2026年5月18日月曜日

山下公園周辺での世界トライアスロン横浜大会

ワールドトライアスロン・パラトライアスロンシリーズ横浜大会(通称:世界トライアスロン横浜大会)が5/16~17に山下公園周辺で開催されており、5/16の山下公園での吟行会でたまたま遭遇しました。余り見ることのない種目ですので、吟行のかたわらその様子を覗いてきました。
10時頃東急みなとみらい線の元町・中華街駅から山下公園に入ると、途中からブルーのビニールシートで仕切られた通路が長く続いており、一般客は自由に移動できません。海岸に出るのも大回りすることになります。これが、世界トライアスロン横浜大会のランコース(10Km,2.5Km×4周)とバイクコース(40Km,4Kmx10周)の設定でした。競技中に一般歩行者を入れないためのものです。海ではスイムコース(1.5Km,0.7KmX2周)が何槽もの小型船やドローンで監視されています。トライアスロンでは、スイム⇒バイク⇒ランの順に競技が進みます。
この日1030頃にわれわれ吟行仲間が公園に入るとオープニングで放水船が放水を始めたところで、氷川丸の奥に見えました。中に入ると、海岸では数十人で泳いでいるのが見えます。これがトライアスロンのスイム競技中の選手たちでした。
大会での競技は、幾つかグループがあり、この日0630からエリートパラトライアスロン競技から始まり、1015からエリート女子競技、1300からエリート男子競技、1500からエリート/エリートパラ競技表彰式と続きます。翌日5/17には、エイジグループパラトライアスロン競技、スタンダード競技、スプリント競技、表彰式が行われ終了します。

一般客は 途中のワンカットしか見れませんが、男女を問わず、立派な体格のアスリートが前を走ったり、バイクをこいで猛スピードで駆け抜けていきます。想像するに、水泳で上半身を鍛え、バイクで下半身を鍛え、ランで持久力を鍛える、何拍子もそろった屈強の選手(アイアンマン)をめぐる競技なのだと感心ばかりでした。また、長い競技コースの出入りを管理する必要があり、多くのボランティアの方々が協力しているのがわかります。
調べてみると、 トライアスロン競技の起源には、現在の近代的なスポーツとして確立された「ハワイでの誕生」説と、それより半世紀以上前にフランスで行われていた「前身とされる3種競技レース」説の2つの歴史があるようです(注)。その後米国で人気が高まり2000年のシドニーオリンピックから正式種目に20年余りの短期間でなったとか。
ここで、一句、

海風やバイクで抜けるアスリート
若葉風放水柱出迎える

疾走中のバイク。山下公園通りです。

一団となってスイム競技中の選手。背景は
大桟橋です。
万国橋近くのバイク競技の折り返し点

ランコース。ここを4周します。
スイムからバイクへの着替え、乗換え場所
園にはバイク競技用の自転車の販売店のテントが
並びます。マウンテンバイクに似た車体で欧州
メーカが強いそうです。

薬物使用の注意喚起も。確かに、薬物の効果が
成績と直結しやすい競技のように思えます。
 

実況中継も

公園入口からは、オープニングセレモニー
での放水柱が見えました。右手前は係留中の
氷川丸の煙突です。

(注)トライアスロン競技の起源について(関連HPから引用・編集)
『ハワイでの「言い争い」から誕生した』説では、以下の通りです。
現在世界中で行われているトライアスロンの直接的なルーツは、1978年に米国ハワイ州で開催されたレースです。
そのきっかけは、あるユニークな「言い争い」でした。「どのスポーツの選手が一番タフか?」と1977年ハワイで行われた長距離走の表彰式の席で、アメリカ海軍の将校(ジョン・コリンズ中佐ら)と地元のランナーたちが議論を始めました。
「水泳選手、自転車選手、ランナーのどれが最強か?」という結論の出ない議論に対し、コリンズ中佐が「それなら、ハワイで開催されている3つの過酷なレースを全部続けてやって、1番になった奴を『アイアンマン(鉄人)』と呼ぼう!」と提案したのです。
翌1978年2月18日、オアフ島で最初の大会が開催されました。組み合わせたのは以下の3レースです。
1. ワイキキ・ラフウォーター・スイム(水泳:3.86km)
2. アラウンド・オアフ・バイクレース(自転車:180.2km)
3. ホノルルマラソン(マラソン:42.195km)
このタフなレースに挑戦したのはわずか15人。そのうち12人が見事に完走し、初代「アイアンマン」の称号を手にしました。これが、現在のアイアンマンディスタンス(ロングディスタンス)の起源です。
その後、オリンピック競技へと進化します。
ハワイで産声を上げたトライアスロンは、1980年代に入ると米国を中心に爆発的なブームを巻き起こします。あまりに過酷なロングだけでなく、より多くの人が参加しやすいように距離を短縮した「オリンピックディスタンス(スタンダードディスタンス)」が考案されました。
各種目での距離はアイアンマンディスタンス(ハワイ起源)からオリンピックディスタンス に以下の通りに大幅に短縮されました。
・スイム(水泳)3.8 km から1.5 km に短縮
・バイク(自転車)180 km から40 kmに短縮
・ラン(長距離走)42.195 kmから10 kmに短縮
このスタンダードな距離が制定されたことで競技人口はさらに拡大し、誕生からわずか22年という異例のスピードで、2000年のシドニーオリンピックから正式種目として採用されることになりました。

