11/28には、新宿のニコンプラザにコンパクトカメラA1000の修理(結果的には新機種Z30を勧められ、修理は諦めてしばらくは今のまま使い続けることにした次第です。A1000は2025年で保守終了とのことでした)や撮影会の準備などの用を終え、帰路、新宿東口近くにある花園神社で三の酉が催されていることをたまたま知り、寄り道することにしました。今回は、一度は修理を考えたカメラでの撮影となりました。
新宿鎮守社の大鳥祭で大賑わい、久々の活気でした。
この日は、15.000歩コースでした。
2022年11月30日水曜日
花園神社での酉の市
多摩川浅間神社の七五三風景
11/26には、孫娘の七五三詣りに多摩川浅間神社を訪ねました。多摩川沿いの小高い丘の中腹、東横線多摩川駅から5分のところにあります。
南北に細長い丘(多摩川台公園、亀甲山(かめのこやま)と呼ばれています)は、通称「古墳山」ともいわれ、この近くでは評判の花見どころです。武蔵中原に勤務していた頃には、同僚仲間とよく花見に来たことを思い出します。
ここは、古代に前方後円墳が築かれていた場所であり、本殿の位置が、後円部にあたるそうです。この近辺には、源頼朝、政子にまつわる逸話が多いですが、ご多分に漏れずここもそうで、以下のような由来があるとか。
源頼朝が豊島郡に出陣した時、夫の身を案じた北条政子が後を追って多摩川まで来た。その時わらじの傷が痛んだため、この地で傷の治療をすることにして逗留した際にここ亀甲山へ登ってみると富士山が鮮やかに見えた。富士吉田には、自分の守り本尊である浅間神社があるので、政子はその浅間神社に手を合わせ、夫の武運長久を祈り、身につけていた正観世音像をこの丘に建てたという。それ以来、村人たちはこの像を「富士浅間大菩薩」と呼び祀ったのが、この神社の起こりとされている。
その後、1652年(承応元年)に浅間神社表坂の土止め工事をしていた時に、九合目辺りから正観世音の立像が発掘された。多摩川で泥を洗い流すと片足が欠けていたため、新たに足を鋳造して祀り、神事を行ったという。
この日は、10,500歩コースでした。
田園調布南地区の鎮守様
2022年11月25日金曜日
綿の実 その2
庭先の綿の木の実がようやく開きました(関連記事は10/25の当ブログにも投稿しています)。葉が枯れ始めてからはじけます。3株の綿の木に、合わせて10個の花をつけ、内6個が実をつけ、いまのところ4個が実を開きました。ひとつの実には、綿状の房が4~5つ含まれ、それぞれに3つ程の種子をつけています。今年は、6月下旬にいただいた3個の種から50個程の種の収穫でした。
たまたま最寄駅前の花屋で「コットンツリー」を見かけました。最後の写真2枚です。ドライフラワーとして何年も使えるそうです。最後の写真のような黄色の綿をつける種類もあるようです。一本調達してきました。
2022年11月23日水曜日
大雄山最乗寺の紅葉
11/22には、神奈川県の最西端の南足柄市にある大雄山最乗寺(通称「道了尊」、曹洞宗)の紅葉を観てきました。応永元年(1394年)に、了庵禅師がここを建立する際に、弟子の山伏道了(相模坊道了尊者、どうりょう)が1日で京都の三井寺から駆け付けて、得意な土木工事で活躍し500人力の貢献したそうです。その後には、以下のような天狗伝説が残されました。
了庵禅師が75歳で亡くなられた翌日に、道了さん「妙覚道了尊者」は「私の役目は終わったので、これからは天狗に変身して永遠に、お寺とお参りに来た皆さんをお守りをする」と宣言して、白い大きな狐にのり、雷が轟くなか山奥に入って行った、とか。
こんなことから、今も、道了さんはここの守護神「道了大権現」として妙覚宝殿に祀られ、最乗寺は通称「道了尊」とも呼ばれているようです。広い境内の山中では、天狗像や天狗の一本歯の高下駄の置物を随所で見かけました。天狗には、赤い顔、鼻が高い、山伏の姿、脊中に羽がある「大天狗」と鼻が鳥のような顔の「カラス天狗」があるのだそうです。
紅葉も見頃で、山中のモミジは深紅でとくに日差しの中で映えます。この日は、丁度、最乗寺の山主の25年ぶりの交替の儀式「晋山式」の日だそうで、本堂周辺では多くの坊さんを見かけました。奥の院の係の方によると、この日は、「寺の大行事が行われる程の紅葉の最盛期」だったようです。晋山式の模様を外からもテレビモニタで誰でも視聴できるのは、今流です。
目についたのは、境内や周辺に立つ多くの講(法話の勉強会)の記念碑です。全国で講が組織され、たまに講として参拝する、最乗寺はそんな庶民の霊場として信仰を集めていたようです。
