9/30には、先日府中市郷土の森を訪ねた折に行きそびれていた大國魂神社(おおくにたま)を訪ねました。
JR南武線府中本町駅で降りると歩いて10分足らずのところに本殿があります(近道のようです)。広い、立派な境内で大鳥居から参道を通って参拝するには15分はかかります。以前に、立川に長く住む飲み仲間の友人から、この地域では年始の初詣には圧倒的にここが選ばれると、自信をもって言われたことがあり、気になっていました。創立は111年だそうで1900年前になります。
府中は、大化の改新のときに国府に指定されて以降、武蔵国の中心地(古代国府)で、一円の信仰を集めていたそうです。社格も官幣小社となっており、歴史的に皇室の系統に近く菊の御紋が随所にみられます。境内には大鷲神社(おおとり)神社もあり、地域での酉の市で年末には賑わいそうです。
この日にも、鳥居や参道にある2つの門 随神門と中雀門でも、通行する人が立ち止まって手を合わせる様子を多く見ました。大木に覆われた薄暗い境内の中で長い歴史とともに地元で幅広く受け入れられている様を感じました。
この日は、14,200歩コースでした。
2024年9月30日月曜日
府中の武蔵総社 大國魂神社
2024年9月25日水曜日
府中市郷土の森での撮影会
9/24には、府中市郷土の森博物館公園で写真仲間の秋季撮影会を行いました。
まずまずの秋空の中、満開にはちょっと早目のタイミングでしたが、 参加者11名で思い思いに撮影を楽しめました。公園では丁度「曼殊沙華まつり」開催中でした。
ここは、梅林の区画が広く、その下に近年精力的に彼岸花の球根を植えたそうで、殆どが赤の彼岸花でした。不思議なもので、場所によっては、まだ目が出たばかりのところやあと数日で開花する寸前の株が多いところまで、日当たり、風通し、土質などが違うのでしょうか、エリヤによって随分と違うようです。ひまわりのような一年草は種子を植える時期をずらして開花時期に幅をもたせるどうですが、彼岸花のような多年草は開花時期を読むのが難しそうです。
途中で、係の方に聞くと、彼岸花は寒くなりはじめをもって開花を始めるそうで、今年は2日前から涼しくなったばかりなので、開花が遅れている、これから開花がはやく進むとみている、といわれていました。5~7日語が見頃とのこと。
それにしても、ここは、彼岸花が中心ですが、萩、ハナニラ、稲田、水車、古民家もありで、撮る対象には事欠きません。たまたま、ここはNHKの朝番組で紹介されていたそうです。
終わってからは、分倍河原駅前で反省会をしっかりとして、登戸から小田急江ノ島線ルートで帰路につきました。
この日は、14,000歩コースでした。
2024年9月21日土曜日
横浜ベイブリッジのスカイウォーク巡り
スカイウォークは、35年前1989年(平成元年)のベイブリッジ開通と同時に、ベイブリッジの大黒埠頭側から車道の両側に設けられた320mの歩行者専用道路(市道とのこと)とその先の展望ラウンジ施設で、住民要望により開設されたそうです。途中で折り返しているため、これを使ってベイブリッジを渡りきることはできません。自動車専用道路に併設された日本最初の歩行者専用道路だそうです。
横浜ベイブリッジは、横浜港の港湾物流施設としてまた横浜中心部の混雑を緩和するバイパス道路として山下埠頭と大黒埠頭を結ぶ860mの橋梁産業道路です。横浜市政150周年事業として建設されたそうです。
私には初めてでしたが、いつもとは異なる視点、視角からの横浜港の眺めでした。また、行く途中に山下埠頭や大黒埠頭を回りますが、東電横浜火力発電所、日本石油、日本郵船、日通、日立物流、Futaba やコンビニの物流倉庫(「上屋(うわや)と呼ばれ多くの表示を見かけました)などが延々と並び横浜の産業のバックヤード地区であることを実感しました。一方で、この先には、大黒海釣り公園、グランドやテ二スコートなどの娯楽施設もできています。
この日には、横浜駅東口から市バス109線で、横浜市街、山下埠頭、ベイブリッジを通って、大黒埠頭にある「スカイウォーク入口」まで行き(ひとつ先の「スカイウォーク前」でもよかったようです)、スカイウォークを観て、帰りは「大黒埠頭」から市バス17線で鶴見駅東口に出て、横浜港を一巡できました。ほとんどがバスのお世話になってしまいましたが。
綿花の収獲
