2026年9月25日金曜日

鎌倉鶴ケ岡八幡宮の神幸祭の中止

 9/15には、鎌倉鶴ケ岡八幡宮で行われる秋季例大祭(9/14-16)の仲日に行われる、氏神様が氏子の町内を回る神幸祭に参加してきました。
と言いたいところですが、実は、たどり着いて知ったのですが、神幸祭は雨天で中止でした。この日は午前までは雨天で午後からは曇りとの予報でしたので13時から始まる神幸祭は開催されるものと勝手に思い込んでいました。境内では、入口で囃子や祭太鼓も出ていましたので、てっきり開催されると思ってしまったのが間違いでした。境内には、神社名入りの引き出物の入った紙袋を持つ多くの人を見かけましたが、実はこれが当日の神幸祭(しんこうさい)に参加予定の多くの氏子衆(奉仕者といわれていました)で祭りが終わった後に渡される品を、この日は中止のために開始時刻前に渡されていたのでした。
この日の午後は薄曇りで行列そのものは実施可能でしたが事前の野外での大規模な準備のことを考えると主催者の実施判断では難しかったのかもしれません。それにしても残念でした。観客もそうですが、神幸祭の行列に加わる予定の方々には尚更だったと思います。途中見かけたテレビ神奈川(TVK)の取材班もご存じなかったようで残念がっておられました。
ここの神幸祭では、本殿から御祭神が室町時代の神輿3基に移られて神官や氏子の行列が出発し、ゆっくりと移動して参道の二の鳥居に設けられた御旅所(おたびしょ)まで行かれます(渡御(とぎょ)といわれます)。御旅所で儀式があり、その後本殿に戻られます(還御(かんぎょ)といわれます)。
今年は例大祭3日目の翌日9/16午後の、狩装束の射手が疾走する馬上から3つの的を射抜きする、源頼朝以来の流鏑馬神事(やぶさめ)も中止されました。ただ、この日夕方に行われる、神前に供えられた鈴虫を境内の自然へ放つ鈴虫放生会は拝殿で行われたようです。こちらも頼朝由来の生命を慈しむ放生会の精神を今に伝える神事とのこと。流鏑馬神事と鈴虫放生会は後日報道で見るものの私は現物をまだ見たことがなく、近くに住む者として一度は目にしたいものだと思っています。
また、この日は境内手前の源平池で枯れる途中の蓮の葉や破蓮(やれはちす、敗荷(やれはす)ともいいます)、いまにもこぼれそうな蓮の実を含んだ黒く変色した花托も初秋を思わせます。
思うとこれは一例で、この時期全国の神社で行われる例大祭で、このところのこの時期には珍しい雨日和や台風到来はこのような大きな影響を受けているのではないでしょうか。今年の花火大会も雨で混乱していると聞こえてきます。
この日は、7,500歩コースでした。
ここで、一句、

破蓮(やれはちす)神幸中止の濡れた道
神幸の中止を告げし破蓮
破蓮神幸祭の朝の雨

因みに、昨年同日2025年9月15日に行われた神幸祭の様子を、当ブログに下記のような記事でアップしていました。

鶴岡八幡宮の例大祭と神幸祭

蓮の実が落ちる直前の枯れた蓮の花托。破蓮(やれはちす)といわれます。
 
翌日の鏑流馬神事の行われる隧道。中央が砂利になっています。実際には、雨のため中止となりました。

社務所門前の若布(わかめ)。何を意味するかはまた調べたいと思います。

社務所の門の両脇には若布が祀られています。

拝殿から見た舞殿です。

拝殿の横には神幸祭の行列に参加するなどの奉仕者に引出物が渡されていました。本来ならば行列が終わってから渡されるのでしょうが、神幸祭が中止になったこの日には13時過ぎから順次渡されていました。聞くと奉仕者は主に氏子さん方と協賛する企業、団体の方々だそうです。

