2025年2月13日木曜日

市場deシネマー「食べることは生きること(We are what we eat)」ー

 2/11には、今年2回目の市場deシネマ(注1)の上映会が横浜南部市場でありました。今回は、いま日米タイで評判のドキュメンタリ「食べることは生きること(We are what we eat)~アリス・ウォータースのおいしい革命~」でした。
この映画は、米国カリフォルニア州バークレーに1971年にオープンした、アメリカ初の、地元農家と食べ手を直接に繋ぐフランス料理店「シェ・パニース」のオーナーで「食育菜園」の創始者でもあるアリス・ウータースが、2023年に来日し、各地を回ったときの記録です。田中順也監督が撮影・編集をもこなす手作り感のある作品です。映画としては、主張がよくわかる編成で、人と人の密着感が自然に出ていて、よくできていました。

アリスは、「食べ方を変えれば、人の価値観、そして社会が変わります。さあ、皆で身近なところから動きましょう。それが、気候変動を止め、地球と私たち自身の健康を回復するのです」という信念を、様々な形で具体化していきます。それが、のちに「地産地消」、「ファーマーズ・マーケット」、「ファーム・トゥ・テーブル」、「エディブル・スクールヤード(食育菜園)」(注2)というコンセプトに発展し、世界で知られるようになったそうです。この意味で、彼女は「オーガニックの母」、「美味しい革命家」と呼ばれるようになったとのこと。2023年には、集大成となる著書「スローフード宣言〜食べることは生きること」となり、出版1周年を記念して来日されたそうです。
滞在中、島根県隠岐諸島海士町、島根県石見銀山、京都府亀岡市、滋賀県草津市、徳島県神山町、東京都中央区で、料理人、農家、学校、一般家庭等を訪問し、日本のスローフードの世界を探っていきます。かつての同僚が日本の農家に移住しているようです。
米国でのファーストフードの弊害からの脱却を主旨としていますので、日本での地元野菜を使った給食(Farm to school)や素材をそのまま活かす和食文化、家庭での朝ごはん、などには、感心されていました。彼女のコンセプトは、米国よりは日本の食生活に近いかもしれません。もともとの発想はフランスから学んだとアリスは言っています。
消費者の身近な食の選択次第で、環境問題の多くが解決できるという説は、ある面であたっていると思いました。いわゆる「倫理的消費」というのでしょうか。
鑑賞後、抽選会があり、この映画のMook本「Delicious Revolutionー「おいしい革命はつづく」が私にたまたま当たり(私だけの当選でした)、恐縮しましたが、有難く頂戴することにしました。もう少し勉強して実践しろ、というお告げだったのかもしれません。
それにしても、市場deシネマの館長さんは、この映画というかアリスの行動力がすっかりお気に入りで、この映画会の主旨にも近いこともあり、絶賛されていました。この日の上映も午前と午後の二部制で力が入っていました。また、会場の一角には、直接に農家さんから買える、みるからに新鮮そうな地元野菜の臨時販売コーナーが設けられて好評で、私も幾つか買い求めました。

この日は、6,800歩コースでした。

(注1)市場deシネマについては、2025年1月の下記当ブログに、関連記事をアップしていました。

新春「市場deシネマ」の会

(注2)エディブル・スクールヤード(edible schoolyard : 食育菜園)
エディブル・スクールヤード(ESY)は、学校の校庭に、アスファルトをはがして「エディブル・スクールヤード」(食育菜園)を造り、子どもたちが自然とのつながりや食育を学ぶ場を提供しているプロジェクトです。このプロジェクトは、子どもたちの心と体、頭をつなぎ、食を通じて自然界といのちのつながりを体験的に学ぶことを目指して米国で普及しています。

(注3)この映画の配給元のUnited Peaple 社から予告編が下記にアップされています。

映画『食べることは生きること ~アリス・ウォータースのおいしい革命』予告編


抽選会で当たった、この映画のMook本
「Delicious 
Revolutionー「おいしい革命」は
つづくー」。セイコガニとサザエは先回
帰省時に入手した舞鶴産のアクセサリです。

