2026年10月24日土曜日

三渓園藤棚下の投句箱のことー仲秋の三渓園再訪ー

日付が少々前後しますが、 10/16には、三渓園俳句大会に応募するために三渓園を再訪しました。今年は10/19が投句締切とされ、三渓園の風物を詠んだ俳句を園内の投句箱に投函することとなっています。子供から大人まで応募可能で小中学生の作品を表彰する部門もあります。(注1)
私が三渓園を訪れるようになって10年程たちますが、当初から園入口近くの大池の傍にある藤棚の下に置かれた鳥の巣箱のような木製の投句箱が気になっていました。なかなか風流な企画だなと印象に残っていました。
それから年月を経て、3年前から俳句を始め色々と経緯があって昨年暮れにたまたま横浜俳話会に入会することになりました。その事業内容の中に三渓園俳句大会の協賛が入っており因縁を感じたところでした。聞くと、俳句大会の裏方として募集から審査、表彰まで大会運営を主体的に行っており、多くの会員がボランティアで運営に協力しているとのこと。ポスターにも「協賛 横浜俳話会」と入っています。
こんなこともあって、私は直接運営に係る立場ではありませんが、今年から俳句大会に応募することにした次第です。今回は三渓園に係る拙句4句を投函してみました。まだまだ出来栄えに自信はありませんが、投句したからには結果を楽しみにしています。
帰路、折角でしたので、仲秋の三渓園を一巡してきました。紅葉にはまだ早く、雁、鴨などの渡り鳥は大池に幾つか辿り着いている、といった時期でした。
この日は、9,500歩コースでした。

ところで話は変わりますが、コロナ禍の中で2021年8月から始めたこの散歩ブログが、この記事で800件目の投稿になりました。始めて6年3か月経ちますが月13件ペースでなんとかこれまで続いたことに自分ながら驚いています。ブログの取材や撮影が出かける動機にもなり間接的に健康の維持には良さそうです。もうしばらくは気儘に続けてみようかと思っています。

(注1)三渓園俳句大会について
応募要領は下記の三渓園のホームページに公表されています。

https://www.sankeien.or.jp/contest/#haiku

(注2)横浜俳話会について
下記に関連する記事を先日2026年10月19日に当ブログにアップしていました。

横浜俳話会の俳句大会


《 三渓園俳句大会の投句函と大会会場の鶴翔閣 》

三渓園俳句大会の投句箱。大池側の藤棚の下にあります。専用の投句用紙も備えられています。通常郵送やネット経由など複数の投句の方法が提供されますが、この大会ではこの投句箱からのみになります。ここで詠んだ句をここに投函するという吟行や席題で詠む伝統的な方法が維持されています。
外苑の大池畔の高浜虚子句碑。「鴨の觜(はし)よりたらたらと春の泥」と刻まれています。昭和8年(1933年)3月にここで詠んだ句とのこと。虚子は三渓園の鶴翔閣でよく句会を開いていたそうです。

鶴翔閣。元所有者の生糸商人原三渓の居住宅でした。
毎年2月には観梅俳句大会の会場になります。


《 仲秋の三渓園あれこれ 》

横笛庵。茶室です。
路傍の小さなナンキンハゼも紅葉がはじまっています。
大池に注ぐ渓流です
大規模修繕中の旧矢箆原家住宅(やのはらけ)。再来年末まで工事が続きます。原三渓が白川郷の生れだったこともあって白川郷から移築されています。

ノコンギク(野紺菊、野菊)

10月末からの菊花展の準備が進んでいます。10/31~11/23に写真右側の小屋やテントで行われます。

修繕中の旧矢箆原家住宅その2_全景。屋根の茅葺が終わったようです。


大池に浮かぶ巴舟(ともえぶね)

睡蓮池の傍のドウダンツツジ。これから紅葉が始まる段階です。 

修繕中の旧矢箆原家住宅その3_門柱から

外苑の三渓園天満宮
路端のツワブキも満開です。

大池側の湿地の半夏生(はんげしょう)。6月に葉のつけ根半分が化粧をしたように白くなります。2024年7月14日には三渓園の半夏生を観て以下のような記事を当ブログにアップしていました。

