2026年9月2日水曜日

舞鶴実家跡の活用の開始 その5

 郷里舞鶴四条にあった実家跡地の活用事例として、8/27時点での5階建マンション建設の様子が姉から届きました。この地区の変化に繋がりビジネスとしてもうまく回ってほしいという思いから、他所事ながら気になり様子見を続けています。
前回(その4、下記) 地下の基礎工事段階で林立していた鉄骨が役割を終えたのか、間取りの壁の部分だけになり短くなっています。これから一階ごとに積み上げていくようです。また、表の四条通り側はエントランスか駐車場のスペースのようにも見えます。
そのうち分かるのでしょうが、段々と間取りが単身者向きなのか、家族向きなのか、その組み合わせなのか、にも興味が出てきます。この区域の長期的なコンパクトシティ化志向なら家族向けの間取りでしょうし、当面の回転の速い顧客がターゲットなら単身者向けのワンルームになるように思います。数年前お世話になった地元の不動産業者が駅前に建てられたのは確か5階建てのワンルームマンションで竣工直後全室埋まったと言われていました。
もうしばらく工事の推移を見守りたいと思っています。

先回には8/8時点の工事現場の様子を下記のように当ブログにアップしていました。

舞鶴実家跡の活用の開始 その4

舞鶴実家跡地の建設現場の四条通りからの様子。
敷地の北側です。鉄筋が間取りの境界だけに立っています。
(姉撮影の写真引用、以下同様)

同敷地中央です。

同敷地南側です。

地下の基礎工事が終わった段階の舞鶴実家跡地の全景です。

2026年9月1日火曜日

来春開園の市営舞岡しぜん墓園のこと

先日市営地下鉄で移動中に舞岡で建設中の市営墓地で新たな個別の墓地区画の公募が始まったことを知りました。私も5年前に同種の公募に応募し、日野こもれび納骨堂の1区画を確保し(30年の賃借契約です)昨年末に納骨した経験から、今度はどういう形式の墓地の公募かと、興味がそそられました。
舞岡は最寄りの地下鉄駅の港南中央駅から北に3つ目の駅ですぐ近くになります。今回は、以下のような公募内容でした。

1. 公募名:  舞岡しぜん墓園(新設)
2. 開園・使用開始時期: 令和8年度末(令和9年4月~使用開始予定)
3. 公募の狙い:  高齢化と需要増加への対応: 横浜市民の高齢化に伴う墓地需要の高まりに応えるため。多様化するお墓のニーズの受け皿: 「墓じまいの心配がないお墓を望む」「継承者がいない」「自然に近い形で眠りたい」といった市民のニーズ変化に合わせ、樹木葬や合葬式墓地など多様な形態を提供。
4. 場所: 横浜市戸塚区舞岡地区に整備中の新しい市営墓地
5. 特徴:
・自然調和型の公園墓園: 豊かな緑地や自然景観を生かした「公園型墓園」として整備。
・多様な供養形態: 従来の普通墓地に限らず、樹木葬墓地や合葬式墓地などを備え、継承問題に配慮した設計。
・安心の公営管理: 宗教不問で利用でき、横浜市が経営管理するため永続性・費用の面で安心感がある。
6. 公募墓地区画の種類: 
・芝生型納骨施設:6,000区画
・合葬式樹木型納骨施設:2区画(1,500体)
・合葬式樹林型納骨施設:1区画(1,500体)
・合同埋蔵墓(将来設置予定):1区画
7. 公募申込期間: 9月1日~9月30日(今日からでした)
8. 申込資格: 3ヶ月以上継続して横浜市内に住民登録があること、など


今回の公募は、日野こもれび納骨堂の場合よりは何倍も大規模で全体が新設墓地です。墓地区画の種類も4種と多く、昨今の市民の多様なニーズを先取りしたもののように思われます。造成開始も平成30年(1988年)で実に来年の完成まで39年の大事業だったようです。まさに自治体規模でしかできない市民インフラ工事です。
ここには日野こもれび納骨堂のような自動搬送式の大規模な納骨堂はなく、場所が近いことから互いに機能的に棲み分け、補完しているようです。
これだけ墓地区画の種類と規模が揃いいずれも30年程の有期賃貸借契約だとすると、市営墓地としての役割をこの規模で30年周期で回して運用することで果たすことになり、今後、寺の運営する民営(宗教法人)の墓地と共存していくことになるようです。
このところの日野公園墓地における日野こもれび納骨堂と今回の舞岡しぜん墓園の内容、そして郷里舞鶴で明治期来の墓地の変化、近所の寺での最近の墓地造成の様子、などをみると、これからの地域の墓事情、主な選択肢が見えてくるように思いました。
アクセスはJR戸塚駅からバス便が便利なようですが、地下鉄舞岡駅からも歩いて約20〜25分でたどり着けるそうで(シニア世代には30分コースです)、近く工事中の現地を散歩コースにして訪ねてみたいと思っています。

