7/5には、ある先輩の告別式に参列しました。品川区西五反田の桐ケ谷斎場(火葬場と式場が併設された、この近くではよく耳にするアクセスのよい民営葬儀施設です)のすぐ隣りにあるセレモニーホールで行われました。
このところ身内だけで行う家族葬が増えるなか、最近では珍しくなった一般参列者を含めて弔う従来型を少しコンパクトにしたような形での葬儀でした。
先輩は以前の職場でお世話になった方で、90歳を超えてもお元気だと聞き、3年前と昨年11月に同氏を囲む会を計画し、当時近かった10人ほどが横浜と町田に集まり親しく懇談したばかりでした。その時の先輩は、杖をついてはおられましたが、従前と変わらず元気な様子で、「君たちの第二の人生のことを聞きたい」と各自の近況報告の後、奥様を亡くされ自らの苦労話を含めてそれぞれにコツを、いつもながらの張りのある大声で、面白おかしく助言されていました。
死因は脳内出血による突然死とのこと。棺の中の静かなお顔を拝見して囲む会での元気な様子からの急変を肌で感じました。
それにつけても、親族には身内の突然の死でなかなか受け入れられないところですし、勿論、我々旧知のものからもそうですが、別の視点では、しばらくご無沙汰していた先輩と、たまたま、ある方の声掛けで2回の囲む会を直前に催し懇談できたのは、結果的には、不幸中の幸いだったのかもしれない、また、92歳の最期まで油絵を描かれ元気に過ごされたそうで、ある意味の大往生であり、憧れのPPK(ピンピンコロリ)そのものかもしれない、最後には、囲む会などを通じて最期の迎え方まで指南を受けたのかもしれない、と勝手に思いながら先輩を偲びつつ帰宅しました。
これまでのご厚誼に感謝し、心からご冥福をお祈りして 合掌
2025年7月10日木曜日
ある先輩の告別式
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