2026年1月17日土曜日

大寒どきの石焼き芋屋

大寒のこの時期(1/20〜2/3)には、街中で焼き芋売りの車を見かけます。
1/17この日は、最寄りの上大岡駅前の商店街でたまたま見かけました。
よくある懐かしい光景です。いまどきの掛け声は、肉声だけの拡声器でなくギター伴奏付きのフォーク風で縦型スピーカから流れます。
そこで、一句、

松過や響く石焼芋の声/松過や響く石焼藷の声

なお、俳句では、「薩摩芋」の「芋」に代わって植物の分類に使われる「甘藷」から「藷」が使われます。「芋」は里芋を意味するとか。先日の句会で指導されました。

どんど焼きー正月の締めくくり

 1/17には、近くでどんど焼きが行われる金沢海の公園砂浜を訪ねました。先日横浜金澤七福神巡りをしたときに知り、初めての参加でした。
シーサイドラインの海の公園柴口駅と海の公園南口の間の砂浜で行われます。
どんど焼きは、正月にお迎えした歳神様(その年の福を運んでくれる神様)が、どんど焼きの火と煙に乗って天へ帰られるのをお見送りする、という意味があるそうですが、一般には、飾り物を火に掛け、お正月を締めくくる行事のように思います。昭和の頃には舞鶴の実家の玄関前で「どんと焼き」(舞鶴ではこう言います)をして、その火でサツマイモを焼いて熱いのを皆で食べた記憶があります。
そこで、一句、

灯す火やしんと静まるどんど焼き
点す火やダルマも天にどんど焼き
燃える火や光る海辺のどんど焼き

この日は、7,000歩コースでした。


点火直前の様子から
 
どんど焼き会場全景。背景左が八景島シー
  パラダイス水族館。右が野島、平潟湾方面です。
チラシから

2026年1月15日木曜日

赤いスマホケース

1/15には、スマホケースのストラップをつける部分が壊れ、買い替えることにしました。
最寄りの量販店で買い求めたところ、私がかなり前から使っているスマホSH-02Mは古い機種でこれ用のケースは赤色のものしかないとのこと。迷っていると、他に青、黒、グレーがあるそうで対応の店員さんが近くの同じチェーン店の在庫を確認してもそれらの色のケースは置いていないとのこと。仕方なしに、赤いスマホケースを持ち歩くことになりました。若い女性店員さんでしたが「おかしくないですよ」と言われ、なにやら複雑な気持ちで購入することにして帰宅しました。
この年になってはじめての「アカモノ」でしたが、段々と年齢相応に、ちゃんちゃんこに限らず身の回りで赤いものにも慣れなければ、と思った次第です。このスマホケースとしばらくのお付き合いです。