因みに、横浜日野こもれび納骨堂については、先月8/14,15に墓参りをした折の様子を、当ブログに以下の記事をアップしていました。

今どきの納骨堂での墓参り


また、近所の乗願寺での墓地造成の様子を、宗教法人での一事例として2026/8/21に当ブログに下記のような記事をアップしていました。

もう一つの先祖の霊の埋葬方法

2026年8月26日水曜日

句会の再編と引き継がれる五つのモットー

 7月末に昨年12月から参加している俳句句会が再編されるとの通知を受けました。現在4つの句会に参加していますが、この会は2007年に発起人5人で横浜に発足し19年目になり、私には歴史ある刺激の多い句会です。会員は米子、大阪、高松、栃木、南房総等の地方支部を含めて70人程です。この間、月1回の句会と季刊の会誌を発行し、神奈川でも個性的で活発な俳句の結社のひとつとなっています。

ところが、今回の主宰からの通知では、来年1月発行の第80号の会誌をもって会Aの活動を終了する。これまでの句会、会誌発行、ホームぺージの運用等の活動は、新しく設立する同人団体Bに移行する。このため会や会誌の名称は変わり、これまでの主宰制ではなく同人制とするため運営方法は多少変わるが基本路線は継続していく、とのことでした。直接にはAの主宰の最近の体調不良が原因ですが、他の発起人やキーパーソンの体調不良や急逝、会員の高齢化、退会などが背景にあるとのことでした。Bの代表に予定されている方はもともとAの事務局で中心的に活躍されていた方で70歳、5~6歳若返ります。私もこの方の紹介で入会した経緯があります。ここでも世代交代です。結社にはこうやって2代、3代、4代と継承されて続くケースを他にもよく耳にします。句会Aの主宰は事前に運営関係者と今後の運営について随分と相談されたそうですが、今回は後継者も育てられ引き際の良い句会Aの終結宣言だったと思います。主宰は終会後は同人Bの顧問となられ、希望があれば会の運営とは別に作句指導はされるそうです。
具体的には、Aには創設以来5つのモットーがあり、この方針のもとにこれまで運営されてきたが、今後新設のBにおいても基本的にはこのモットーが引き継がれる、とのことでした。そのモットーは以下です。 

1) 集う者それぞれの個性、多様性を尊重する.
2) 集う者それぞれの同時代的態度を尊重する
3) 集う者それぞれの濁りなき感性を尊重する
4) 集う者それぞれの淀みなき発想を尊重する
5) 集う者それぞれの楽しい空間を尊重する

このモットーの通り、句会では自由律、川柳、回文、一行詩を受け入れてきたそうです。
ついては、A会誌終刊に先立ってAからBに移行するかどうかの会員の意向をアンケート形式で回答してほしいとのことでした。
その後アンケート調査が行われ、先日の話では60人ほどがBに移行するとの回答があったそうです。Bの存立の要件を満たしたとのことで、AからBへの再編の見通しが立ったようです。主宰には、長く俳句界を変えるために全国レベルで尽力され、個性的な指導ぶりや丁寧で長文の鑑賞などで実績をあげてこられたことに心より敬意を表したいと思います。
この一連の再編の動きのなかで感心したのは、五つのモットーでした。本来なら入会時にしっかり読んで吟味し納得してから入会すべきものですが、誘われて余り読まずに入会手続きをしてしまい、実はこのモットーを見るのはこの再編のときに初見でした。ただ入会当初から紹介者からも「自由闊達な会、出句作への講評は厳しいが時間をかけて丁寧に全句を講評・添削してもらえる会、主宰のみならず参加者がお互い思うところははっきり言う会、句会後には定常的に近くで懇談会をする会、・・・」とは聞いていましたので、そういうと日頃の句会の運営は確かにこのモットーに則って行われていたな、と後付けながら納得した次第です。
それにしてもこのモットーは文面の良さもさることながら、5項目とも「 集う者それぞれの・・・を尊重する」とうたわれ、内容も会員本位であり包摂的で素晴らしい考え方と思いました。当時の俳句界に飽き足らない若手有志が発起人として結集したと聞いています。当時の結成の志と意気込みが伝わってくるようにも思えます。
このモットーにそえるように及ばずながら日頃作句に努めなければと、来年1月からの新設Bの一会員としてあらためて思ったところでした。 

