2024年8月16日金曜日

座間の「ひまわり畑」



8/14には、座間(ざま)の「ひまわり畑」を初めて訪ねました。神奈川では評判のひまわり鑑賞地です。
小田急小田原線の座間駅からバスで10分程行った「(浅間)神社前」バス停で降りて15分くらい歩いた相模川沿いの農地の5地区に開花時期を少しずつずらして55万本のひまわりが植えられていました。最寄り駅はJR相模線の相武台下駅か入谷駅で、駅から西の相模川沿いへ25分くらい歩いた広い畑地区にあります。私は座間駅からバスで会場近くまで行き、帰りは猛暑のなか入谷駅まで歩きました。
咲き始めたばかりで、豪快なひまわりの群生が堪能できました。前日までの座間市ひまわりまつり期間中(8/10〜13)は撮影のための高台が準備されていたそうですが、この日は進入禁止で残念な思いでした。危険回避のためとはいえ、ぜひ開放を続けてもらいたいと要望したいところです。
明日8/15からは大型台風7号が関東に接近します。なんとか咲き残ってほしいと思いました。
この日は、暑い中の15,400歩コースでした。


咲き始めたばかりのひまわりです。

途中のお宅庭では百日紅がよい色で
満開でした。



入谷へ向かう途中のお宅の玄関で見かけた、
先祖の霊を家に迎え入れる、お盆の
飾り物です。
高さ30㎝程です。



真中奥に座間エリア会場のひまわり畑が
稲田越しに見えます。ここは水の豊富な
地区のようです。奥は相模川堤防林です。

入谷駅に向かう途中で天保12年築の
道祖神を見かけました。大正5年に
改修されているようです。

天保12年築というと1841年で、
江戸末期老中水野忠邦の政治改革
「天保の改革」の頃で、このところの
「政治とカネ」改革で揺れる今と
重なります。


お盆に先祖の霊を玄関に迎え入れる
お盆の飾り物です。この地区固有です。

背景は大山山系になります。

座間は正月の相模川河川敷で行われる
大凧揚げの会場でもあります。
保存会のコーンのようです。

往く途中にある地元の浅間神社

道端の桔梗も咲き盛りです。

「首都圏随一の55万本」の見晴らしだそうです。

2024年8月11日日曜日

伊東温泉 海の花火大会

8/10には、伊豆の伊東温泉で「按針祭 海の花火大会」があり、 久しぶりに訪ねました。
この日のイベントには、JRも力が入っており、東京-伊東間を全車指定席の臨時特急列車「伊東按針祭花火大会号」が往復4本運行され、私も往復ともこれを利用しました。最寄りの大船駅からだと伊東駅まで70分でたどり着けます。
花火大会は、20時から1時間、伊東海岸の砂浜沖にある3つの防波堤上の5つの打上げ台から次々と色いろな形の花火約1万発が打ち上げられました。この日は快晴で波もなく絶好の花火日和。7時頃からは、打上げ予告として、打上げ予定時間、スポンサー名とともに製造花火師が延々とアナウンスされます。少々早く到着しましたので、久々の本格的な花火大会の、盛り沢山なフルコースを経験しました。帰路には、長岡からの観光バスも何台か見かけました。先の8/1~2に2万発打ち上げられる新潟長岡の花火大会の後にここも訪ねるツアー客や花火師業者さんもいるのかもしれません。
ここは打上げ台と観客席が近いために、大きな花火は見上げるように観ますし、5台から同時に打ち上げられる時には首を左右に振らないとみれないような、臨場感、没入感のある、やや首回りが忙しい花火見物でした。砂浜では広めに敷いたブルーシートの上で寝ながらゆっくりと観るという贅沢な鑑賞スタイルも見られます(私は撮影で大忙しでしたが)。花火全体や輪郭を撮影するには距離が近すぎて画角に収まりません(隣のカメラマンによると、輪郭を撮るには近くの山に登る必要があるそうです)。また、横浜みなとみらい地区や隅田川の花火大会のようには観客数や客密度が大きくないために、比較的ゆっくりと鑑賞、撮影ができました。
しかしながら、上記のような状況から、写真撮影には焦点距離・角度の調整やピント合わせを素早くする必要があり、撮影難度が高くなります。私も技量不足で、都度のピント合わせが間に合わず残念な結果の連続でした。夜間撮影、とくに近接した花火撮影には事前に何度かトレーニングが必要とつくづく感じた次第です。
そこで、一句、