2026年1月13日火曜日

横浜シネマリンでの今年の初映画

 1/11には、今年の初映画を横浜シネマリンで観てきました。毎年この時期にはその年の正月映画から好みの映画を観ることにしています。この日は珍しくえらく混んでいました。
今年は、昨年後半から気になっていたドキュメンタリ「ネタニヤフ調書ー汚職と戦争ー(The Bibi Files)」が近くのミニシアタの一つ シネマリンで上映中と知り、今年の正月映画に選びました。Bibiはベンヤミン・ネタニヤフ首相の愛称とのこと。
この映画の出発点は、イスラエル警察が 2016〜2018年に行った現職のネタニヤフ首相の汚職捜査の尋問映像 が存在していたことです。これらの映像は当時一般には公開されておらず、イ
スラエル国内でもプライバシや法的制約から公開が制限されていたそうです。
ところが、 2023年春ころ, ある人物がこの未公開の映像を メッセージアプリ「Signal」を通じて映画プロデューサのギブニーに極秘でリークしたのが、映画制作の直接的な契機となったとか。ギブニーはこの素材の重要性に気付き、制作に乗り出します。監督としてブルーム を迎え、制作を本格化させました。
この点は、2013年に米国国家安全保障局(NSA)による大規模な機密監視活動に関する内部情報をリークし内部告発したスノーデン事件に酷似しています。これも大きな話題となり、映画にもなりました。今回の件ではリークした人物については一切触れられていませんが。
監督のブルームは、尋問映像に加えて、公私でのネタニヤフ首相周辺の人物や政治的な内部事情を知る関係者への取材を行っています。作品には元首相の側近や政界関係者、ジャーナリストらも登場し、さまざまな視点からネタニヤフ首相の政治姿勢や汚職疑惑、その後の影響が語られています。
疑惑の論点ごとに、リークされた映像から捜査官の尋問、尋問される側の証言が切り出され、それに対して取材した関係者がコメント、反論する、というサイクルが繰り返されるという構成で、フェアで説得力のある映像と思いました。関係者にはネタニヤフ首相に批判的な元イスラエル首相、イスラエルの国内諜報機関シンベトの元長官、ネタニヤフ首相の元広報担当、国内の調査報道ジャーナリストたちが含まれます。ニュースでなくドキュメンタリ映画として主張を明確にするためとはいえ、刑事裁判で係争中の事案ですので、多少は首相を擁護する論者も含めてもよかったかもしれません。
なかでも印象に残ったのが、証言の中で首相が、映画「ゴッドファーザー」のセリフ「友を近くに置け、敵はもっと近くに置け」(「敵を遠ざけるのではなく、近くに置いてこそ、その危険性を把握し、自分の身を守れる」の意)を引用する様でした。この考え方が、現政権の財務大臣と国家治安相に急進右派の人物を任用していることに繋がるように思われました 。一見関係の薄い汚職疑惑と戦争が現実には繋がっていく過程が側近の眼線でリアルに描かれているように思います。
この映画はイスラエルとアメリカの共同制作作品ですが、さすがにイスラエル本国では上映禁止だそうです。欧米アジアでは混乱はあったようですが昨年央に公開され、顕彰候補にもなるなど国際的に注目されているとか。ユダヤ主義やイスラエル・ガザ戦争に対する考え方や立場の違いによらず、遠い国で起こっているひとつの事実経過として一度は観る価値のあるドキュメンタリと思いました。

それにしても、シネマリンの内装が綺麗になっているのには驚きました。経営者が代わって上映映画の趣向もやや変わったようで、業績が好転しているように見えます。ここの古い一ファンとしては有り難いことです。
この日は、5,000歩コースでした。


同上。葉巻の煙はいささか誇張し
過ぎています。映画の中の映像を
そのまま切り出すだけでよいの
ですが。

2026年1月12日月曜日

地元の七福神巡りその3



  1/10にはグループ3(正法院と宝蔵院)の横浜金澤七福神巡りをしてきました。

6. 正法院_福禄寿
正法院(しょうほういん)は、京急金沢文庫駅から西に15分程歩いた赤井地区にある真言宗の寺です。
ここにも以下のような伝承があるようです。

1200年程前、この地を訪れた弘法大師(空海)は、村人が水不足と疫病に苦しんでいる姿を目の当たりにしました。大師が杖で地面を突き井戸を掘って加持祈祷したところ、赤い霊水が湧き出したと伝えられています。弘法大師はこの赤い水を使って「不動明王」を描いたとされ、それが秘仏の「赤井不動明王」として伝わっています。それからこの寺は赤井山正法院となり、現在も「赤井の不動様」として地域の人々に親しまれています。

ここは境内が限られていることから奥の斜面に納骨墓を造り地元の方々の埋葬の機会を多く作ろうと工夫されているようです。
この近くには以前「赤井温泉」がありましたが20年程前に廃業しています。

7. 宝蔵院_寿老人
宝蔵院は、シーサイドラインの海の公園柴口駅から20分程斜面を歩いた柴漁港、八景島や東京湾を見晴らす高台にある寺です。正式には此木山 西方寺 宝蔵院(しもくざん)と呼ばれますが、山号の「此木山」には、漁師町 柴に移り住んだ人々に以下のような伝説が残っているそうです。