 因みに、Aの句会参加については、2026年1月に当ブログに下記のような記事をアップしていました

新しい句会での新年句会と神奈川宿


これまで19年間句会(A)会場となった横浜市幸ヶ谷集会場
横浜駅北口北東方向に歩いて15分程の広場の一角にあります。

2026年8月22日土曜日

親父譲りのフェルト帽と舞鶴での同窓会

立秋が過ぎてもまだ35℃を超す猛暑日が続く今年の夏です。
この夏には、ついつい親父譲りの夏向きのフェルト生地のフェドラ帽を、涼し気なところに惹かれよく使いました。舞鶴の実家を整理する際に、親父が使っていた様々な形の10個ほどの帽子を横浜に持ち帰りました。しばらくは余り使うこともなかったのですが、年齢もあってか、最近は、帰省や墓参り、法事など親族の行事、舞鶴や関東での中高の同窓会などには機会をみて敢えて使うようにしています。写真奥のべージュの帽子には内側に「59.5」と墨で書かれ1959年5月に購入したようです。舞鶴の実家では新調した物についてはすぐに購入日付と名前、住所を大き目に書く習慣がありました。置き忘れた時の紛失の予防です。67年経つわけですが(2/3世紀です)作りもしっかりしていてまだまだ使えそうです。フェルトは羊毛、ラビットなどの獣毛を縮絨させた不繊布、麻やストローなどの編地を指し、フェドラは頭頂部(クラウン)の前後に走る中央のくぼみが特徴の中折れ形の帽子を指すそうです。しばらくは途中でうっかり亡失しないようにして、先代からの遺品として大事に使いたいと思っています。
話が少々変わりますが、8/21には出身高校の同期の同窓会を舞鶴で行うとの電話連絡がありました。
10/21マーレで計画している18期の同窓会の案内ハガキが宛先不在で返ってきているが、出欠を知らせてほしい、とのことでした。慌てて確認したところ、旧住所(港南区笹下)に送られていて不在となったようでした。すぐに出席と返答しました。これまでの同窓会などの連絡ではこのようなことはなく、経緯を聞くと、どうも長く名簿管理をしてくれていた幹事が急逝し、パソコン内の名簿ファイルの最新版が見つからず引継ぎができなかったようでした。80歳近くにもなるとこんなことも十分に起こりうるので常々大事なモノ/コトは複数人で共有しておく必要があるな、とあらためて思った次第です。この同窓会にも、親父譲りの帽子をかぶって参加しようと考えているところです。


フェルト生地を使ったフェドラ帽。
生地はまだまだしっかりしています。今夏には左側のアイボリの帽子をよく使いました。頭頂部が中折れ形でなく平らで丸くなるとカンカン帽と言われます。フェドラは仏国の芝居の名前だそうで主演の女性が初めて使った帽子の型に由来しているとか。

2026年8月21日金曜日

もう一つの先祖の霊の埋葬方法

 8/16には、近くの港南桜道沿いにある乗願寺の墓地で従来型の個別葬(墓石式)と新しい合葬(樹木葬や納骨堂)の中間のような、密集型の墓石式個別葬を見かけました。最近、金沢文庫に住む知人から、この新しいタイプの墓を建てた、との話を耳にしました。海が見渡せるとのこと。そこでこの乗願寺(正式には真宗高田派本山専修寺 横浜別院 乗願寺です)にも数年前に新しいタイプの墓地が造られていたことを思い出し、散歩の途中に再訪してみた次第です。
ここの墓地には大きく4種類あり、25cm角または25×50cm、深さ70cm程の縦長の石の筒(カロート)に骨壺を棚に積んで埋葬するタイプ(タイプ2、タイプ1)です。上に小さな石の墓碑銘(プレート)を置きます。檀家には、いずれのタイプもお墓の維持管理のための草刈りや掃除などの手間はかからないようです。寺からすると、狭い墓地に多くの檀家の墓石を置くことができます。先に知人から聞いたのはどうやらこのタイプの墓だったようです。聞いた話とつじつまが合います。
また、従来の墓石に近い墓を高さ70cm程の台の上にコンパクトに詰めて置くタイプ(タイプ4)もあります。こちらも隣とは密着していて草の生えるスペースはありません。
今どきの埋葬に関する日本人の考え方や維持管理の簡素化などのニーズの変化に合わせて、寺側でも 、限られた土地の収容効率を上げて多くの墓石を置きたいという考えのもとに色々と工夫されているな、と感じます。埋葬法のバリエーションの多さには驚きます。因みに、法律では「埋葬」は土葬を意味し、骨壺の収納は「埋蔵」というそうです。昨年末の墓仕舞いを通して知りました。
この日は、6,800歩コースでした。

