2021年11月29日月曜日

村上町屋と岩船漁港の散策


 先日11/25には、新潟県下越の村上市を訪ねました。この時期に一度は散歩してみたい街のひとつでした。
江戸時代初期村上氏から幕末内藤氏まで続く城下町で、町東部の臥牛(がぎゅう)山頂にある村上城(石垣のみ現存します。通称「舞鶴城」だそうで、京都府の舞鶴出身者として親近感を覚えます)での治世が続きました。その間、鮭事業は藩の収益源であったようです。江戸中期の一時の乱獲による不漁を、三面川(みおもてがわ)中洲での30年にわたる人工河川造営工事(「種川(たねがわ)の制」というそうです)により自然ふ化を軌道に乗せることによって、なんとかのり越えて、いまも脈々として鮭文化が受け継がれているそうです。その収益の一部は、地元の育英会を通じて長く奨学金などにも充てられ優れた人材を育ててきた実績があるとのこと。長岡の米百俵にも通じる、鮭による日本的な地域の道徳観を感じます。近くでは、市内に雅子皇后の実家の大和田家があり、郷土資料館では皇室入りに伴う除籍事務用品なども保管されています。
3日間の滞在を通じて、地元の自然環境ならではの発酵をさせた薄塩の塩引き鮭や1年物の乾燥鮭を酒漬けにした酒びたし、地酒の〆張鶴や大洋盛をしっかりと味わってきました。
写真はじめ2枚が鮭加工の「きっかわ」の店頭と加工場での1年物の塩引き鮭、3枚目が鮭加工の「うおや」店頭軒先の新物の塩引き鮭です。
4枚目は、散歩中、9~11月に鮭がのぼる三面川の下渡大橋(げど)からみた上流の流れです。下渡山、朝日連峰が雲の先に見えます。左手前が臥牛山です。
その橋を渡るときに、川原で鮭の釣り人を見かけました。その時にたまたま大物?が釣れるのを目の当たりにしたのが5枚目の写真です。地元住民ならではの醍醐味で、うらやましい限りです。この橋の少し下流にあるイヨボヤ会館では、三面川を遡上する鮭がガラス越しに見える設備がありますが、当日は残念ながら前日の雨で水流が濁り見ることはできませんでした。
鮭の水揚げ港でもある岩船漁港を歩いているときには、激しいにわか雷雨(大粒のヒョウでした)にあい一時期慌てて避難しました。後で聞くと、その時の落雷の影響で羽越本線の岩船町駅(村上駅の新潟側隣駅です)近くの鉄道に被害があり、回復の目途がたたないため帰路で村上駅から新潟駅まで臨時のバスで移動するというアクシデントもありました。この地域ではこの時期にはよくあることだそうです。
鮭のほかでは、茶葉の栽培北限だそうで、街中で村上茶や茶菓子を扱うお茶屋さん、菓子屋さんを多く見かけます。
この街で、市内の主要ポイントをまわる巡回バス(小回り、大回り、瀬波(せなみ)温泉各ルート)が充実しており、地元年配者、旅行客には便利にできていました(料金も一律100円です)。村上市が地元新潟交通観光バスに委託して運営されており、これからの地域でのマイクロモビリティの試行のようにも思えました。






2021年11月24日水曜日

香嵐渓の紅葉も盛り

 コロナ禍が過ぎれば一度はと考えていた香嵐渓@愛知県豊田市足助町(あすけ)に11/21に足を延ばして、晩秋を訪ねてきました。400年前に地元香積寺(こうじゃくじ)の三栄和尚が経を唱えながら背後の飯盛山一帯、前面の巴川沿いにもみじを植えたのが始まりとか。鮮やかな赤で葉の小さいもみじの群生と巴川の清流が印象的でした。17時以降のライトアップも幻想的でなかなか見応えがありました。地元の方によると、それでも当日は紅葉の赤味の盛りは若干過ぎた時期だそうです。また、人出はまだ例年並みには至らないようでした。




2021年11月17日水曜日

日展2021を訪ねて


11/15には、近くの大船にここ9年通っている(いつの間にか最長の受講者になりました)小さなペン彩画教室での一色先生が日展に今回も入選されたので、六本木の国立新美術館で鑑賞してきました。昨年に続き2年連続しての入選と、素晴らしい実績を上げられています。日頃から教室で、制作段階における完成までの詳しい制作プロセスや途中でのご苦労話を聞いているので尚更です。
日展は、日本画、洋画、工芸美術、彫刻、書の5部門の公募展で、今年は8000点の応募があり1000点が選ばれたそうです。膨大な出展作を見て、日本の画界のエネルギーを感じます。今年の審査所感は、日本画部門では「今年の作品を拝見し感じたことは、この重苦しい現状から離れたい気持か、格調は高くおだ やかで静かな境地を求めた作品が多かったように思います。 作品に対し、品格と感性は大切なことです。さらに自分の信念を持ち、思う存分立ち向かう 強い意志の作品群も増えて欲しいと願っています。」、洋画部門では「全体的に、アカデミックな解釈を根底にするも、各々が、リアリティー豊かな個性を発揮して頂くことが、今後の日展洋画を魅力あるものに発展させて行くものと、確信した。」でした。昨今の世相を映しているようです。
この会場ではほぼ全作品が撮影可能で、お気に入り150枚程撮った写真を持ち帰り、モチーフ、構図、色彩、タッチ、手法などから自分流に勝手な想像をしつつ、コロナ禍のなかそれぞれに力のこめられた作品をじっくりと眺めるのが、ささやかな楽しみです。