ここは、小田原駅から大雄山線で25分、終着の大雄山駅からバスで25分の所にあります。バスは、途中「丸太の森」を経由しました。「丸太の森」は子供たちが小さい時に、ここの酒匂川支線沿いの河原でよく夏のキャンプをしたところで、懐かしく思いました。
この日は、12,000歩コースでした。急な斜面の山散歩道は少々こたえました。
2022年11月19日土曜日
白日会作品展
先日には、ペン彩スケッチの先生が出品されている白日会神奈川支部展を訪ねました。
白日会は、大正13年(1924年、関東大震災の翌年)に創設され、白日に輝く太陽にちなみ命名されたそうです。創立者の中沢光弘が、欧遊の帰路に、もう一人の創立者となる川島理一郎と出会い、インド洋で太陽を仰ぎながら、大正デモクラシーの最中の画壇の混迷を嘆いて新たな日本洋画壇の創設を誓った情景に由来するとか。鮮明に写実を標榜し、「見えるものを通して見えないものを描く」ことを理念とする美術研究団体だそうです。自由な気風に加えてプロの集団化を促進することも意図されており、レベルの高い作品展でした。
別に興味をもったのは2枚目の写真の案内状にある3本脚の八咫烏(やたがらす)でした。その由来を尋ねたところ、白日会では、「白日」すなわち太陽を象徴する八咫烏を会章としていて(受付の方にバッジみせていただきました)、その図案は創立者川島の筆による会幟(のぼり)から転写されたと伝えられているとのことでした。
因みに、「咫」(はた)は、人の手の親指と中指を広げたときの長さで、「八咫」(やた)は「大きい」、転じて「立派な」、「有難い」という意味をもつそうです。八咫烏は太陽神の象徴であるとともに、天照大神の分身であり、導きの働きをするとか。古事記や日本書紀に登場し、天より遣わされて、神武天皇の東征を導いた鳥と伝えられているようです。、
鎌倉の古い寺院(鎌倉時代より前に建てられた)では、八咫烏の旗印をよく見かけます。
2022年11月18日金曜日
大山詣り
11/18には、この時期一度は行ってみたいと思っていました大山阿夫利神社下社(おおやまあふりじんじゃしもしゃ)に行ってきました。ここは、もともと、大山の山上には雲や霧が生じて雨を降らすことが多かったことから、「阿夫利山」、「雨降山」と呼ばれる雨乞いの神として地元農民の信仰を集めてきたそうです。鎌倉時代には頼朝が源平合戦での戦勝祈願に、中腹にある大山寺に太刀を奉納したことからから武将の信仰を集め、また、江戸時代には通行証のいらない参拝地として、大きな木太刀(きたち)をもって参拝する「大山詣り」が大流行して庶民に大山信仰が定着したとか。都内桜田通り西側終端の五反田から西に平塚方面に走る中原街道の先は今も「大山街道」と呼ばれています。
小田急伊勢原駅からバスで30分、大山ケーブルカー6分で中腹の標高700mにある阿夫利神社下社まではなんとかたどりつけましたが、1252mの大山山頂にある阿夫利神社本社までは片道1.5時間の立派な登山コースで、今回は残念ですが断念しました。といいますのも、バスを下車してから大山ケーブル駅までの参道も長い急斜面で結構こたえたこともあります。ケーブルカーは昭和40年にできたそうですので、それまでの参拝は、かなりの体力と日数が必要なコースです。その頃の名残でしょうか参道には宿坊も見かけました。
この時期はもみじが評判です。この日も好天で伊勢原方面を望む見晴らしとともに、山腹の紅葉はなかなかの眺望でした。翌日11/19~27には紅葉のライトアップも予定されているそうです。
この日は、11,300歩コースでした。
2022年11月12日土曜日
大船も秋模様
先日11/10には、自宅から1時間圏内にある大船フラワーセンターを訪ねました。丁度、第59回神奈川県菊花大会が開催中でした。
神奈川県内の菊の競技会は、県ではここで、県内各市では個別に競技会を毎年しているようです。
横浜市は先日訪問しました三渓園で行われるそうです(三渓園の様子は11/7に本ブログにアップしています)。
先回この時期に来た時に、競技に参加している方から、ここでは毎年11/5が審査日で、競技参加者は皆さん、この日に向けて開花状況をベストにすべく調整してきているので、その頃が見時ですよ、と教えていただきました。こんなこともあり、今回の訪問は、その審査日には少々遅れてしまいましたが、この日になった次第です。
菊花大会とは別に、その季節にはいつも楽しませてくれる睡蓮の池、蓮池、花菖蒲園、盆栽園もそれぞれに秋の様子でした。
この日は、6,800歩コースでした。
お化けカボチャ
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