関連して、2026年1月に金澤七福神を巡った折に、金沢文庫赤井の正法院をお参りした際にもこのような密集型の墓地をみかけ当ブログに下記のような記事をアップしていました。正法院でも乗願寺と同く、山腹にある墓地に高密度化の工夫がされています。そういえば正法院からも海(平潟湾)が見えました。

地元の七福神巡りその3

25×50x70cmの個別墓(タイプ1)。後のタイプ2に比べるとゆったりと墓石が納められています。内部のカロートでは骨壺が縦の棚に収納されます。

25x25x70cmの個別墓(タイプ2)。高さ70㎝程の台の上に○○家と刻まれた墓石(プレート)が置かれます。中央奥にも別の二階式で縦型のタイプのお墓が置かれています(タイプ3)。

従来型の墓石が並びますが高さ70㎝程の台に置かれます(タイプ4)。

普及版なのでしょうか、ここではこのタイプ2が最多です。右奥は利用者が決まっていない空き区画です。「○○家」と刻んだ墓碑銘の墓石にはその下に小さく戒名が刻印されることもあります。
タイプ4も縦型、横型と様々です。墓石の横や下に埋葬の履歴を記した墓誌が置かれたり、墓石に「○○家」のほかに「和」、「笑」、「夢」などの故人に相応しい言葉が刻まれたりしています。高さがあるので骨壺の出し入れも簡単にできるようです。

2026年8月16日日曜日

今どきの納骨堂での墓参り

 8/14,15と日野こもれび納骨堂でお盆のお墓参りをしました。昨年末に郷里の舞鶴で墓仕舞いをし、回収した遺骨を分骨して半分を4代続く菩提寺の得月寺の永代供養墓に合葬し(改装になります)、後半分の遺骨は横浜港南区にある市営の横浜日野こもれび納骨堂の納骨ケース(厨子(ずし)といいます)に 納骨しました 。 いわゆる「改葬と分骨」というタイプの墓仕舞いでした。
今年のお盆は、この納骨堂に  納骨して初めてのお盆になりました。自宅から歩いて15分程のところにあります。
当日、思ったほどには混んではなく、まず受付でこの納骨堂の厨子の30年間の賃貸借に関する契約時に受け取る参拝カードを提示します(タッチ式です)。すると参拝棟でお参りする場所(参拝ブース)が指定されます。ここでは2つの参拝棟あわせて30ブース程あります。いわば30組の参拝者が同時に参拝できます。因みにこの納骨堂は地下に6,500基の厨子が収納される自動搬送式の納骨堂です。ブースが決まると焼香セットが渡されます。それを持って指定されたブースに行き、焼香しお参りをします。事前にブースの正面には、自家の厨子が自動搬送され置かれています。参拝が終わると終了ボタンを押すと扉が閉じて厨子が元の位置に搬送されます。帰りには焼香セットを受付に戻して終了です。因みに焼香セットは電池式で据え付けのろうそくも電池式です。火を使わないのは防火対策の一環でしょうか。
横浜市には4つの市営墓地がありますが、墓地内にできた納骨堂はここが初めてで、応募推移をみて他の市営墓地にも広げていくそうです。1年程前に確認したところでは既に6,500基のうち8割近くが契約済みだそうです。一定数ごとに半年毎に公募し抽選で決まります。
これから都市部では従来からの墓石式の墓地の拡大、維持・管理が難しいことから、このような合葬式の墓地が増えることになるのかも知れません。これまでの無期の賃借契約(墓地永代使用権です)の戸建住宅から定期賃借契約の集合住宅への変化のようなものです。
この日は、6,800歩コースでした。


この日野こもれび納骨堂は一般の墓石墓地(横浜市日野公園墓地)の中に建てられています。墓石式の墓地エリアと隣接しています。

参拝ブース。この参拝棟には15ブースあります。

個別の参拝ブース。画像を一部加工しています。手前の箱が焼香セットです。

参拝ブースその2。別の参拝棟でこちらも15ブース程あります。

納骨堂内に樹木葬の区域があります。中央の木はハナミズキでした。自動搬送式の納骨とは別種の契約になります。また、逗子の30年の賃貸借期間が終わると基本的には遺骨がこの樹木葬に移されます(厨子賃借の再契約もできますが)。
横浜日野こもれび納骨堂の全景。洋光台の高台にあります。

