ここ35年間住む横浜市港南区の西側に隣接する泉区に、明治44年(1911年)に興され大正12年(1923年)の関東大震災まで続いた清水製糸場の本館が移築され「天王森泉館(てんのうもりいずみやかた)」として残されています。先日の散歩で訪ねました。大正7年には県下45社(うち泉区には8社)の中でも5番目の規模をもち、蚕の繭を茹でる釜数も128あったそうです。近くの斜面緑地から和泉川にそそぐ豊富な湧水と労働力で、この近辺は当時新興産業である生糸の大きな生産地だったようです。地元の運営委員会の活動によって建物や周辺(湧水の森)がよく管理されていました。写真は今も裏庭に注ぎ続ける湧水とワサビ田です。
2021年10月12日火曜日
近隣区の旧清水製糸場本館
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