2026年6月30日火曜日

「夏越の大祓」に初めて参加

6/30には、「夏越の大祓(なごしのおおはらえ)」(水無月祓(みなずきはらえ)とも言われます)に、近くの永谷天満宮で初めて参加し、茅の輪くぐり(ちのわ)を含めて一連の神事を身近に体験してきました。神官による丁寧な解説と資料付きでいわばそのフルコースでした。1年の半分が過ぎて、上半期の罪や穢れ(けがれ)を祓い清め一年の後半を人々が清浄な心身で清々しく過ごすことを祈願する神事だそうです。これまで後日に報道で見聞きしながら、実際に参加したいものだと長く思ってきました。

この日16時から全国の神社で行われている神社としては重要な神事で、皇室も皇居にある神社で行うそうです。大祓は年に2回半年ごとに行われます。もう一回は「年越の大祓(としこしのおおはらえ)」と呼ばれ、年末大晦日の午後に下半期の穢れを清め、新たな気持ちで新年を迎えるための神事として行われます。初詣の時に神社の境内で見る茅の輪は、年越の大祓の新年での有効利用でしょうか。
永谷天満宮は、横浜市営地下鉄上永谷駅から歩いて10分程のところにある古い神社で、三体しかない菅原道真公自刻の自像の一つを祀ります。地元の初詣では人気のスポットのひとつです。背後には、街並に囲まれそう広くはありませんが鎮守の森(天神山)があり、熊笹の中で紫陽花や百合の花が楽しめます。
この日、15時過ぎから受付が始まり、氏子衆を含めて300人ほどが境内に集まります。受付では①「大祓式次第」を印刷した紙、②個人のお祓いに使う切麻(きりぬさ)と人形(ひとがた)の入った半紙を折った袋、③大祓詞(おおはらえことば)を印刷した紙、④夏越の大祓についての由緒、茅の輪くぐりの意味とくぐり方を書いた「夏越の大祓について」の紙、⑤茅の輪のミニチュアの「茅の輪守り」、などが授与されます。多くの氏子会の皆さんが協力されているようです。茅の輪造りにも茅の採取から備え付けまで氏子会の有志が協力されたそうです。
16時から神事が始まり、以下のような式次第の通り進められます(資料①より)。

一、斎主招神祝詞(かみおぎののりと)
   神主が祝詞奏上する間、軽く頭をお下げ下さい。
一、献饌(けんせん)
 神主が神様にお供え物をおすすめ致します。
一、大祓詞(おおはらへことば)を奏上
 神主に合わせて皆様で奏上下さい。参列者全員が大祓詞(資料③)を読み上げます。
一、切麻を取りて祓う
 切麻で、ご自身の身体を「左、右、左」とお清め下さい。切麻とは、白い紙を5㎜角に切った紙片と1㎝程に切った藁をさします(②の紙袋)。
一、人形を取りて祓う
 人形(人の形に切った半紙)でご自身の身体を頭から足にかけてなで、最後に息を吹きかけます。人形は再度半紙にお包み下さい(②の紙袋)。
一、人形を集め、唐櫃に納める
 神主が皆様の人形を集めますので、最前列の方に人形を包んだ半紙をお回し下さい。
一、大麻(おおぬさ)で祓う
 神主が大麻でお祓いしますので、頭をお下げ下さい。
一、玉串を奉りて拝礼
一、徹饌(てっせん)
 お供え物をお下げいたします。
一、斎主送神祝詞(かみあげののりと)
   神主が祝詞奏上する間、軽く頭をお下げ下さい。 
一、茅の輪くぐり
 資料④に従って神主に引き続き、茅の輪をくぐります。くぐったあとは拝殿に上がりお参拝ください。

梅雨晴間の強い西日の中で1時間ほどかかる祭事でしたが、終って振る舞われる西瓜を有難く頂戴して身体を冷やし、今年も1年の真中に来たことを感じながら、気持ちだけは清々しい思いで帰路についた次第です。
この日は、少な目で5,800歩コースでした。
因みに、2023年6月にもここと隣の貞昌院の紫陽花を訪ねて、下記のような記事を当ブログにアップしていました。

地元永谷天満宮と貞昌院の紫陽花



茅の輪(ちのわ)。これをくぐり8の字状に一回半
回ります。 氏子会の方々が駅近くの空き地から
茅の葉を採取して茅の輪に造り上げたそうです。
境内の小屋では神楽も演奏、舞われます。

