2024年4月10日水曜日

舞鶴実家解体工事20日目の状況

 解体工事20日目 4/10の17時頃の四条の状況です。
離れの取壊しは、庭の石灯籠を残してほぼ終わっていました。従って、お隣さんの建屋との境界壁が見えるようになりました。
今回は、離れの敷地から表通りを見た写真も入れています。倉庫は、この時点でも残っていますが、どうも業者が休憩や工事用機材置場として使っているようでしばらく残すようにもみえました。
こんな状況ですから、段々と撮るものがなくなるのも事実です。今日、作業員の方から奇しくもそのことを言われました。段々と更地らしくなるとということでしょうか。
話す中で、解体工事はいまも空きがないくらい仕事が詰まっているそうです。建築業は通常この年度始めはヒマだそうですが、解体業だけは違ってきているそうです。これも時節柄かもしれません。

右奥の離れの建屋が撤去されました。
正面奥に隣地との境界壁が見えます。

離れの撤去跡です。
離れ庭の石燈篭が残っています。左は
倉庫です。

表通りから左隣接壁を見ています。

敷地奥から表通り、左隣接壁を見ています。

敷地奥から表通り、右隣接壁を見ています。

表通りから工事全景

細川幽斎と舞鶴

 舞鶴で大事にしている人物に、室町、安土桃山時代の細川幽斎(藤孝)があります。
何年か前の大河ドラマ「麒麟がくる」でも、明智光秀とともに信長に仕え、朝廷との調整役を担った文武両道に優れた人物として描かれていました。眞島秀和が藤孝を渋く演じていました。
舞鶴の民謡として、舞鶴小唄とともに盆踊りなどでよく聞かれるが「舞鶴風流音頭」です。その先頭に、以下のように謳われています。

1, 舞鶴風流先づ第一は
 古今伝授の幽斎さまよ  
 残す心の種芽に出でて
 今じゃ桜の花ざかり花ざかり

 ほんにほんにさ (以下繰り返し)              
 のほほんのほい
  ・・・   10番まであります。      (作詞 吉井 勇 作曲 大村能章)

私も、おぼろげながら、細川幽斎、忠興の親子は丹後の国を領有し、関ヶ原の合戦の時に、忠興が東軍に加勢している間に、細川幽斎が西軍を引き付け西舞鶴の田辺城に50余日籠城し、東軍の勝利に貢献したこと、その時の終戦が、朝廷から「古今伝授」の称号をもつ幽斎を救え、との指示を出したことが契機となり、西軍が陣営を引いて実現したこと、忠興は細川ガラシャ夫人の夫で、明智光秀の娘でありながら守り続けたこと、などは聞いていました。
前置きがなが長くなりましたが、今回、実家の処分に際して父の書斎を整理する中で、昭和56年に出版された「細川幽斎の研究」(土屋将雄著、笠間書院刊)を見かけ、引き取り持ち帰りました。それを読んでいると、カバーに織り込んであった、著者からの手紙を見かけました。文意からすると、新刊の同書を読んで、文学事蹟が年譜として詳細に記された上記著者の土屋氏(当時、上智大学文学部教授をされていました)にコメントしたようで、その返信の手紙でした。主旨は、コメントへの感謝と多くの指摘を受けているが正誤表が作成しきれていない、といった内容でした。
この他にも、短歌が趣味で歌集も出版していた父は、細川幽斎の和歌の年譜を何冊ものノートに記載し残ていました。
細川幽斎が築城したとされる西舞鶴の田辺譲のあった敷地にある西舞鶴高校に通っていた父は、陰に陽に細川幽斎の事績に触れ、和歌にも馴染んでいったのではないかと、舞鶴で今も残る細川幽斎の存在をわが家でもあらためて感じました。


土屋将雄著「細川幽斎の研究」

2024年4月9日火曜日

舞鶴実家解体工事19日目の状況

舞鶴四条実家解体工事19日目  4/9 15時頃の様子です。
昨晩からの大雨かあがった直後でした。離れは羽尾さん側の壁を残すだけになっていました。手前には、母屋にあった金庫が白い袋にかぶさって残されています。表通りには、運搬トラックが資材を満載したところでした。聞くと、西舞鶴の元の大和紡績跡にある資材置場に一旦は運んで、産廃処理をするそうです。木材は、大きなものは再利用し、小さな木材は砕いてチツプにするそうです。午前中の雨は解体業者にとっては埃がたたずにありがたいくらいとのこと。業者的には、これからの壁土や地下埋設物の撤去が大変だそうです。
残るは、左奥の倉庫だけになってきました。
この日には、現在の進捗から工事終了を見込んで、市への上下水給水停止届を4/18停止を届け出ました。

