2022年1月31日月曜日

二宮町吾妻山の菜の花が満開

 1/30には、JR二宮駅前(にのみや)にある吾妻山を巡ってきました。山頂(136m)に6万株の早咲きの菜の花畑があり、背景の富士山と組合せた眺め、相模湾や伊豆半島を背景とした眺めが毎年評判の町営の公園です。菜の花は丁度満開の始まりでしたが、この日は富士山の山頂が雲で覆われ(2番目の写真の通り)、雲が流れるのを期待して来訪者はしばらく頂上に滞留するのですが、雲は動かず、なかなか思う通りにはいきません。
山頂で、ボランティアで公園を管理されている年配の方と話する機会があり、「富士山が綺麗に見えるのは朝方がよい(午後は曇ることが多いとのこと、当日も朝はよく見えたようです)」、「雲もなく綺麗に富士山が見える日はたまにしかありません。ただ綺麗な富士山は絵葉書のようで余り面白くないですよ。雲が掛かるくらいの方が面白いのでは。また来てください」と助言(と慰めのことば?)をもらいました。
当日は、幸い天候もよく、富士山の雲以外は申し分のない条件でした。この数年毎年訪れますが、ここの菜の花を観ると冬籠りの精神状態から「いつまでも籠っていないで目を覚ませ」とばかりに、やや早めの春の訪れを目の当たりにして覚醒させられる気がします。
往路は役場口から登り、復路は梅沢口に下りました。梅沢口から二宮駅に線路沿いを歩く途中に、落花生専門店の高橋商店を通りかかりました。入口には「お年賀に落花生」と貼り紙があり、店内には落花生の佃煮や和菓子など特産品が並んでいました。二宮は古くから落花生の栽培が盛んで、今も落花生を生活に活かす様々な文化が残っているそうで、この地域では落花生がお年賀にもよく使われるそうです。珍しさから帰りに店頭をスケッチさせてもらいました。最後の写真です。古い商店の家屋を保護するように屋上に新しい斜めの屋根が造られています。これも地域文化保存の一つの立派な方法のように思えます。

この日の散歩は、10,760歩コースでした。





落花生専門店高橋商店。古い商屋を保護するように
新しい
斜めの屋根が屋上に造られています。

2022年1月27日木曜日

春節燈花と通院散歩コース

かかりつけ医のような形で石川町駅(JR根岸線)前の病院にここ15年ほど通院を続けています。健康診断とその後の治療、高血圧の薬の補充(最近、服用薬が3種類から2種類に改善しました)など日頃の健康相談でA医師にお世話になっています。コロナ禍のなかでは、臨時措置ということでしたが、電話での遠隔診断も数回受けました。これをいい機会として、できればコロナ禍後には、患者の希望に合わせて、平常時の診察はテレビ会議や電話などを使ったリモート診察も定常メニューに加えてほしいところです。
診察のあとは、通常、近くの中華街と元町を回って石川町駅に戻る通院散歩コースを歩いて石川町周辺の街中散歩を続けています。
先日の通院後には、中華街の関帝廟通り沿いにある山下町公園で、たまたま中華街の春節燈花と巡り合わせました。春節燈花は春節(中国・中華圏での旧暦の正月、2/1~2/15)の前夜祝祭で、ランタンが展示されています。西遊記で旅の目標地点とされた天竺「雷音寺」、三国志(張飛ら)や八仙(鐘離権ら)に因んだ「三面柱」、など多士済々です。写真は昼の部でしたが、夜は燈火され、こちらがメインです。夜の部は下記のURLに録画されているようです。中華圏での、青森のねぶた祭りのような祭り気分を思い起こします。

春節燈花(しゅんせつとうか)2022「ランタンオブジェパビリオン」(2022年1月15日~1月29日)夜の部:
https://www.youtube.com/watch?v=Hfm8VrV1c_I

その後、近くの中村川にかかる前田橋を渡って元町に寄りましたが、こちらは横浜開港以来の典型的な洋風商店街で、近隣でありながら中国風から西洋風へのいつもながらの街並みのギャップを感じます。これは昨今の世相でもあります。
この日は5650歩コースでした。


