2026年10月4日日曜日

映画「わたしのかあさん」

 10/3には関係する社会福祉法人と金沢区が主催する映画会に参加し「わたしのかあさん―天使の詩―」を観てきました。なかなか感動的でありながら、考えさせられる映画でした(注)。会場の金沢区公民館講堂に定員200人、多分実際にはそれ以上が集まりました。
派手な映画ではありませんが、「障がい者を理解しましょう」という一方向の啓蒙映画でもなく、家族、親子、障がい者、偏見、福祉について静かに考えさせられる作品でした。特に、主人公高子の年齢を重ねてから見ると、子供の頃の「親を子どもの立場から「恥ずかしい存在」として評価していた時期」と年月を経るにつれて母親を見る目が変わり「親の人生そのものを理解できるようになった時期」への変化と戸惑いが、自然に表現されていました。この誰にもある戸惑いを理解しながらも、しかし障がい者と健常者の共生を声高に言うのではなく、当たり前のこととして社会・企業・コミュニティで受け入れ、定着させることの意味を、山田監督が、ご自身で障がい者の娘を育てた経験からも、訴えているようにも思えました。作中の小杉医師(高子の母親の主治医)が戸迷う高子に言う「障がい児としてこの世に生を受けるかどうかは「神の御業」なのであって、どうすることもできない。このことは、世間では、容易に理解し難いことなのでしょうが、自然に受け入れることが大事ではないか」というセリフからもうかがえるように思いました。
こういったことを含め、最近は高齢の当事者としても「こども、成人、老人、障がい者が共生する」社会福祉のことを考える機会も段々と増えてきました。
この日は、7,700歩コースでした。


映画「わたしのかあさん―天使の詩―」のチラシから

(注)映画 『わたしのかあさん ―天使の詩―』の概要とあらすじ
2024年3月30日に公開された日本映画です。監督は山田火砂子、主演は寺島しのぶと常盤貴子。児童福祉文化賞を受賞した菊地澄子の児童文学『わたしの母さん』が原作です。現代プロダクション提供。
あらすじ
主人公の山川高子は、現在は障がい者支援施設の園長として働いています。
しかし、子どもの頃の高子は、両親が知的障がい者であることを恥じていました。小学3年生の頃、母・清子が授業参観に来ることを嫌がり、参観のお知らせを隠してしまいます。ところが母はそれを見つけて学校へやって来ます。子どもたちの前で騒いだり、おどけたりする母を見て、高子は恥ずかしさと怒りを感じます。
やがて高子は、両親が知的障がい者であることを知り、大きなショックを受けます。ところが成長するにつれて、両親の一見「不器用」で「周囲と違う」行動の奥に、娘を愛する純粋な気持ちがあったことに気づいていきます。特に母・清子の、損得や世間体とは無縁の愛情が、高子の心を少しずつ変えていきます。
そして成人した高子は、両親への理解を深めるだけでなく、自ら福祉の道に進むことになります。
キャスト
母・清子を演じるのは寺島しのぶ、成長した娘の高子に常盤貴子。その他、難役の吃音の父を渡辺いっけい、清子の主治医に船越英一郎、その娘に安達祐実、近所の老人に山田邦子、養護学校の教員に東ちづる、さらに清子の兄に春風亭昇太、祖母に高島礼子 他の演技派キャストにて映画化されました。
(以上、映画公式HPから引用・編集)

公式サイトと予告編は以下にあります。
・公式サイト
https://www.gendaipro.jp/mymom/?utm_source=chatgpt.com "映画「わたしのかあさん ―天使の詩―」公式サイト"
・予告編
https://cinemarine.co.jp/mymom/?utm_source=chatgpt.com

なお、横浜では2024年4月に横浜シネマリンで上映され(私もよく通うミニシアタですが見逃していました)、その後も横浜市内の関内ホールなどで上映会が行われていました。