山下公園で蕎麦屋談義吟行会

5/16には、属する俳句の会の蕎麦屋談義吟行会が山下公園であり、初めて参加してきました。
参加者は13人で男女半々の気楽な俳句仲間です。いつもは横浜市中区の幸ヶ谷集会場で月1回行われる定例の句会を今月は吟行スタイルで屋外の山下公園で行います。しかも昼食を兼ねて句会をするのが地の蕎麦屋を原則としたことから「蕎麦屋談義吟行会」と言ってきたとか。なにやら風流な名前です。この句会はもう15年続く会ですが、主宰によると、作句での即興性を大事にすることから発足当時から半年に1回くらいでいろんな評判の蕎麦屋を巡ってきたそうです。
この日の山下公園では、たまたま「ワールドトライアスロン・パラトライアスロンシリーズ横浜大会」(通称:世界トライアスロン横浜大会)が5/16~17にここ周辺で開催されており、いつもの山下公園とはまるで違う「トライアスロンデー」の山下公園でした。吟行では詠み方は基本的に「嘱目」ですので、このことも俳句に詠まれます。)が5/16~17にここ周辺で開催されており、いつもの山下公園とはまるで違う「トライアスロンデー」の山下公園でした。吟行での詠み方は基本的に「嘱目」ですので、トライアスロンのことも俳句に詠まれます。

この句会での出句(この日は4句)候補は下記の通りでした。

海風やバイクで抜けるアスリート
水塔の白き煉瓦や夏来る
シーバスも連休疲れ風薄暑
若葉風放水柱出迎える
海風や句帳のページさぐりをり
白薔薇やアーチの奥の海の塔

吟行の嘱目では、見えるものに目移りするので、できるだけ焦点を絞って詠むのがコツだとか。
この日は、16,000歩コースでした。


白薔薇越しの氷川丸。国際大会開催中も
あってか珍しく万国旗が掲げられています。
サンジエゴ市との姉妹都市提携を記念して
1960年に建てられた水の守護神像。
メキシコの原住民色、アジア色も含まれて
おり、同じ像がサンジエゴ市にもあるそうです。



マリーンタワーもこの日は句材です。



薔薇アーチも立派な句材です。

万国橋の屋形船。背景は市の総合庁舎です。



吟行の当初予定ではシーバスに乗ってここに
着く予定でしたが大会でこの日は運休でした。

白薔薇アーチ。この日は満開でした。

世界トライアスロン横浜大会の開催初日で、
園内はランコース、バイクコースが縦横に
青いシートや幟で設定され、一般客は自由に
移動できません。丁度オープニングで放水柱が
上がっていました。

吟行会場の全景。右側が横浜港で、奥が
みなとみらい21(MM21)地区です。
吟行後の昼食会と句会の会場となった
馬車道の蕎麦前「新田」さん。手打ち
そばと天ぷらは格別でした。


2026年5月17日日曜日

イギリス館のバラ園

5/16には、蕎麦談義句会のあとに、少し足を伸ばして、山下公園に隣接する港の見える丘公園の「横浜市イギリス館」(通称 イギリス館)に立ち寄りました。
ここの前庭にあるバラ園は、イギリス館を背景に英国風バラ園が楽しめるスポットです。イギリス館は、1937年(昭和12年)に英国総領事公邸として建てられた建物で、現在は横浜市の指定有形文化財に指定され、委託された保存団体によって管理されています。
この日は、日向のバラはやや見頃を過ぎ、日影のが丁度の頃でした。この地でのバラも終盤です。
この日は、9,000歩コースでした。



 