2021年11月12日金曜日

川崎緑地の散歩

 先日、自宅から地下鉄とバスで1時間程の距離にある川崎緑地@川崎市宮前区(県立/市立東高根森林公園(ひがしたかね、県立区域と市立区域が隣接しています))に出かけました。シラカシの紅葉と古代古墳が評判です。紅葉は1~2週間早めですが、部分的には始まっていました。この辺りはもともとシラカシ林だったそうですが、人が住むようになると、燃えやすく、加工しやすいクヌギや͡コナラなどの雑木林になるそうです。ここは農具や武具の持ち手など固さが必要な素材としてのシラカシの栽培地として、珍しく残ってきたとか。学術的にも貴重だそうです。





2021年11月10日水曜日

「10/30鳴子峡探訪」の補追2題ー足湯とこけし

 先に鳴子峡を訪ねた折に印象的だった2題を追加して写真をアップします。
まず、古川から陸羽東線に入り降り立った鳴子温泉駅には、駅頭に2桶の足湯槽がいまも準備されていました。50年前に訪れたときには足湯の意味が分からず、同行の仲間に教えられたことを思い出します。その時は随分と寒い日でここでしばらく温まっていきました。今も変わらず続いていることに懐かしく思うとともに感動しました。
2つ目は、鳴子峡鳴子口から鳴子温泉駅に戻る途中に「日本こけし館」を見かけ立ち寄ってみました。ここは、首を回すときゅっきゅっとなる鳴子こけしの産地です。そこの店頭の大型のこけしもコロナ禍でマスク姿をしているのに、思わず笑ってしまいました。写真最後はケヤキでつくった新作とかで(色黒で達磨姿は男性向きかも)、早速買い求めた次第です。


  











2021年11月8日月曜日

信越での久々の紅葉


先週10/27~29には、長野県東北区域にある飯山市の斑尾高原や長野県と新潟県に跨る上信越高原の秋を久々に訪ねてみました。長野北信地区と新潟苗場山麓になります。時期的にはやや早めでしたが(今年は紅葉の時期が遅れているそうです)、高地になる奥志賀林道は紅葉真っ盛りで楽しめました。

コロナ禍を経て、旅の仕方も変わっているようです。今回は、志賀高原一ノ瀬で2泊して、そこ周辺をホテルのマイクロバス(15人乗り)で巡るツアーで(地元ならではの企画から当日の運転、案内まで、ホテルの旦那さんや従業員が精力的に陣頭指揮されていました)、マイクロツーリズムというそうです。通常の大型バスではいけない、ほぼ個人の車で行ける範囲をシニア世代でも運転なしで気軽に回れるということで、とくに写真好きには広がりを見せているとのことでした。コロナ禍を経験したことによる苦肉の策だったようです(ガイドを勉強されたそうです)。上信越の秋は、北の秋とはまた違って、ブナ林を中心に、きめ細やかな鮮やかさを感じます。
そのときの写真を思いのままにピックアップしてみました。順に、希望湖(のぞみこ)@飯山市斑尾高原(まだらお)(東山魁夷の絵の題材になったとか)、秋山郷・前倉橋から千曲川上流@新潟県津南町、田茂木池(たもぎいけ)@飯山市鍋倉高原、奥志賀林道@長野県山ノ内町、ホテルフロントの鹿と熊にもマスク、雪が散らつく10/29朝の志賀高原一ノ瀬です。








2021年11月7日日曜日

「ふるさと港南の歴史かるた」のこと

 身近な石仏の見方の講演会を契機としてNPO法人港南歴史協議会という地元の歴史を深掘りする組織がここ14年にわたり地道で良い活動を続けていることを知りました。それまでの地域の歴史グループを束ねた組織とのこと。
最近出版された石仏のガイド・写真集の写真が印象深くて、港南公会堂でその講演会に参加してみた次第です。そのときに、この協議会が2年前に港南区発足50周年の記念行事の一環として、「ふるさと港南の歴史かるた」を企画し販売していることを知りました。会では、取り札の絵の全原画を展示したり、会の最後には、そのかるたとりを子供を含めて参加者でしてみるというおまけつきでした。読み札の句、取り札の絵、ともにほほえましい出来でした。作成段階では、区内の小学校で、港南歴史のワークショップを開催しその内容を子供の眼線で句にしてもらい、協議会で選定し、絵はコミュニティプラザの絵の会のメンバにその句に沿って描いてもらったそうです。それが以下の写真です。
地元学区の日下(ひした)小学校も地域では最古の小学校とのことで2回出てきます。
この協議会では、句の主題となった歴史物を3~5物ずつ地区に分けて、それを地元に紹介し、実際に歩いて案内し、最後にかるた取りをする、という会を積み重ねておられるとのことでした。地元活動員30人ほどによる素晴らしい地域活動と思いました。

子供たちの小さい頃には余り地元の歴史の話をすることもなかったので、親の反省も含めて、このかるたを是非子供たちに届けたいと思い早速3セツト入手しました。今日、長男、三男家族が集まった折に、それを手渡したところです。うまく使ってくれればよいと思っています。





「京橋の碑」と紫陽花

 6/2午後には、7月の写真展への出展作のプリント色合わせのために、Fフォトギャラリー銀座を再度訪ねました。 その帰路には、銀座の隣町の京橋に出て、JR東京駅まで歩きました。途中、銀座中央通りと首都高速の交差点で、街中で咲き始めたばかりの紫陽花を見かけました。 ここは、江戸期には...