2026年8月15日土曜日

綿の花とコットンボールそして風船葛

今年も玄関先では棉の木4株を育てていますが、 8/14時点で40個程の白い花が開花しています。好天時に交配すると紅色に変わり1〜2日で花弁は落ちますが、そのあとに丸い小さなコットンボールができ日に日に大きくなっています。これから1週間程かけて直径3㎝程までになりやがてボールが割れて白い綿(綿花)が現れます。他にも黄色の花、黄色の綿花を付ける品種もあるようです。ここ4年続けて植えています。ここしばらくはコットンボールの成長が楽しみです。
また、並んで植えている風鈴葛(ふうりんかずら)も順調に茎を張り、風鈴を30個ほどつけています。ここ3年続けていますが、今年が一番多く咲いています。裏庭にも植えたのですが、陽当りこちらの方が良いせいか、裏庭でも30個ほどの風鈴を付けています。風に涼し気な光景を楽しめます。
庭先の葉山椒も、青虫の被害後に逞しく再生し、ほぼ元の葉の茂りに戻っています。


玄関先の棉の木のコットンボール。いまで直径2㎝です。収穫時には3cm程になります。

受粉直後に花弁が白から紅変します。1〜2日で花弁は落下し雌しべがコットンボールとして成長します。

綿の花。受粉前は真っ白です。
葉山椒も青虫被害から再生し、ほぼ元の葉の茂りに戻りました。少しずつ収獲しています。

玄関先の風船葛


裏庭の風船葛も元気です。

玄関先の風船葛はグリーンカーテンらしくはなっています。一部の風船は褐色に変わりつつあります。中には黒に白のハートマークがついた種子が5個ほどつきます。このため英語名はHeart Seedsです。

2026年8月14日金曜日

暑気払いと大井町トラックスーそのコンセプトなどー

8/12には、以前の職場の仲間で暑気払いを大井町で楽しんできました。会場が、この3月末にJR東日本が大規模な再開発をしてできたばかりの大井町トラックス内のスペイン料理店「リザラン((LIZARRAN)」でした。男女子供7人が久々に気軽に集まり、懐かしい話、今の職場の話、小学校の話題・ゲーム、職場仲間の消息など、美味しいお酒と料理を合わせての愉しい会でした。いま小学校4年生で流行っているクイズも教えてもらいました。短期的な記憶力が試されました。認知症のチェックには良さそうです。
私には折角の機会かと思い、少し早めに出かけて施設内をさっと散策してきました。興味があったのは、この時期にこの場所で、このようにかなり力の入った大規模開発をする経緯とコンセプトでした。
現地で見聞きする中で幾分かは断片的にわかってきました。もともと歴史的にはJR東日本の鉄道車両整備拠点、社宅であり、直近までは暫定的に劇団四季の劇場やスポーツ施設として利用されていた場所でした。これまでは線路の東側の庶民的な繁華街に比べて目立たない地区でした。
大井町トラックスは、JR東日本が品川〜大井町エリアを「都市生活のイノベーション拠点」として再編する戦略の一環として誕生したとのこと。ホテル・オフィス・商業・住宅・広場を備えた新しい都市生活を共創する拠点として、歴史的な“線路=TRACKS”の記憶を継承しつつ、新たな交流・回遊・防災・ゼロカーボンを軸にした未来型まちづくりが狙いだそうです。
「駅を中心とした都市生活の新しい価値を共創する拠点」という考えは、これからの人口減少社会におけるコンパクトシティ化、防災機能の強化などの課題に鉄道会社として布石を打ったようにも思いました。
さらに、JR東日本としては、大井町周辺をもう少し広く考えているようです。浜松町〜大井町を 「広域品川圏」 と捉えて、これからの羽田空港の国際化に備えたゲートウェイ機能、リニア中央新幹線開業を見据えた駅舎新設と周辺の都市再編を推進する、また近年増える防災拠点とする、とのこと。さらにはここをも核にして南東京の都市競争力を強化しようとも考えているとか。なかなか壮大な構想に感心しました。
ここがオープンした2026年3月28日には、同日に2つ駅先の高輪ゲートウェイ駅周辺の高輪ゲートウェイシティの町並みも全面開業し、「広域品川圏」が本格始動したとのこと。
また、近く開始する品川区新庁舎の建設と連携し、行政・地域・企業が協働する「一体的なまちづくり」をも目指しているそうです。
一巡する中で、いろいろと考えられた広域の先行投資型で、またテナント店を回りながらも随所になかなか力の入った再開発と感じました。とくに、大正期の車両工場・線路の記憶を名称に込め、鉄道文化をまちのアイデンティティとして再構築しようとしているところ、CO₂排出量を一般ビル比で約50%削減しようとしている点には感心しました。
いつも気になることですが、この大井町 トラックスの想定する商圏内の在来商店への影響です。確実にかなりの商店は大きな影響を受けると思われますが、大井町駅東口の古い繁華街(旧市街でしょうか、昭和世代には格好です)とは、同西口の新しい繁華街としてなんとかうまく棲み分けて両方が持続してほしいものです。我々利用者もできれば両方に行くようにしなければなりません。
この日は、8,500歩コースでした。