半夏生の季節


臨春閣入口

内苑の御門

臨春閣本邸(右)。中央奥が聴秋閣、左が亭樹。

内苑の臨春閣遠景

白雲邸。原三渓の隠居所として夫人とともに暮らした数寄屋風建築とのこと。

旧燈明寺三重塔と大池。留鳥のアオサギの他にチラホラと渡ってきた冬鳥を見かけます。

2026年10月22日木曜日

東舞鶴湾 前島の散車ー前島埠頭の変化?ー

 10/22の朝には、40年ほど前に東舞鶴湾岸を埋立てでできた前島を宿泊ホテルの自転車で一巡してきました。いつもの「散車」コースです。
前島の埠頭東岸には新日本海フェリーが運営する小樽-舞鶴便のフェリーポート、埠頭内部では一般市民向けの保育園、野球場、テニスコートなどが整備されています。
今回感じたのは、この前島が、本来の埠頭としても機能しているように見えました。これまで余り見かけなかった幾つかの貨物船や浚渫船などの工事船舶が北岸と西岸に接岸し、埠頭内でも荷揚げや積み替え作業が行われています。
港での物流の中継や港湾工事業務の一環としての埠頭ビジネスでも前島のさらなる活況ぶりも見たいところです。同時に市民に人気の釣り場としての利用ははもちろん続いてほしいところですが。
今回の帰省では、ホテルはビジネス客、観光客ともに活況のようで、私が延泊を予約しようとしても満室というケースをいくつか目の当たりにしました。結構なことと思いました。

因みに、昨年2025年10月末にもここを訪ねた時の記事を、当ブログに以下のようにアップしていました。

秋の舞鶴帰省と墓じまい

この日は、5,800歩コースでした。



前島埠頭西岸に接岸中の浚渫船(しゅんせつ)

自衛隊の艦船の湾内での停泊数もこのところ確実に増えています。今回の滞在中にはたまたま主要艦船は揃って出航中で不在でした。これまではこのように沖合に停泊することはなかったですが、埠頭の接岸場所の不足でしょうか、徐々に沖合停泊が増えてきました。

浚渫船の横ではゆったりと釣客も。エサはヌカとオキアミで、狙いは「なんでも」とのこと。ヌカというとついボラ釣りを思い浮かべます。沖合の艦艇の奥に見えるのはJMU(ジャパンマリーンユナイテッド)の舞鶴事業所です。10年ほど前からJMUは造船からは撤退し艦船修理や陸上機械の製造を担うと聞いていますが、昨今の国の造船力強化で変わるかもしれません。造船事業の復活を願うところです。

前島の南側にある入口から寺川越しに見た東舞鶴湾岸

東舞鶴湾の遊覧船。背景は海上自衛隊教育隊の建物です。
2025年12月には、この遊覧船で舞鶴東港のクルージングをあらためて経験し当ブログに下記のような記事をアップしていました。

東舞鶴の見所スポット半日巡り


2026年10月21日水曜日

最後の中学同期会と帰省あれこれ

 10/21には、傘寿1年前、卒業64周年の舞鶴市立白糸中学校37期卒業生同期会が郷里の舞鶴で行われ参加してきました。
参加は49名でした。我々は終戦直後の昭和22年(1947年)生まれで、出生児が急増したベビーブーマと呼ばれ、いわゆる団塊世代初年の年代でした。1学年12クラス、50名程/クラスでしたから600名/学年のうちまだ元気な8%が参加したことになります。
会場は東舞鶴湾岸沿いのホテル ベル・マーレでした。この同期会はここ3回ほど10年ごとに開催しています。いくつになっても懐かしい仲間との再会の連続でした。
聞くと、80歳直前になり、皆持病をいくつか抱えながらも元気なうちにしたいこと、すべきことをしておきたいといった心境の面々だったように思いました。10年ぶりの再会で、はじめは面識もあやふやですが、会の終わり頃には今とかつての面影が段々と繋がり納得してスムースに話ができるようにモードが変わります。これがいずれの同窓会でも見られる、開始時点と終了時点で大きなギャップを感じる独特の雰囲気の変化のように思っています。
この参加人数であればでしょうが、全員がクラスごとに演壇に上がり一人一人が短くしゃべる/聞くこともでき、また余興として長年の熟練者による尺八やサックスの演奏もあり、で盛り沢山で和やかな会でした。
同窓会のスピーチの中で、学校名にある「白糸」の由緒について、「この近くでは昔ソーメンが多く生産されていたことから「白糸」の名前が、白糸濱神社、白糸中学校、(今はありませんが)海軍御用達の料亭「白糸」などに使われた」、という説をあたらめて紹介してもらいました。
一次会のあとも近くにある、同世代の経営する馴染みのスナックで二次会を楽しみ(久々に誘われて「青春時代」を歌いました)、雨の中名残惜しみながら散会しました。
同窓会の前には会場近くにある現在の母校の中学校校舎やその前にある地域の氏神さんの白糸濱神社にも立ち寄りました。中学校では丁度授業中で一巡できました。建屋は大きく変わりましたが、校舎入口に置かれた学校のモットー「常に新たに」を刻んだ石碑は変わりません。校庭はもっと広かったというイメージが残っていますが、昔思った以上に今は小さく見えるということはよくあることです。
この日は、6,800歩コースでした。