舞鶴実家解体工事18日目の状況

舞鶴実家解体工事18日目 4/8夕方16 ~18時頃の状況です。
この記事からは、この日に帰省した私が撮影した写真になります。今回は4/15まで滞在予定です。
いよいよ離れの取壊しが始まっていました。
以下の写真は、この日の16 ~18時頃の時系列の状況です。作業を見ていると、重機と人、重機と運搬トラックとが、うまく連携して工事が進められていることを感じます。この日は、重機の運転手を含め4人が作業中でした。
はじめて直接に、解体業者の方と話ができました。これまで、多い時には8人が関わったそうです。また、敷地に残る赤土の多くは、建屋の壁土というよりは屋根の瓦の下に積まれた土だそうで、昔の家は瓦の滑りを止めるために多くでこうしていたそうです。これからは壁土の処理、上物だけでなく地下埋設物の撤去など、まだまだやることは多いとのことでした。
この日の18時頃には、離れの7~8割方の取壊しが終わり、残る玄関の作業中でした。残りは、倉庫だけということになります。
工事を委託している不動産業者からは、このような進行状況から、市水道局への上下水の給水停止届について、多少余裕を見て4/18で止めるよう届けることになりました。
ようやく、なんとか着地が見えてきました。


既に離れの屋根瓦は撤去されています。



離れの玄関部分の取壊しです。


表通りからの全景です。

この日の最後の運搬トラックが、荷台を
引き寄せ車載位置に載せようとしています。

舞鶴実家解体工事17日目の状況

 舞鶴実家解体工事17日目 4/7の状況が、姉の撮った写真からわかりました。
母屋の建材は都度大型トラックで搬出され、金庫も撤去されています。燈篭の尖塔部分を除いた下の部分が残っています。正面は離れの建屋です。梯子がかかっていますが、屋根瓦の撤去が始まっているようです。


母屋の取しは終わり、これから離れです。

2024年4月6日土曜日

舞鶴実家解体工事16日目の状況

 舞鶴実家解体工事16日目 4/6夕方の状況です。
この記事でも現地で姉が撮影した写真を引用させてもらっています。
母屋では、残っていた金庫、張出し棟部分、庭石、柱資材なども撤去され、ここ半月でようやく取壊しがほぼ終わりました。
これからは、離れと倉庫の取壊しにかかります。工事終了は、予定通りとのことで1週間後の4/13の予定です。


表通りから見た工事全景です。中央には
母屋中庭の石燈篭が部分的に残っています。

左奥は小さな倉庫です。中央
奥には離れの庭の石燈篭が
見えます。

舞鶴実家解体工事15日目の状況

   
舞鶴実家解体工事15日目 4/5夕方の状況です。
この記事でも現地で姉が撮影した写真を引用させてもらっています。
手前の母屋では、右手前の金庫の置き場を残すほかは、ほぼ取壊しは終わってきました。
戦前まで祖父が洋服店をしていましたので、立派な、文字通り重厚な金庫がありました。
中央には、中庭の石燈篭が部分的に残っています。
手前中央には太い柱の資材が置かれています。まだまだ建材として使えそうですが、止むをえません。
正面奥に見えるのが、離れの建屋です。祖父が自身の隠居部屋にと建てました。ここでゆっくりとしたかったのでしょうが、戦後は長く借家にしていましたので、自分で使うことはなかったようです。
これからは、この離れの取壊しに取り掛かることになります。


手前の柱建材はまだまだ使えそうです。

新宿御苑での観桜撮影会

 4/5には、写真仲間での観桜撮影会を新宿御苑で行いました。当日午後は曇時々雨の予報で降雨確率30%でしたが、幸い雨は降らず徐々に明るくなり、桜は満開直後といったところで、よいタイミングでした。大方、6~7割は外国人といった感じでしたが、この日の海外から観光客はラッキーで恵まれていたと思います。私もベンチに腰掛けたときの隣は台湾からのカップルでしたが、話しかけるまで分かりませんでした。
ここはもともと家康の家臣 内藤氏の屋敷だったそうですが、変遷を経て今は、環境省管理の国立公園となり、個々の木々がよく手入れされているなと感じます。
この日は、17,300歩コースでした。