地上23階建てのビジネスタワー。
都内最大級の無柱オフィス(基準階約5,000㎡)を備えたオフィスフロアが6~最上階に含まれます。低層階にはTOHOシネマズも入り都内初の高品質音響のドルビーシネマ機能をを備えているとか。

ステーションパーク。
左奥が商業施設。1〜5階に約81店舗が入ります。JR東日本系のアトレが運営しアトレ初のアウトモール型だそうです。5km圏を商圏とし、地域住民と広域来街者の両方を取り込む戦略だとか。この日の暑気払い会場もこの商業施設の4階でした。


トラックスパークのウッドテラス。右奥手前が23階のビジネスタワーでその奥が26階のホテル・レジデンスタワー。後者にはメトロポリタンホテル(6~13階)、賃貸住宅(18~25階)、長期滞在向けのサービスレジデンス(15~17階)法人登記可能なSOHO 20戸、クリニック、スパ・サウナなどが入ります。手前がトラックスパークで広域避難場所にもなる芝生広場。ここでは帰宅困難者約3,000人を受け入れ可能で 72時間の備蓄を確保し、 広場を避難場所として開放するとのこと。昨今の災害動向から、これは十分に起こりえることです。またホテル・レジデンスタワーの最上階にはルーフトップバーが入ります。「鉄道旅」をテーマとした内装で レストランやバーはもちろん「トレインビュー」の客室もあり、眼下に現行の山手線車両基地を眺めながら過ごすことができるとか。

ステーションパーク。この施設の表玄関になります。左側前後に東急大井町線が走り手前に行くとJR/東急大井町駅に直結します。なかなか便利なモールです。これもJR東日本ならではでしょうか。右奥の背景はホテル・レジデンスタワーです。

2026年8月10日月曜日

路上のアブラゼミとクマゼミ

 8/9には、最寄りのバス停に行く途中で歩道に仰向けに最期を迎えたアブラゼミを見かけました。よく7年間土中で成長し地上で鳴くのは7日間、と言われます。地上でも子孫を残すとこのように生涯を終えるそうです。例年この時期によく見かける光景ですが、今年はいつもよりアブラゼミの声を聞くことが少なかったように感じます。
先日も報道で知りましたが、近年都市部でのアブラゼミは減少傾向にあり、暑さに強いクマゼミの勢力圏が拡大しつつあるそうです。 (詳しくは(注)参照)
故郷の舞鶴で子供の頃にはアブラゼミに比べてクマゼミは珍しく、希少な存在でした。クマゼミは体格もよく黒っぽい透明の羽で、なんとなく風格を感じ、子供ながらに獲るのが憧れでした。林の中でよく通る鳴き声を聞くといつも虫取網の届かないはるか高いところに悠々ととまっている「高嶺の蝉」でもありました。たまに獲れた時には子供仲間でも自慢のタネだったように覚えています。
虫の世界でも近年の天候や人間の生活スタイルの変化などの影響で勢力図が変わってきているようです。アブラゼミからみると虫騒がせで、はた迷惑な話かもしれません。
また、最近頻繁に人里に出没する山中の大動物の世界だけでなく小さな蝉の世界でも、と思えてくるのも世相でしょうか。
そこで、一句、
昼下がり仰向けの蝉空を抱く
ひとり蝉仰向けのまま風を聴く

属するインターネット句会で俳句仲間の六川さんの句が写真にはピッタシで引用させていただきます。

油蝉搾り出してるはみがき粉


役割を終えたアブラゼミの最期。真っ白い腹が印象的です。

(注)今年の関東でアブラゼミが少なく感じられる背景について(関連HPの記事を引用・編集)

関東の都市部でアブラゼミが少なく感じられるのは、都市部で続いている長期的な減少傾向の延長線上にある現象で、2026年の関東でも同様の傾向が確認されています。主な原因は 都市の乾燥・高温化(ヒートアイランド化)とクマゼミの分布拡大による勢力図の変化です。

・アブラゼミが減っている理由(関東の都市部)
1. 都市の乾燥化
アブラゼミの幼虫は湿った土壌を好みますが、都市部ではアスファルト化で雨水が浸透しない公園の土壌が踏み固められ乾燥するこれにより幼虫が生育しにくくなり、都市部での減少が顕著になっています。
2. 猛暑・ヒートアイランド化
アブラゼミは極端な高温に強くなく、真夏の日中は鳴き止む性質があります。近年の都市部の高温化は、アブラゼミにとって過酷な環境となり、個体数減少の要因になっています。
3. 人工光による夜間活動の乱れ
東京都・神奈川県の調査では、都市部のアブラゼミが夜間にも鳴き続ける例が確認されています。
これは人工光による体内時計の乱れで、繁殖行動に影響している可能性があります。