今秋の収獲ー綿と風船葛と実山椒ー

10/1には、気象庁から9月の天候トピックスが発表されています。秋雨前線の停滞や相次ぐ台風(24号・25号・26号)の影響により、東日本太平洋側での日照時間は平年比46%にとどまり、統計を始めた1946年以降、9月として「最多の雨」と「最少の日照時間」とのこと。また、月間降水量も平年の2.36倍で過去最多だったそうです。このことは、身近な庭での収獲の様子からも分かるように思いました。

 今年も庭先の綿、風船葛、実山椒が収穫期に入ります。葉山椒はこの時期にも葉はつけていますが香は薄く夏が収穫期のようです。結果的には、いずれも不調で8月の台風と9月の長雨が影響したように思えます。
特に低調なのが綿でした、7月頃から白い花をつけ始め受粉すると花弁が1日で紅く変わり実をつけやがて実が割れて白い綿が収穫できます。今年は、7月までは順調でしたが8月の日照不足でしょうか花の数が少なく、白い花が咲いても、紅い花が雨で落ちていたりしていました。9月には付けた実が大きくならない状況が続き、実が小さいまま褐色に変色し割れるケースも多くありました。収穫した綿花も割れる前の綿の実としての成長が不十分で全体的に小ぶりで、収穫できた数も昨年の半分程度の見通しです。
また、風船葛は7~8月に蔓の背丈がどんどん伸びて多くの風船をつけ順調でした。例年9月に入って順に風船が茶褐色に変色し、中から3つのハートマークのついた種子がとれます。今年は昨年の1.5倍程度の種子がまあまあ収穫できていますし最終的には2倍くらい採種できそうです。しかし、9月の日照時間が短かったことと低温で緑の風船の袋の成長が芳しくなくこちらも袋の形が小型で中の種子も小粒、3個あるところが2~1個しか種子が採れないケースもありました。それも、例年ですと袋全体が薄茶色にゆっくりと色づきますが、今年は斑に急に変色するケースが多くありました。
実山椒では、今年は2回も青虫に侵蝕され葉が修復するまでの期間が長く、今年苗木を植え始めたばかりですが、実はひとつも収穫できませんでした。

このような温暖化による気候変動は、身近な庭の植生にも影響し始めていることをあらためて感じました。
現に農業、宿泊・飲食サービスや小売、卸売の景況感は良くないようです。報道によると1993年にも記録的な冷夏があったそうです。この時には、一部商品の購買意欲を弱めた一方で購入を控えたことで家計に余裕が生まれ、その分が別の消費に回ったとされ、結果的には消費全体に与えた影響はそれほど大きくなかったとか。しかし、今日では少子高齢化などで成長率の水準がその後低下しており、天候不順の影響を吸収する経済の力が弱まっているため、今はより悪影響が表れやすい、そうで、要注意です。


収獲した綿花。個数では昨年の半分ほどの量です。

風船葛の実は、数は昨年の1.5倍ほどですが大きさはやや小粒です。最終的には昨年の2倍は採種できそうです。

 

2026年9月29日火曜日

台風通過直後の小出川彼岸花まつり2026

 9/26午前中には、第19回小出川彼岸花まつりを駆け足で巡ってきました。この日午後には雨模様の予報でしたので。市営地下鉄湘南台駅から通学用の2連バスに20分程乗り慶応大湘南藤沢キャンパス入口で降りると歩いて10分程で小出川(こいでがわ)に出ます。川沿いに約3Kmに亘って両側の土手に彼岸花の咲く遊歩道が続きます。
結果的には、心配した通り、例年の咲き具合とは大分違う咲きぶりでした。
ひとつは、今年は、直前の大きな台風25号が通過し、小出川では両側の土手を越す増水があり、彼岸花はもろに影響を受け多くがなぎ倒されたそうです。
いまひとつは、今年の夏の猛暑とその後の急な温度低下によって彼岸花の開花が早まり、開花時期が例年より2週間程早く咲き始めたそうです。いつもなら9月下旬から10月初旬が見頃ですが、今年は9月中旬、15日頃が見頃だったそうで、温暖化などの気候変動で彼岸花も「彼岸前花」になろうとしているようです。大雨に流されたり咲き頃が過ぎた株が多く、例年随所で見られた蝶と彼岸花のコラボは殆ど見られませんでした。これからは開花時期は前後に大きく変動することを訪問に先立って早めに想定しておく必要がありそうです。写真撮影には尚更です。
この日は、これらの厳しい気候変化に耐えた株が咲き残った、という印象を受けました。 
ここで、一句、

