5/19には、浅草神社の例大祭 三社祭の最終日でしたので(5/17〜5/19)、曇り空ながら、混雑を避けて早朝に出かけることにしました。実物を観るのは私には初めてです。今年は、4年振りの開催ということで(3年はコロナ禍で、昨年は雨で開催できなかったそうです)、主催者、法被姿の担ぎ手、また観客も、それぞれに期待が大きく力が入っているように思えました。とくに担ぎ手さんは、男性も女性も背筋が伸びています。
44ある地元町会から神輿100基ほどが、浅草寺・浅草神社(「三社さま」。かつては、平安末期頃の神仏同体説により「三社大権現」と言われて神宮寺であった浅草寺と一体でしたが、明治初期に浅草神社となったそうです。最後の写真のパンフより)の門前町を、一之宮、二之宮、三之宮の3ルートに分けて練り歩きます。3ルートの地図(神輿の巡行ルート図を渡御図(とぎょず)というそうです)も通過時刻を添えて公表されており、はじめての観客でも分散して混まない場所を選んで安心して観れるようになっています。
この日は、天気が下り坂で、夕方には小雨の予報を聞いたことから、朝7時半頃到着し、10時半頃まで滞在し一巡してきました。
神輿は、飾りは豪華ですが思ったほどには大きくないように見えました。ただ、神輿を支えて担ぐ柱は幅広く縦長に張出していて、多くの担ぎ手を要します。一つの神輿には、先頭にはお祓い役が、そして50〜60人の担ぎ手、白衣の神主役、が同行し、担ぎ手が交代しがら回ります。
仲見世通りの左右にある町会地区に入ると、随所に神輿の格納庫と集会場があり、開始時間まで待機しています。町会地域全体が独特の神域に覆われているように感じました。また、地元の1神社の祭りが地元町会活動に定着し溶け込んで世代に亘って大事にされているなと感じます。以前の同僚に浅草出身者がいて、三社祭の準備が一年中入っていると、嬉しそうにぼやいていたのを思い出しました。
町会を一巡した後、浅草寺境内に戻り、雷門、山門、本堂を回り、混みだす前に引き上げました。帰りの都営浅草駅入口では、出てくる人(担ぎ手と観客)が急増していました。
この日は、8,900歩コースでした。
2024年5月20日月曜日
はじめての浅草神社例大祭 三社祭
街中で見かけました。
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