2025年2月6日木曜日

京都嵯峨での「東山魁夷展」と天龍寺

 1.「東山魁夷と風景画の旅ー日本から世界へ」展

2/3午後には舞鶴帰省からの帰路、京都で途中下車して、JR嵯峨野線で嵯峨嵐山駅まで駆け足で寄り道をしてきました。嵐山の渡月橋のすぐそばにある福田美術館で、2/1〜4/13に開催中の企画展「東山魁夷と風景画の旅ー日本から世界へ」を観るためです。
今回の展示では、福田美術館が所蔵する魁夷作品30点余りに加え、魁夷とともに近代日本画を牽引した横山大観や竹内栖鳳、さらには彼らが影響を受けたモネやコロー等の風景画も所蔵作品を中心に併せて展示されています。(注1)
美術館の建物が、京都の町屋をイメージして設計されており、3つあるギャラリーも「蔵」をイメージしており、扉も重厚で展示作品に集中できるように照明なども工夫されています。こじんまりした美術館ですが、これもまた一興です。鑑賞後には渡月橋を見渡せるカフェでゆっくりと余韻を楽しめます。(注2)
また、ここの特徴は、原則、写真撮影が許可されていることです。著作権処理が未了の作品だけに撮影禁止のマークが付されています。SNS等へのアップ、シェアも、営利目的でなければOKとのこと。昨今、敏感すぎるくらいに館内の撮影禁止が多い中では、鑑賞時の印象を私的にカメラにも残せるのは大いに助かります。ただ、館内が暗いため、写真品質は望めませんが。
このところ、国政選挙や地方選挙でSNSの影響が出てきいますが、美術展でもこれからこういったSNS化が始まるようにも感じます。ある意味で「美術館の民主化」というのかもしれません。
久々に観る東山魁夷の作品群に、風景を尊重し、ポリシーのある構図と精緻な筆さばきにあらためて感心するとともに、懐かしさを覚えました。我々世代は30〜40歳代の頃に、唐招提寺の襖絵など、東山魁夷の全盛期をみてきており、敬意とともに、同世代人のような安心感を持ちます。


福田美術館内のカフェからみた
桂川(大堰川:おおいがわ)と渡月橋

東山魁夷「明宵」。黒部渓谷。73歳の
作品で、まさに東山ブルーの世界です。

東山魁夷「月映」

東山魁夷「静けき朝」。志賀高原三角池。

福田美術館。京都の町屋のイメージとか。
5年前にできたばかりです。

渡月橋はこの日も賑わっていました。5割は
外国人と思われます。美術館はこのすぐ
手前右手にあります。

案内チラシから


(注1)「東山魁夷と風景画の旅ー日本から世界へ」展の紹介記事から
風景画家として知られる東山魁夷は、日本各地を旅しては、自然が織りなす風景を描き続けました。さらに国外の芸術に関心を示し、ドイツ留学を経て、欧州や中国など、 魁夷は世界の風景も絵にしました。晩年の作品は「東山ブルー」として広く愛好されています。
本展では、福田美術館で初公開となる、京都の修学院離宮西浜を描いた《夕涼》をはじめ、 オーストリア・メルクの修道院からドナウ川を見下ろす《青きドナウ》など、当館が所蔵する魁夷の風景画約30点に加え、京都の円山公園に咲く祇園しだれ桜を描いた《花明り》を特別に展示いたします。また、魁夷と同様に新たな活躍の舞台を求め欧米諸国をまわった横山大観や菱田春草らの作品も展示。さらに、近代風景画の基礎を築いたカミーユ・コローや、印象派を代表するクロード・モネなど、近代の日本画家が憧憬を抱いた海外の画家の作品もご紹介いたします。

(注2) 福田美術館について(HPから編集)
福田美術館は、京都市に本社を置く大手消費者金融会社「アイフル」の創業者である福田吉孝氏(1946年生)が長年かけて収集してきた日本画コレクションを収蔵・展示しています。福田氏の長年の夢であった美術館として京都市右京区嵯峨に2019年に建てられたのが本館です。
福田氏は、美術品の収集家としても知られ、特に、江戸時代から近代にかけて主に京都画壇で活躍した絵師の作品を収集しています。そのコレクションは、俵屋宗達、円山応挙、与謝蕪村、伊藤若冲、竹内栖鳳、橋本関雪、速水御舟、上村松園など、約1,500点に及びます。福田氏のコレクションには、日本美術史を語る上で貴重な作品が多数含まれており、その質の高さは広く認められています。

2.天龍寺

福田美術館からJR嵯峨嵐山駅に戻る途中にある天龍寺を帰り道に訪ねてきました。
郷里の舞鶴にある檀家寺の得月寺が、臨済宗天龍寺派の系統なことから、あえていうと、間接的な檀家ということになります。得月寺の住職さんもここで修行されたと聞いています。得月寺でも多くの達磨の絵をみますが、こちらでも、本堂入口に大きな達磨絵がどんと置かれています。達磨像は禅寺のシンボルとのこと。
ここは、1339年に足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うために創建した寺院ですが、後醍醐天皇自身もここで幼少期を過ごした場所だそうです。一時期は京都五山第一位の寺格だったとか。いまでも、天龍寺派の総本山として多くの僧の養成所としても機能しているそうです。一般には、中庭の曹源池と墨絵の雲龍図ばかりが取り上げられますが、表からは見えない禅堂、書院や法堂では釈迦如来をご本尊として厳しい修行が行われているとか。得月寺を訪ねるたびにいただく、天龍寺派宗務本院が毎月発行する冊子「教学時報」には、その様子が詳細に報じられています。
この日は、久々に曹源池周辺をゆっくりと一周して高台の「望京の丘」にあがり天龍寺の広さをあらためて実感したあと、嵯峨嵐山駅に出て、新幹線で帰路につきました。
久々の京都散策でした。この日は、11,500歩コースでした。


本堂入口の達磨絵。前管長平田精耕老師の筆に
よるそうです。

本堂。独特の切妻造りの屋根です。

雲龍図(若狭物外 作(もつがい))

庫裡。こちらも同じ切妻造りの屋根です。

霊亀山天龍資聖禅寺(天龍寺)  山門

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