少し遡りますが、4/25には、NHK「時をかけるテレビ」の一環で、1980〜1984年(昭和55〜59年)に30回に亘って放送された連続ドキュメンタリ「NHK特集 シルクロード 第2部」のひとつ「第15集 キャラバンは西へー再現・古代隊商の旅ー」を再放送していました。はじめて放送された時期にも番組の存在やシルクロードブームのことは憶えていますが、当時はあまり興味をもたず通り過ごしていました。そういうと舞鶴の実家にもこの番組のDVDが残っていました。両親も晩年の海外旅行でシルクロードにどこかで触れたのかもしれません。
番組では、シルクロード西側のバグダッドからユーフラテス川西側を北西に500Km程移動したところにあるシリア砂漠周辺の都市 ドゥラ・ユーロポス(隊商を守る城塞都市だったそうです)から砂漠中央にある隊商宿パルミラ サライに至るまでの230Kmの区間を地中海に向けて西に、古代から続いた隊商のスタイルで移動する、という古代隊商の再現番組でした。(キャラバン)サライは「隊商の宿」を意味します。半径500Kmの円形のシリア砂漠の約半分をラクダ212頭で隊商を編成し8日かけて移動します。
この再放送に興味をもったのは、この3月に経験したトルコ旅行の途中、トルコのアナトリア半島中央にある旧都コンヤで、かつての隊商宿跡を垣間見たことからでした。番組に出てくるパルミラサライはシリア砂漠の真ん中にあるものの、そのイスラム風の門壁などはトルコ旅行中コンヤで見たスルタンハヌ・ケルヴァンサライ(注)のものとそっくりでイメージが重なりました。
番組からうかがえる当時の隊商のイメージは以下のようなものでした。
・撮影当時では、ラクダは殆どが食肉用に飼育されており、すでに運搬用は皆無に近く、その40年前の1940年代にほぼ消滅していた。これは、自動車の普及とともに、ラクダを運搬用に使うと食肉としての肉質が劣ることにもよる。NHK取材・学術調査班(10人)はラクダを保有するベドウィンに隊商の再現を無理に頼み込んだとか。
・当時再現された隊商の構成は、先頭で200Kg/頭の荷物を担ぐオスのラクダ、それに続いて、そのほぼ二倍近くの数のラクダが連なって移動する。後続のラクダは、ほぼオスと同数のメスと同じく同数の子供のラクダ、それに続いて補充・訓練用のオスラクダで構成される。よく映像で映るのは先頭のオスラクダの隊列だけの場合が多いが、実際はラクダ家族の大規模な集団移動となる。途中でラクダを売買することもあった。
・移動中に隊列を整えるために牧童13人も歩いて加わる。従って、移動速度も人間並みになる。砂漠の中の移動では、牧童の誘導もあって、ラクダが慣れてくると、山登りと同様に、移動の効率性から自然と一列になる。(それにしても牧童の負担は大変なものだと思います。)
・ラクダは途中で草を食べられるようにラクダを繋ぐ綱は付けない。これによってラクダの移動中の餌は運ばない。このために途中で隊列が乱れないように牧童が歩いて随行する。ラクダは見かけによらず臆病で何か衝撃があるとすぐチリヂりに離散する習性がある。寝る時にもリーダ役のラクダだけは前足を縛る。
・メスの乳液は子ラクダにも随行する人間にも移動中の大事な水分源にになる。また、ラクダの糞も大切な燃料になる。
・歩幅の大きいオスには前後の足をロープで縛り周りの速度に合わせる工夫をしている。
・隊商は、5~6Km/時の速度で移動し、一日に5~6時間ほど、約25~36Km程移動する。このため、この間隔で大小の隊商宿(サライ)がある。(江戸時代の宿場町のようなもの。)
・ラクダには4~5日に一回水を飲ませる必要があり、ラクダは1回にドラム缶一個ほどの量を飲む。ラクダの移動距離に合わせて、砂漠の中でも100Kmの間隔で井戸が掘られている。中にはローマ時代のものもある。深さは25m程度でロバで繰り返し水を汲み上げる。井戸を守るために井戸ごとにその周辺にベドウィン家族がテントで住み、集落がある。 上記()は私の感想です。
お陰で、シルクロード、隊商や宿場のイメージが具体化し、いまさらながら現実味を帯びてきた次第です。4年かけてシルクロードを横断して映像化した世界ではじめての企画だったそうで、なかなか貴重な、骨太の映像だと思いました。以降の日本でのシルクロードブームの火付け役になったそうです。いまから思うと、この番組が初めて放送された1984年頃を想うと、バブル期ならではの番組だったのかもしれません。ふんだんな時間と費用がかかっています。
ただ、パルミラの遺跡は、後にIS(イスラム国)によってかなりが破壊されたそうで、その意味でも映像の価値は上がっているようです。
コンヤ訪問については、今年3月のトルコ旅行の下記の記事に様子を書いてアップしていました。

コナン市街にある
スルタンハヌ・ケルヴァンサライ
の門壁(注)スルタンハヌ・ケルヴァンサライ
トルコの旧都コンヤにある歴史的なキャラバンサライのひとつで、特に有名なのがスルタンハヌ・ケルヴァンサライです。このサライは1229年に建設され、オスマン朝以前のセルジューク朝時代の隊商宿で、なかでも最大規模のもの。コンヤと主要都市アクサライを結ぶ幹線上に位置し、交易の要所として重要な役割を果たした。
このサライは、厚い外壁に囲まれた堅牢な構造を持ち、中庭には礼拝所があり、周囲には食堂や宿泊施設、ラクダをつなぐ場所などが設けられている。(トルコサライ紹介HPから引用・編集)