申込みの時に授与される品々。中央は
「茅の輪守り」です。他は式次第や
大祓詞などです。

神楽の演奏と獅子舞。保存会の方々です。
撮影、SNS掲載の了解を得ました。

左の階段上に本殿があります。中央奥が
お供え物を備えた祭壇です。

神様へのお供えと祭壇。左下は参加者の人形を
集めて納めた唐櫃です。まとめて奉納されます。
神主のリードで茅の輪くぐりが始まります。

茅の輪くぐり。神主が先導し40~50人の
グループに分けて進められます。

階段上の本殿での参拝

本殿全景

神様へのお供え物と祭壇

茅の輪の横下には刈り取ったままの茅の葉の
束が積まれています。 

参拝客には冷えたスイカが振る舞われます。

帰りの境内で姫岩垂草(ヒメイワダレソウ)を
見かけました。

大祓式次第(資料①)

夏越の大祓について(資料④)。
茅の輪くぐりの由縁や手順が詳細に
書かれています。決まった和歌などを
口ずさんでくぐることが推奨されて
います。

大祓詞(おおはらえことば)
その1_前半(資料③から)

大祓詞その2_後半 (資料③から)

2026年6月26日金曜日

目黒の庭園美術館

6/23午後には、目黒の自然教育園を 一巡した後に、すぐ隣にある東京都庭園美術館にも立ち寄りました。
この日は来週に開催予定の陶芸の美術展の準備のため美術館には入れないとのことでしたが、庭園だけでもと拝観することにしました。といいましても65歳以上には入場料はかかりません。最近都立の施設はそういうところが多いようです。
ここは昭和8年(1933)に朝香宮家の自邸として建てられました。その後、終戦の昭和22年(1947)に朝香宮家は皇籍から離脱され、ここを離れられたそうです。昭和58年(1983)に美術館として開館しています。1910〜1930年に欧州で広がったフランスのアール・デコの装飾様式(注)を採り入れた日本の皇室建築でもユニークな建物とのこと。近代の皇室の変遷を見るようでもあり、その結果として本館は美術館として生まれ変わり庭園も西洋庭園、日本庭園、芝庭として公開されました。

確かに、隣の自然教育園とは好対照で、自然のままをありのまま残す地区とここのようにしっかりと手入れ、管理された庭園が隣接するのも、これまた一興といったところです。庭園には多くの種類の四季の花木が植栽されています。
ここは大分前2018年2月にも一度訪ねていて、本館のスケッチを残していました(参考)。
隣りの自然教育園の素朴な野草と合わせて、季節ごとに庭木と野草を訪ねてみたいコンパクトなスポットです。


ヒペリカム(小坊主弟切:コボウズオトウトギリ)。
花とは別に赤い実を付けます。

立派な黒松も
入口の西洋庭園のオブジェ。休息をイメージ
しているように思えます。これもアール・
デコ流(注)なのでしょうか。

新館(ギャラリー棟)。本館の奥に繋がって
います。左手前も仏国彫刻家による犬の
作品です。

日本庭園内にある茶室「光華」にて。
床の間の掛け軸の書は「和敬清寂」です。
茶道の根本精神だとか。

日本庭園

本館(旧朝香宮邸)側面から。左隣に新館が
繋がっています。後に増築されたのでしょうか。

本館前の中国風の狛犬雌。子供
同伴です。

中国風の狛犬雄。しっかりと睨みを
効かしています。和洋中の折衷で、
いわば日本文化の典型です。

本館正面から

東京都庭園美術館正門

(参考)20180224にもここを訪ねていました。
当時も本館の建物に惹かれたようです。
 
(注)アール・デコについて(パンフレットから引用)
1910〜1930年にフランスを中心に欧州を席巻した工芸・建築・絵画・ファッションなど広い分野に波及した装飾様式の総称。直線と立体の知的な構成と幾何学的な模様が特徴とされる。

