから借用し先祖供養の拠点として利用させてもらった者として、今では外からながらも見守りたいと思っています。
また、舞鶴での先祖の霊は、墓じまい前と変わらず得月寺本堂に位牌をおいて日々供養していただき、遺骨は改葬し、合葬式の永代供養墓(2つ目の写真)に移しあらためて納骨しました。遺骨の一部は分骨し、私の居住する横浜の日野こもれび納骨堂に納めたところです。
色々と考えた末に、先祖の墓地は舞鶴と横浜の2つになったわけですが、新しい先祖の霊の供養の形がうまく今の世代の生活スタイルに馴染んでほしいと思っています。
2025年12月13日に墓じまいをした時の様子について、それまでの先祖の墓石も含めて当ブログに下記のような記事をアップしていました。

ある墓じまいのこと


昨年12月に墓じまいをした先祖の墓地跡。これまでは墓石を撤去して整地したままでしたが、最近土色のコンクリートで舗装されました。維持管理のための一時的な工事にも見えます。こちらもこれからどう活用されるかを元のここの長い利用者として見守りたいと思っています。


先祖の霊がいま納まる得月寺 永代供養墓。
2025年12月の墓じまいでは、改葬・分骨という形をとりました。先祖の霊を同じ檀家寺の得月寺にあるこの永代供養墓に移し改葬し、同時に遺骨の一部を分骨して、私の居住する横浜の日野こもれび納骨堂に新たに納骨しました。

舞鶴実家跡の活用の開始 その7

 舞鶴の実家跡地での5階建マンション工事が進むなかで、9/20と9/26での工事の様子として写真が舞鶴在住の姉から届きました。
9/26時点で1階の工事が終わり2~4階工事の足場ができこれから2~3階の建物工事に移るようです。
このペースでいくと来春にも竣工といったところでしょうか。もうしばらくこの工事をフォロウし、実家跡地のこの街での活用の様子を元地主として見届けたいと思っています。
先回、9/15までの様子として、下記のような記事を当ブログにアップしていました。

舞鶴実家跡の活用の開始 その6


《 9月20日の様子から 》


1階の工事が終わり、2階工事のための木造壁板の束が運び込まれています。


《 9月26日の様子から 》


大型クレーンで2~4階工事のための足場が組まれています。

天王町の松原商店街再訪ー旧東海道保土ヶ谷宿跡ー

 10/10には孫娘の手習いのピアノ発表会で天王町に出かけました。少し早めに現地に到着したため、近くの松原商店街を2年ぶりに訪ねました。天王町は相模鉄道(相鉄)で横浜から3つ目の駅で、JR東海道線の保土ヶ谷駅からも歩いて12分程の距離にあります。 松原商店街は、天王町駅から旧東海...