手前はヒマラヤシーダーです。

中の池にて
楓の花も藻頃でした。これからプロペラの
ような種がつきます。
桜園地にて


枝ぶりが特徴的な巨木です。


新宿門から見た風景式庭園

2024年4月4日木曜日

大岡川沿いの桜@日ノ出町

4/2には、横浜でも前日4/1に満開になったと聞き(例年より5日遅かったそうです。東京は4/4だったとか)、近くの日ノ出町近くの大岡川沿いの桜並木を観てきました。天気予報では翌日から曇りが続くそうで、ぎりぎりのタイミングでしたが、なんとか日差しが残っていました。
今年は開花が遅れた分、開花期間が短く、遅く咲いてさっと散るというそうです。この日は、7分咲きくらいでした。ただ、川の片側は満開に近いのに、反対側はまだ蕾といった箇所もありました。
いつもですと、この界隈が、野毛(のげ)や桜木町の歓楽街が近いこともあって、川沿いの道から桜並木を観る、普通の「花見」に加えて
①船に乗って水面から桜を観る(日ノ出町桟橋から)
➁昔ながらの屋台を巡りながら飲食や金魚すくいなどを楽しむ
③ライトアップされた夜桜を楽しむ
などのオプションが備わっています。
ところが、今年は、①は健在でしたが(昨年にはついつい乗船しました)、②の出店がなく、ちょっと寂しく感じました。③は今のところ確認できていません。
ただ、桜も樹齢が60年を超した頃から、接ぎ木などによる世代交代が進められてきました。始めは、幼木に物足りなさがありましたが、このところしっかりと枝を張り、古木以上に色の濃いい立派な花を咲かせ見立ち始めていて、順調に新しい世代が育っていることに、頼もしさを感じました。
➁の屋台が見られないのは、コロナ禍の3年間で不規則な営業になり、事業者の営業が成立しなくなったのではないかと心配です。これからの子供たちのためにも、屋台や夜店のない花見や祭りが定着するのは避けたいところです。
とまれ、今年は天候不順で、通常通りの開花が心配せれ、このところ早咲きが続いたため久々に開花宣言が待ち望まれた桜でしたが、咲きぶりは通常通りで十分に楽しめました。



2024年4月3日水曜日

舞鶴実家解体工事13日目の状況

 舞鶴実家解体工事13日目 4/3夕方の状況です。
この記事でも現地で姉が撮影した写真を引用させてもらっています。
中庭の庭石の撤去が終わっています。
それに伴い、母屋の右手の張出した部分にあった祖父と父の書斎の取壊しが始まろうとしています。また、左の張出し棟にある居間、台所、風呂場の取壊しも途中のようです。
雨天の中、次第に、奥にある離れの建屋の取壊しに進むことになります。


母屋は、左右奥の張出し棟部分を除いて、
手前の取壊しがほぼ終わりました。
これから、奥の離れの工事に移って
いきます。

舞鶴実家解体工事12日目の状況

 舞鶴実家解体工事12日目 4/2の状況がわかりました。
この記事でも現地で姉が撮影した写真を引用させてもらっています。
母屋1階の奥の状況です。この時点では、まだ面影は残っています。

2024年4月1日月曜日

舞鶴実家解体工事11日目の状況

 取壊しが始まって11日目の4/1夕の状況です。今回も、現地で姉が撮影した写真を引用させてもらっています。
表通り側の母屋は奥への張出し部分を除いて、左右の両側壁だけになっています。8割の取壊しが終了した状況でしょうか。左上の棚は、玄関の階段上にあった人形棚です。真中中段には中庭の燈篭がまだ見えます。すっかり様変わりです。
これからは奥にある離れの工事が本格化します。
今のところ、4/13には、母屋、離れの全ての工事が完了予定です。

クリガニのカニ汁

 8/6には、孫の付き合いで目黒に出かけ、やや疲れた帰りの寿司店(目黒駅ビル内の「寿司 活」でした)で、たまたま「大きいクリカニのカニ汁」をメニューに見かけ、ついつい惹かれて注文してみました。今年3月にも陸奥湾のクリガニを珍しく見かけ自宅で美味しくいただいたばかりでした。春が旬と...