2026年6月25日木曜日

目黒の自然教育園

 6/23には、午前中にある会社の株主総会に出席した後、目黒の街中にある国立科学博物館附属自然教育園(注)に立ち寄りました。
以前に近くの五反田に通っていた頃、ここでハンゲショウ(半夏生。半化粧、片白草とも)などのこの時期の野草が多くみられると聞いて、半信半疑でここを訪ね、 確かに大都市ながらも自然な環境が残され多くの野草が自生しているのを見て驚いた記憶がありました。
前回訪ねたのは10数年前のことでしたが、最近では道端の野草にも人手の入らない自然さに惹かれはじめたこともあり、たまたま、この梅雨時にここの今はどうなっているだろうかと思い起こし、この日午後に立ち寄ってみた次第です。
栽培に手を入れない園の面影はそのままで、自然のままの植生が残されていました。逆に目当の野草を探すのも、観客が自分でありそうなところを特定し探し回りますので、苦労します。
今回、資料ではじめて知りましたが、ここの敷地内の全てが1949年に天然記念物及び史跡に指定されているそうです。いまも大部分が非公開地域で、人の影響をできるだけ排除して、自然の生態系を丸ごと保存し、都会の森林がどのように変化しているかを見守っているとのこと。よく見かける大学付属の植物園や野草園などとはまた主旨が異なるようです。
時期をみて、季節の野草を観にまた訪ねようと思います。園内の「路傍植物園」などは私には格好です。
ここで、一句、

自然園水辺をともす半夏生
木漏れ日を集めて白し半夏生


ノカンゾウ(ユウスゲ(夕菅)とも呼ばれます)。
一日で咲き終わり翌朝には別の花を咲かせます。

チダケサシ(茅茸刺)も

湿地にはコウホネ(河骨)も見かけました。
黄色い椀形の花の開花には少々早かった
ようです。

ねじれて今頃花を付けるネジバナもやっと
見つけました。

シオカラトンボも

ひめがま。園内ではきめ細かく
植物名がこのように表示されています。

イヌヌマトラノオ

カヤキリ(クビキリギス)もひと休みのようです。

目当てのひとつのハンゲショウ
(半夏生、半化粧)  もなんとか
見つかりました。確かに人手が
入った様子はありません。
クロアゲハも水辺で幾つか見かけました。

ひょうたん池。ここも手入れがされていない
様子です。緑の映り込みが独特です。
ミソハギ(盆花)。私には懐かしい野草です。
管理棟で見かけたツミの剥製。ツミは散歩中にも
バードウォッチングで人気の対象としてよく耳に
します(先日も町田の薬師池近くで見かけました)。
日本で見られる猛禽類の中で最も小型のタカで、
都市部でも見られる身近な猛禽だそうです。
ここにもいるのでしょうか。この日もここの
池の傍で鳥見族を見かけました。

教育管理棟と入口

(注)国立科学博物館附属自然教育園について(関連HPから引用・編集)

目黒駅(品川区・港区の境界近く)から徒歩圏内にある「国立科学博物館附属自然教育園」は、大都市・東京の真ん中にありながら、奇跡的に手つかずの豊かな生態系が残されている場所です。


1. 自然教育園の歴史

この土地が今日まで豊かな自然を保てたのは、数百年にわたり一般の立ち入りが制限され、開発から守られてきた歴史があるためです。

  • 室町時代(豪族の館):

    「白金長者」と呼ばれた豪族 太田新六郎がこの地に館を構えたと伝えられており、現在も園内にその当時の「土塁(どるい)」の跡が残っています。

  • 江戸時代(大名屋敷):

    水戸黄門(徳川光圀)の兄にあたる、高松藩主・松平頼重の下屋敷(別邸)となりました。

  • 明治〜大正時代(軍の施設から御料地へ):

    明治時代には陸海軍の「火薬庫」となり、一般人の立入りが厳しく制限されました。
    大正時代(1917年)には宮内省の管轄となり、「白金御料地(皇室の所有地)」となりました。

  • 戦後〜現在(天然記念物・史跡へ):

    1949年(昭和24年)に、歴史的・学術的な価値の高さから、敷地全体が国の「天然記念物及び史跡」に指定され、一般公開が始まりました。1962年からは国立科学博物館の附属施設となっています。
    戦後には、住民の中心としてここの保存について高速道路やホテルの建設計画と調整することもありました。結果として、高速道路はここを回避して曲がり、ホテル建設は中止になりました。


2. 自然教育園の特徴

一般的な「きれいに手入れされた庭園や植物園」とは異なり、「自然のありのままの姿(生態系)を保存・展示する野外博物館」である点が最大の特徴です。

①武蔵野の面影を残す「奇跡の森」

都心の喧騒から切り離された約20ヘクタール(東京ドーム約4個分)の敷地には、かつての武蔵野の里山を思わせる落葉広葉樹の森、湿地、池などが広がっています。

②豊かな生物相

園内では、約1,470種の植物、約2,130種の昆虫、約130種の鳥類が記録されています。

③「変化」もそのまま観察する独自の管理

自然教育園では、あえて過度な手入れをせず、植物が自然に移り変わっていく「植生遷移(せんい)」をそのまま見せる工夫がされています。大正時代には針葉樹(モミやマツ)が中心だった森が、時代の変化とともに現在は落葉広葉樹中心の森へと自然に移り変わっており、それ自体が貴重な研究対象となっています。


