2025年10月19日日曜日

映画「ワルシャワ蜂起」

 10/19には近くの本郷台駅前にあるあーすぷらざ(正式には神奈川県立地球市民かながわプラザ)で映画「ワルシャワ蜂起」を観てきました。
ワルシャワ蜂起は、第二次世界大戦中のポーランドで起こった、当時のドイツ占領下でのレジスタンス運動、くらいしか知りませんでした。
この上映会を知ったのは、いつも通う句会があーすぷらざで行われ、その途中にある公益社団法人青年海外協力協会(JOCA:JICA海外協力隊のOB・OGが中心となり組織された団体。この施設の指定管理団体です)の事務所の前で、このドキュメンタリの上映会のビラをたまたま見かけ、気になっていました。
ワルシャワ蜂起は、第二次世界大戦末期の1944年8月1日から10月2日にかけて、ナチス・ドイツ占領下のポーランドの首都ワルシャワで起こった大規模な武装蜂起です。西欧で劣勢になったドイツに対して連合国ソ連がワルシャワに入る前に、ドイツから自力で首都を解放し、亡命政府の支配下にあることを示す独立政権を樹立することで、戦後のポーランドの独立と主権を確保することを目指しました。(注)
結果的には、ドイツに鎮圧され、多くの人命を失いました。蜂起軍の兵士が約1万6千人、民間人が推定13万から25万人にも上りました。鎮圧後、約70万人の住民が市から追放されました。この一部がウクライナにも移住したそうです。
ワルシャワ蜂起は、自由と主権のために払われた途方もない犠牲であり、ポーランド人の国民的アイデンティティの核心をなす出来事として、現代まで強く記憶され、評価され続けていまる、とのこと。一方で、蜂起を始めたことに対して、敗戦後にはどこでも言われることですが「無駄な犠牲」論もあるようです。
この映画では、蜂起開始から一時期の市内一部の解放をするも、その後ドイツの反撃を受け大きな被害を被る様が、蜂起軍の撮影班の目で記録映像に、カラーと撮影班メンバの会話を付加して、リアルに映像化されています。
悲惨な映像が多いなかにも近くで撮影した現場の小さな出来事の映像もあり、戦時の映像としては幅広く様子を伝えるドキュメンタリになっています。いまのガザやウクライナを思わせる惨状は今もなにも変わっていないと思いましたし、依然として国土、主権一体の原則が守られていない様を目の当たりにし、隣国の占領がいかに悲惨なものかを見せつけられる思いでした。
上映会と同時に、ここでは併せて「ワルシャワ。灰の中から蘇る不死鳥」展が行われていて、戦後の復興の模様が詳細に展示されています。ワルシャワ市には「ワルシャワ蜂起博物館」があり、この企画はこの博物館の蜂起80年記念の企画の一環であったようです。
一連の上映会、企画展を通して、この蜂起がいまもポーランド人のアイデンティティの源泉になっているようにあらためて思いました。
この日は、7,800歩コースでした。


因みに、ここのあーすぷらざでは、しばらく前には横浜で夏に開催された第9回アフリカ開発会議(TICAD9)のアピールをしていました。当ブログにも2025年5月に以下のような記事をアップしていました。

カンガ展@本郷台あーすぷらざ

もう一つ、あーすぷらざでは、木曜日に上映会が定常的に行われているようで、興味のある映画予告もありました。私には自宅近くの新しいミニシアタとして使えそうです。


映画のチラシから

「ワルシャワ。灰の中から蘇る不死鳥」
展のチラシから


同上その2

(注)ワルシャワ蜂起の背景、経過そして結果
背景: ポーランドは第二次世界大戦開戦時にドイツとソ連に分割占領され、国内にはロンドンに亡命していたポーランド亡命政府系の地下組織「国内軍(Armia Krajowa, AK)」が抵抗活動を行っていました。
目的: 国内軍は、東部から進撃するソ連赤軍がワルシャワに到達する前に自力で首都を解放し、亡命政府の支配下にあることを示す独立政権を樹立することで、戦後のポーランドの独立と主権を確保することを目指しました。これは、軍事的にはドイツと、政治的にはソ連と戦うという性格をもちました。
開始: ソ連軍がワルシャワ近郊にまで迫り、ドイツ軍が混乱しているタイミングと見て、1944年8月1日に蜂起が開始されました。国内軍は約4万人の兵力を動員し、当初は市内の一部を解放するなど優勢に進めました。
結果:  鎮圧と大損害: 蜂起は63日間に及びましたが、武器が不足し、連合国(特に期待されたソ連軍)からの支援がほとんど得られなかったため、ドイツ軍によって徹底的に鎮圧されました。人的被害: ポーランド側の犠牲者は膨大で、蜂起軍の兵士が約1万6千人、民間人が推定13万から25万人にも上りました。鎮圧後、約70万人の住民が市から追放されました。
ワルシャワの破壊: ドイツ軍は蜂起への報復として、ワルシャワ市街の徹底的な破壊を計画・実行しました。これにより、歴史的建造物を含むワルシャワの市街地はほぼ完全に廃墟と化し、文化遺産の多くが失われました。
政治的結末: 蜂起の失敗とソ連軍の進駐停止(傍観)は、亡命政府の勢力を弱め、その後ソ連が主導する共産主義政権がポーランドに樹立される決定的な要因の一つとなりました。また、ソ連による支援拒否は、ポーランド人の間に強い反ソ感情を植え付ける結果となりました。

ワルシャワ蜂起は、ポーランドの独立と主権を守ろうとした悲劇的な抵抗として、ポーランドの歴史において非常に重要な出来事とされています。
ワルシャワ蜂起での敗北は、ポーランド国民にとって悲劇的な敗北でありながら、同時に抵抗と独立の精神を象徴する英雄的な行為として、非常に複雑で重要な意味を持っています。

総じて、ワルシャワ蜂起は、自由と主権のために払われた途方もない犠牲であり、ポーランド人の国民的アイデンティティの核心をなす出来事として、現代に至るまで強く記憶され、評価され続けています。  (関連HPなどから引用、編集)

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 10/19には近くの本郷台駅前にあるあーすぷらざ(正式には神奈川県立地球市民かながわプラザ)で映画「ワルシャワ蜂起」を観てきました。 ワルシャワ蜂起は、第二次世界大戦中のポーランドで起こった、当時のドイツ占領下でのレジスタンス運動、くらいしか知りませんでした。 この上映会を知っ...