2022年2月28日月曜日

春の能「羽衣」

 2/27には、元上司のMさんから案内をいただき都内水道橋駅近くにある宝生能楽堂で例年催される淑宝会春季大会に参加してきました。Mさんはもう20年近く信州須坂を中心に修練を積まれ、毎年この時期にここで演じられて、これまで都度鑑賞させてもらってきました。今年は仕舞「玉葛」を披露されましたが、何年か前には「羽衣」のシテ(天女の役です)もつとめられたことがあります。今年は、同じく「羽衣」が別の方のシテで演じられました。下記のような羽衣伝説をベースにしたこの演目は、春の海、白砂青松、天女の舞い、遠く臨む富士山などで、丁度この時期にマッチした春の能でした。協演の大鼓・小鼓、太鼓、笛、地謡のバック(囃子)も均整がとれ印象的でした。

ただコロナ禍のなかで、様々なコロナ対策をされながらもプログラムのいくつかは中止され、惜しまれるところです。

写真1枚目は、「羽衣」で天女が羽衣を返して欲しいと頼むシーンで、2枚目は羽衣を着て天女が舞うシーンです。3枚目は、帰宅途中に近所の高台で見かけた黄昏の富士です。

<参考>  能「羽衣」のお話(解説から)
春の朝、三保の松原に住む漁師・白龍(はくりょう)は、仲間と釣りに出た折に、松の枝に掛かった美しい衣を見つけます。家宝にするため持ち帰ろうとした白龍に、天女が現れて声をかけ、「それがないと天に帰れない。その羽衣を返して欲しい」と懇願します。白龍は、はじめ聞き入れず返そうとしませんでしたが、悲しむ天女の姿に心を動かされ、天人の舞楽を舞うのを見せてもらう代わりに、衣を返すことにします。ここで、羽衣がない舞えない、と天女が言うと、「羽衣を返したら、舞を舞わずに帰ってしまうだろう」、と言う白龍に、天女は、「いや疑いは人間にあり、天に偽りなきものを」と返します。正直者の白龍は、そんな天女の言葉に感動し己を恥じ、衣を返すのです。羽衣を着た天女は、月宮殿での生活の面白さを表す舞いなどを見せ、さらには春の三保の松原の景色を讃えながら舞い続け、やがて彼方の富士山へ舞い上がり、霞にまぎれて天空に帰っていきます。

この日は、7,800歩コースでした。


「羽衣」で天女が羽衣を返して欲しいと頼むシーン


天女が羽衣を着て舞うシーン


帰宅途中の富士


庭先の春 フキノトウ

2/28の散歩中に寄りました、近くに住む三男宅の庭で、フキノトウが丁度盛りになっているのを見かけました。このところ急ピッチで進む春の訪れを庭先の野草に感じます。

早速に手頃な30株ほど収穫できました。1週間前の蕾、今回に続いて、伸びに応じ時期をみてあと1~2回は収穫できそうです。昨年同様に、フキ味噌にしてみようかと思っています。



以上3点は、2月28日の様子

(その前、2月11日の様子)

(その後、3月2日の様子)

(その後、3月10日の様子)

その後、3月20日の様子(背丈が伸びます)

その後、3月20日の様子(花も様変わりです)。
この日に今年4回目で最後の収穫をしました。


その後、最寄りの洋光台駅で見かけた
フキノトウの生花(3月20日)


2022年2月25日金曜日

散歩で立ち寄る魚屋さん

 