2025年2月12日水曜日

今どきの確定申告


 2/12には、横浜南税務署(磯子区、南区、金沢区、港南区所管)で確定申告を済ませてきました。いつもは家族が代行してくれていましたが、昨年には郷里での実家土地の売却もあり、所得税の説明要員として駆り出されました。横浜シーサイドラインの幸浦駅から歩いて5分程のところにある南税務署に来るのも久し振りです。
関心は、①最近e-TAXと言われますが、実務的には、どこまで電子化は進んでいるのだろうか、と、②年々値下がりする不動産物件の売却時の所得税について課税の考え方はどうなんだろうか、の2点でした。
①については、申告するユーザの立場から見ると、システムは一定レベルに達していて、PC、スマホからオンラインで手軽に申告できるようになっているなと感じました。同時に、すでに7割の申告者がe-TAXを利用しているとのことで、税務当局も、電子申請に移行すべく、マイナンバーカードを持参しパスワードのわかる来署者には、意図的にe-TAXに登録させ翌年以降電子申請に移行するように誘導しているなという印象をもちました。 そのためのサポートは、職員が総動員されているようで、若手からベテランまでの職員が随所に立ち丁寧に対応してくれます。我々も、これまでe-TAXは使っていなかったこともあり、e-TAXへの登録を含めて、スマホからの手続きに正味2時間余りかかりましたが、途中しっかりサポートしてもらい、翌年以降、マイナポータルと連携して手間が省ける電子申請を遅まきながら自前でやるのに、大いに参考になりました。
➁については、相続税と所得税の考え方は全く別物だ、ということでした。相続税では、相続時の不動産評価額から相続税額を算出しますが、所得税では、売却等の譲渡額からその物件をはじめて取得した時の取得価格と手続き費用を差し引いた譲渡益(譲渡所得額)から所得税が決まる、ということでした。これは、所得額は、当該不動産に関する入手時の支払額と譲渡時の受取額の差がベースとなり、今回相続した不動産では、先代がはじめに取得した額がベースとなる。相続した時点での不動産評価額は、相続した私が払ったわけではないために関係しない。先代が取得した額が不明の時には、譲渡価格の5%となる(一律に1/20とは随分と過小評価だとは思いますが、税収確保のためでしょうか。評価額が値下がりする土地売却時でもしっかりと所得税は生じます)、とのことで、結局、譲渡額の1割近くの所得税を納税(分離課税)することになった次第です。そういうと、これは、以前の株式などの相続時も同じでした。
来年から、電子申請を自宅で気楽にしたいものだと思いつつ、税務署を後にしました。


いまはマイナポータルを介した収入の源泉徴収票、医療費、保険等の控除の
自動入力(マイナポータル連携)を推奨しています。入口で配布されたチラシから。

2025年2月9日日曜日

喜寿記念の高校同期会とピーターハウス

2/8には、高校時代の関東在住者の同期会がありました。名目は「喜寿記念会」で、17人が集まり、同期生の消息、懐かしい話や終活の話などで、賑やかに愉しみました。福知山、京都在住の遠来者もかけつけてくれましたが、この日は米原ー名古屋間が雪で遅れ、1時間遅刻した参加者も出るほどでした。聞くところでは、帰りも雪で運休が続き大変だったようです。
場所は、原宿の新水交会館内の「クラブ水交(ピーターハウス)」でした。同期生には、舞鶴という土地柄もあり海上自衛隊関係者も多く、ここは海上自衛隊OB会「水交会」が運営するクラブとのこと。すぐ隣には東郷平八郎を祀る「東郷神社」があります。
ピーターハウス命名の経緯をクラブにきいたところ以下のような回答が届きました。
しっかりと東郷元帥がらみでした。

