2025年7月21日月曜日

台風一過の上野 不忍池のハスと風鈴

 7/14には、次回撮影会の下見に来た折に、上野池之端の不忍池に立ち寄り、台風5号通過直後のハスを撮影してきました。台風の風で花の形はやや乱れていましたが、雨上がりのハスには雨粒が残り格別の味があります。

因みに、2022/07/26にも、こちらでハスの撮影をしていました。当ブログの下記に記事をアップしています。

上野不忍池の蓮






台風もあってかよい風でした。俳句では、
梅雨明けの頃に吹く、明るく晴れやかな
南風を白南風(しらはえ)というそうです。
まさにそのような季節を感じさせます。

辯天堂。天海僧正が琵琶湖の竹生島を模して
建立されました。


辯天堂。八角形の建物で、池のどこからでも参拝
できるよう設計されています。寛永寺の
伽藍の一部だそうです。ここの定番のシーンの
一つです。

2025年7月19日土曜日

洋光台男声合唱団創立40周年記念演奏会


7/16には、創立40周年を迎える洋光台男声合唱団「洋団」の記念演奏会に、関内ホールで参加してきました。洋光台は、私の住む港南町の隣の町です。この合唱団には、戸塚に住む従兄弟もここ十数年団員として活動しています。彼は子供の頃から唄上手で「NHKのど自慢」にも出ようとしたとか。確か82歳になりますが、舞台でも目立つ長身で立派な体格は変わらず、セカンドテノールで楽譜を見たりみなっかったりで大きく口を開けながら立派にパートをこなされていました。団員の平均年齢は75歳だそうです。また、途中コロナ禍の前後で団員が半減したとのこと。
この日は、一階席はほぼ満席で、団員OBや家族で大いに盛り上がっていました。
プログラムはオーソドックスで、第一ステージは、多くの男声合唱団で歌われる男声合唱組曲「海鳥の詩」。団員に記念演奏会で歌いたい曲のアンケート結果だそうです。第2ステージが男声合唱とピアノのための組曲「ある真夜中に」で、コンクールの課題曲にもなる男声合唱曲の定番とか。第3ステージは、洋団でこれまでに歌い込んだ50曲を集めて2005年に作った「愛唱歌集」から選曲した5曲、第4ステージが、クライマックスの「オペラ座の怪人」から6曲でした。ここでは声楽家の指揮者もファントム役の歌手として参加します。選曲も40年の歴史と親しみを感じさせる、思いのこもった内容でした。
気が利いているのは、各ステージうを紹介する案内パンフレットのなかに曲目解説と歌詞が記載されていて、演目のストーリとともに歌唱の意味が目でも追えるため、素人には有難い企画だと思いました。そのため会場の照明も会場席側で文字が読める程度にしっかりと明るくなっています。
終演後、従兄弟とはエントランスホールで久々に会え、演奏を称え労をねぎらえました。練習の追い上げでは大変だったようです。体力的にも、暗譜のための短期記憶でも、心身ともに元気でないとできないことだと思いました。途中団長も引き受けたそうで、従兄弟の頑張りと歌唱への変わらぬ思い入れには敬服しました。
この日は、8,800歩コースでした。

(注)今年2025年4月12日には、この演奏会を知るきっかけとなった横浜並木男声合唱団(YNDG)の定期演奏会の記事を、当ブログの下記にアップしていました。そのYNDGの案内パンフに洋光台男声合唱団のこの演奏会のチラシがたまたま挟まれていました。

横浜並木男声合唱団の第13回定期演奏会


開演前のステージ(ピンボケですm(_ _)m)

第4ステージ「オペラ座の怪人」
の「曲目解説」
同「歌詞」。パンフには演奏する
全曲目の歌詞が記載されています。
素人には理解が深まり大変
助かります。
案内パンフレットから。よく
できた力作と思いました。