拝殿への階段からの舞殿。階段の右側に実朝が暗殺された時のイチョウの木の切株があります。

拝殿への階段

この日の神幸祭の奉仕者の方は引出物を引取って早々に帰られていました。右奥は三の鳥居です。

鶴ケ岡八幡宮の舞殿(手前)と拝殿・本殿

境内入口の囃子小屋。祭りを盛り上げます。

源平池の蓮の花托



源平池の破蓮

参道途中の置石地区の控事務所

参道の横を通過する祭太鼓車。子供衆も活躍しています。

鶴ケ岡八幡宮参道の段葛(だんかずら)。桜並木はこれからが紅葉です。この日は中央に日の丸が並んでいます。

2026年9月22日火曜日

敬老の日と軽石ー「敬老の日」のできた日に生れたとはー

昨日の9月21日が敬老の日でした。はからずもこの歳になってこの日の歴史を知ることになりました。
いつも週日の朝8時前に聴いている 文化放送の武田鉄矢のラジオ番組「今朝の三枚おろし」のプロローグで、敬老の日のはじまりが1947年9月15日に兵庫県多可郡野間谷村(現・多可町)で始まった「としよりの日」が起源と聞き、それは実は私が生れた日だと気づき、にわかに関心をもった次第です。制定されたのが意外と新しいのに驚きました。
調べてみると、敬老の日制定の経緯は(注)の通りで、兵庫県の野間谷村で「としよりの日」が制定され敬老の会が催されたことが端緒となって県レベル、国レベルに広がり、昭和41年(1966年)の祝日法改正で国民の祝日になりました。
あらためて、誕生日としての敬老の日の意味を考えさせてもらいました。それにしても敬老の日ができた日に自分が生まれたとは、世の中分からないものです。
ここで、一句、

軽石の減りゆく月日敬老日

たまたま出句した句会でまずまず好評でした。軽石と敬老日の取り合わせの句です。


我が家の軽石たち。郷里の舞鶴と横浜で少なくとも3世代にわたって使い込んでいます。4世代の可能性が高いですが今となっては確認できません。仏壇と同じくらい長寿命です。写真下の二つは現用品で今も十分に機能して重宝しています。上3つは予備品です。


(注)「敬老の日」制定の経緯  (関連HPから引用・編集)
敬老の日の起源は、1947年9月15日の兵庫県多可郡野間谷村(現・多可町)で始まった「としよりの日」です。  門脇政夫村長が、村の知恵者である高齢者を敬い、村づくりに生かすために始めた行事です。経緯には以下のステップがありました。
- 兵庫県多可郡野間谷村の「としよりの日」制定(1947年9月15日 )
- 兵庫県の「としよりの日」制定 (1950年 ) 
- 全国社会福祉協議会による全国行事化  (1951年 )
- 老人福祉法での「老人の日」制定  (1963年 )
- 祝日法での「敬老の日」制定  (1966年 )
- 9月15日から第3月曜日へ移行(ハッピーマンデー制度)(これで今年は9月21日でした)
9月15日となったのは、この日の起源となった野間谷村が「としよりの日」の設定について、「養老の滝」伝説を敬老会の日付選定の理由の一つとして「9月15日は養老の滝伝説にちなむ“孝行の象徴の日”である」と紹介したことから、両者はゆるやかに結びついています。この他にも、農閑期で天候も安定した時期であることも考慮されました。
「養老の滝」伝説とは  舞台は岐阜県養老町で、孝行息子・源丞内(げんじょうない)が、病気の父のために水を汲みに行くと、 滝の水が酒に変わっていた、という伝説で、息子の孝心に感動した天が与えた恵みとされ、 親を敬う心の象徴として古くから語られてきました。この物語は奈良時代の『続日本紀』にも記録があり、  日本文化における孝行の象徴的エピソードとして長く受け継がれてきました。