重なりてたわむ高稲架(たかはざ)里の暮
ずっしりとたわむ稲架木(はざぎ)や畦の道

台風の跡に一輪彼岸花
台風の爪あと深き小出川
暴風のあとの空突く彼岸花

 この日は、11,000歩コースでした。

因みに、2025年9月、2024年10月、2023年9月、2022年9月にも小出川彼岸花まつり(前後)を訪ねており、下記のような記事を都度当ブログにアップしてました。辿ってみると2022年9月から毎年訪ねています。どうもここは私にとって近い里山で、好みの彼岸花鑑賞地のようです。

2025年9月27日: 小出川彼岸花まつり

2024年10月4日: 収獲の里山風景からー藤沢 小出川周辺

2023年9月28日: 小出川の彼岸花と稲田と蝶

2022年9月23日: 地元小出川の彼岸花

 



小出川沿いの彼岸花。3日前の台風25号の風雨による影響が随所に出ていました。

遠藤会場近くの柿畑から


コスモスも咲き始めていました。



小出川越しのアオサギと彼岸花


小出川の中流。左奥に慶応大湘南藤沢キャンパス(SFC)があります。



彼岸花まつり遠藤会場。川沿いに他に三つの地元の農産物などを即売する会場が設けられています。この日はここだけに寄り引き返しました。

実りとともに深々と垂れ下がります。

遠藤会場では地元で採れた珍しい「四角豆」が販売されていました。

遠藤会場にて

途中の畑では生垣に使われる常盤万作(トキワマンサク)の苗木が栽培されており、花が満開でした。
台風25号による風雨の影響がみられます。

小出川彼岸花まつりパンフから

同上

2026年9月28日月曜日

舞鶴での先祖の墓の今の様子から

 9/20時点での郷里 舞鶴での先祖の墓の様子が、姉から写真で届きました。これまでは墓石を撤去して整地したままでしたが、最近土色のコンクリートで舗装されました(1つ目の写真)。維持管理のための一時的な工事にも見えます。実家跡地と同様に、こちらの墓地跡もこれからどう活用されるかを元ここの墓地を長くお寺さんから借用し先祖供養の拠点として利用させてもらった者として、今では外からながらも見守りたいと思っています。
また、舞鶴での先祖の霊は、墓じまい前と変わらず得月寺本堂に位牌をおいて日々供養していただき、遺骨は改葬し、合葬式の永代供養墓(2つ目の写真)に移しあらためて納骨しました。遺骨の一部は分骨し、私の居住する横浜の日野こもれび納骨堂に納めたところです。
色々と考えた末に、先祖の墓地は舞鶴と横浜の2つになったわけですが、新しい先祖の霊の供養の形がうまく今の世代の生活スタイルに馴染んでほしいと思っています。
2025年12月13日に墓じまいをした時の様子について、それまでの先祖の墓石も含めて当ブログに下記のような記事をアップしていました。

ある墓じまいのこと


昨年12月に墓じまいをした先祖の墓地跡。これまでは墓石を撤去して整地したままでしたが、最近土色のコンクリートで舗装されました。維持管理のための一時的な工事にも見えます。こちらもこれからどう活用されるかを元のここの長い利用者として見守りたいと思っています。


先祖の霊がいま納まる得月寺 永代供養墓。
2025年12月の墓じまいでは、改葬・分骨という形をとりました。先祖の霊を同じ檀家寺の得月寺にあるこの永代供養墓に移し改葬し、同時に遺骨の一部を分骨して、私の居住する横浜の日野こもれび納骨堂に新たに納骨しました。