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さて「ピーターハウス」の名前の所以ですが、水交会は東郷神社の敷地内に間借りしております。東郷神社の御祭神は「東郷平八郎」です。
その「東郷平八郎」は、大久保利通に留学を反対され見放された後、西郷隆盛の援助を受け、若い頃イギリスのオックスフォード大学に留学しておりました。
イギリス留学の際に寝泊まりして生活していた寮の名前が「ピーターハウス」でした。
また境内に「至誠館」という建物がありますが、これは「東郷平八郎」が勝利と至誠の神様と言われているから、建物の名前に取り入れたようです。
このように、境内地にある物は何かしら「東郷平八郎」に関わっております。
以上が説明となります。
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この日は、9,700歩コースでした。


会場隣の東郷神社では梅が満開でした。

東郷神社本殿

新水交会館 ピーターハウス

最寄りの原宿駅は長く工事をしていましたが、
旧原宿駅舎(竹下口)はそのまま残されています。
すぐ後ろは明治神宮、右手前が竹下通りです。

新しい原宿駅舎(東口)が旧駅舎の50m程南側に
できていました。

2025年2月6日木曜日

京都嵯峨での「東山魁夷展」と天龍寺

 1.「東山魁夷と風景画の旅ー日本から世界へ」展

2/3午後には舞鶴帰省からの帰路、京都で途中下車して、JR嵯峨野線で嵯峨嵐山駅まで駆け足で寄り道をしてきました。嵐山の渡月橋のすぐそばにある福田美術館で、2/1〜4/13に開催中の企画展「東山魁夷と風景画の旅ー日本から世界へ」を観るためです。
今回の展示では、福田美術館が所蔵する魁夷作品30点余りに加え、魁夷とともに近代日本画を牽引した横山大観や竹内栖鳳、さらには彼らが影響を受けたモネやコロー等の風景画も所蔵作品を中心に併せて展示されています。(注1)
美術館の建物が、京都の町屋をイメージして設計されており、3つあるギャラリーも「蔵」をイメージしており、扉も重厚で展示作品に集中できるように照明なども工夫されています。こじんまりした美術館ですが、これもまた一興です。鑑賞後には渡月橋を見渡せるカフェでゆっくりと余韻を楽しめます。(注2)
また、ここの特徴は、原則、写真撮影が許可されていることです。著作権処理が未了の作品だけに撮影禁止のマークが付されています。SNS等へのアップ、シェアも、営利目的でなければOKとのこと。昨今、敏感すぎるくらいに館内の撮影禁止が多い中では、鑑賞時の印象を私的にカメラにも残せるのは大いに助かります。ただ、館内が暗いため、写真品質は望めませんが。
このところ、国政選挙や地方選挙でSNSの影響が出てきいますが、美術展でもこれからこういったSNS化が始まるようにも感じます。ある意味で「美術館の民主化」というのかもしれません。
久々に観る東山魁夷の作品群に、風景を尊重し、ポリシーのある構図と精緻な筆さばきにあらためて感心するとともに、懐かしさを覚えました。我々世代は30〜40歳代の頃に、唐招提寺の襖絵など、東山魁夷の全盛期をみてきており、敬意とともに、同世代人のような安心感を持ちます。