・クマゼミによる主役交代の理由
1. 関東でのクマゼミ増加推移
ウェザーニュースのここ10年のデータでは、神奈川:+8.6% 東京:+5.9% 千葉:+5.5% 茨城:+4.1%と、クマゼミの存在感が着実に増加しています。
2. 植栽移動による幼虫の移動繁殖
クマゼミは自力で移動できるのは半径約1.2km程度で広範囲を移動できません。しかし街路樹の移植の際に、根に付いた幼虫が一緒に運ばれることで分布が急拡大したと考えられています。
3. 都市環境への適応力の高さ
クマゼミの幼虫は体が大きく力が強いため、硬い・乾燥した地面でも地上に出られ都市環境に適応しやすい、という特性があります。

2026年8月9日日曜日

舞鶴実家跡の活用の開始 その4

 8/8の舞鶴の実家跡地のマンション建設現場の様子が姉から届きました。
早いもので一階部分の基礎ができており間取りがうかがえます。
一筋隣(三条通り)の友人が先代から相続し売却した敷地にも10年ほど前にマンションが建ちました。もともと先代が歯医者でした。この近辺には、町のコンパクト化もあってか、マンションや、観光客のほかに近くの火力/原子力発電所の定期保守の関係者が多く長期で利用するホテルが増えています。
元々八島商店街を中心とした商業区域でしたが、駅前の住宅区域に様変わりしそうです。


マンション建設現場の右側。正面奥は三条通り沿いの京都銀行東舞鶴支店です。
現場の敷地の前を左右に四条通りが走ります。

同中央
同左側。建物の左側(南側)の隣地との境界地に何か地下埋設設備を設置するのでしょうか。数m掘られています。

2026年8月6日木曜日

クリガニのカニ汁

 8/6には、孫の付き合いで目黒に出かけ、やや疲れて帰りに寄った寿司店(目黒駅ビル内の「寿司 活」でした)で、たまたま「大きいクリガニのカニ汁」を店内のメニュー短冊に見かけました。この季節のクリガニについつい惹かれて注文してしまいました。今年3月にも陸奥湾のクリガニを珍しく大船で見かけ自宅で美味しくいただいたばかりでした。春が旬と聞いていましたが真夏はどんな味なのか興味がわき、半分衝動買いでした。
なかなか濃厚なカニミソの味のする味噌汁で、春と同様に堪能しました。関東でよく見かけるワタリガニのカニ汁よりも一段濃厚な旨味の残る汁です。サイズはひと回り小さいですが。

2026年3月に大船の魚店で見かけ、試食した時の様子を当ブログの下記の記事にアップしていました。

陸奥湾のトゲクリガニを試食



クリガニのカニ汁。なかなか濃厚な旨味のカニ汁です。

2026年8月4日火曜日

今どきのパソコン用TVチューナー -4代目の調達-

 先日7/28には、パソコン用USB接続テレビチューナーを新機種に交換しました。パソコン(PC)でテレビ(TV)を視るためにPCのUSB端子に接続する簡易なTV信号変換器です。ここ20年程、居間とは別に自分の書斎でもTVを視たり留守中に録画したりするために利用し重宝してきました。思い返すとこの機種で4代目になります。1~2代目ではTV電波をアンテナから直接受信するアンテナロッドタイプでした。3~4代目は屋内同軸ケーブル経由で受信します。
この機種交換でも、世相の変化を感じることが幾つかありました。
まずは、USB接続TVチューナーの製品機種が減ったことです。最寄りの量販店のヨドバシカメラ上大岡店で探しましたが、一見では見あたらず店員に聞くと、今ではUSB接続TVチューナーの製品が減って、製品コーナーはないとのこと。また、在庫がないか探してもらったところ紹介されたのがPIXELA社(大阪の会社で安心しました)のXit-Square100(Xit-SQR100)でした。奥から出してきてこれしか在庫がないとのこと。一代前の機種を買うときにはこの店舗で4~5機種は並ぶ陳列コーナーがありました。背景には、TVを視るユーザが減っているとのこと。視る場合にも多くはインターネットのTV配信サイト(NHK One やTVerなど)から視ることが多くなり、外付けのチューナーは使わなくなったそうです。一時はPCにTVチューナーが内臓されていることも多かったですがそれも今は軽装化され殆ど見られないようです。そのためこれまでの主要なベンダであったI-O DATAやBuffaloも製品供給から撤退したとか。先代はI-O DATAのGV-MVP/AZでした。確かに最近は電波による放送メディアがオールドメディアと言われSNS配信に比べてその内容の深さと多様性が問われています。また、主な放送番組はインターネット経由でも同時配信または後刻聴き逃し配信されるため、放送波を直接に視る機会は減っています。ただ私には、これまで馴染んだ、定期的で、精粗混交の程よい、必要最小限の一般的な社会・世相情報として、新聞とともに、利用を続けたいメディアです。しばらくはSNSとの併用でしょうか。
いま一つは、録画・再生機能の豊富さです。ユーザの録画履歴を反映したおすすめ録画番組の提示、スキップ再生やAIを使った要約再生、録画映像の自在な編集など、新機能のオンパレードです。また、録画品質も5レベルのオプションから選べ、再生する映像の品質を問わない長時間録画(中位のHSタイプ)を選ぶと例えば現用の1.7TBの外付けハードディスクでは1,000時間程の録画ができるようになり、当面容量を気にせず録画できそうです。また、周期的に録画番組を指定するおまかせ録画の予約方法でもユーザニーズに合わせて細かに指定できまた柔軟性が高くなっています。望むらくは、スマホからも遠隔で録画、再生ができればさらに便利ですが、この機能は別の機種になるとのこと。二代目ではこれができましたが。