舞鶴実家跡の活用の開始 その7

 舞鶴の実家跡地での5階建マンション工事が進むなかで、9/20と9/26での工事の様子として写真が舞鶴在住の姉から届きました。
9/26時点で1階の工事が終わり2~4階工事の足場ができこれから2~3階の建物工事に移るようです。
このペースでいくと来春にも竣工といったところでしょうか。もうしばらくこの工事をフォロウし、実家跡地のこの街での活用の様子を元地主として見届けたいと思っています。
先回、9/15までの様子として、下記のような記事を当ブログにアップしていました。

舞鶴実家跡の活用の開始 その6


《 9月20日の様子から 》


1階の工事が終わり、2階工事のための木造壁板の束が運び込まれています。


《 9月26日の様子から 》


大型クレーンで2~4階工事のための足場が組まれています。

2026年9月27日日曜日

いろは歌の替え歌とAI

9/24夕には近くに住む古い同年代の仲間4人で集まり、いつもの蕎麦屋で会食をしました。そこで出た話題の中で気になったのが、いち早く有料老人ホームに入居しているメンバ(A氏)から出た以下のよう経験談でした。
それは、「いろは歌の替え歌作り(注1)がいまの一般的な生成AIでは苦手なようだ」ということでした。老人ホームでは居住者の交流会が定期的にあるそうで、そこで入居者の一人(B氏)から出た話だそうです。この話題を提供したB氏は趣味としていろは歌のいくつかの替え歌を自らの手で試行錯誤しながら作っておられるとか。
これを機にホーム内のA氏を含む何人かが、一般的な生成AI(Gemini,ChatGPT,Copilotなど)を使ってパソコンで替え歌作りを試みたところ、いづれも時間オーバーとなり回答が得られず失敗したそうです。

話を聴いてこの原因を調べてみると、Geminiなどの回答では以下の通りでした。

Q.いろは歌の替え歌作りには、いまの生成AIでは対応できますか。
A.いろは歌(仮名47文字を重複なく1度ずつ使って作る手習い歌)の替え歌(パロディや新作)を作成することは、AIでも原理的には可能ですが、完全に成立させるのは極めて難易度が高い領域です。というのは、
(1)AIが対応可能な点としては、
➀「意味の通る文」や「七五調のリズム」を作る:文章の脈絡を整えたり、和歌や俳句のような五七五七七や五七五のリズムに合わせたりするのはAIの最も得意な分野です。
②テーマに沿ったアイデア出し:「春をテーマにした歌」「現代風の歌」といったテーマを与えて文脈を組み立てることは容易です。 一方で、
(2) AIが苦手・苦戦する点(完全な「アナグラムまたはパングラム」(注2)の難しさ)は、以下の通り。
いろは歌の本質は、「指定された47文字(仮名・重複なし)をちょうど1回ずつすべて使い切る」という厳密な制約(完全制約付きパロディ)にあります。
③ 文字カウントの正確さ:大型言語モデル(LLM:Large Language Model)は文字を「音」や「視覚的な文字」ではなく「トークン(単語や部分単語のまとまり)」として処理するため、1文字ずつの重複チェックや漏れのカウントが苦手です。
④濁点・半濁点や歴史的仮名遣いの扱い:現代語のルールで「濁点(が、ざ等)は原音(か、さ等)と同等とみなすか」といったルールの切り替えを文字単位で厳密に守る際、途中で文字が足りなくなったり余ったりしがちです。
結論として、「雰囲気を真似た替え歌」であればAIは一瞬で非常に上手なものを生成できますが、「47文字重複なしの厳密ないろは歌」を1発で完成させるのは現状のAIでは失敗しやすいというのが実情です。なお、正解に近い替え歌を得る方法は幾つかあります(注3)。