2026年9月20日日曜日

大船の初秋とヒョウタン展 ー萩と彼岸花そして瓢箪ー

 9/15には、雨天の合間に大船フラワーセンターの萩や彼岸花などの初秋を見に久々に出かけました。
園内中央には萩(ミヤギノハギ)の株が並ぶ横に長いエリアがあります。まだ二分咲きでしたが、赤紫色の蝶型の花を穂状に付け、穂が風にうねるように揺れて咲く様は風情があります。このことから「風聞草(カゼキキグサ)」とも言われるとか。万葉集でも最も多く詠まれた花だそうで、秋の七草の代表格です。萩は仙台の市花で、滞在した頃にこの時期に見聞きしよく話題になる秋の花として萩(ミヤギノハギ)を初めて知り、市内東部にある野草園の萩まつりには下宿の仲間と何度かでかけ、そこで萩に親しんだ記憶があります。それをきっかけに神奈川ではここや鎌倉で萩の寺といわれる海蔵寺や宝戒寺を訪ねるようになりました。
他にも、秋の花木では、白い彼岸花、キバナコスモス、コウホネ(河骨)、秋バラ、瓢箪など、夏の名残では、睡蓮、蓮、旱蓮木(かんれんぼく)、仙人草(クレマチス)など、が楽しめました。
瓢箪では、アジア、中南米、アフリカの各地で様々な容器として利用されている瓢箪の現物を展示するヒョウタン展が開かれていました。東京農大にもおられた植物学者湯浅浩史氏が50年かけて世界45か国で収集された2,000点以上のコレクションから230点が並びます。この日も湯浅氏は会場におられ熱心に見物客に説明されていました。それぞれに溶け込んだ生活スタイルを想像しながら「人類の原器」(瓢箪は1万年以上前から人類が利用してきた最古の栽培植物のひとつだとか。また古代土器の底が丸いのは瓢箪をイメージしているそうです)を巡るのも一興です。ここでの展示は今回が6回目だそうですが、中国で伝統的なコオロギを戦わせる闘蟋(とうしつ)で使われるコオロギ入れや南米のマテ茶の茶器、3mほどある細長い長瓢箪など、軽くて水漏れしにくく加工もしやすい瓢箪容器を集めた貴重な企画と思いました。虫にとっても繊維質で居心地の良い器なのかもしれません。この企画はいわば「人類の原器」展でしょうか。残念ながら、近年は安価なプラスチックに代えられて民族独特の文化が消えていく時期でもあるようです。
因みに、後援団体の特定非営利活動法人全日本愛瓢会は、名誉総裁を2004年から秋篠宮様(文仁親王)が務められています。宮中の畑で育てられていた百成瓢箪の植生に触れたのをきっかけに幼少期から瓢箪に興味をもたれ、アフリカ種との交配による大型化の研究や収集をされてきたそうです。その研究成果でしょうか、会場にも宮様所有の2m以上あるような大きな瓢箪が展示されていましたが、ここだけは撮影禁止でした。また、秋篠宮様と全日本愛瓢会との関りの経緯を記した宮様からのメッセージ「大型瓢箪と愛瓢会」も会場に掲載されていました。単なる形式的な名誉職ではないようです。宮様の人柄の一端を知る機会になりました。
台風の合間の短い時間でしたが、初秋を満喫しました。
この日は、7,500歩コースでした。


園内のミヤギノハギは開花間もないようでした。二分咲きといったっところでしょうか。





萩の枝帆が風になびくのは趣があります。

 菖蒲園の脇には黄色の彼岸花も咲き始めていました。
彼岸花はこの地域では今月下旬が見頃になります。
キバナコスモスも畑で咲き始めていました。
園内の水辺には河骨(コウホネ)も見かけました。

薔薇園では数株の秋バラが咲き始めていました。

イボヒョウタン。瓢箪はこれから充実します。企画館では各国での瓢箪の利用例を展示する「ヒョウタン展」が開催中でした。

入口正面の睡蓮池にはそろそろシーズンを終えた睡蓮が幾分残っています。



仙人草(クレマチス)も満開でした。

蓮池の一角に新たにオニバスが植えられていました。写真左はその幼葉です。

オニバスはいまで直径50㎝程でしたが、まだまだ大きくなると思います。

鉢植えの蓮の最後の一輪でした。

鉢植えの蓮が並びます。俳句では枯れていく蓮を破蓮(やれはちす)というようです。

小さなバナナのような房をつける旱蓮木(かんれんぼく)または喜樹(きじゅ)

