9/23には、藤沢市の北東端の遠藤地区を流れる小出川流域の彼岸花を観てきました。
翌日9/24には、「小出川彼岸花まつり」が企画されており、地元の方が、雨を心配しながらも、テント張りや出店など、準備中でした。開花時期としてはやや早目でしたが、見頃でした。
昔からこの地域では、大雨などで小出川上流域から球根が流れ着いて、流域に彼岸花が多く生息するようになったそうです。当日は、台風の影響もあり時たま雨が降るといった天気でしたが、人出も少なくゆっくりと、川沿い3Kmの撮影を楽しめました。自宅からは、バス、地下鉄、バスの1時間圏内です。
昨年は、丁度この時期に、今年同様に台風の通過で大雨が降り土手に咲く彼岸花の多くが薙ぎ倒された後にここを訪れたことがあり、残念な思いをしました。
この地域では、いまも稲作農家が多く、垂れ下がり始めた稲田の横に咲く彼岸花がみられます。近くには、現役の里山を残す茅ヶ崎里山公園、慶応大学湘南藤沢キャンパス(SFC)、文教大学湘南キャンパスが集まる文教地区でもあります。
この日は、16,000歩コースでした。ちょっと多めで少々疲れました。
2022年9月28日水曜日
地元小出川の彼岸花
2022年9月24日土曜日
今どきのシェアドオフィス事情
入居して3週間が過ぎ、まあまあ予想した効果はあると思うようになりました。
ここは、6月にできたばかりの40席ほどのこじんまりしたシェアドオフィスですが、24時間365日使用可能で、対面受付はなく、来客も不可と、軽装備ではありますが、会社登記、郵便等連絡場所としての利用は可能のようです。内装では、シェアドデスクブース(カフェブース)が広いですが、一つのミーティングブース、個室6室のレンタルオフィスブース、7席の固定席ブース、4室のテレホンブース、6席のリラックスブースがあります。テレホンブースは、サテライトオフィスとして利用している人達によってカフェブースの自席では話せない個別の社用オンラインミーティングなどのために使われており、予約システムに従い、入れ代わり立ち代わりパソコンを持ち込んで頻繁に利用されているようで、やや不足気味です。共用プリンタも利用可能で、ロッカー20個、軽いドリンクコーナもあり、入居者のマナーもそう悪くはなく、日々の清掃も行き届いており、まあまあの居住環境といったところです。座席は多い時で2/3くらいうずまりますが通常は1/2~1/3くらいで、静かなオフィス環境です。オフィス内で聞こえるのは、若い人たちの全く関係のない電話話や自席でのオンライン会議の話声が多いわけで少々騒がしいときもありますが、間接的ながらオフィスでの緊張感が伝わってくるように感じ、自宅でほどゆっくりはできません。
ここを運営する会社は、シェアドオフィス事業を、主に都内、東日本の主要都市、一部西日本で営業しているようです。最近では、コロナ禍もありテレワークが広がる中、会社オフィスと自宅の中間地点にあるサテライトオフィスとしてこのようなシェアドオフィスのビジネスに他にも多くの企業が参入しているようです。近くでは、横浜駅、桜木町駅、関内駅周辺で最近多く見かけます。また、今回、1ユーザとして経験してみて、テレワークが定着するとともにこのようなサテライトオフィス、シェアドオフィスの効用、ニーズをあらためて実感したところです。
2022年9月23日金曜日
千葉 村上緑地公園での彼岸花まつり
9/21には、千葉県八千代市にある村上緑地公園で、所属する写真の会有志メンバで彼岸花を観てきました。丁度、彼岸花まつり開催中で、住宅地の一角に残る雑木林の中の彼岸花の群生が丁度見頃でした。京成勝田台駅、東葉勝田台駅が最寄りで(両駅は隣接しています)、自宅からは2時間コースでした。前日には、新潟に再上陸し東北地方南部を横断した大型台風14号の影響で関東地方も荒れ模様でしたので、薙ぎ倒されるなど彼岸花にも影響していないか心配でしたが、林の中だったこともあるのでしょうか、台風一過の中、天気にも恵まれ十分に楽しめました。
このところコロナ禍で対面の撮影会は何回か中止され、個人的に撮影した写真についてZoomを使ったオンライン講評会が続いていましたので、久々のメンバ6人の対面集合でした。そろそろ、このような活動でも平常に戻りたいものです。
彼岸花一色でした
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