かがり火の伝説: 鎌倉時代末期の応長元年(1311年)、現在の八景島付近(長浜)で大津波が発生しました。海に流され漂流していた村人たちが、この寺にある大きな銀杏の木の下で焚かれていた「かがり火」を頼りに岸へ辿り着き、九死に一生を得ました。
柴村の誕生: 助かった人々はそのまま寺の周辺に住み着き、寺の山号にちなんで村を「此木(このき)村」と名付けました。これが現在の「柴町」のルーツになったといわれています。

正に、伝説とともに、明治までの「一村一ヵ寺」の面影を今も残す寺と思いました。

参拝の帰路、眼下の柴漁港に立ち寄り、近くのSEASIDE CAFEで一服し帰宅しました。

そこで、一句、

寺社ごとに伝承豊か七福神
キラキラと金澤の海や寿老人
あらためて地元見直す七福神

この日は、12,000歩コースでした。

以上、横浜金澤七福神を一巡してきました。どこの寺社にもそれぞれのユニークな伝承があり、それを大事にする地域文化が地元に溶け込んでいるように感じました。
まだ元気なうちにもう一度一巡しておきたいと思っていた横浜金澤七福神でしたが、今年思い切ってトライしてなんとか間に合ったかと感じた次第です。
これからは、これを機会に、七福神には含まれず観逃したこの地域にある多くの寺社も個別にゆっくりと訪ねてみたいと思っています。


正法院本堂

正法院の福禄寿像
正法院山頂の赤井不動尊。風習にあやかって
像の前に並ぶ「不動の福石」を一つ頂戴して
きました。

正法院の海を臨む集合型の納骨墓。これが
第二期分で手前にもうひとつあります。
墓地内の造成に力を入れられているようです。
これも新しい墓地の形態かも知れません。

正法院本堂脇の十六羅漢像。ここは
小さく精巧な石仏の多い寺です。

正法院全景

宝蔵院本堂脇の不動明王像

本堂前の寿老人像。長い髭をたくわえ、手に
杖や宝珠、桃をもたれる長寿の神様です。


宝蔵院本堂

宝蔵院全景

柴漁港に釣船が帰ってきました。

柴漁港。ここは「小柴の蝦蛄」や湘南の
シラス、タコの漁獲の拠点です。
 

チラシから

地元の七福神巡りその2

 1/9にはグループ2(富岡八幡宮と長昌寺)の横浜金澤七福神巡りもしてきました。伝心寺前のバス停から磯子行の京急バスに乗り、宮ノ前バス停まで楽してきました。そこから15分程海側に出ると富岡八幡宮です。

4. 富岡八幡宮_恵比寿尊
富岡八幡宮は、800年程前1191年鎌倉幕府を開くにあたって源頼朝が摂津の西宮神社より恵比寿尊の分霊を勧進しこの村の守り神としたのが始まりとされ、後に武家の守護神 八幡神とともに祀られています。地元でも初詣など参拝客の多い神社です。
縁起によると、恵比寿尊は、芦の舟に乗って海路を開き西宮に辿り着いたという神話から、海上安全の守り神、商売繁盛のの神として、西宮に地縁の近いこの地でも長く崇敬されてきたそうです。

5. 長昌寺_布袋尊
長昌寺は、富岡八幡宮から北に10分程歩いたところにあります。途中の「子供ログハウス」が目印ですがわかりにくく2度通りかかりの人に聞きました。ここは、戦国時代1574年に鎌倉明月院の仙渓僧才禅師によって開かれた臨済宗の寺です。山門に「芋観音」と書かれているのに驚き、縁起を見ると以下のような面白い言い伝えがあるようです。

芋観音(芋観世音菩薩)は、長昌寺に祀られている観音様で、特に天然痘(ほうそう)除けの神様として古くから信仰されてきました。参拝すると、無病息災、病気平癒、願いごと成就といったご利益があるとされます。
「芋」の名が付くのは、楊柳観音※が出現したとされるこの地域(富岡・鳥見塚)の池が、芋の葉が茂る池だったことに由来します。
伝承によれば、その池から観音様が現れます。観音様は人々に向かって、「世の人々が苦しむ天然痘患者を救いたい。仮に“芋明神”として現れた」と語ったと伝わります。実際にその池の水を飲むと、天然痘にかかっても軽くすんだとされ、人々はこの観音様を「芋観音」として信仰してきたそうです。