               張飛益徳

          手前左右が「三面柱」、奥が「雷音寺」





2022年1月26日水曜日

早くも蠟梅の季節

1/26には、大船フラワーセンターを訪ねました。自宅からバス・電車で大船駅まで25~30分、そこから歩いて15分程で行けるために、四季を通じて気楽な散歩コースにしています。今は「イエロー祭り」中だそうで、早いもので1月下旬には黄色の花をつける蠟梅の季節です。昨年も1/24にここを訪れていました。写真好きには結構便利で、勝手の知れた半分裏庭のような草花撮影コースとして重宝しています。
大船フラワーセンターは、もともと神奈川県農業試験場の広い跡地を神奈川県立大船フラワーセンターとして開放し、県民に季節の草花を手近に鑑賞できる場として親しまれてきました。しかし、老朽化等で運営が厳しくなり、黒岩知事は一旦廃止の方向を打ち出していましたが、住民の存続署名運動などもあり、日比谷花壇を運営委託会社とした公設民営で存続する方針に切り替え、今に至っています。利用者からみると設備、運営、場内の雰囲気とも大幅に向上しました。命名権も付帯していたのでしょうか、「日比谷花壇大船フラワーセンター」が現在の正式名称です。農業試験場の頃には、ここで早咲きの桜として当時の新種であった「玉縄桜」(玉縄(たまなわ)はこの地区名です)が交配して生まれた場所で、その原木が一角にあります。場内には温室もあり通年楽しめます。

蠟梅は今が丁度満開の時期で、写真をアップします。かなり早めの早春という感じがします。
説明では、蠟梅(ろうばい)の名の由来には、花弁が蝋人形のように半透明で硬質なことからきたという説、陰暦の12月(臘月)に開花することからきたという説があるそうです。後者のほうが尤もらしく思えます。一見地味な花ですが、英語名ではウィンタ・スウィートと呼ばれるくらい近くでは甘い香りがします。








2022年1月16日日曜日

ドキュメンタリ「ボストン市庁舎」とミニシアタ


新年早々1/10の散歩では、少々長い寄り道をしてしまいました。黄金町(中区若葉町)にある地元のミニシアタ「ジャックアンドベティ」で、このところ評判のドキュメンタリ映画「ボストン市庁舎」を、なかなか厳しいコロナ対策のもとでしたが、鑑賞してきました。都内では昨年11月から公開されていたようですがコロナ禍もあったのでしょうか横浜ではこの時期になったようです。久々にみる、途中休憩10分間を含め4時間50分という長編の力作でした。91歳になるワイズマン監督の故郷でもあるボストンの自治体サービスの(それぞれに結構重い)舞台裏10話程(警察、消防、病院、福祉、地元野球チーム、地元大学、出生・婚姻・死亡記録、マリファナ店営業許可、LGBTQ対応など)に飄々と入り込んでテンポよく問題提示してくれます。そして、観た者に「自治体における市民社会の多様性を、このようなシーンであなたならどこまで受け入れますか」を考えさせるような作品でした。終始、インタビュー、ナレーション・背景説明、追加音楽は一切なく(これまでの作品「ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス」などを通じたワイズマン監督の一貫した映像手法とのこと)、2018~19年トランプ政権下当時のウォルシュ市長、その市庁チーム、市民等関係者間の直接の対話だけで構成されていて、その現場に居合わせた、突然に飛び込んだような臨場感があります。
最近、ミニシアタでは、神保町にある老舗の岩波ホールが7月に閉店するという報道があり、コロナ禍の影響とはいえ寂しい限りです。一方で、このところ、地域のミニシアタが作品毎、映画館毎あるいはミニシアタの全国団体でクラウドファンディングを利用した資金集めに成功し元気を取り戻す動きがあるのは嬉しいことです。近くの伊勢佐木町には「横浜シネマリン」というもうひとつミニシアタがあります。ここも数年前に新装開店し、経営者や趣向を変えて再出発して、いまでは気になる作品を度々上映するようになりました。昨年末にはここで、地元の横浜中華街の歴史をたどるドキュメンタリ「華のスミカ」を観ることができ、たまたま当日舞台挨拶に来られた林監督に、作品中ある諺を引用された意図について直接に質問する機会もありました。興業の仕方も変わってきています。
補足ですが、以前に、スケッチの「街の顔」シリーズとして「ジャックアンドベティ」と「横浜シネマリン」の外観をスケッチしたことがありましたのでアップしてみます。
この日は、8840歩コースでした。


              ジャックアンドベティ

横浜シネマリン






野毛坂での鏡の妙とプチパン展



 先日、横浜市中央図書館から貸出図書の返却通知が届き、1/16に快晴のなか桜木町駅から歩いて10分ほどにある野毛坂の図書館を訪ねました。途中往路の動物園通りで見かけた近隣ビルの風景にアレッと思いました。ビルの背景の青空と鏡に映った手前の青空が繋がって見えているのでした(最初の写真です)。その結果、青空にビルが浮き上がって見えます。最近、このような外からは鏡に見えるガラス(マジックミラー)を外装に使う造りの省エネビルをたまに見かけますが、これも設計者の意図したシーンのひとつだったのかもしれません。帰路は、手前の雲が映り2番目の写真のように変わっていました。
この日はその後、ペン彩スケッチの先生も出展されている、関内のオフィス街の一角にある仲通りギャラリーに立ち寄りました。ここでのプチパン展は、プロ、アマを問わずオープンで(アンデパンダン)同一の小さなフレーム(プチ)の作品展とのこと。小さい画面にそれぞれの個性と表現力を注いだ作品が多く、印象的でした。
この日は9,555歩コースでした。