数日前から庭先の棉(わた)の木の綿花の収獲が始まりました。9/21で5個になります。昨年は、この竹籠に山盛りになる程の収獲でした。今年は、熱い天候が良かったのか、昨年以上の豊作になるのを期待したいところです。
棉の木を栽培しはじめて3年目ですが、わかってきたことには以下があります。
・棉の木には、露地栽培が合っているようです。根は深く株の背丈ほどになります。もともと繁殖力の強い、生命力のある植物と思われます。
・別に4つの鉢植にもしましたが、いずれも格段に成長が遅いようです。鉢植えにする場合にも大きめの鉢に一本だけ育てるのが良さそうです。2~4本を植えてみましたが、4本より3本、3本より2本と、一つひとつの株の成長が明らかに良くなりますが、露地植えにはかないません。いわば、鉢植は盆栽のように思えます。
来年は鉢植えは止めようかとも考えています。台風などのときに鑑賞用に移動できるのは便利ですが。
・株の水の必要量は多く、夏には株植えには大量の給水が必要です。
・肥料も効果的で、収穫に効いてくるようです。
・種子の根付きは余りよくなく、5~10個にひとつくらいといった感じでした。
そこで一句、
棉摘や露の乾きを待つ朝
2024年9月16日月曜日
思わぬ町内会サービス
先日の誕生日には、地元町内会傘下の長寿会(65歳以上入会可)からお祝いが届きました。喜寿に当たります。
思わぬ、なにげない地元の町内会サービスに、年齢によらず、嬉しく思いました。
町内会からは、2年前にも「75歳祝い」ということで紅白饅頭が届きました。
ここの町内会は地域でも古い町内会だそうで、老人向けにも茶話会、日帰り旅行会(昨秋は静岡の掛川城でした)、落語会(近所にお住いの落語家桂歌助師匠や地元のマジシャンがよく出演されます)、趣味の展示会・演奏会(これには、手持ちの水彩スケッチの拙作も町内会館に出展させてもらいました。ハーモニカ名手による即興の演奏も定番です)など、活動が結構活発です。こういった年齢に合わせた個人向けサービスも行き届いているようです。
2024年9月15日日曜日
アメリカン・サウンド・イン・ヨコスカと高嶋秀武さん
9/15には、横須賀では恒例の第15回米海軍第7艦隊バンド&横須賀交響楽団フレンドシップコンサート「アメリカン・サウンド・イン・ヨコスカ」が催され、平坂から登った高台にある横須賀市文化会館大ホールを訪ねました。横須賀の名物コンサートだそうです。この日も1500席が満席とのこと。当日券の立見席も準備されていました。横須賀交響楽団の団員で今もトランペットを吹くかつての同僚の紹介で知り、私には、初めての鑑賞でした。
プログラムによると、「米海軍の精鋭バンドと地元オーケストラのダイナミックでエキサイティングなサウンドが人気を博し、マーチや米国の作曲家や米国にゆかりのあるクラシック音楽、ジャズ、映画音楽など多彩なプログラムをお贈りしてきました。」とあります。
今年は、第一部の艦隊バンドによる米国ポップス演奏についで、第二部では、米国生まれのマーチ王スーザの生誕170周年記念として「スーザ マーチ・リクエスト集」 というマーチを中心にした企画でした。また、英国生まれのエルガーが作曲したオーケストラのための行進曲「威風堂々」(英国の第二の国歌とのこと)からアメリカ民謡「聖者が街にやってくる」まで、久々にじっくり行進曲の名曲を楽しめました。
気になったのが、司会の高嶋秀武さんでした。横須賀出身の高嶋さんは長くこの企画の司会をされているようで、ラジオのニッポン放送で長くパーソナリティをされた「高嶋ひでたけのお早う!中年探偵団」の頃の明瞭で軽妙な語り口が懐かしく、お元気そうなのに感心しました。当時は、横浜富岡の社宅から横須賀武山への朝の相乗り通勤の車中でよく聞きました。今から思うと、山谷新平さんの「お早うニッポン」とともに、山谷さん降板後にその後継番組となった「中年探偵団」は朝のラジオ情報番組のはしりでした。高嶋さんは、今も、ラジオ(月1回出演とか)、YouTubeで減速しながら活躍されているそうです。その延長で、私は、今も朝には同じくニッポン放送の「飯田浩司のOK!Cozy Up!」とお隣の文化放送で「おはよう寺ちゃん」をしっかり聴いています。因みに飯田浩司さんも横須賀出身だとか。
この日は、7,700歩コースでした。