散歩の途中で、よく立ち寄る魚屋がいくつかあります。いずれも、一般に流通している魚種(大衆魚というそうです)のほかに、鮮度の維持や消費者の好み(下処理が難しい、食べにくい、など)から、水揚げした地元、地域でしか利用されていない魚種(未利用魚というそうです)が、流通の進歩や魚屋の仕入れ方針などにより、店頭に並ぶ店です。いつもの散歩道では、大船、戸塚、新杉田界隈にある魚広、鈴木水産、辰幸、横浜南部市場、などです。
そこで、地元(横浜)では珍しい魚を見かけると、ついつい衝動買いしてしまい、写真やスケッチにした後で、しっかりと味わうことにしています。
今年の冬場で見かけた魚では、北海道のげんげ(幻魚)、岩手のどんこ(鈍子)、鹿児島のカイワリ(貝割)がありました。
げんげは、北日本近海で獲れる深海魚で、富山の丸干しは真っ黒な珍味で、つまみとして見かけることがあります。この干物では20㎝サイズのが多いようですが、これは30㎝ほどの北海道産の大物で、当地で生ものをみるのは珍しく、早速、鍋物で味わいました。
どんこは、東北地方の太平洋側でポピュラーな深海魚ですが、この辺りで店頭に並ぶのは稀です。海中での体表のヌメリが特徴ですが、店長曰く「上品な味」とのこと。肝とともに煮物で味わい納得しました。
カイワリは、関東以南の近海でとれるスズキ目アジ科の美味な魚ですが、漁獲量は少なく、横浜の店頭で見かけることは稀です(沖釣りではたまに釣れるとか)。味は鯵に比べて濃厚で、塩焼きでじっくりと味わいました。
大衆魚の国内漁獲量が減っているなか、未利用魚の活用を、生産者、流通者、魚店とともに、消費者も魚食範囲を広げることによって、進める必要がありそうです。最近の大衆魚の小型化は、将来の漁獲の先取りであり、魚好きとしては大いに気になるところです。
また、先月1/24、大船駅前で1960年創業の老舗魚店 魚広が類焼で火災にあいました。早い復活を願うばかりです。

                    げんげ

どんこ

カイワリ


2022年2月20日日曜日

曽我別所梅林


2/19には、曽我別所梅林(小田原市)に足を伸ばしてきました。
JR東海道線国府津駅で御殿場線に乗り換えて1駅目の下曽我駅から歩いて20分のところにあり、自宅から1時間半圏内にあります。ここは、これまで訪ねる機会がなく、はじめての観梅でした。

この地区には、別所梅林を含め近くの3つの梅林で3.5万本が植栽されており(原梅林と中河原梅林。今年は別所梅林のみ開放されたようです)、南関東では規模が大きな梅林です。主に梅酒用・梅干用の梅(エリアによって玉英,白加賀、南高、小梅など異なる種類が植えられています)が栽培されているため白梅が殆んどです。果樹栽培用の開花は、一般的に鑑賞用よりは遅いそうですが、今年は雨が少なかったこともあり、さらに開花が遅れているとのこと。この日も三~四分咲きというところでした(この地区の梅まつりは2/5~2/20でしたが)。

また、ここは、鎌倉時代初期の仇討ちで知られる曽我十郎、五郎兄弟の居住地でもあります。仇討ちは、1193年に頼朝の巻狩りの際に富士野の神野(現在の静岡県富士宮)で起こったそうですが、兄弟の墓や兄十郎(当時22歳でした。弟五郎は20歳だったとか)が仇討ちにここを出発する前に虎御前と別れを惜しんだ場所と伝わる「忍石(しのぶいし)」も縁結びの石として今も残されています。歩いていても「曽我」の表札を多く見かけました。

広々とした農地に長年手をかけて伸び伸びと育てられて、しっかりと幹や枝を張った梅の大木の並木が随所にあり、大切な農園の一角を特別に観させてもらっているという感じでした。いつも見ている、小さく育てられた観賞用の梅、庭木の梅とはまた違って重量感があり開放的で、なかなか見応えがありました。
この日は、11600歩コースでした。





2022年2月16日水曜日

ふじやま公園の梅と雛飾り

 2/16には、自宅から30分圏内にある本郷ふじやま公園をたずねました。ここは、地元の竹林や雑木林を残すために横浜市栄区とボランティア団体が管理している身近で、かつての里山(谷戸)を思わせる公園です。この時期は梅林とたまたまこの日から始まった雛飾りの展示が見どころです。公園の北側に移築、保存されている地元鍛冶ヶ谷の名主小岩井家の江戸後期の住宅の中に、地元に伝わる雛飾りがいくつも展示されます。ここの紅梅は満開をやや過ぎ白梅が咲き始めた時期です。紅梅越しに富士山が見られるポイントでもあります。
季節の廻りが速くなってきました。
この日は、8650歩コースでした。






           旧小岩井家住宅。しっかりと保存されています。

春節最終日

 旧暦の正月を祝う中国の春節は2/1~2/15になります。
最終日の2/15夕方に横浜中華街に出かけてみました。この時間には、山下町公園隣にある横濱媽祖廟(まそびょう)で「元宵節燈籠祭(げんしょうせつとうろうさい)」があることになっていましたが、これまでのすべてのイベント同様にまん延防止等重点措置適用中のため中止とのことで、珍しく静かな春節最終日でした。
去年が春節祭全体が中止だったことから、今年は「原点回帰」がテーマとされていましたが、来年こそそうあってほしいものです。
この日は9600歩コースでした。