同様に、漢字について「千字文(せんじもん)」という「重複しない1,000個の漢字」を使い、「四字一句の韻文(詩)」として意味を通わせる言葉遊びが昔から中国にあります。それの文字数を減らすなどして簡易化して漢字の習い本にした出版物が市販されていますが、現在のAIにとってはむしろ、千字文は、いろは歌(仮名47文字)よりもはるかに難易度が跳ね上がるそうです。
どうやら、いま流通して重宝しているAIにも向き不向きがあるようで、得意なのは「8割程度のクオリティで素早く下書きを作ること」「パターンに沿った大量データの要約や分類」で、「100%の精度(厳密性)」「文字・数値のミクロな制御」「人間の感情・常識・因果関係の理解」が求められる処理は不得手なようです。しかし日々進化するAIがB氏に迫るのは時間の問題かもしれません。
以上はAIの不得手な面の一例でしょうが、こんなことも考えながらAIをその得意な領域で使っていく、付き合っていく必要がありそうです。いずれにしろAIが出した結果には人間が最終的にチェック(人間による最終判断、最終責任)を問う仕組み(「Human-in-the-loop」といわれます)が不可欠となるのでしょうか。
この日は、11,500歩コースでした。


近所の散歩道で見かけるムラサキシキブも満開を少し過ぎ実が落ち始めていました。

紫色の実の穂がこの時期映えます。

ホトトギスはこれからです。

道端でハナニラも見頃でした。

(注1) いろは歌の替え歌 について
いろは歌とは、仮名47文字を一度ずつ用いて作られた教訓的な和歌です。平安時代に成立し、仮名の手本や順序表として長く使われました。
いろは歌として代表的な歌は
「いろはにほへと ちりぬるを
 わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす」
という七五調の一首です。現代語では、おおよそ
「美しい色もやがて散る。この世は誰のものとも常ではない。さまざまな迷いの山を今日こえて、浅い夢も見まい、酔いもしまい」
といった無常観・目覚めの決意を表す内容とされます。仏教、とくに「諸行無常」を説く経典(涅槃経)との関わりが指摘され、作者は僧侶とみる説が有力ですが、特定の人物には絞りきれていません。最古の用例は11世紀の仏教書に見え、以後、「いろは」は辞書や手習い本で仮名の配列として広く使われました。
その後、この替え歌として多くの歌が作られてきました。

(注2)「アナグラム、パングラム」について
アナグラム(Anagram)は、あらかじめ決められた文字列(文字の集合)の順番を並べ替えて、別の意味を持つ文章を作る言葉遊びです。類似の意味で、アルファベットやひらがななど、特定の文字セットの全文字を少なくとも1回以上(理想的には1回ずつ)使って作る文章のことは「 パングラム(Pangram)」ともいわれます。日本語の「いろは歌」は、仮名47文字を重複なくすべて使い切ったパーフェクト・パングラムの代表例として世界的に知られています。

(注3) いろは歌の替え歌の正解に近い替え歌をAIを用いて得る方法について
以下のような方法で完全な回答に近づけられるそうです。
・制約を少し緩める
「すべての文字を重複なしで使う」のではなく、「いろは歌のリズム(七五調)と雰囲気を真似したパロディを作って」と指示すると、クオリティの高い文言が即座に生成されます。
・プログラミング(Python等)と組み合わせて作らせる
AIに直接文を作らせるのではなく、「指定した47文字を1度ずつ使って意味の通る歌を生成するPythonコード(ロジック)を書いて」と指示し、アルゴリズムで制御させることで完全なアナグラムを作成できます。
・何度も文字数をカウントさせて修正を繰り返させる
 AI単体で作らせる場合は、「まず案を出し、使用した仮名の一覧をリスト化し、使っていない文字・2回以上使った文字を指摘して修正する」という作業を対話形式で何度も繰り返す(プロンプトで自己修正を促す)ことで完成に近づけられます。