2025年7月18日金曜日

旧岩崎邸庭園を初めて訪問

 7/14には、属する写真仲間の会での夏季撮影会の下見に、旧岩崎邸庭園を台風5号通過直後に初めて訪ねました。銀座線上野広小路駅から8分程の台東区池之端にあります。不忍池、湯島天神や台東区総合庁舎がすぐそばにあります。この地域で関東大震災や戦災、進む都市化の中で残された貴重な明治の資産だそうです。
旧岩崎邸庭園は、明治29(1896)年に、初代岩崎彌太郎の長男で三菱第三代社長の久彌の本邸として造られました。もともと彌太郎の邸宅があった場所とか。往時は約1.5万坪の敷地に20棟もの建物が並んでいたそうですが、現在では3分の1程の敷地となり、現存するのは洋館、撞球室、和館大広間の3棟でした。
都の文化財9庭園のひとつとして、きちんと管理されているのには感心しました。キャッチコピーは「時の風が吹く庭園」だとか。よく当たっているように思いました。
また、洋館を設計したジョサイア・コンドルは、1852年のロンドン生まれで、明治10(1877)年に25歳で日本政府の招聘によって来日し、工部大学校造家学科(現在の東大工学部建築学科)の初代教師に就任しています。後に日本の近代建築を立ち上げる日本人建築家を多く輩出したそうです。(注1) 
それにしても、驚かされるのは、若干25歳で招聘に応じて来日し、鹿鳴館、上野博物館、ニコライ堂など今も残る洋風建築を設計し大活躍していることです。本国から陰に陽に相当な支援があったように想像されます。その後、彼は日本人と結婚し68歳で日本で永眠されています。先日新橋の停車場跡を訪ねた時にも29歳の若手鉄道技師を招聘して新橋-横浜間の鉄道開設に貢献してもらっています。(注2) 人材の外国からの招聘には、此のくらい思い切って、来る方も迎える方も覚悟を決めてことを成す必要のあることを物語っているように思いました。
さらに驚いたのは、この庭園の敷地は、明治初期には舞鶴藩牧野氏の屋敷だったそうです。私の郷里でもある京都府舞鶴市の田辺藩は細川家の肥後への転封の後に長く牧野家が治めました。多分廃藩置県で牧野家がここの江戸屋敷に移り、その後三菱に売却したように見えます。思わぬ歴史散歩でした。
この日は、13,800歩コースでした。

(注1)コンドルは、東京駅、日本銀行本店などの設計で知られる辰野金吾(「日本近代建築の父」と言われるそうです)、赤坂離宮を設計した片山東熊など多くの後進を育てています。とくに日本銀行本店は、耐震性に優れ、関東大震災にも耐えた「辰野堅固」の象徴とされるとか。
(注2)20歳代後半の若手技術者の英国からの招聘は、新橋ー横浜間の鉄道建設にも行われていました。今年2025年6月に下記の関連記事を当ブログにアップしていました。

旧新橋停車場 鉄道歴史展示室


旧岩崎邸洋館正面。英国ジャコビアン様式
だそうです。イギリス・ルネサンス様式や
イスラム風のモチーフ(英国から見た東洋なので
しょうか)などが取り入れられています。

