舞鶴四条実家解体工事19日目 4/9 15時頃の様子です。
昨晩からの大雨かあがった直後でした。離れは羽尾さん側の壁を残すだけになっていました。手前には、母屋にあった金庫が白い袋にかぶさって残されています。表通りには、運搬トラックが資材を満載したところでした。聞くと、西舞鶴の元の大和紡績跡にある資材置場に一旦は運んで、産廃処理をするそうです。木材は、大きなものは再利用し、小さな木材は砕いてチツプにするそうです。午前中の雨は解体業者にとっては埃がたたずにありがたいくらいとのこと。業者的には、これからの壁土や地下埋設物の撤去が大変だそうです。
残るは、左奥の倉庫だけになってきました。
この日には、現在の進捗から工事終了を見込んで、市への上下水給水停止届を4/18停止を届け出ました。
2024年4月9日火曜日
舞鶴実家解体工事19日目の状況
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