福田美術館内のカフェからみた
桂川(大堰川:おおいがわ)と渡月橋

東山魁夷「明宵」。黒部渓谷。73歳の
作品で、まさに東山ブルーの世界です。

東山魁夷「月映」

東山魁夷「静けき朝」。志賀高原三角池。

福田美術館。京都の町屋のイメージとか。
5年前にできたばかりです。

渡月橋はこの日も賑わっていました。5割は
外国人と思われます。美術館はこのすぐ
手前右手にあります。

案内チラシから


(注1)「東山魁夷と風景画の旅ー日本から世界へ」展の紹介記事から
風景画家として知られる東山魁夷は、日本各地を旅しては、自然が織りなす風景を描き続けました。さらに国外の芸術に関心を示し、ドイツ留学を経て、欧州や中国など、 魁夷は世界の風景も絵にしました。晩年の作品は「東山ブルー」として広く愛好されています。
本展では、福田美術館で初公開となる、京都の修学院離宮西浜を描いた《夕涼》をはじめ、 オーストリア・メルクの修道院からドナウ川を見下ろす《青きドナウ》など、当館が所蔵する魁夷の風景画約30点に加え、京都の円山公園に咲く祇園しだれ桜を描いた《花明り》を特別に展示いたします。また、魁夷と同様に新たな活躍の舞台を求め欧米諸国をまわった横山大観や菱田春草らの作品も展示。さらに、近代風景画の基礎を築いたカミーユ・コローや、印象派を代表するクロード・モネなど、近代の日本画家が憧憬を抱いた海外の画家の作品もご紹介いたします。

(注2) 福田美術館について(HPから編集)
福田美術館は、京都市に本社を置く大手消費者金融会社「アイフル」の創業者である福田吉孝氏(1946年生)が長年かけて収集してきた日本画コレクションを収蔵・展示しています。福田氏の長年の夢であった美術館として京都市右京区嵯峨に2019年に建てられたのが本館です。
福田氏は、美術品の収集家としても知られ、特に、江戸時代から近代にかけて主に京都画壇で活躍した絵師の作品を収集しています。そのコレクションは、俵屋宗達、円山応挙、与謝蕪村、伊藤若冲、竹内栖鳳、橋本関雪、速水御舟、上村松園など、約1,500点に及びます。福田氏のコレクションには、日本美術史を語る上で貴重な作品が多数含まれており、その質の高さは広く認められています。

2.天龍寺

福田美術館からJR嵯峨嵐山駅に戻る途中にある天龍寺を帰り道に訪ねてきました。
郷里の舞鶴にある檀家寺の得月寺が、臨済宗天龍寺派の系統なことから、あえていうと、間接的な檀家ということになります。得月寺の住職さんもここで修行されたと聞いています。得月寺でも多くの達磨の絵をみますが、こちらでも、本堂入口に大きな達磨絵がどんと置かれています。達磨像は禅寺のシンボルとのこと。
ここは、1339年に足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うために創建した寺院ですが、後醍醐天皇自身もここで幼少期を過ごした場所だそうです。一時期は京都五山第一位の寺格だったとか。いまでも、天龍寺派の総本山として多くの僧の養成所としても機能しているそうです。一般には、中庭の曹源池と墨絵の雲龍図ばかりが取り上げられますが、表からは見えない禅堂、書院や法堂では釈迦如来をご本尊として厳しい修行が行われているとか。得月寺を訪ねるたびにいただく、天龍寺派宗務本院が毎月発行する冊子「教学時報」には、その様子が詳細に報じられています。
この日は、久々に曹源池周辺をゆっくりと一周して高台の「望京の丘」にあがり天龍寺の広さをあらためて実感したあと、嵯峨嵐山駅に出て、新幹線で帰路につきました。
久々の京都散策でした。この日は、11,500歩コースでした。


本堂入口の達磨絵。前管長平田精耕老師の筆に
よるそうです。

本堂。独特の切妻造りの屋根です。

雲龍図(若狭物外 作(もつがい))

