今回のツアー最後の4/26には、弘前公園を訪ねました。ここでも、染井吉野はすでに開花とともに花筏の時期をも終え、枝垂桜が見頃を僅かに越し、八重桜が満開、といった状況でした。当日は生憎雨模様でしたが、その見どころの多さ、規模の大きさ、手入れの良さには驚かされました。開花の時期に合わせて、再度個人でゆっくり来たいところです。その時には今回かなわなかった堀の花筏も見たいものです。その時には、ホテルは、市街にホテルの多い青森で確保して、弘前へ日帰りで往復できそうです。
青森県民にとっては、桜と梅は同じ時期に短く咲き、時期が過ぎるとリンゴの花の咲くのを楽しみにするそうです。リンゴの花は、咲き始めはピンク色が濃く、咲き進むにつれて真っ白に変化していくそうです。
弘前公園の中心にある弘前城は、江戸幕府発足の直後慶長8年(1608年)に津軽を統一した津軽為信が計画し、二代目信枚(のぶひら)が慶長16年(1610年)に完成させました。以降、弘前城は明治になって廃藩に至るまで260年間藩政の中心でした。
明治末期ごろから、市民による桜の寄贈が始まり、現在では2,600本の桜が、文字通り、園内を埋め尽くしています。樹木の管理もよくされています。
弘前城天守は、3層と小ぶりながら、江戸時代に再建された天守として東北地方で現存する唯一のものだそうです。現在は、100年振りの石垣工事のために、天守の建屋を70m内側に移動させて公開していました。弘前藩では、1627年に落雷で天守を焼失しましたが、文化8年(1811年)に九代藩主寧親(やすちか)が、隅櫓(すみくるわ)の改築を理由に天守を再建しました(蝦夷地警備の功績により幕府が容認したそうです)。この再建理由により、その天守は櫓として石垣の上に造られたため、経年とともに重量によって石垣に崩れが見られたことから、現在天守を本丸の内側に移動させて石垣の補修をしているとのこと。
公園に隣接して「津軽藩ねぷた村」があり、津軽三味線の演奏や夏の「弘前ねぷた祭り」での出し物も直に見ることができました。また、園内の舞台でも、津軽三味線や津軽民謡がふんだんに聴けるのも、遠客には嬉しい企画でした。
この日は、20,500歩コースでした。昨日に続き、よく歩きました。
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