10/19には近くの本郷台駅前にあるあーすぷらざ(正式には神奈川県立地球市民かながわプラザ)で映画「ワルシャワ蜂起」を観てきました。
ワルシャワ蜂起は、第二次世界大戦中のポーランドで起こった、当時のドイツ占領下でのレジスタンス運動、くらいしか知りませんでした。
この上映会を知ったのは、いつも通う句会があーすぷらざで行われ、その途中にある公益社団法人青年海外協力協会(JOCA:JICA海外協力隊のOB・OGが中心となり組織された団体。この施設の指定管理団体です)の事務所の前で、このドキュメンタリの上映会のビラをたまたま見かけ、気になっていました。
ワルシャワ蜂起は、第二次世界大戦末期の1944年8月1日から10月2日にかけて、ナチス・ドイツ占領下のポーランドの首都ワルシャワで起こった大規模な武装蜂起です。西欧で劣勢になったドイツに対して連合国ソ連がワルシャワに入る前に、ドイツから自力で首都を解放し、亡命政府の支配下にあることを示す独立政権を樹立することで、戦後のポーランドの独立と主権を確保することを目指しました。(注)
結果的には、ドイツに鎮圧され、多くの人命を失いました。蜂起軍の兵士が約1万6千人、民間人が推定13万から25万人にも上りました。鎮圧後、約70万人の住民が市から追放されました。この一部がウクライナにも移住したそうです。
ワルシャワ蜂起は、自由と主権のために払われた途方もない犠牲であり、ポーランド人の国民的アイデンティティの核心をなす出来事として、現代まで強く記憶され、評価され続けていまる、とのこと。一方で、蜂起を始めたことに対して、敗戦後にはどこでも言われることですが「無駄な犠牲」論もあるようです。
この映画では、蜂起開始から一時期の市内一部の解放をするも、その後ドイツの反撃を受け大きな被害を被る様が、蜂起軍の撮影班の目で記録映像に、カラーと撮影班メンバの会話を付加して、リアルに映像化されています。
悲惨な映像が多いなかにも近くで撮影した現場の小さな出来事の映像もあり、戦時の映像としては幅広く様子を伝えるドキュメンタリになっています。いまのガザやウクライナを思わせる惨状は今もなにも変わっていないと思いましたし、依然として国土、主権一体の原則が守られていない様を目の当たりにし、隣国の占領がいかに悲惨なものかを見せつけられる思いでした。
上映会と同時に、ここでは併せて「ワルシャワ。灰の中から蘇る不死鳥」展が行われていて、戦後の復興の模様が詳細に展示されています。ワルシャワ市には「ワルシャワ蜂起博物館」があり、この企画はこの博物館の蜂起80年記念の企画の一環であったようです。
一連の上映会、企画展を通して、この蜂起がいまもポーランド人のアイデンティティの源泉になっているようにあらためて思いました。
この日は、7,800歩コースでした。
因みに、ここのあーすぷらざでは、しばらく前には横浜で夏に開催された第9回アフリカ開発会議(TICAD9)のアピールをしていました。当ブログにも2025年5月に以下のような記事をアップしていました。
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