フィリピンやアフリカの物入れや肉入れ

マテ茶の茶器も瓢箪製でした。南米チリ、アルゼンチン、パラグアイの品です。
瓢箪で作った世界各地の化粧用品も並びます。

秋篠宮文仁親王からのメッセージ「大型瓢箪と愛瓢会」。これは撮影可能でした。

ヒョウタン展全景

ヒョウタン展チラシから。今年6回目の企画だとか。私は2回目でしたが、前回より充実していました。

同上。液体容器、流動物容器、粉末容器、固形物容器、シンボル・呪術など用途は多様です。

2026年9月18日金曜日

瓢箪の季節ー実用品と縁起物ー

 9/14には、数日続いた雨天が晴れ、この時期の瓢箪の様子見に鎌倉街道関の下近辺の「休処」にある瓢箪棚に出かけました。
今年の夏は炎暑続きで葉の枯れ具合が昨年より進んでいましたが、身の成り方は順調のようでした。ただ、いつもはこの棚に一緒に植えられているヘチマ(糸瓜)は今年は植付けを見合わされたようでした。
昔の日本人が庭に瓢箪を植えた理由をたどると、持ち易いくびれのある実が水筒、酒器などの軽量で持ちやすい器として、出たばかりの実の漬物などの食材として、また葉の旺盛な茂りが夏場の日除けとしての実用品として便利に幅広く使われてきた側面と、その繁殖力やつける実の多さなど、植生を通じた特性から、無病息災・厄除け・子孫繁栄などの縁起を担いできた側面があるようです。
なかには、「六つの瓢箪」を「六瓢(むびょう)」と読んで、「無病」=無病息災に通じるとして、縁起がよいものとされたとか、語呂合わせもあります。また、瓢箪は、酒や水のほか薬味や薬を入れる容器として使われたことから、邪気を払うもの、病を封じるものととしても扱われた歴史もあるようです。このため瓢箪の形をした飾りを家に置いたり、身につけたりする風習が今も残ります。さらに、瓢箪は一つの株にたくさんの実をつけることから「子宝・子孫が繁栄する」という意味・祈りを込める場合もありました。秀吉の旗標の「千成瓢箪(せんなり)」はこの流れでしょうか。

この日は、4,800歩コースでした。

去年の丁度同日2025年9月14日にもここを訪れて、当ブログに下記のような記事をアップしていました。

今年の「休処」の瓢箪と実家の瓢箪

また、小さな実(ベビー瓢箪)が「ひょうたん漬け」としても利用されることもあり、2023年6月25日に当ブログに以下のような記事をアップしていました。この品物は珍味の域で一般的とはいえませんが。

ひょうたん漬け


休処の瓢箪棚


 

2026年9月15日火曜日

舞鶴実家跡の活用の開始 その6

 
舞鶴実家跡の5階建マンション建築が進行する様子を、舞鶴在住の姉から9/3、9/12、9/15時点の写真として着々と送ってもらっています。感謝です。
先回記事 (下記その5) にあるように、8月末までには地下の基盤、基礎工事はほぼ終了し、9月に入ってからは、地上の建物の建設が急ピッチで進められています。
どうやら鉄筋コンクリート造りではなく木造壁板を柱代わりにして建てる工法のようです。大型クレーンが入り足場や木造壁板の束を次々と運び込み積み上げています。
9/15時点では、1階の間取り工事がおおよそできているようで、中央の通路の右側に一見小さな部屋が多く並びワンルームマンションのようにも見えます。推測ですが。
これから2階、3階と工事が進むと見込まれ、もうしばらくウォッチを続けたいと思います。

《 9月3日の様子から 》


大型クレーンが入りました。左側の2軒の建物の中間が実家跡地で工事用足場のような鉄鋼枠が設置されています。右側道路が表通りの四条通りです。(姉撮影の写真引用。以下同様)

工事用足場の敷設工事です。木造壁板を繋ぐ結合材でしょうか。

大型トラックで運ばれてきた鉄鋼材が次々と現場に運び込まれています。右奥は八島商店街のアーケードです。

舞鶴実家跡地活用の建築工事現場全景


《 9月12日の様子から 》

木造壁板の束が次々と現場に運び込まれます。木造壁板を柱代わりにして建てる工法のようです。2~3階建の木造住宅ではこの工法が多く見られますが、このような5階建マンション建築にも適用されるようです。空の鰯雲に季節を感じます。


《 9月15日の様子から 》


1階の間取りの工事が進んでします。中央に通路があり右側が区分住宅のようです。

因みに、8/27までの建築現場の様子を、当ブログに下記のように記事をアップしていました。

舞鶴実家跡の活用の開始 その5


鎌倉鶴ケ岡八幡宮の神幸祭の中止

 9/15には、鎌倉鶴ケ岡八幡宮で行われる秋季例大祭(9/14-16)の仲日に行われる、氏神様が氏子の町内を回る神幸祭に参加してきました。 と言いたいところですが、実は、たどり着いて知ったのですが、神幸祭は雨天で中止でした。この日は午前までは雨天で午後からは曇りとの予報でしたので...