(追伸)この日は、日頃の注意不足を痛感することがありました。この演奏会は、これまでの経緯から汐入駅前の横須賀芸術劇場が会場とはなから思い込み、早めに行って控えていました。開場時間頃に会場に行くと係の方に「会場はここではなく横須賀中央駅から20分程歩く横須賀市文化会館です。芸術劇場は天井の改修工事のため長期休館(2024.7〜2026.3)しています。」とのことでした。慌てて会場にタクシーで駆け付け(他に何人かおられました)、なんとか間に合いました。月一回の「横須賀芸術劇場ニュース」を受け取りながら(しっかり読むとちゃんと書いてありました)、日頃から、見たい所しか見ていない、視野が狭くなっている、ことをあらためて思い知らされました。来年の開催でも会場はここだそうですから要注意です。
2024年9月13日金曜日
お茶大キャンパス
9/12には、属する団体の定期総会で久々にお茶の水女子大キャンパスを訪ねました。
地下鉄丸ノ内線茗荷谷駅から駅前の春日通りを北に5分程歩いたところにあります。
正門での検問が厳しくなっていることを受けて、世相を現わしているなという印象をもちました。
一般者がキャンパスに入るには、原則、事前のアポが必要で、ない場合には、それに代わる会議案内資料等がチェックされます。理由を聞くと、このキャンパス内には、付属小学校、中学校、幼稚園、こども園など付属施設が多くあり、生徒、園児の安全のためだそうです。昨今の通念では当たり前の入場ルールであり、同じ敷地の大学エリアにも適用されているのに納得した次第です。教育機関であり、女子大であるといった事情はあるにせよ、日本で「大学のキャンパスと寺社の境内は終日開放された場所」というイメージは段々変わるのかもしれません。以前、五反田にいた頃、通勤ルートにあった清泉女子大も私大でしたが同じようなルールだった記憶があります。そこでは、学内の歴史的建物も年数回のキャンパス公開日にしか一般開放されていませんでした。
ただ、正門の右側に最近建てられた、ちょっと変わった(はやりでいうと、どこかの副大統領候補がいわれたウィアードweirdでしょうか)ビルだけは1〜2階が一般にも開放されているそうで、総会もそこの2階の多目的ホールで行われました。そこは、「国際交流プラザ」という隈研吾さんが設計された木目風の斬新な施設で、内装も木を多く使ったデザインで、カフェなども置かれ開放的な雰囲気でした。
茗荷谷には、今も、お茶大のほか中央大、拓殖大、東大、筑波大の付属中学・高校などの施設が多くあり、所謂文教地区だなという感じがします。以前には、駅近くの、筑波に移転する前の東京教育大の建物にあった学術情報センター(当時、大学間ネットワーク構築・運用のとりまとめ機関でした)には何度も通ったことを思い出します。そこも今は神保町一ツ橋に移転してありません。移り変わりを感じて帰路につきました。
この日は、8,800歩コースでした。
「京橋の碑」と紫陽花
6/2午後には、7月の写真展への出展作のプリント色合わせのために、Fフォトギャラリー銀座を再度訪ねました。 その帰路には、銀座の隣町の京橋に出て、JR東京駅まで歩きました。途中、銀座中央通りと首都高速の交差点で、街中で咲き始めたばかりの紫陽花を見かけました。 ここは、江戸期には...
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長く地元で行きつけの飲み屋のひとつになっていた「養老の滝 蒔田店(まいた)」が29年間の営業を3/20で終了することになったことを知りました。市営地下鉄蒔田駅前に入居するビルの取壊し計画が具体化したこととコロナ禍以降の諸物価の値上がりで経営が急速に厳しくなったことが原因だそうで...
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3月央の取り壊し工事に先立って舞鶴実家に残された遺品類について、最後の整理を進めています。 その中でユニークなのが私製本の「水兵さんの遠洋航海 ー日露戦争直後のある青春ー」の大量の原稿です。 1978年(昭和53年)に、父が祖父の海軍舞鶴海兵団従軍中の日誌を13年かけて清書し、...
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2/8には、高校時代の関東在住者の同期会がありました。名目は「喜寿記念会」で、17人が集まり、同期生の消息、懐かしい話や終活の話などで、賑やかに愉しみました。福知山、京都在住の遠来者もかけつけてくれましたが、この日は米原ー名古屋間が雪で遅れ、1時間遅刻した参加者も出るほどでした。...