8/21には、最近話題の映画「雪風 YUKIKAZE」をTOHOシネマズ川崎で観てきました。
8/15の80年目の終戦の日に東宝から公開された映画です。
多くの海戦に参戦しながら幸運にも生き延びた「雪風」という珍しい駆逐艦があったとは聞いていましたが(注1)、詳しい生い立ちなどは知らなかったものですから、上映館を探してたまたま川崎で上映中であることを知り、興味をもって鑑賞してきました。
結果的には正解で、史実に基づいて脚色された映画で、単なる戦記物ではなく、1942年以降米国に押され劣勢を続ける南方戦線での駆逐艦艦上の戦闘と国内の苦難の様子がえがかれ、「生きて帰る」、「生きて還す」を主題に戦前、戦後そして現代を通じて人間ドラマ化されています(映画には、1970大阪万博や3.11東北震災のシーンも含まれます)。さらには、戦争を生き延びた人々へ「失敗した戦争経験を無駄にしないでくれ」という思いを託す、というメッセージ(珍しくそういうシーンも映画の最後にありました)を込めています。(注2)
駆逐艦はその機動力から、艦隊の 先鋒 として魚雷、水雷を放って敵艦隊、潜水艦の勢いを止める先制攻撃、近接する敵小艦の駆逐や戦闘機への高射砲攻撃などによる大型艦の護衛、上陸支援、物資輸送など様々な役割で機能しますが(「艦隊のなんでも屋」だそうです)、この映画では、上記に加え、沈没した他艦乗員の救助活動にも目を向けています。
また、終戦直前には郷里の軍港舞鶴に寄港していて、その後7月30日に近くの宮津に停泊中に米機による空襲により損傷して伊根近くに移動して終戦を迎えていたことを知りました(注3)。
余談になりますが、私が舞鶴にいる頃、祖父が食事のときなど、海軍の戦艦、巡洋艦、駆逐艦の役割や艦隊勤務について、よく話してくれていました。祖父は、 二等巡洋艦「千歳」で日露戦争(1904~1905年)に参戦し、その後通報艦「千早」、戦艦「阿蘇」に乗艦しています。 その頃の艦上任務の話などが思い出されるシーンが映画中いくつもありました。
父が編集した祖父の従軍日誌については、当ブログの下記記事にアップしていました。
「水兵さんの遠洋航海」発刊のための(日誌)原稿の(清書)原稿
(注1) 駆逐艦「雪風」について
1939年に佐世保で進水。基準排水量2033トン、全長118.5メートル。最大速力は約36ノットで、230人以上が乗り組んだ。太平洋各地を巡り、空母などを失ったミッドウェー海戦では後方で輸送船団を護衛した。インドネシアのスラバヤ沖海戦、ガダルカナル島攻防の第3次ソロモン海戦、フィリピンのレイテ沖海戦のほか、戦艦大和が沖縄に向かった坊ノ岬沖海戦にも参加した。
戦後は復員船として13,000人の復員輸送の任務を果たしている。その中に、フィリピンラバウル島から浦賀に復員した水木しげる氏も含まれていた。雪風は、氏の作品『駆逐艦魂』に登場する「旋風(せんぷう)」のモデルになったとされる。
その後は戦後賠償船として中華民国(台湾)に引き渡され、台湾海軍の旗艦「丹陽」としても使われた。その後、1971年に解体され、主錨と時計が江田島に残されている(映画にも出てきます)。(関連HPから引用)
(注2) 映画「雪風 YUKIKAZE」のあらすじ
太平洋戦争中に実在した駆逐艦「雪風」の史実をもとに、戦中から戦後、さらに現代へとつながる激動の時代を懸命に生き抜いた人々の姿とその運命を、壮大なスケールで描く。さまざまな資料を基に映画オリジナルの登場人物として生み出された「雪風」艦長の寺澤一利を竹野内豊、乗員を代表して艦長との間をつなぐ「先任伍長」を玉木宏が演じる。(映画では「先任伍長」による艦内での風通しのよさのような役割が、負傷者が少なく無事な帰還を繰り返す要因として、強調されています。)
太平洋戦争下、数々の激戦を最前線で戦い抜き、ほぼ無傷で終戦を迎えた駆逐艦「雪風」。軽量で機動性に優れていることから、艦隊の先陣を切って魚雷戦を仕掛け、対空戦闘によって戦艦や空母といった主力艦を護衛するのが駆逐艦の役目であり、「雪風」は任務を果たしながら、幾多の戦場を生き抜いていく。そして、最後まで戦場に留まり、沈没する僚艦から海に投げ出された仲間たちを救助して帰還することも多く、時には敵兵にも手を差し伸べた。「雪風」は戦うために出撃しながらも、最後は必ず人を救って戻ってくることから、「幸運艦」「不沈艦」と称された。
「雪風」は80年前の夏、京都府北部の伊根湾で終戦を迎えた。太平洋戦争中の戦闘では出撃して沈むことなく帰還し、多くの戦闘で海に投げ出された兵員らの救助にもあたり、戦後も数奇な運命をたどり多くの命を救った。(映画.comより引用)
(注3) 終戦時の「雪風」
雪風は終戦直前の頃、舞鶴に寄港し、天橋立に面した宮津湾に停泊。7月30日、米軍による宮津空襲に遭い、近くにいた駆逐艦「初霜」は大きな被害を受けて座礁した。損傷した雪風は、潜水母艦「長鯨」が襲撃された湾北側の伊根町沖に移動。そのまま終戦を迎えた。
雪風は太平洋戦争の主力駆逐艦38隻の中で唯一終戦まで生き残った。(読売新聞評より引用)
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