一階の婦人客室天井。シルクの日本刺繍の
布張りになっています。

一階はトスカナ式の列柱、二階はイオニア式
だそうです。

客室。小さなピアノが置かれています。

洋館裏面。往時には主に年一回の岩崎家の
集まりや外国人や賓客を招いてのプライ
ベートな迎賓館として使われたそうです。

洋館から和館全景

芝庭の奥にあるビッグな西四阿。高さ3mは
あります。

和館

和館から洋館をみると

書院造り基調で、冠婚葬祭に使われたそうです。

山小屋風の撞球室。当時ビリアードも盛んだった
ようです。洋館とは地下道で繋がっています。
美観からでしょうか。

芝庭越しの洋館と撞球室。左奥は東大病院です。

映画「国宝」を観て

 7/15には、雨天の中、近くのTOHOシネマ上大岡で、いま評判の映画「国宝」を観てきました。
この作品は、歌舞伎の世界を舞台に、戦後の混乱期に、逆境の中で女形という芸に人生を捧げた主人公 喜久雄(吉沢亮)が、大きな起伏を経て立花庄之助という人間国宝になるまでの50年を描く壮大な人間ドラマでした。(注)
ものものしいタイトルとともに上映時間3時間と聞いて、なんらかの重量感を期待しての入場でしたが、結果は、時間を感じさせず十分な手応えでした。
歌舞伎という芸の道の光と影、そしてモノではない芸の「国宝」という命の輝きとその影の葛藤の一面をよく伝えているように思いました。
庄之助の人生は、幼い頃から歌舞伎の道に足を踏み入れ、恵まれた才能を持ちながらも、常に芸の頂点を目指し続ける苦悩と喜びの連続でした。彼は、稽古に打ち込み、舞台に立ち、観客を魅了する中で、役者としての喜びを感じる一方で、古典芸能の継承と革新、師弟関係、そしてライバルとの競い合いといった、様々な重圧に直面します。彼が芸の道の厳しさを痛感しながらも、ひたすらに芸を磨き続ける姿が幾つかの逸話でコンパクトに表現されます。ここでは、共演の吉沢と横浜の演技が光っています。1年半かけてトレーニングしたそうです。
また、単なる歌舞伎役者の半生記に留まらず、庄之助を取り巻く人々との人間関係もよく描かれています。厳しくも愛情深い師匠(渡辺謙)、境遇は違いながらも互いに高め合う、同年齢のライバル(横浜流星)、幼馴染の女性、遊女、他との複雑な人間模様が、うまく織り込まれているな、と感じました。田中泯、寺島しのぶ、ほかの名脇役が効いたかもしれません。
さらに、映画全体を彩る映像美も破格で、大写しで切れの良いカメラワークが邦画離れしています。歌舞伎の舞台裏や、化粧、衣装、そして舞台上の所作の一つ一つが、丹念に、ダイナミックに描かれています。とくに、幾つか出てくる実際の歌舞伎の演目(曽根崎心中、二人道成寺、連獅子、二人藤娘、鷺娘など)のクライマックスシーンの映像もよく撮れています。音響もまた、歌舞伎特有の響きを忠実に立体的に再現しており、臨場感もよく再現されていました。
久々に、心地よい邦画の重量感を感じて、映画館を出ました。外国人にも通じるテーマであり十分理解できるので、邦画の国際的なよき成功例になってほしいと思います。
この日は、雨と映画で少な目の5,800歩コースでした。


チラシから

(注) 映画「国宝」のあらすじ
映画『国宝』は、吉田修一の同名小説を原作とした作品で、歌舞伎界を舞台に、芸に人生のすべてを捧げた、境遇の異なる二人の男の対照的な生き様を描いています。
物語は、戦後の混乱期に九州の任侠の家で生まれ育った主人公・喜久雄(吉沢亮)が、抗争による親の死をきっかけに歌舞伎の世界に足を踏み入れ、天才的な才能を開花させていく過程を中心に展開します。彼は厳しい修行と舞台での経験を重ね、やがて「国宝」と称されるほどの名優となります。一方、喜久雄の同じ年齢の幼なじみであり、同じく歌舞伎役者として生きる俊介(横浜流星)は、喜久雄とは異なる価値観と葛藤を抱えながら芸を追求します。
二人の友情、競争、健康問題、そして芸に対する執念が、時代の移り変わりとともに交錯し、やがてそれぞれの人生の選択へとつながっていきます。伝統芸能の美と厳しさ、そして人間の業を描いた本作は、芸の道に生きる者の孤独と誇りを静かに、力強く映し出します。
監督は李相日で日系3世の韓国人、撮影のソフィアン・エル・ファニはフランス人で、ともに国際的な視点から日本の伝統芸能を捉え、美しく映像化しています。ある意味では、日韓仏合作映画かもしれません。175分東宝配給。 (関連HPから引用・編集)

2025年7月15日火曜日

大船フラワーセンターでの早朝観蓮会その2 ー4日間の開花模様ー

7/12 には、大船フラワーセンターでの早朝観蓮会を訪ねました。
ここの蓮栽培は新しく、2020年に沼津市の本廣寺の関戸住職から190種のハスの株を譲り受けたことから始まります。関戸住職が前任の蓮興寺で約30年間ハスを育ててきましたが、転任で栽培が難しくなり譲渡先を探していたところ、ここのセンター長と人づてで話がまとまり、ここで譲り受けて栽培することになったそうです。また、2024年には、咲くやこの花館(注)他から20品種を譲り受け、その他も含めいまの261種340鉢にまでのなったとのこと。
鉢植のハスは、蓮池のものに比べると野性味はなくなりますが、ザリガニによって茎が荒れる被害は回避でき(数年前、近くの三渓園ではザリガニの異常発生によりこれが起こりました)、管理された安定した栽培ができるようです。
ハスは開花後4日間3回開閉して、4日目には一気に花弁を落とし花托だけを残します。短期間ですが、開花後の日数によって、それぞれに魅力があります。開花のときに音が出るというのは俗説とのこと。
こちらには、この時期、カバの穂、睡蓮なども楽しめます。