庫裡。こちらも同じ切妻造りの屋根です。

霊亀山天龍資聖禅寺(天龍寺)  山門

2025年2月5日水曜日

南九州の旅 その5ー知覧の武家屋敷と外城制度


 1/30午後には、知覧町の武家屋敷をも巡ってきました。江戸期の薩摩藩で採られていた外城制度(とじょう)の一端を観ることができました。地元に移住してきた女性の市会議員さんの案内でした。
薩摩藩は、領地を外城と呼ばれる113の地区(地区は3~5の村からなります)に分けて、地頭や領主の屋敷である御仮屋(おかりや)を中心に麓(ふもと:後に郷と言われたとか)と呼ばれる武家集落をつくり、鹿児島に武士団を集結させることなく分散して統治にあたらせました。知覧もその外城の一つでした。このため、藩主のいる鹿児島の鶴丸城(内城、鹿児島城)は簡素な造りでした。一方で、武士(郷士)は半農半士が多かったそうです。今でいうと、複業の武士集団による地域分散統治社会ということになります。
このため他藩に比べ武士の人口比率が高かったそうです(薩摩藩26%,全国平均は6%)。幕府からも一国一城の方針に反し睨まれていたようですが(幕府の外様制度は、外城制度の全国版です)、薩摩藩は「武士の多さと南九州の土地の生産性の低さ」を理由に弁解しているとのこと。武士が多いのは「かつて島津氏が九州を制覇した頃の武士人口をその後薩摩藩に引き入れた。一箇所に住めないので分散して居住している」としたそうです。城は無くしても軍事組織はそのまま残し、「人をもって城となす」という政策をとったとか。
この外城制度は、対外的には、中央政権との対決に備えるもの、対内的には、農民統治、一揆対策、琉球や奄美などの大きな離島の統治などに役目を果たした、そうです。
これも、ゆくゆく薩摩藩が思想的、政治的、軍事的、人材的に倒幕のエネルギーを自律的に備蓄する一因になったように、あらためて思いました。歴史小説でも、薩摩藩の郷では、子どもの頃から先輩が後輩を指導する習慣が根付いていた、という話は記憶にあります。
今も残る7つの武家屋敷には、立派な庭があり、一般市民がいまも生活されているそうです。大変な地域貢献だと思いました。
短い小旅行でしたが印象深い旅でした。これで、奄美大島に次いで、またひとつ行き残しを減らしたように思いながら、鹿児島空港から帰路につきました。


佐多直忠庭園。多くが枯山水の庭園です。
佐多氏は、ここの地頭だったとか。

平山克己庭園

武家屋敷の町並。正面の細い通路が
建物間の生活道路だったそうです。

佐多美舟庭園。知覧庭園の中で最も豪華な
庭園とのこと。後ろの生垣は借景とか。

武家屋敷は石垣と生垣で綺麗に
区切られています。

門から建屋は防衛上直接には進ませない
そうです。玄関門の造りにも格式による
違いがあるようです。

池泉式の森重堅庭園。池泉式はここだけ
でした。大きな庭石は殆ど2つに割れて、
それを重ねています。それは、切出場で
2つに割って運んだそうです。

2025年2月4日火曜日

南九州の旅 その4ー知覧と蒲生八幡神社と大楠木(大クス)

 1/30には、池田湖からやや北上して、武家屋敷が残り、また終戦直前に沖縄戦線への特攻基地となった知覧を訪ねました。
南九州市知覧町の北側にあった旧陸軍航空隊基地跡に知覧町護国神社(戊辰戦争の戦没者を祀るため明治2年に創建され、太平洋戦争までの戦没者が祀られています)と特攻平和観音、知覧特攻平和会館が建てられています。もともと、知覧茶の産地だった静かなところが、1941年に操縦訓練用の大刀洗陸軍飛行学校知覧分教所になり(周辺の地形がハワイの真珠湾に似ていることも選定理由だったとか)、さらに終戦直前に沖縄戦の特攻基地となりました。特攻作戦が始まったのが終戦の1945年の4月6日で7月19日の第11次まで続いたとのこと。軍中枢では敗戦が見えていた頃であり、当時の戦況から相当な切迫感の中での難しい作戦だっと思えます。特攻平和観音の体内には特攻戦士の芳名を記帳した巻物が納められているとのこと。鎮魂の思いが、観音堂の周辺に建ち並ぶ多くの石灯籠からも伝わります。
観音堂の横には、松林の中に三角兵舎が残されています。半地下の簡素な兵舎で、外からは目立たない造りです。ここで、特攻隊員は出征の前の数日をここで過ごしたそうです。ここで家族に宛てた遺書などが多数書かれました。その時に切々と書かれた隊員の気持ちが伝わります。隊員は、10歳代後半から30代前半の有為な若者でした。
知覧特攻平和会館には、残された遺品が丁寧に展示されています。沖縄戦の特攻で戦死された隊員1,036名それぞれの気持ちが書かれており、どれもが後世に伝える内容です。私の郷里の舞鶴にも、引揚げ記念館があり、満州などからの引揚げ者の遺品が多く展示されていますが、今の日本人へ、二度とこのようなことを起こしてはならないという、多くのメッセージが含まれています。
最後には、鹿児島空港の側にある蒲生八幡神社を訪ね、推定樹齢1500年の大楠木(大クス)をみて、生命力を感じてきました。
短い旅行でしたが、行き残しをひとつ減らしたと感じながら、帰路につきました。


