先日の舞鶴帰省の折、好天の4/11に、東舞鶴北吸(きたすい)にある舞鶴赤レンガパークとJR西舞鶴駅近くにある田辺城を散歩しました。
舞鶴赤レンガパークは、海軍の舞鶴鎮守府の軍需品等の保管倉庫として、明治33 年(1900 年)~大正10 年(1921 年)に次々と建築されました。来る日本海海戦(明治38 年(1905 年))に備えていた頃になります。40年くらい前までここの一部は、舞鶴倉庫などの企業が実際に倉庫として使っていました。私の叔母はここの舞鶴倉庫に勤めていたのを憶えています。
田辺城は、室町時代の天正10年(1582年)の本能寺の変の後、家督を細川忠興(奥方は、明智光秀の娘でガラシャです)に譲って隠居した細川藤孝(幽斎)が住む城として、今の西舞鶴の田辺地区に平城として築かれました。以後、田辺城は細川・京極・牧野氏の居城として約290年間、丹後領内統治の中心でしたが、明治6年(1873年)に廃城となり、この地域が舞鶴公園と変わりました。後にここに大手門と櫓の一部が復元されたそうです。舞鶴の地名は、当時の田辺城本丸の別名「舞鶴(ぶかく)城」に由来するといわれています。
久々の訪問でしたが、平成28年4月(2016年)に、旧軍港四市のストーリー「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴 ~日本近代化の躍動を体感できるまち~」が、日本遺産に認定されたこともあるのでしょうか、観光地化が進んでいるようで、歴史資産としてきちんと管理されているように感じました。
この日は、自転車利用を含めて7,500歩コースでした。
帰路、ハナミズキの並木を見かけました。
東舞鶴では最近、ハナミズキの植栽を
増やしているようです。三笠通りにて。
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