※この「楊柳観音」は、観音経(楊柳観音品)の縁に由来する観音像(観音経に出る観音)です。 (長昌寺縁起より引用、編集)

長昌寺では、毎年3月上旬の日曜日に「芋観音御開帳法要」が行われています。参拝者には、伝統的に、里芋の煮物(霊芋)、甘酒や玉こんにゃく(復活時)、などが振る舞われ、これを食べると「一年のご利益が得られる」と言われるとか。

また、この寺は、昭和初期の大衆文学を代表する作家であった直木三十五(さんじゅうご、本名植村宗一)の墓がある寺でもあります。毎年顕彰される直木賞の創設でも知られます。晩年は療養のために空気の良い神奈川県久良岐郡金沢町(現在の横浜市金沢区富岡)の地に移り住み、自ら家を建てて暮らしていました。彼は1934年(昭和9年)2月24日に東京で亡くなり、葬儀が行われました。当初は、自宅に近い慶珊寺(けいさんじ)に埋葬されたそうですが、その後、直木自身が「禅宗の海の見える墓地がいい」という希望を持っていたと伝えられたことから、墓は近くの長昌寺に改葬されました。長昌寺の裏山は海が望める立地で、直木の望んだ環境に近い場所だったとのこと。墓地は今も静かな寺の一角に位置し、直木賞受賞者などが参拝に訪れる場所だそうです。
長昌寺では、直木の命日(2月24日)前後の休日に「南国忌(なんごくき)」という供養・講演会が毎年行われるなど、地域文化としても直木を偲ぶ行事が継承されているようです。
一見目立たない小さな寺ですが、聴いてみるといろいろと伝承や話題の多い寺です。意外でした。

この日、先に巡ったグループ1も併せて、11,000歩コースでした。


富岡八幡宮境内の古風な狛犬。新年から
参拝者に邪心のなきよう十分睨みを
利かせてくれています。

長昌寺本殿横に布袋尊が鎮座します。
布袋和尚は900年頃の中国の禅僧で福を
呼ぶ弥勒菩薩の化身と尊ばれたとか。

長昌寺山門には「芋観音」の看板が掲げられて
います。

 

2026年1月11日日曜日

地元の七福神巡りその1

 今年の正月には、地元の横浜金澤七福神を15年程振りに2日に分けてゆっくりと巡ってきました。1/1~1/8の御開帳の期間は過ぎていましたが、正月休みの参拝客による混雑も過ぎた、晴天の1/9と1/10の午後に訪ねました。また、年齢もあり、移動にはフルに公共交通機関を使ってのやや変則的な(安易な)七福神巡りでしたが、それでも道中には所々に起伏もあり、私には結構ハードなトレッキングでした。
横浜金澤七福神は横浜市の南東部の東京湾沿いに当たる金沢区にある7つ寺社に七福神7柱(恵比寿・大黒天・毘沙門天・弁財天・福禄寿・寿老人・布袋尊)が祀られ巡拝します。途中に海を望みながら廻れる爽やかのコースだとか。七福神巡りは、室町時代から続く庶民信仰で、仏教、神道の宗教、宗派に関わらず歴史ある寺社が選ばれて、一巡すれば七つの災いを避け、七つの幸福を授かるそうです。ここの七福神の正月イベントは新しく今年が21回目で、2005年から途中の商店、レストランなどのPR、街おこしを兼ねて始まっており、今流の「平成の七福神」、今どき「21世紀の七福神」といった趣もあり、祀られた御神体はいずれも真新しい御影石造りでした。
場所的には、京浜急行金沢八景駅周辺の瀬戸神社、龍華寺(りゅうげじ)、伝心寺のグループ1、京急富岡駅近くの富岡八幡宮、長昌寺のグループ2、その他の正法院と宝蔵院のグループ3に分かれます。
今回は、前2グループを1/9に最後のグループを1/10に訪ねました。
まずは1/9 瀬戸神社、龍華寺、伝心寺巡り(グループ1)から始めました。