知覧特攻平和会館。1036人の特攻兵の多くの
遺品が保管されています。

三角兵舎。特攻隊員は最後の数日をここで
過ごしたそうです。

三角兵舎は松林の中に半地下で造られました。

知覧 特攻平和観音堂

並ぶ石灯籠が鎮魂の念の深さを物語っています。

特攻に使われた零式戦闘機。他にも隼、疾風
の機体が展示されていました。軽装備です。

蒲生八幡神社の大楠木。推定樹齢1500年で
クスノキでは日本一の古木とのこと。
堂々たる枝ぶりです。

蒲生八幡神社

大クスの全景

境内の全景

2025年2月3日月曜日

南九州の旅 その3ー薩摩長崎鼻と池田湖と菜の花


 1/30には、薩摩半島の南端にあるカルデラ湖の池田湖、九州最南端の薩摩長崎鼻(ながさきばな:鼻とは岬の意味のようです)、九州最南端の駅「西大山」を駆け足で訪ねました。
この指宿市辺りは、どこからも開聞岳(924m)がそびえています。ここ指宿の特産は、ソラマメ、オクラ、鰹節の生産量が日本一だとか。そういうと滞在中もよく食べました。
近くの唐船峡地区では、湧水が豊富だそうで13°の湧水をテーブルに引いてソーメンを冷やして食べる「そうめん流し」(竹に流す「流しソーメン」とは別物です)も一興でした。
砂蒸し温泉ばかりではないようです。
このとき丁度、菜の花が満開でした。開聞岳といい取り合わせです。


長崎鼻。背景は開聞岳(薩摩富士)

薩摩長崎鼻灯台。薩摩半島の南端です。

ここが野生の蘇鉄が育つ北限とのこと。

蘇鉄の実。長径4㎝くらいです。食用です。

漫才のような面白い看板を見かけました。
仲直りできたのでしょうか、奥さんが
店番をされていました。

竜宮神社。浦島太郎伝説で竜宮に渡ったのが
ここからだとか。

ここ海岸は、浦島太郎が竜宮に旅立った
場所だそうです。神話が残されており、
竜宮神社があります。





JR指宿枕崎線の西大山駅。JR最南端の駅
とのこと。

たまたま列車が到着しました。

池田湖では菜の花が満開でした。

池田湖には謎の怪獣「イッシー」がいるとか。
どこかのネッシーに似ています。



池田湖には大鯰が生息します。天然記念物だ
そうで、長さは1m程あります。味はイマイチ
だとか。「イッシー」伝説は大鰻(を食べる
動物)のことかも。


ミラーレスカメラZ30の新調

 4月末にいつもカバンに入れて持ち運ぶ小型のカメラを新調しました。これまでコンデジ( コン パクト デジ タルカメラ)のA1000を何度もNIKONに修理に出しながらも長く愛用していました。その前のA900を使っていた期間を含めると15年は使っています。コンデジでありながらRAW...