2022年1月10日月曜日

明治中期の正月風景


久々に潮風を求めて金沢八景・野島にある旧伊藤博文金沢別邸を訪ねました。丁度1/10まで、所蔵する明治中期の正月飾りが邸内で披露されていました。金沢地区はかつて東京近郊の海浜別荘地として、近くの富岡とともに注目されていたそうです。この別邸は明治31年(1898年、当時57歳)に建てられた茅葺寄棟屋根の田舎風別荘建築とのこと。その後、周辺市街の発達により別荘地は葉山や大磯の湘南地域に移っていったようです(大磯にも伊藤博文大磯別邸があります)。歳月とともに老朽化が進むなか、平成21年(2009年)に創建時の姿が復元されました。邸内には、当時の自筆の長い漢文の掛け軸墨書やここでの客人との懇談の写真などが残されています。正月飾りは格調高く、昭和の頃の正月の思い出とはまた違う趣です。
この日は8850歩コースでした。


          投扇戯(とうせんぎ)
            江戸時代からの遊びで、霧箱の上にある的(蝶)に向かって扇子を投げ、
            扇子と的の落ち方によって点数をつけて遊びます。点数表が右上です。



 
浅瀬では海苔の養殖も復活していて、「ひび」といわれる
            養殖用棚の木や竹の枝が海中に立てられています。沖には
            八景島が見えます

野島橋から望む平潟湾。奥は八景島で、左は新杉田・
金沢八景を結ぶ
横浜シーサイドライン野島公園駅です。
 右は釣り船と船宿です。               

2022年1月7日金曜日

2年ぶりの冠雪

 1/6に横浜では朝から降り始めた雪が1日中夜半まで続き、約5~10センチの積雪でした。
写真は翌1/7朝自宅西側からのスナップです。年に2~3度、年を越してから3月初くらいまでに降る年が多いようです。
横浜近辺では、近年で2014年に40センチほど降ったのが最大で、通勤路の大渋滞、門前の雪かきに慌てた記憶があります。その時にはスコップの品切れが続く中、探し回ってなんとか、しっかりした雪かき専用の軽いスコップを購入したことを思い出します。それまでは園芸用のスコップを兼用していました。
出身の舞鶴では当時年末年始に30~50センチの冠雪は冬の前触れとして当たり前でしたから、いまもこの時期に雪をみると本格的な冬が来たかと身の引き締まる思いがします。




2022年1月2日日曜日

初詣と横浜にぎわい座

2022/1/1の0時過ぎ、年替わり早々に、自宅から直近で社も見える地元の氏神の天照大神宮を初詣に参拝しました。ここ40年くらい続けています。ここはかつて地元笹下郷の総社だったそうで、16世紀の天正年間(1573〜1592年)以前の創建とのこと。境内にも大きな楠の古木が残っています。

1/2には、横浜西区の桜木町紅葉坂近くにある伊勢山皇大神宮を訪ねました。ここは明治4年創建のまだ新しい横浜総鎮守で参道には屋台が出るほど市民の初詣で賑わいます。昨秋にはここで孫の七五三詣でをしたところです。
参拝の後、桜木町駅に戻る途中の野毛に寄席の横浜にぎわい座があります。幸い当日券があったので、寄り道して、新春特選演芸会で初笑いを楽しむことにしました。この時期、テレビの「笑点」の回答者が順に出演するようですがこの日は三遊亭円楽、ギター漫談の堺すすむほかの舞台でした。何年か前にもこの時期ここで鑑賞したことがありましたがその時は2階席の最後部の末席で遠目に円楽師匠を初めてみた記憶があります。今回は2階席は補修中で1階席の中ほど中央の席が取れました。これもコロナ禍の影響でしょうか。今年還暦を迎える円楽の演目は、ここの創設者で(二代目館長でいまも名誉館長だそうです)地元の野毛生まれの故桂歌丸師匠や先代の円楽師匠の思い出話を含む「思い出供養」でした。歌丸師匠とは、円楽襲名前の楽太郎の頃から長い二人会行脚を全国でされたそうで特別な深い関係があったようです。毎年この時期お墓参りに来られるとのこと。堺すすむの演目は定番の「な~んでかフラメンコ」の5題で、大いに笑わせる元気な79歳に驚きました。
この日のコースは9700歩でした。


        


                             地元の天照大神宮での初詣



横浜開港記念日と横浜開港祭2025

 6/2は、1859年に日米修好通商条約により横浜が開港されたことを記念する横浜開港記念日で、市内の小学校は休校でした。これに因んで5/31-6/2には横浜開港祭2025が臨港パークを中心にみなとみらい21地区ほかで行われ、様々なイベントに多くの子供連れで賑わいます。今年が第44...