火花散る真上の花火五千発
首回し見上げる花火父母の背や

この日、伊東では按針祭が行われています。江戸初期に来日した三浦按針(あんじん、ウィリアム・アダムス)が徳川家康の命を受けて、国内で最初の洋式帆船をここ松川河口で造ったそうで、その8/10に因んで、関係国からの来賓を招いて式典が行われるそうです。
また、駅から海岸に出る途中に古民家風の「木下杢太郎記念館」があります。木下杢太郎は伊東出身の劇作家・詩人・美術史家であり皮膚科の医者(ハンセン氏病やカビ菌の研究者)でもあり、多才な明治人だったようです。
私は60年ほど前の中学生だった頃に、叔父が伊東の高校に勤務されており、夏休みに1週間程、その下宿でお世話になったことがありました。そのとき、一緒に伊東周辺を案内してもらい巡ったなかの一つがこの記念館だったことを思い出します。また、その時に、当地の家庭料理として当り前の鯵のタタキに驚き、その美味しさを初めて知った場所でもあります。その時には、他に大室山、宇佐美海岸(泳ぐ砂利底で初めて小さな鮫をみつけ捕まえたことがありました)なども案内してもらった記憶があります。
この前日夕には、神奈川西部、小田原近辺で震度5の地震があり、花火大会の開催を心配しましたが、初めての「巨大地震注意」のアラートに対し、伊東市や主催者団体は冷静で「津波到来を覚悟しつつも賢く備える」方針だったそうで、観客から見て、とくに支障はありませんでした。
この日は、11,600歩コースでした。


海岸沖には、毎年飛鳥Ⅱが停泊し、
船上からも楽しめるそうです。
伊東漁港方面の海岸。以前、伊豆での家族
キャンプの帰りに伊東漁港岸壁で鯵釣りを
したことがありました。

ピントが合わず雰囲気だけの写真です。
以下も同じです。修行不足を感じます。





海岸道路沿いには、ちょっと変わった
こんな「花火」もありました。

木下杢太郎の業績。多才の士です。

会場正面のオレンジビーチには、招待席も
準備されていました。左右の海岸には
浜茶屋の有料席も、今流にあります。
伊東駅前のヤシの木の元気良さが印象に
残りました。気候に合っているのでしょうか。

温泉駅前でよく見る、温泉宿の提灯です。

JR・伊豆急 伊東駅

2024年8月8日木曜日

「変化朝顔」とオクラに瓢箪ー夏の風物からー

 8/7には、今年の変化朝顔の様子を見に、近くの本郷ふじやま公園の古民家を訪ねました。
変化朝顔は、突然変異によりアサガオとは思えないような奇抜な姿(花と葉)に変化した朝顔をいい、変化咲き朝顔ともいわれます。葉が尖ったり、縮れたり、花が割れたりする一風変わった色や形に変化します。
変化朝顔の栽培は、約200年前の江戸時代後半に大きく発展し、その後、数度の大流行を経て今日に至りますが、今は下火の時期とのこと。 江戸時代、植木鉢の普及に伴い庭を持たない庶民も園芸を楽しむようになったようです。江戸中期の世相の余裕を感じさせる、なかなか風流で優雅な楽しみです。
ふじやま公園でも、変化朝顔に興味を持った、この公園の管理ボランティアの木村さんが園内の古民家の庭で十数年前に栽培を始められたそうです。たまたまこの日も木村さん(87歳ですが至極お元気でした)が作業中で、小一時間の個人授業でいろいろと教えていただきました。耳学問だけはつきます。
今年は、春が高温だったことと交配上の端境期で変化のバリエーションが小さいそうです。毎年600株を植えられ、そこから、双葉に次いで出始めた本葉に変化が見られる150株ほどを選んで、更に選定していくそうです。変化は、花だけでなく葉の変化も楽しむそうで、これまでに数百種類の変化朝顔を育てられたそうです。花は午前中の数時間だけ咲くそうで、一期一会でその姿形はその時間でしか観れないとのこと。変化朝顔は突然変異でできているので、種類によっては種子ができないものもあるとか。九州大学で長く研究されているようです。日英語併記の解説本や自分で育てた種類の写真を使って多くを教わってきました。といっても、突然変異した生き物の栽培であり、規則性がみられず今でもわからないことが多く手探りを繰り返しているそうです。株ごとの生長や変化を日誌ノートに綿密に綴っておられ、ここまでくると親が心配する子供みたいな存在だそうです。多くの子達が心配で年取る暇がないと言われていました。
公園内の畑では、丁度オクラが結実し始めており、花の咲き方から、収穫直前まで、初めてでしたが、見ることができました。
この日の古民家では、園内で収穫した梅干しの瓶詰の日だそうで、沢山の主婦の方で賑やかでした。
その帰路には、鎌倉街道沿いの関の下近くに瓢箪の棚が毎年作られ、今年も数個の瓢箪が緑からやや黄色に色付いてきていました。これも夏の風物です。と言っても、もう立秋ですから。
この日は、7,800歩コースでした。


