7/10午後には、写真仲間の写真展最終日での二回目の在廊当番のあと、写真展会場の銀座から浅草に足を伸ばして浅草寺ほおずき市を訪ねてきました。これまで報道ではよく目にしましたが、実際に来て見るのは初めてでした。
本堂(観音堂)の前にある宝蔵門の右手前に10軒程の屋台が出て、寺でお祓いを受けたほうずきの鉢が売られています。
持ち帰り長く楽しめるようにでしょうか、まだ青々とした鉢が多く見られます。
250年ほど前の江戸中期から始まる江戸の風物詩で、7月10日が「四万六千日の縁日(しまんろくせんにち)」に当たることから、その功徳を願って参拝したのがルーツだとか。その縁起物として、薬草としてとともに、お盆の時期とも重なるため、盆棚飾りとしての需要も高まり、ほおずきが売られるようになり、市が定着していったそうです。
風鈴の爽やかな音とともに涼を誘います。もともと7月10日だけが定番だったそうですが、多くの人が9日から賑わうようになったためたに9〜10日の両日に開催することになったとか。詳しくは(注)の通りです。
雷門から入り仲見世通りを抜けて、境内のほうずき市に向かう途中に、ほおずきの鉢を片手に、お祓いを受けて清々しそうに帰る人を見るのは、なかなか昔ながらの風流な光景です。因みに1鉢3,000円でした。縁起物ですね。
私の故郷では、8月央のお盆には、仏壇やお墓にほおずきを飾り、その一部を開いてなかの丸い赤い袋を取り出し、中身を抜いて皮だけにしたもので子供仲間がブー、ブーと笛のように鳴らして遊んでいました。残念ながら不器用な私は鳴らせず鳴らせる子を羨ましく思った記憶がまります。
そこで、一句、
揺れる朱(あけ)ほおずき市の帰りかな
この日は、10,500歩コースでした。
平安時代頃より、観世音菩薩の縁日には毎月18日があてられてきたが、室町時代末期(16世紀半ば)頃から、「功徳日」といわれる縁日が設けられるようになった。功徳日とは、その日に参拝すると、100日、1,000日分などの功徳が得られるという特別な日を指す。功徳日は寺社によって異なるが、現在、浅草寺では月に1度、年に12回の功徳日を設けている。このうち7月10日は最大のもので、46,000日分の功徳があるとされることから、特に「四万六千日」と呼ばれる。この数の由来は諸説あり、米の一升が米粒46,000粒にあたり、一升と一生をかけたともいわれるが、定かではない。46,000日はおよそ126年に相当し、人の寿命の限界ともいえるため、「一生分の功徳が得られる縁日」である。
四万六千日の縁日の参拝は江戸時代には定着し、われ先に参拝しようという気持ちから、前日9日から境内は参拝者で賑わうようになった。このため、9日、10日の両日が縁日とされ、現在に至る。
四万六千日にともなう、浅草寺でのほおずき市の起源は、明和年間(1764〜72)とされる。 (浅草寺のHPから引用・編集)
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