舞鶴実家解体工事15日目 4/5夕方の状況です。
この記事でも現地で姉が撮影した写真を引用させてもらっています。
手前の母屋では、右手前の金庫の置き場を残すほかは、ほぼ取壊しは終わってきました。
戦前まで祖父が洋服店をしていましたので、立派な、文字通り重厚な金庫がありました。
中央には、中庭の石燈篭が部分的に残っています。
手前中央には太い柱の資材が置かれています。まだまだ建材として使えそうですが、止むをえません。
正面奥に見えるのが、離れの建屋です。祖父が自身の隠居部屋にと建てました。ここでゆっくりとしたかったのでしょうが、戦後は長く借家にしていましたので、自分で使うことはなかったようです。
これからは、この離れの取壊しに取り掛かることになります。
2024年4月6日土曜日
舞鶴実家解体工事15日目の状況
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