丸い紫の花が印象的です。アリウム・
ギガンチウムというそうです。


この時期よく見るツリガネソウ。風鈴草とも
呼ぶそうです


港の見える丘公園に行く途中にある
人形の家前の歩道橋の赤い靴少女像
 

 
イギリス館の前庭です。元の英国総領事公邸
とのこと
日影のバラが丁度見頃でした。
背景はイギリス館正面です。

2026年5月13日水曜日

伊豆長岡温泉での敬老「研修」旅行会

5/11には、地元の笹下連合町内会主催の敬老研修日帰り旅行会が伊豆長岡温泉のホテル天坊であり、初めて参加してきました。参加者120名超(地元の南台町内会からは8名)、バス3台の久々の大団体旅行です。町内会関係では、春が連合町内会で、秋はそれぞれの町内会単独で親睦の日帰り旅行を企画しています。昨年春のこの旅行会は茨城の九十九里浜を訪ね好評だったそうです。
はじめは、長寿会メンバの高齢者に何の「研修」をするのかな、と思いながら参加しましたが、段々とその意味がわかってきました。
それは、往路のバスの中で、主催する町内会長からの冒頭のあいさつの後に、まず横浜市消費生活総合センターの方が現れ挨拶と最近の詐欺被害の状況を話され、次にSNSを使った詐欺や高齢者を狙った悪徳商法に注意喚起するDVDが幾つか流れます。どうもこれが「研修」の意味だったようで時節柄納得した次第です。町内会長さんの話では、市からの補助申請をする要件としてこういった研修が推奨されているそうです。
それからは、普通の親睦旅行で、ホテルで昼食をとった後、町内会順にカラオケ大会が始まります。途中、温泉につかりたい人は席を離れて入浴したり散策したりします。私は入浴組でした。長岡温泉は癖のないアルカリ性単純泉で、新緑の中の露天風呂や足湯を楽しみました。
3時間弱ホテルに滞在した後は、ホテルの傍に最近できた辛子明太子のテーマパーク「めんたいパーク伊豆」を訪ね、明太子の製造工場の一部を見学しました。もともと博多で製造していた「かねふく」さんが、最近では需要地近くに工場を造られているそうで、関東では埼玉、茨城、そしてここ静岡県伊豆にあるそうです。私には明太子の製造プロセスを見るのは初めてでした。勿論直売もします。ケース売りは結構高価で手が出ず、かなり大き目の「できたて明太子おにぎり」を550円で仕入れ、そこで食べましたが、なるほど出来立ての明太子らしくなかなかの食感で美味しくいただきました。
これで長岡温泉郷を離れ、その後、伊豆縦貫道、箱根新道に出て小田原で高速を降りて、「鈴廣かまぼこの里」に寄ります。ここでも鈴廣かまぼこ博物館を訪ね、蒲鉾の歴史や製造工程を見学します。ここも直販店があり様々な蒲鉾製品を購入できます。ここでは、大相撲で呼び出しの背中に「鈴廣」と書かれる経緯を知ることもありました。
町内会長さんによると、帰りの二か所の見学も高齢者の社会科見学のようなもので、これらも「研修」だそうです。
今回の旅行会を通して、元気な高齢者を集めて温泉旅行といいながらも、最近も頻発する詐欺事件の予防策のDVD視聴や高齢者好みの食材の工場見学と、よく考えられた今流の敬老「研修」旅行会かもしれない、と感じたところでした。一方で、伊豆長岡といえば源頼朝と政子が出会った歴史的なスポットで歴史ある寺社も多いのですが、今回は上記のようにそれどころではなくバタバタとして見過ごしたのが残念でした。
この日は、9,000歩コースでした。

因みに、2023年11月には、地元の南台町内会のバス旅行で静岡の掛川城などを訪ねて、その様子を下記のような記事にして当ブログにアップしていました。

町内会バス旅行ー掛川城と掛川花鳥園ー

また、2025年3月には、同じく南台町内会で横須賀巡りして、下記の記事を当ブログにアップしていました。

町内会の横須賀巡り

《かねふく「めんたいパーク伊豆」》


辛子明太子の製造工程から。一昼夜塩漬けに
された半製品です。塩漬けでプリプリ感が
出るとか。原料のスケソウダラは主に日本海、
オホーツク海、ベーリング海、アラスカ湾の
200〜300mの中層で獲れるそうです。
 