2026年9月25日金曜日

鎌倉鶴ケ岡八幡宮の神幸祭の中止

 9/15には、鎌倉鶴ケ岡八幡宮で行われる秋季例大祭(9/14-16)の仲日に行われる、氏神様が氏子の町内を回る神幸祭に参加してきました。
と言いたいところですが、実は、たどり着いて知ったのですが、神幸祭は雨天で中止でした。この日は午前までは雨天で午後からは曇りとの予報でしたので13時から始まる神幸祭は開催されるものと勝手に思い込んでいました。境内では、入口で囃子や祭太鼓も出ていましたので、てっきり開催されると思ってしまったのが間違いでした。境内には、神社名入りの引き出物の入った紙袋を持つ多くの人を見かけましたが、実はこれが当日の神幸祭(しんこうさい)に参加予定の多くの氏子衆(奉仕者といわれていました)で祭りが終わった後に渡される品を、この日は中止のために開始時刻前に渡されていたのでした。
この日の午後は薄曇りで行列そのものは実施可能でしたが事前の野外での大規模な準備のことを考えると主催者の実施判断では難しかったのかもしれません。それにしても残念でした。観客もそうですが、神幸祭の行列に加わる予定の方々には尚更だったと思います。途中見かけたテレビ神奈川(TVK)の取材班もご存じなかったようで残念がっておられました。
ここの神幸祭では、本殿から御祭神が室町時代の神輿3基に移られて神官や氏子の行列が出発し、ゆっくりと移動して参道の二の鳥居に設けられた御旅所(おたびしょ)まで行かれます(渡御(とぎょ)といわれます)。御旅所で儀式があり、ひと休みされた後本殿に同じルートで戻られます(還御(かんぎょ)といわれます)。移動には参道の段葛の両側の道路(若宮大路)が使われます。
今年は例大祭3日目の翌日9/16午後の、狩装束の射手が疾走する馬上から3つの的を射抜きする、源頼朝以来の流鏑馬神事(やぶさめ)も中止されました。ただ、この日夕方に行われる、神前に供えられた鈴虫を境内の自然へ放つ鈴虫放生会は拝殿で行われたようです。こちらも頼朝由来の生命を慈しむ放生会の精神を今に伝える神事とのこと。流鏑馬神事と鈴虫放生会は後日報道で見るものの私は現物をまだ見たことがなく、近くに住む者として一度は目にしたいものだと思っています。
また、この日は境内手前の源平池で枯れる途中の蓮の葉や破蓮(やれはちす、敗荷(やれはす)ともいいます)、いまにもこぼれそうな蓮の実を含んだ黒く変色した花托も初秋を思わせます。
思うとこれは一例で、この時期全国の神社で行われる例大祭で、このところのこの時期には珍しい雨日和や台風到来はこのような大きな影響を受けているのではないでしょうか。今年の花火大会も雨で混乱していると聞こえてきます。
この日は、7,500歩コースでした。
ここで、一句、

破蓮(やれはちす)神幸中止の濡れた道
神幸の中止を告げし破蓮
破蓮神幸祭の朝の雨

因みに、昨年同日2025年9月15日に行われた神幸祭の様子を、当ブログに下記のような記事でアップしていました。

鶴岡八幡宮の例大祭と神幸祭

蓮の実が落ちる直前の枯れた蓮の花托。枯れる葉は破蓮(やれはちす)といわれます。
 
翌日の鏑流馬神事の行われる隧道。中央が砂利になっています。実際には、雨のため中止となりました。

社務所門前の若布(わかめ)。何を意味するかはまた調べたいと思います。

社務所の門の両脇には若布が祀られています。

拝殿から見た舞殿です。

拝殿の横には神幸祭の行列に参加するなどの奉仕者に引出物が渡されていました。本来ならば行列が終わってから渡されるのでしょうが、神幸祭が中止になったこの日には13時過ぎから順次渡されていました。聞くと奉仕者は主に氏子さん方と協賛する企業、団体の方々だそうです。

