2026年1月12日月曜日

地元の七福神巡りその3



  1/10にはグループ3(正法院と宝蔵院)の横浜金澤七福神巡りをしてきました。

6. 正法院_福禄寿
正法院(しょうほういん)は、京急金沢文庫駅から西に15分程歩いた赤井地区にある真言宗の寺です。
ここにも以下のような伝承があるようです。

1200年程前、この地を訪れた弘法大師(空海)は、村人が水不足と疫病に苦しんでいる姿を目の当たりにしました。大師が杖で地面を突き井戸を掘って加持祈祷したところ、赤い霊水が湧き出したと伝えられています。弘法大師はこの赤い水を使って「不動明王」を描いたとされ、それが秘仏の「赤井不動明王」として伝わっています。それからこの寺は赤井山正法院となり、現在も「赤井の不動様」として地域の人々に親しまれています。

ここは境内が限られていることから奥の斜面に納骨墓を造り地元の方々の埋葬の機会を多く作ろうと工夫されているようです。
この近くには以前「赤井温泉」がありましたが20年程前に廃業しています。

7. 宝蔵院_寿老人
宝蔵院は、シーサイドラインの海の公園柴口駅から20分程斜面を歩いた柴漁港、八景島や東京湾を見晴らす高台にある寺です。正式には此木山 西方寺 宝蔵院(しもくざん)と呼ばれますが、山号の「此木山」には、漁師町 柴に移り住んだ人々に以下のような伝説が残っているそうです。

かがり火の伝説: 鎌倉時代末期の応長元年(1311年)、現在の八景島付近(長浜)で大津波が発生しました。海に流され漂流していた村人たちが、この寺にある大きな銀杏の木の下で焚かれていた「かがり火」を頼りに岸へ辿り着き、九死に一生を得ました。
柴村の誕生: 助かった人々はそのまま寺の周辺に住み着き、寺の山号にちなんで村を「此木(このき)村」と名付けました。これが現在の「柴町」のルーツになったといわれています。

正に、伝説とともに、明治までの「一村一ヵ寺」の面影を今も残す寺と思いました。

参拝の帰路、眼下の柴漁港に立ち寄り、近くのSEASIDE CAFEで一服し帰宅しました。

そこで、一句、

寺社ごとに伝承豊か七福神
キラキラと金澤の海や寿老人
あらためて地元見直す七福神

この日は、12,000歩コースでした。

以上、横浜金澤七福神を一巡してきました。どこの寺社にもそれぞれのユニークな伝承があり、それを大事にする地域文化が地元に溶け込んでいるように感じました。
まだ元気なうちにもう一度一巡しておきたいと思っていた横浜金澤七福神でしたが、今年思い切ってトライしてなんとか間に合ったかと感じた次第です。
これからは、これを機会に、七福神には含まれず観逃したこの地域にある多くの寺社も個別にゆっくりと訪ねてみたいと思っています。


正法院本堂

正法院の福禄寿像
正法院山頂の赤井不動尊。風習にあやかって
像の前に並ぶ「不動の福石」を一つ頂戴して
きました。

正法院の海を臨む集合型の納骨墓。これが
第二期分で手前にもうひとつあります。
墓地内の造成に力を入れられているようです。
これも新しい墓地の形態かも知れません。

正法院本堂脇の十六羅漢像。ここは
小さく精巧な石仏の多い寺です。

正法院全景

宝蔵院本堂脇の不動明王像

本堂前の寿老人像。長い髭をたくわえ、手に
杖や宝珠、桃をもたれる長寿の神様です。


宝蔵院本堂

宝蔵院全景

柴漁港に釣船が帰ってきました。

柴漁港。ここは「小柴の蝦蛄」や湘南の
シラス、タコの漁獲の拠点です。
 

チラシから

0 件のコメント:

コメントを投稿

陸奥湾のトゲクリガニを試食

 3/18に参加した本郷台での句会の後、少し回り道をして大船の鈴木水産に立ち寄りました。先日の、ここで旬のトゲクリガニを見かけながら、写真撮影どまりで通り過ぎたことが気になっての再訪でした。今回は3杯はいったパックを買い求め、自宅で大きいのはそのまま茹でて、小さいもう2杯はカニ汁...