当初設定に戸惑いましたがなんとか基本的には機能するようになり(製造元への問合せに迅速に対応してもらいました)、これからいろいろと新機能も試してみようと思うところです。


四代目パソコン用USB接続テレビチューナー Xit-Square100。右上からTV信号が同軸ケーブルで入ります。先代よりコンパクトで軽量です。

先代の三代目のGV-MVP/AZ。8年程使いましたが次第に録画動作が不安定になってきたため新機種に切り替えることにしました。長くお世話になりました。

2026年8月1日土曜日

横浜プチパン展2026夏

 7/31には恒例の第9回横浜プチパン展(7/21~8/1)を関内の仲通りギャラリーで観てきました。今年は水彩画が集められ白い同じサイズのフレームにして100作品が展示されていました。夏場の開催、ということもあるのでしょうか。
毎年夏と冬にここで開催され、審査なしでプロ・アマ問わず小作品を出品できる、自主性の高い個性のある作品のオープンでカジュアルな、ある意味でビジネスライクな公募展です。(注)
猛暑の中でしたが久々に個性的な作品を楽しめましたし、大いに参考になりました。
ここではリーズナブルな価格表示がされ販売されます。この日は最終日1日前だったこともあり、殆どの作品には販売済の赤マークが貼られていました。
この日は、4,500歩コースでした。ジムで不足分を補充です。
因みに、昨年2025年7月にもここのプチパン展を訪ねて、当ブログに下記のような記事をアップしていました。

横浜プチパン展@2025年盛夏



一色先生の「ヨコハマブルー・汽車道」。動きと光のある海の表現に感心しました。

成澤氏の「海月」(くらげ)も印象的でした。

白い同一フレームの展示風景から

村杉氏の「夏が来た!」も気になりました。

同上
案内カンバンから

手前を東西に走る仲通りからみたプチパン展会場の仲通りギャラリー。右奥に行くと日本郵船記念館、その奥は横浜港の大桟橋のちょっと左側に出ます。私は勝手に「海辺のギャラリー」と呼んでいます。

(注)プチパン展について (ギャラリー内での説明から引用)
プチパン展とは、仏語のpetit プチ(小さい)と公募展のアンデパンダン展(プロ・アマ問わず作品を受け入れる無審査の公募展、アンデパンダンは独立的の意)のパンとを組み合わせた展覧会名です。
同じ大きさのフレームに水性画材を用いたそれぞれの個性豊かな作品をお楽しみください。
今回も100名の皆さまにご出品いただき、心から感謝申し上げます。

2026年7月29日水曜日

北上産の米「ひとめぼれ」

 7/28には岩手県北上市横川目の義弟から米「ひとめぼれ」を30Kgの米袋(中には紙の1俵袋に半分詰められています)でいただきました。毎年この時期のおいしい産直の米を頂戴し感謝するばかりです。北上の水と親族の手による産物をしっかりと味わいたいと思っています。 


今年いただいた米「ひとめぼれ」。重いです。

箱の中はずっしりと一俵袋です。

因みに。2023年4月には北上の景勝地 北上展勝地の桜並木などを訪ねた時の記事を当ブログに下記の通りアップしていました。

岩手 北上展勝地



舞鶴実家跡の活用の開始 その5

 郷里舞鶴四条にあった実家跡地の活用事例として、8/27時点での5階建マンション建設の様子が姉から届きました。この地区の変化に繋がりビジネスとしてもうまく回ってほしいという思いから、他所事ながら気になり様子見を続けています。 前回(その4、下記) 地下の基礎工事段階で林立していた...