1.瀬戸神社_弁財天
瀬戸神社は八景駅から海沿いに出ると5分で行ける至近です。源頼朝が古代からの整地 瀬戸に三島明神をお祀りして瀬戸神社を造営した時に、妻の北条政子が日頃崇敬した弁財天を祀ったのが境内で平潟湾に突き出た琵琶島神社だったことが由縁だそうです。頼朝の故事にはいつも政子の陰が付きまといます。
瀬戸神社から龍華寺に向かう途中に、明治憲法草創の碑が建っています。伊藤博文ほかがプロイセンの憲法をベースにここの近くの料亭「東屋」で明治憲法草案を練ったとか。また、その先には鰻屋「饅松」があり、店の前の東屋には伊藤博文の書が掲示されており、明治初期の面影をうかがわせます。この先国道16号線君が崎交差点までを「歴史の道」(通称「バス通り」)というそうです。

2.  龍華寺_大黒天
鎌倉期初期、当時この地の海の守りとして栄えた金沢の港と瀬戸神社を結びつける形で、最初の寺院 浄願寺を山中に建立したことが龍華寺の起源とされれいます。その後1499年にこの地に龍華寺として統合され、真言密教の修行道場として再興されたそうです。東国における中世の密教世界を知る貴重な史料も多く見つかり注目されているとか。
山門をくぐり境内に入ると正面に藁葺屋根の古風な鐘楼が見られ、この珍しい配置にもなにか所縁がありそうです。

3.  伝心寺_毘沙門天
伝心寺(傳心寺)は鎌倉期1247年に北条時頼の開基により 、曹洞宗発展の時期にこの地での信仰の拠点として創建されたそうです。その後、戦国時代に再興されています。海に近い金沢の地で、 地域、漁や海運の安全を見守り続けてきた寺とのこと。
境内には木守柿のように柘榴(ざくろ)が古木に残っており、目に留まりました。また、山門前には白梅が咲き、私には今年初めての梅でした。


瀬戸神社拝殿

境内の岩穴にお稲荷さんも

琵琶島神社入口に琵琶を弾く弁財天が
にこやかに出迎えます。琵琶島はかつては
岸から30m程離れた平潟湾に浮かぶ島
でしたが今は陸続きになっています。

琵琶島神社と平潟湾。右は金沢八景と新杉田
を結ぶシーサイドラインの高架軌道です。
左側の岸辺に瀬戸神社があります。

瀬戸神社全景

龍華寺の藁葺屋根の鐘楼と本堂。ここは
牡丹の寺でもあるとか。

龍華寺山門の前ににこやかな大黒天が鎮座して
います。

龍華寺全景

移動中のお宅の庭で見かけた見頃の南天



伝心寺全景。門前左には梅が咲いていました。

伝心寺境内には木守柿ならぬ「木守柘榴
(ざくろ)」が昨秋から古木に残っていました。

移動途中に老舗の鰻屋「饅松」さん店頭の
鰻のオブジェが目に留まりました。
餌の小魚も表現されています。店頭の
小屋には伊藤博文の書「四海為家」の額が
残されています。由縁がありそうです。

龍華寺に向かう「歴史の道」の入口には
「明治憲法草創の碑」が建っています。この近くの
料亭「東屋」で伊藤博文、金子堅太郎他が起草した
そうです。それもあって伊藤博文はこのすぐ先の
に別邸を造って 船で通ったそうです。

釣宿 荒川屋でのランチです。釣人飯の感じが
します。この日はアジ、シロキス、太刀魚の
天ぷらでした。地元産海苔の佃煮も(左上)。

弁天屋の釣舟で今釣れるのは、カワハギ、
太刀魚、シロギス、アマダイ、鯵など
のようです(左下の看板から)。

釣宿「弁天屋」の釣果の魚拓から。この辺りは
交通の便がよいため釣舟屋、釣宿が多く
並びます。

案内パンフから。しっかりと
案内してくれます。
(補足)コロナ禍真っ最中の20210323には
「疫病退散」と幟に掲げて祈願する瀬戸神社の
様子をスケッチしていました。

