舞鶴帰省中4/9に若狭小浜を巡ってきました。東舞鶴駅からJR小浜線で若狭湾沿いを東に30分程行ったところにあります。
ここは、かつて、獲れた鯖を、小浜から琵琶湖沿いに出て京都に送る「鯖街道」(小浜海道)の起点で、丹後街道の中心的な街でもありました。今回、鯖街道の具体的な起点が市中の空印寺であることを知りました。
いまも丹後街道沿いの古い街並みは「小浜西組」地区として保存されています。JR線の北側の街中もそうですが、南側は古い寺が多いところで、先回来た時には巡回バスで5~6寺を回った記憶があります。
北側の海岸線も見所で、入江を出て東の外海に面する岩礁は「蘇洞門(そとも)」と言われて、ダイナミックな奇岩風景が評判の場所です。今回もこれを楽しみに出かけましたが、残念ながら3mの高波でこの日は全便運休とのこと。社内基準は1.5mだそうで、昨年の北海道の宗谷岬での沈没事故以降、運用が慎重になっているのかもしれません。
文化的には、箸や盆に貝殻を埋め込んだ「若狭塗」の生産地で街中に工房が多くみられます。味覚では、魚が美味しいところで、鯖を丸々1本、串で焼く「鯖焼き」、鯖や鰯の糠漬け「へしこ」、小鯛を三枚におろして小さな木樽に甘酢で漬けた「小鯛の笹漬け」、新鮮な大型の甘鯛「若狭グジ」(煮物、焼き物ととともに干物も旨いです)や小ぶりながら味の濃いい「笹かれい」(これは一夜干しです)、などが評判です。
歴史的には、幕末の小浜藩士で改革派幕臣の梅田雲浜(うめだ うんぴん)、明治の海軍軍人で、潜水艦沈没時にも艦内に冷静な記録を残した佐々木勉艦長、の生地でもあります。
この日は、快晴で、久々に街中を半日、ゆっくり散策できました。
この日は、15,200歩コースでした。
2023年4月14日金曜日
若狭小浜巡り
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