拝殿への階段からの舞殿。階段の右側に実朝が暗殺された時のイチョウの木の切株があります。

拝殿への階段

この日の神幸祭の奉仕者の方は引出物を引取って早々に帰られていました。右奥は三の鳥居です。

鶴ケ岡八幡宮の舞殿(手前)と拝殿・本殿

境内入口の囃子小屋。祭りを盛り上げます。

源平池の蓮の花托

同上

源氏池の蓮園

源平池の破蓮

参道途中の置石地区の控事務所

参道の横を通過する祭太鼓車。子供衆も活躍しています。

鶴ケ岡八幡宮参道の段葛(だんかずら)。桜並木はこれからが紅葉です。この日は中央に日の丸が並んでいます。参道の若宮大路の中央を走ります。神幸祭の行列では渡御には右側、還御には左側の道路が使われます。正面が鶴ケ岡八幡宮の三の鳥居、本殿です。

2026年9月22日火曜日

敬老の日と軽石ー「敬老の日」のできた日に生れたとはー

昨日の9月21日が敬老の日でした。はからずもこの歳になってこの日の歴史を知ることになりました。
いつも週日の朝8時前に聴いている 文化放送の武田鉄矢のラジオ番組「今朝の三枚おろし」のプロローグで、敬老の日のはじまりが1947年9月15日に兵庫県多可郡野間谷村(現・多可町)で始まった「としよりの日」が起源と聞き、それは実は私が生れた日だと気づき、にわかに関心をもった次第です。制定されたのが意外と新しいのに驚きました。
調べてみると、敬老の日制定の経緯は(注)の通りで、兵庫県の野間谷村で「としよりの日」が制定され敬老の会が催されたことが端緒となって県レベル、国レベルに広がり、昭和41年(1966年)の祝日法改正で国民の祝日になりました。
あらためて、誕生日としての敬老の日の意味を考えさせてもらいました。それにしても敬老の日ができた日に自分が生まれたとは、世の中分からないものです。
ここで、一句、

軽石の減りゆく月日敬老日

たまたま出句した句会でまずまず好評でした。軽石と敬老日の取り合わせの句です。


我が家の軽石たち。郷里の舞鶴と横浜で少なくとも3世代にわたって使い込んでいます。4世代の可能性が高いですが今となっては確認できません。仏壇と同じくらい長寿命です。写真下の二つは現用品で今も十分に機能して重宝しています。上3つは予備品です。


(注)「敬老の日」制定の経緯  (関連HPから引用・編集)
敬老の日の起源は、1947年9月15日の兵庫県多可郡野間谷村(現・多可町)で始まった「としよりの日」です。  門脇政夫村長が、村の知恵者である高齢者を敬い、村づくりに生かすために始めた行事です。経緯には以下のステップがありました。
- 兵庫県多可郡野間谷村の「としよりの日」制定(1947年9月15日 )
- 兵庫県の「としよりの日」制定 (1950年 ) 
- 全国社会福祉協議会による全国行事化  (1951年 )
- 老人福祉法での「老人の日」制定  (1963年 )
- 祝日法での「敬老の日」制定  (1966年 )
- 9月15日から第3月曜日へ移行(ハッピーマンデー制度)(これで今年は9月21日でした)
9月15日となったのは、この日の起源となった野間谷村が「としよりの日」の設定について、「養老の滝」伝説を敬老会の日付選定の理由の一つとして「9月15日は養老の滝伝説にちなむ“孝行の象徴の日”である」と紹介したことから、両者はゆるやかに結びついています。この他にも、農閑期で天候も安定した時期であることも考慮されました。
「養老の滝」伝説とは  舞台は岐阜県養老町で、孝行息子・源丞内(げんじょうない)が、病気の父のために水を汲みに行くと、 滝の水が酒に変わっていた、という伝説で、息子の孝心に感動した天が与えた恵みとされ、 親を敬う心の象徴として古くから語られてきました。この物語は奈良時代の『続日本紀』にも記録があり、  日本文化における孝行の象徴的エピソードとして長く受け継がれてきました。

映画「わたしのかあさん」

 10/3には関係する社会福祉法人と金沢区が主催する映画会に参加し「わたしのかあさん―天使の詩―」を観てきました。なかなか感動的でありながら、考えさせられる映画でした(注)。会場の金沢区公民館講堂に定員200人、多分実際にはそれ以上が集まりました。 派手な映画ではありませんが、「...