このところ、来年春に取り壊しを予定しています舞鶴の実家の遺品の整理を、遅まきながらでも、帰省の機会を増やして、進めています。
そのひとつに掛け軸があります。おおよそ80本(幅:ふく)が残っています。なかでも、印象深いのが父方の曾祖父・曾祖母の肖像画の掛け軸2幅でした。水彩画ですがその精密さには驚きです。これまでは集合写真で輪郭がわかる程度でしたが、この画では25cm四方ほどに正装した姿が描かれており、表情までうまく表現されています。
さらに、この掛け軸の表には、以下のような記述がありました。
藪中父、母 明治38年画。昭和15年9月再表装。
昭和15年5月12日類焼ノ際二全部焼失セルモ、御両親御尊体ノ他五副丈ケ現出ス。
二代 祐佐久
今の実家は、昭和15年5月12日午前2時(1940年)に近所からの類焼で焼失した後に、翌昭和16年9月に再建されたものでした。文中の藪中(やぶなか)は、福井市にある祖父祐佐久の生れ故郷の町名です。祖父は四男坊で、舞鶴で召集され、当時の連合艦隊の巡洋艦「千歳」の水兵として日露戦争に従軍しました。海軍退役後、それまでの兵役中に下宿していた東舞鶴の木下洋服店に婿養子として入籍して、その後二代目店主を継いでいます。この2幅は、火災ですべての家財を焼失したなかで、焼け残された5幅の掛け軸の中の、生き伸び復活した2幅だったようです。
この2幅からも、先祖の昭和初期の変転の一端や二代目祖父が失意の中で被災4カ月後に再表装した思い入れがうかがえます。
今回、この散歩ブログには、これまでの日頃の地元散歩に加えて、個人的ながら身の回りの小さな歴史を散歩したつもりで(いわば、ささやかながら「ファミリ・ヒストリ」、ルーツ散歩(身元散歩)、でしょうか)、今回のような歴史散歩の記事もアップすることにした次第です。
父方の曾祖母座像
曾祖父(明治38年)