8/10には、伊豆の伊東温泉で「按針祭 海の花火大会」があり、 久しぶりに訪ねました。
この日のイベントには、JRも力が入っており、東京-伊東間を全車指定席の臨時特急列車「伊東按針祭花火大会号」が往復4本運行され、私も往復ともこれを利用しました。最寄りの大船駅からだと伊東駅まで70分でたどり着けます。
花火大会は、20時から1時間、伊東海岸の砂浜沖にある3つの防波堤上の5つの打上げ台から次々と色いろな形の花火約1万発が打ち上げられました。この日は快晴で波もなく絶好の花火日和。7時頃からは、打上げ予告として、打上げ予定時間、スポンサー名とともに製造花火師が延々とアナウンスされます。少々早く到着しましたので、久々の本格的な花火大会の、盛り沢山なフルコースを経験しました。帰路には、長岡からの観光バスも何台か見かけました。先の8/1~2に2万発打ち上げられる新潟長岡の花火大会の後にここも訪ねるツアー客や花火師業者さんもいるのかもしれません。
ここは打上げ台と観客席が近いために、大きな花火は見上げるように観ますし、5台から同時に打ち上げられる時には首を左右に振らないとみれないような、臨場感、没入感のある、やや首回りが忙しい花火見物でした。砂浜では広めに敷いたブルーシートの上で寝ながらゆっくりと観るという贅沢な鑑賞スタイルも見られます(私は撮影で大忙しでしたが)。花火全体や輪郭を撮影するには距離が近すぎて画角に収まりません(隣のカメラマンによると、輪郭を撮るには近くの山に登る必要があるそうです)。また、横浜みなとみらい地区や隅田川の花火大会のようには観客数や客密度が大きくないために、比較的ゆっくりと鑑賞、撮影ができました。
しかしながら、上記のような状況から、写真撮影には焦点距離・角度の調整やピント合わせを素早くする必要があり、撮影難度が高くなります。私も技量不足で、都度のピント合わせが間に合わず残念な結果の連続でした。夜間撮影、とくに近接した花火撮影には事前に何度かトレーニングが必要とつくづく感じた次第です。
そこで、一句、
この日のイベントには、JRも力が入っており、東京-伊東間を全車指定席の臨時特急列車「伊東按針祭花火大会号」が往復4本運行され、私も往復ともこれを利用しました。最寄りの大船駅からだと伊東駅まで70分でたどり着けます。
花火大会は、20時から1時間、伊東海岸の砂浜沖にある3つの防波堤上の5つの打上げ台から次々と色いろな形の花火約1万発が打ち上げられました。この日は快晴で波もなく絶好の花火日和。7時頃からは、打上げ予告として、打上げ予定時間、スポンサー名とともに製造花火師が延々とアナウンスされます。少々早く到着しましたので、久々の本格的な花火大会の、盛り沢山なフルコースを経験しました。帰路には、長岡からの観光バスも何台か見かけました。先の8/1~2に2万発打ち上げられる新潟長岡の花火大会の後にここも訪ねるツアー客や花火師業者さんもいるのかもしれません。
ここは打上げ台と観客席が近いために、大きな花火は見上げるように観ますし、5台から同時に打ち上げられる時には首を左右に振らないとみれないような、臨場感、没入感のある、やや首回りが忙しい花火見物でした。砂浜では広めに敷いたブルーシートの上で寝ながらゆっくりと観るという贅沢な鑑賞スタイルも見られます(私は撮影で大忙しでしたが)。花火全体や輪郭を撮影するには距離が近すぎて画角に収まりません(隣のカメラマンによると、輪郭を撮るには近くの山に登る必要があるそうです)。また、横浜みなとみらい地区や隅田川の花火大会のようには観客数や客密度が大きくないために、比較的ゆっくりと鑑賞、撮影ができました。
しかしながら、上記のような状況から、写真撮影には焦点距離・角度の調整やピント合わせを素早くする必要があり、撮影難度が高くなります。私も技量不足で、都度のピント合わせが間に合わず残念な結果の連続でした。夜間撮影、とくに近接した花火撮影には事前に何度かトレーニングが必要とつくづく感じた次第です。
そこで、一句、
火花散る真上の花火五千発
首回し見上げる花火父母の背や
この日、伊東では按針祭が行われています。江戸初期に来日した三浦按針(あんじん、ウィリアム・アダムス)が徳川家康の命を受けて、国内で最初の洋式帆船をここ松川河口で造ったそうで、その8/10に因んで、関係国からの来賓を招いて式典が行われるそうです。
また、駅から海岸に出る途中に古民家風の「木下杢太郎記念館」があります。木下杢太郎は伊東出身の劇作家・詩人・美術史家であり皮膚科の医者(ハンセン氏病やカビ菌の研究者)でもあり、多才な明治人だったようです。
私は60年ほど前の中学生だった頃に、叔父が伊東の高校に勤務されており、夏休みに1週間程、その下宿でお世話になったことがありました。そのとき、一緒に伊東周辺を案内してもらい巡ったなかの一つがこの記念館だったことを思い出します。また、その時に、当地の家庭料理として当り前の鯵のタタキに驚き、その美味しさを初めて知った場所でもあります。その時には、他に大室山、宇佐美海岸(泳ぐ砂利底で初めて小さな鮫をみつけ捕まえたことがありました)なども案内してもらった記憶があります。
この前日夕には、神奈川西部、小田原近辺で震度5の地震があり、花火大会の開催を心配しましたが、初めての「巨大地震注意」のアラートに対し、伊東市や主催者団体は冷静で「津波到来を覚悟しつつも賢く備える」方針だったそうで、観客から見て、とくに支障はありませんでした。
この日は、11,600歩コースでした。
私は60年ほど前の中学生だった頃に、叔父が伊東の高校に勤務されており、夏休みに1週間程、その下宿でお世話になったことがありました。そのとき、一緒に伊東周辺を案内してもらい巡ったなかの一つがこの記念館だったことを思い出します。また、その時に、当地の家庭料理として当り前の鯵のタタキに驚き、その美味しさを初めて知った場所でもあります。その時には、他に大室山、宇佐美海岸(泳ぐ砂利底で初めて小さな鮫をみつけ捕まえたことがありました)なども案内してもらった記憶があります。
この前日夕には、神奈川西部、小田原近辺で震度5の地震があり、花火大会の開催を心配しましたが、初めての「巨大地震注意」のアラートに対し、伊東市や主催者団体は冷静で「津波到来を覚悟しつつも賢く備える」方針だったそうで、観客から見て、とくに支障はありませんでした。
この日は、11,600歩コースでした。
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