《 最後の中学同期会・母校と周辺の様子から 》


右奥の高いビルが同期会会場のホテル ベル・マーレ。東舞鶴湾岸にあります。正面奥が東舞鶴湾で山並みのさらに奥が若狭湾です。

会場カンバンから

会場正面から

前島から寺川越しに見た東舞鶴湾岸。右奥の高いビルが会場のホテル ベル・マーレです。東舞鶴で規模の大きな同窓会というと大体ここが会場になります。湾岸の高いビルはいずれもホテルでこのところ経営は好調だとか。

現在の母校 白糸中学校の正門から。正面の「常に新らし」の石碑は変わりません。

ネットの中の校庭もよく整備されていました。

校舎正面から

中学校前にある地域の氏神さまの白糸濱神社。街中にも多くの幟をみかけ例大祭の直前のようでした。中学生の頃には、この右側に奉納相撲のための屋根付きの土俵がありました。

例大祭の幟から。幾人かの友人も幟を寄進していました。

白糸中学校と白糸濱神社の前を流れる与保呂川。校歌にも登場します。海沿いから撮影。正面奥の橋は万代橋で、アーチ橋としては古いそうです。この川の上流には舞鶴市内、農業用水や船舶への給水に使われる水の貯水池「与保呂の水源地」があります。明治初期の海軍の軍港選定時に探索し見つけたそうです。このお陰で舞鶴では断水騒ぎは殆ど聞きません。
因みに、与保呂の水源地については、2024年4月に観桜に訪ねており、当ブログにも下記のような記事をアップしていました。

「与保呂の水源地」での祇園しだれ桜



《 先祖の墓参りから 》


昨年12月に改葬してこちらの永代供養墓に納骨しました。

墓近くの杉の苔から

墓地のある愛宕山の中腹から東舞鶴市街と背景の青葉山(この地域の最高峰です)。この時には雲海ができていました。青葉山の奥は若狭湾になります。


《 四条の実家跡地の建築現場から 》


実家跡地には、土地の買主によって5階建マンションが建設中です。

工事現場全景。四条通りから。

現場前から奥の東舞鶴港。手前は左右に走る八島通りにある八島商店街のアーケードです。前後が四条通りです。


《 東舞鶴駅前から 》


京都からの直通バスの終点 JR東舞鶴駅前に新しいカンバンが置かれていました。文字の左側には錨もデザインされています。観光客向けでしょうか。明治期の古い赤レンガ倉庫がいくつも残る舞鶴赤レンガパークにも同じような看板がありました。因みに、2023年4月に舞鶴赤レンガパークを訪ねたときの様子を、当ブログに下記のような記事にしてアップしていました。

舞鶴の散歩道



《 帰省往路から 》


京都駅構内の関西風うどん店「麵屋」。帰省時にはいつもここで腹ごしらえと関西モードへの切り替えをしてきました。最近烏丸正面改札口近くに移転し少し便利になりました。

朝うどん定食です。おにぎりも京風でしょうか。うどんは昆布ダシで油揚げも関西風に大型です。

京都駅前にある京都タワーのこれまでの命名権者が変わったのでしょうか。タワー中段にあった法人名の大きな表示が消えていました。最近報道を賑わわせており、様々事情はあるにしろ残念なことです。

2026年10月19日月曜日

舞鶴実家跡の活用の開始 その9

郷里舞鶴での実家跡地でのマンション建設が進んでいます。10/13と10/19時点の工事現場の様子を撮影した写真が届きました。
10/13には、二階の間取り工事が進行中のようです。一階は内装工事も始まっているのでしょうか。
 10/19には、工事用の薄いシートが四方につるされています。工事用具や塗料の周囲への飛散、景観の悪化を防ぐためなのか、風雨などの外からの影響を防止するためなのでしょうか。近く帰省した時にも立ち寄って聞いてみたいと思っています。
もうしばらくフォロウしたいと思っています。

 

,〈 10月13日の様子 》


二階の間取り工事が進行中です。

 《 10月19日の様子 》

周囲にシートが張られています。

三渓園藤棚下の投句箱のことー仲秋の三渓園再訪ー

日付が少々前後しますが、 10/16には、三渓園俳句大会に応募するために三渓園を再訪しました。今年は10/19が投句締切とされ、三渓園の風物を詠んだ俳句を園内の投句箱に投函することとなっています。子供から大人まで応募可能で小中学生の作品を表彰する部門もあります。(注1) 私が三渓...