(注)花博が行われた大阪鶴見緑地公園にある「咲くやこの花館」には、2022年6月に訪れ、下記の記事を当ブログにアップしていました。

大阪鶴見緑地公園でのアジサイと蓮と晴


蓮の開花後、2~3日目(右)と最後の4日目
でしょうか。

茎の下から水道水を茎洞に送るとこうなり
ます。茎には5〜6本の茎洞(空洞)があります。

蓮の巻葉の葉脈もこの時期生き生きしています。
開花後、1〜2日目(右~左)くらいです。

睡蓮。11時頃から開花するそうですから、
8時の撮影時には寝ぼけ状態でしょうか。

開花後2~3日目です。巻葉の服を着て
いるようです。

ひと茎に2つの花をつける双頭蓮も開花が
近づいているようです。珍しい品種だそうです。
今年も報道の取材があるとか。

こちらは蓮の開花後、1〜2日目でしょうか。

開花後3~4日目でしょうか。4日が過ぎると
一気に花弁が自然と落ちるそうです。。

千弁蓮。千枚近くの花弁をもつとか。実際に
花を分解して取り出した花弁の標本が展示されて
いました

開花後2日目くらいでしょうか。受粉すると
花托が黄緑色になります。

睡蓮。11時頃(未(ひつじ)の刻)に開花し夕方に
閉じます。このため「睡蓮」と呼ばれ「未草」
(ひつじそう)ともいわれるとか。

蓮池の隣ではガマの穂も

ハス園の全景。ここは全て鉢植です。

ハス園内のハスの名前と鉢の
配置。案内チラシから。

案内チラシその2。261種340鉢を
栽培しているそうです。

2025年7月14日月曜日

今年も大船フラワーセンターで早朝観蓮会その1ーハイライトー

 7/12には、大船フラワーセンターで早朝観蓮会があると聞き、7時半頃の到着となりましたが、ゆっくりと一巡してきました。7月の全週末には7時に開園するそうです。ハスは通常早朝から咲き始め11時には閉じ始めるそうです。
この日は、9,200歩コースでした。

因みに、1年前の2024年7月7日にも、ここを訪れて、下記の記事を当ブログにアップしていました。

大船での早朝観蓮会


新入りの花托

巻葉の影で






2025年7月12日土曜日

久々の駒形どぜう

 7/10には、浅草のほおずき市の帰り、都営浅草線浅草駅に出る途中に駒形町を通りかかり、猛暑の中、久々に懐かしい「駒形どぜう」でひと休み、ひと涼みすることにしました。30年程前に知人に連れてこられた記憶があります。
ここは、これまでに4~5回建て替えられていますが、写真や下足札などからも、200年前にできた店の雰囲気が感じられます。
ここで提供されているドジョウ(どぜう)は、主に大分県宇佐市院内町で養殖されたものだそうで店主さんが全国を回って選ばれたとか。特徴は、泥を使わず地下水で育てる「屋内無泥養殖技術」が用いられているとのこと。最近は陸上水産業が伸びていますが、ついに、泥臭さが売りのハズのどぜうまでとは。時代は進んでいます。

 
左奥には代々の店舗の古い写真が掲示
されています。

四つ角に建つところなど虎ノ門の老舗蕎麦店
「虎ノ門大坂屋砂場本店」にも似ています。(注)
200年の変遷が歴史を物語ります。
これだけの維持・継続は大変なことです。
昨年実家を取り壊した者としては頭が
下がるばかりです。


屋敷の外観。奥は管理棟とのこと。


(注)「虎ノ門大坂屋砂場本店」については、昨年2024年8月25日に、当ブログに下記の記事をアップしています。

虎ノ門の蕎麦店「大坂屋砂場」

台風一過の上野 不忍池のハスと風鈴

 7/14には、次回撮影会の下見に来た折に、上野池之端の不忍池に立ち寄り、台風5号通過直後のハスを撮影してきました。台風の風で花の形はやや乱れていましたが、雨上がりのハスには雨粒が残り格別の味があります。 因みに、2022/07/26にも、こちらでハスの撮影をしていました。当ブロ...