花も葉もいつも見る朝顔とは全く違って
います。そこを楽しむそうです。

木村さん自慢の作品とのこと。過去の自撮りの
写真で見せていただきました。

今年の作品から

変化朝顔栽培のバイブルのような本だそう
です。変化朝顔の花の種類が掲載されて
います。

葉もちじれて変化しています。

日英併記で丁寧に書かれています。栽培の
バイブルだそうです。

古民家「旧小岩井家住宅」。手前の長屋門
から。ミストシャワが涼しそうです。母屋の
裏庭で変化朝顔が栽培されています。
オクラの花が咲き実をつけ
はじめていました。
美味しそうな丸々としたオクラの実が
順調に育っています。

鎌倉街道沿いの関の下にある
「休み処」の瓢箪です。

2024年8月6日火曜日

猛暑のなかの「神護寺」展

  8/6には、猛暑日の中、上野の東京国立博物館で開催中の「神護寺展」(じんごじ)を観てきました。空海生誕1250年を記念したイベントが各地で開かれていますが、この企画もその一環で、それと高雄山神護寺(たかおさん)の創建1200年を合わせて記念した企画だそうです。8/13を境に前期と後期で展示が入れ替わるようで、今回は前期の展示を観たことになります。
それにしても、これだけをここで展示すれば、今は、神護寺はすっかり空っぽかと思われるくらい、盛り沢山な展示です。NHKも主催しており、映像も豊富でした。
空海が唐から帰国して最初にここに滞在しました。遣唐使として20年滞在予定のところ、中国西安市の青龍寺で恵果(けいか)から密教奥義の皆伝を受けたとはいえ、807年に3年で帰国したことで朝廷からすぐには受け入れられず、都の中心からは離れた神護寺に入定したそうです(今でも京都駅から北西にバスで50分かかります)。816年に和歌山の高野山金剛峰寺に移るまでここで、巨大な曼陀羅絵の制作など、真言密教の基礎を作り上げた場所とのこと。神護寺は、正しくは、神護国真言寺(じんごこくそしんごんじ:八幡神の加護により国家鎮護を祈念する真言の寺)だそうで、後の真言宗の発祥の地だそうです。
長い歴史の中で、書物、経物、絵巻、屏風絵、仏像、彫刻が多く残されており、とくに、空海が筆をいれたとされる両界曼荼羅(金剛界、胎蔵界)、寺外初公開のご本尊「薬師如来立像」、空海自筆の経物や密教儀礼の受法者名簿、歴史教科書で定番の、等身大に頼朝を描いた伝源頼朝像の原画、など、興味をそそられる展示が多くありました。展示の中で、密教が曼陀羅絵を重視するのは、お経の文字列だけでは表現できな教義が曼陀羅絵にはあるそうで、密教の根源とのこと。
1200年を一足飛びに遡るタイムマシンのような感じのする、なかなかわかりやすい、私には見応えのある展示でした。
このところ、昨夏に京都で親鸞展、今春にここで法然展、そして今回空海展と、歳のせいか、仏教絡みの拝観の機会が増えてきました。
この日は、12,800歩コースでした。暑いなか、結構歩きました。


二天王立像。ここだけが撮影可能でした。
神護寺の楼門に安置されている
一対の二天王像で、高雄山の麓を流れる
清滝川から参道を上ってきた人々を迎える
そうです。

寺外初公開のご本尊「薬師如来立像」の
イメージ。薬師如来にしては険しい表情、
立派な体格と力強さが特徴とか。当時の厳しい
時世を現しているのかもしれません。

右が本館、左が平成館で、正面に
東京スカイツリーも見えます。

平成館正面です。

2024年8月3日土曜日

かつて馴染みの店


7/31には、定期的な会合が市ヶ谷であり、その帰路、かつて馴染みにしていた居酒屋「かね将」に立ち寄ってきました。五反田駅前の西五反田に、コロナ禍を乗り切って、今も健在です。職場が近かったこともあり、同僚のたまり場でした。店長の金子「大将」も元気で、メニューは多少の値上がりはしていましたが変わらず、混み具合もコロナ前にほぼ戻った様子で、通勤帰りのサラリーマンで混み合っていました。しかし、店員は、身内を除いて殆ど変わっていました。店長もさぞ苦労されたことと思います。


左奥はJR五反田駅西口です。奥正面は
山手線で中原街道起点のガードです。

2年前(20220327)の様子をスケッチして
いました。屋外の簡易な特等席(かつては
よく利用しました)がなくなって
スッキリしていました。

クリガニのカニ汁

 8/6には、孫の付き合いで目黒に出かけ、やや疲れた帰りの寿司店(目黒駅ビル内の「寿司 活」でした)で、たまたま「大きいクリカニのカニ汁」をメニューに見かけ、ついつい惹かれて注文してみました。今年3月にも陸奥湾のクリガニを珍しく見かけ自宅で美味しくいただいたばかりでした。春が旬と...