2026年1月12日月曜日

地元の七福神巡りその2

 1/9にはグループ2(富岡八幡宮と長昌寺)の横浜金澤七福神巡りもしてきました。伝心寺前のバス停から磯子行の京急バスに乗り、宮ノ前バス停まで楽してきました。そこから15分程海側に出ると富岡八幡宮です。

4. 富岡八幡宮_恵比寿尊
富岡八幡宮は、800年程前1191年鎌倉幕府を開くにあたって源頼朝が摂津の西宮神社より恵比寿尊の分霊を勧進しこの村の守り神としたのが始まりとされ、後に武家の守護神 八幡神とともに祀られています。地元でも初詣など参拝客の多い神社です。
縁起によると、恵比寿尊は、芦の舟に乗って海路を開き西宮に辿り着いたという神話から、海上安全の守り神、商売繁盛のの神として、西宮に地縁の近いこの地でも長く崇敬されてきたそうです。

5. 長昌寺_布袋尊
長昌寺は、富岡八幡宮から北に10分程歩いたところにあります。途中の「子供ログハウス」が目印ですがわかりにくく2度通りかかりの人に聞きました。ここは、戦国時代1574年に鎌倉明月院の仙渓僧才禅師によって開かれた臨済宗の寺です。山門に「芋観音」と書かれているのに驚き、縁起を見ると以下のような面白い言い伝えがあるようです。

芋観音(芋観世音菩薩)は、長昌寺に祀られている観音様で、特に天然痘(ほうそう)除けの神様として古くから信仰されてきました。参拝すると、無病息災、病気平癒、願いごと成就といったご利益があるとされます。
「芋」の名が付くのは、楊柳観音※が出現したとされるこの地域(富岡・鳥見塚)の池が、芋の葉が茂る池だったことに由来します。
伝承によれば、その池から観音様が現れます。観音様は人々に向かって、「世の人々が苦しむ天然痘患者を救いたい。仮に“芋明神”として現れた」と語ったと伝わります。実際にその池の水を飲むと、天然痘にかかっても軽くすんだとされ、人々はこの観音様を「芋観音」として信仰してきたそうです。

※この「楊柳観音」は、観音経(楊柳観音品)の縁に由来する観音像(観音経に出る観音)です。 (長昌寺縁起より引用、編集)

長昌寺では、毎年3月上旬の日曜日に「芋観音御開帳法要」が行われています。参拝者には、伝統的に、里芋の煮物(霊芋)、甘酒や玉こんにゃく(復活時)、などが振る舞われ、これを食べると「一年のご利益が得られる」と言われるとか。

また、この寺は、昭和初期の大衆文学を代表する作家であった直木三十五(さんじゅうご、本名植村宗一)の墓がある寺でもあります。毎年顕彰される直木賞の創設でも知られます。晩年は療養のために空気の良い神奈川県久良岐郡金沢町(現在の横浜市金沢区富岡)の地に移り住み、自ら家を建てて暮らしていました。彼は1934年(昭和9年)2月24日に東京で亡くなり、葬儀が行われました。当初は、自宅に近い慶珊寺(けいさんじ)に埋葬されたそうですが、その後、直木自身が「禅宗の海の見える墓地がいい」という希望を持っていたと伝えられたことから、墓は近くの長昌寺に改葬されました。長昌寺の裏山は海が望める立地で、直木の望んだ環境に近い場所だったとのこと。墓地は今も静かな寺の一角に位置し、直木賞受賞者などが参拝に訪れる場所だそうです。
長昌寺では、直木の命日(2月24日)前後の休日に「南国忌(なんごくき)」という供養・講演会が毎年行われるなど、地域文化としても直木を偲ぶ行事が継承されているようです。
一見目立たない小さな寺ですが、聴いてみるといろいろと伝承や話題の多い寺です。意外でした。

この日、先に巡ったグループ1も併せて、11,000歩コースでした。


富岡八幡宮境内の古風な狛犬。新年から
参拝者に邪心のなきよう十分睨みを
利かせてくれています。

長昌寺本殿横に布袋尊が鎮座します。
布袋和尚は900年頃の中国の禅僧で福を
呼ぶ弥勒菩薩の化身と尊ばれたとか。

長昌寺山門には「芋観音」の看板が掲げられて
います。

 

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