よごれをとって形を整え製品になります。

塩漬け中に回転して攪拌するための機械だ
そうです。
  
長岡温泉郷の高速出口にある かねふく
「めんたいパーク」。関東工場の一つだそうです。


《鈴廣かまぼこ博物館》

鈴廣かまぼこ博物館に隣接する鈴廣かまぼこ
工場(奥)と手作り教室(手前)。
全国各地の蒲鉾と原料となる魚品種
蒲鉾製造には水と塩が大事だそうです。

鈴廣の八代目当主鈴木昭三の叔父が第十九代
横綱常陸山で大相撲の普及や両国の国技館建設
に貢献されたそうです。その縁で「鈴廣」の
入った着物が今も土俵の呼び出しに使われて
いるそうです。皇室とも関係があったとか。

小田原郊外の鈴廣かまぼこ博物館

2026年5月10日日曜日

桜木の切り株のこと

 5/4には、たまに散歩でお会いする同年配の方と自宅前の港南桜道の両脇に植えられていた桜の木の話を桜の切り株の前でしました。
桜道の桜について少し振り返ると以下のようになります。
はじめに港南桜道に初代のソメイヨシノ(染井吉野)が植えられたのは、1933年(昭和8年)ですから、93年経ちます。
植樹の背景には、鎌倉街道から日野公園墓地へと続く参道として、地域の方々が中心となって苗木を植えたのが始まりです。その後成長し全長約1.4kmにわたる見事な桜並木は、淡いピンク色のトンネルとして戦前から戦後にかけて長く地域の花見の名所として親しまれてきました。
その後、植樹から80年以上が経過して老木となり、倒木の危険や根上がりによる道路の凹凸、バスルートの開設に伴い横に張る枝が運行の邪魔になる、などが問題となりました。いろいろ検討の結果、2017年(平成29年)頃から本格的な植え替えが始まりました。選ばれたのが現在の二代目の「陽光(ヨウコウ)」桜で、病気に強く、鮮やかなピンク色が特徴で、ソメイヨシノより1週間ほど早咲きの品種です。苗木が年々育ち、はじめは頼りなかったですが10年で結構それらしく並木となってきています。
今も初代のソメイヨシノの切り株は多く残っており、切ってから10年程たちますが、そのひとつが写真のようになっています。
写真の株も直径70〜80㎝で中心の半分以上が空洞になっています。他の株も同様で、桜の木も樹齢80年を過ぎるとこんなになっていたのか、こんなになるまで長く役目を果たして大往生ですね、などとその方と当時の桜のトンネルの話や花見の時には屋台の列が出た話などで、懐かしみました。80年で脳や骨が空洞化するのは人間も同じかもしれない、とも・・・。
最近、桜の木が花見中に倒れるという事故が起こっていますが、そこでもこのような空洞化が起こっているように思われます。ここでも10株ほどはまだ切られず健在ですが、要注意です。

因みに、港南桜道の桜並木については、今年2026年3月にも下記のような記事を当ブログにアップしていました。

自宅前でも開花ー陽光桜ー


10年ほど前の世代交代で切り倒された
ソメイヨシノの切り株です。半分以上が
空洞になっています。当時の樹齢は
84年くらいと推測されます。南台小
の前にて。

山下公園の春バラ

 5/9には、山下公園のバラ園に出かけました。160品種1900株が植えられているそうで、見応えのあるパワースポットのひとつです。しかも海沿いにあり、横浜の港風景を背景に開放的なところも魅力です。もう一つのバラの見所というと横浜イングリッシュガーデンがあり英国式庭園を演出していますが、閉空間でこことは対照的です。横浜は開港後、西洋バラが日本へ広まる入口の一つだったとされ、長く市民に親しまれてきた歴史があります。1989年(平成元年)に市民の声によって市の花に制定されたそうです。また、山下公園は関東大震災で出た瓦礫で埋め立てられた場所で、当時持ち込まれたバラを惜しんでここに植えられたのが始まりという話もあります。1930年にできた日本初の臨海公園だとか。
この日は、丁度満開になり始めたばかりのタイミングで見頃でした。好天もあり鑑賞客の1/4は外国人でした。また新調したZ30の初撮りの場所にもなりました。
この日は、7,500歩コースでした。




係留中の氷川丸と。戦中戦後には客船、
貨客船、病院船でした。


マリーンタワーと




背景はサンディエゴ友好の鐘。戦後間もない
1957年(昭和32年に姉妹都市となっています。

  


サンディエゴ友好の鐘と氷川丸。これだけは
Z30で撮影しています。

山下公園周辺での世界トライアスロン横浜大会

ワールドトライアスロン・パラトライアスロンシリーズ横浜大会(通称:世界トライアスロン横浜大会)が5/16~17に山下公園周辺で開催されており、5/16の山下公園での吟行会でたまたま遭遇しました。余り見ることのない種目ですので、吟行のかたわらその様子を覗いてきました。 10時頃東急...