2026年1月8日木曜日

カメラの保守寿命終了

1/8には修理に出していたニコンのコンパクトデジタルカメラ(コンデジ)Coolpix A1000の修復ができたとの連絡を受けて、新宿にあるニコンプラザに引き取りに行ってきました。
その時に、窓口の人と話すなかで、「この製品の修理受付ができる保守寿命が来月までで、ぎりぎりでよかったですね」といわれて驚きました。
A1000は2019年2月に発売され、高倍率で手軽に持ち運びでき、撮影後の修正が容易なRaw撮影もできる小型機として一定の人気のある機種でした。しかし、3年ほど前NIKONの業績が芳しくない時期があり、経営判断として、コンデジ製品全般(星座撮影など用のP1000シリーズは除く)も生産終了(ディスコン:Discontinued)として開発・保守リソースを当時競合他社に後れをとっていた新種のミラーレスカメラに移行する、とした方針を出し、それを受けて、A1000の新製品の販売はなくなりました。その後は中古品市場だけで取引されている製品です。
私は、発売当初に、それまでのA900から乗り換えてA1000を入手し、それからの長い付き合いです。とくに旅行や街中を撮るスナップ写真用に持ち運び、結構重宝してきました。とくに写真クラブに属してからは撮影機会を逃すまいと、いつもリュックやカバンに入れるようにしていました。ただ、撮影の手軽さや機体の軽さもあって、また年相応の握力の弱さ、指の滑り易さもあって、これまで不注意でカメラをよく落としてきました。その度に5度ほど修理に出したことがあります。いわば定期的にオーバーホールしているようなものです。希望を言わせてもらうと、A1000はちょっとした落下(高さ50~100cmでした)に弱い機種だったのかもしれません。
しかし、修理の回数が増えるたびに、また手元に戻ってきたという愛着が湧くもので、長く愛用してきました。
残念ながら、2月でネット等での一般的な修理受付は終了し(一部に部品在庫が尽き始めた時期)、あとは在庫部品に合わせて個別に受付けるとのことでしたので、今度こそは、不用意に落とすなどしないように、大事に使っていきたいと思っています。
それにしても、ひとつの製品を発売から保守終了まで修理を繰り返しながら結構頻繁に使い続けるという、私には稀な記念品になりました。
この日は、8,500歩コースでした。 


NIKON CoolPix A1000の外観

2026年1月7日水曜日

今どきのある賀詞交歓会


1/6には、属する会の賀詞交歓会が新宿で行われ顔を出してきました。現役世代とともに古い顧客や同僚も集まる会で一年ぶりに気楽に歓談できました。
また、いつも会う同世代の仲間にも色々と身辺に異変が現れてきました。一旦会場に参加しながらもくも膜下出血で療養中の奥さんの具合が悪いと急な連絡があり途中で帰宅する人、本人ががん治療中で当日急に参加できない人など、自分も含めて我々世代の足元が急に変わってきたことを感じる会でもありました。
会では、会場正面演台の背景に掲げられた「馬」の書が気になりました。いつもは干支の漢字が書かれますが、今年は一般的な「午」ではなく「馬」でした。どなたの作かわかりませんが、なかなか良くできた作品で、動物の馬の駆ける姿をよく表し象形文字の草書体のもつ勢いと醍醐味のようなものを感じました。
また、会場のロビーには、正月飾りの現代的なオブジェが置かれていました。赤く塗った竹と扇子、花餅、蘭などを使った作品で、日本の正月を詠う現代アートのように思いました。
帰路、新宿駅に向かう途中の街路樹のイルミネーションも季節的で、たまたまいつもの手持ちカメラが修理中で持参したスマホで撮ったところ適当にピントがずれて所謂「玉ボケ」の写真になりました。
この日は、12,000歩コースでした。

演台背景の「馬」の書は印象的でした。

ロビーの正月飾りから

ロビーの正月飾りからその2
街路樹から。玉ボケです。

ミラーレスカメラZ30の新調

 4月末にいつもカバンに入れて持ち運ぶ小型のカメラを新調しました。これまでコンデジ( コン パクト デジ タルカメラ)のA1000を何度もNIKONに修理に出しながらも長く愛用していました。その前のA900を使っていた期間を含めると15年は使っています。コンデジでありながらRAW...