隣接する「東京都庭園美術館」が美しく整えられた人工美の庭園であるのに対し、自然教育園は「ありのままの自然美」を体感できる場所として、絶妙なコントラストを成しています。都会のオアシスとして散策や森林浴、自然観察にぴったりのスポットです。

2026年6月24日水曜日

今年も棉の木と風船かずら

梅雨空の中、小さな玄関花壇で今年も幾つか芽吹き始めています。
6/21での棉(わた)の木、風船かずら、葉山椒、実山椒、南天、紫陽花などです。棉と風船かずらは昨年収獲した種子から育ち、葉山椒、実山椒は園芸店で苗木を買い求め、南天、紫陽花は頂き物です。
いまは梅雨を受けて日に日に伸びる時期ですが、これからは今年も猛暑だそうで、枯らさないよう十分な水やりと台風の風雨と潮除け(ここは海から潮気の雨粒が飛んできます)には気を付けようと思っています。
どう育ってくれるか楽しみです。葉山椒は収穫しはじめ葉を手の平にのせてたたいて香りを引き出して食卓で利用し始めました。手でたたくのは関西風だそうで強い香りが出ます。

棉の木。写真上には数株の風船かずらも。
秋には1m程にも育ちます。
梅雨に濡れる風船かずらの新芽。夏には
2m程のグリーンカーテンになります。
葉山椒と紫陽花。葉山椒は一枝獲り両手で
たたいて香りを引き出します。

数年前に舞鶴の姉からいただいた南天の
苗木です。
 

2026年6月23日火曜日

目黒で手打ちうどんと誕生八幡神社

 6/23には赤坂見付からの帰路目黒で乗り換える際に、先日来気になっていた目黒駅前東側の目黒通り沿いにある小さなうどん店「こんぴら茶屋」に初めて立ち寄りました。関東では手打ちうどん専門の古い店は少ないですから。
20名程の店内は満席で4~5人の待ち行列ができていて、注文は待っているうちに渡された注文リストから事前にオーダーします。今回は、まずは店の味をと思い「かけうどん」にしました。
コシのしっかりした手打ちの太麺で、ツユは薄口で昆布ダシ(出汁)のようです。量質ともになかなかの一品でした。値段もリーゾナブルで(690円)、関東風でも関西風でもない独自のメニューのように思いましたが、名前からは讃岐うどんの流れかもしれません。
昭和58年(1983)から43年営業されているそうで、こういう店には、必要なら値上げしてでもしっかりと頑張ってほしいと思います。
この店の道路向いが、丁度、太田道灌ゆかりの「誕生八幡神社」でした。どうもこの地には室町時代から地元の太田家が豪族として在住していたようです。 後の20260526の本ブログでの下記のような自然教育園の訪問記事の(注)記にも太田家が登場します。

目黒の自然教育園

この日は、赤坂見付や目黒での移動などを含めて15,400歩コースでした。

こんぴら茶屋のかけうどん

□金は店名の「こんぴら」からきてるようです。
駅からは右の大きな看板が目立ちます。

隣席の若者は幟の「牛かれ~つけ麺」を
注文していました。ちょっと変わった
メニューですが若年層向けのメニュー
なのでしょうか。

《余談ですが》

こんぴら茶屋の目黒通り真向いには「誕生八幡
神社」があります。創建は室町時代と伝えられ、
太田道灌が妻の安産を願って福岡県の宇美八幡宮
から八幡神の分霊を勧請したのが始まりとか。
祈願の甲斐あり無事に嫡男が誕生したため「誕生
八幡神社」と呼ばれるそうです。その後色々と
変遷があり、今は社務所の上に本殿がのる珍しい
造りになっています。近年の急な都市開発の
厳しい影響が想像されます。

「夏越の大祓」に初めて参加

6/30には、「夏越の大祓(なごしのおおはらえ)」(水無月祓(みなずきはらえ)とも言われます)に、近くの永谷天満宮で初めて参加し、茅の輪くぐり(ちのわ)を含めて一連の神事を身近に体験してきました。神官による丁寧な解説と資料付きでいわばそのフルコースでした。1年の半分が過ぎて、上半...