善隣門から中華街大通り

山下町公園

              獅子舞のマスク

           元宵節燈籠祭が予定されていた横濱媽祖廟

                                          善隣門。中華街東側の門です。

珍しいクルマ

 先日、散歩中にたまたま珍しい車を見かけました。
ひとつは、今ではクラシックに入るもので、シトロエン2cv(仏語で2馬力の意味とか)です。1990年くらいまでは市中でたまに見かけましたが、1990年の製造終了があったのでしょうか、見かけなくなりました。「こうもり傘に4つの車輪を付ける」イメージに徹したフランスの国民車で、欧州では人気があり、欧州の映画では今でもよく見ます。1948年発表から1990年まで大きなモデルチェンジはないことで、当時の日本車と比べて評判でした。農場用の小型大衆車を目指したことから(50kgのジャガイモ又は樽を載せて走れること、荒れた農道を走破できるだけでなく、カゴ一杯の生卵を載せて荒れた農道を走行しても、1つの卵も割ることなく走れるほど快適で乗り心地がよいこと、運転に慣れない主婦でも簡単に運転できること、スタイルは重要ではない、などユニークでハードルの高い設計の要件だったことは以前からよく聞いていました。これらの要件は納得でき今にも通じるようにも思います)、早期から前輪駆動など当時の新技術を組み込んだ車種でもありました。大船で信号待ちをしているところを見かけ、珍しさから信号を渡りながら思わず足を止め急ぎ写真に収めた次第です。

ふたつめは、新しい車種で、AP-TRIKES125です。これは、サイドカーに属する3輪車(トライク)で、サイドカー並みの「左右解放/バーハンドル/またがり式」がトライクにも適用されるそうです。ボディも目を引きますが、60Km/時の走行は可能で、後部には2名乗れ、雨天走行と安全性にメリットがあるようです。地域やコミュニティ内の行動が主なシニアの簡易な移動ツール(軽自動車とバイクの中間クラス)として合っているように思います。ただ普通免許は必要とか。

           シトロエン2cv

                                 AP-TRIKES125

2022年2月3日木曜日

三渓園での観梅

 2/3には、三渓園(さんけいえん)での観梅会を巡ってきました。
三渓園は、自宅から1時間圏内にある、四季の風物が楽しめる散歩道です。ここは、製糸・生糸貿易で財をなした原三渓(本名富太郎)が、明治35年(1902年)頃から20年をかけて大正11年(1922年)に、東京湾に面した景勝地本牧三之谷に造築した明治後期・大正期の日本庭園です。私邸としての内苑と来客を迎える外苑からなり、明治39年(1906年)に外苑が一般公開され、昭和33年(1958年)には内苑も公開されました。途中、関東大震災や空襲で被災しながらも復興をとげ保存・整備されて、今も「市民のちょっと古風な庭」として親しまれています。原三渓は、このほかにも関東大震災で大きな被害を受けた横浜中心部の復興に尽力したことでも知られています。
10年ころ前には梅雨明けの観蛍会に参加したこともありました。その時には蛍の数よりも観客の数のほうが圧倒的に多いと驚いた記憶があります。園内の鶴翔閣では結婚式もできるようで園内で新生カップルの撮影風景もよく見かけます。また、昨年の観蓮会では、蓮池にザリガニが繁殖したため蓮が枯れ、いつもの風景から一変したのには衝撃を受けました。
今年は、三渓園が完成して100周年になることから様々な企画があるようです。
当日は、紅梅、白梅は満開でしたが、幹や枝が地を這う臥竜梅の見頃はまだ少々先のようです。
この日の散歩は、8500歩コースでした。

          奥の屋敷が鶴翔閣です。


          臥竜梅の開花が楽しみです。

          手前一帯が外苑で奥が内苑です。




横須賀しょうぶ園

 6/13午後には梅雨晴間をみて横須賀しょうぶ園を訪ねました。今年は6/10前後がピークと地元誌では報じられていました。 JR横須賀線衣笠駅からバスで15分程行った里山にあります。 ここは、藤と花菖蒲では地元で評判の、横須賀市の植物園です。丁寧に手入れされ、よく管理されて年々よく...