1/30には、池田湖からやや北上して、武家屋敷が残り、また終戦直前に沖縄戦線への特攻基地となった知覧を訪ねました。
南九州市知覧町の北側にあった旧陸軍航空隊基地跡に知覧町護国神社(戊辰戦争の戦没者を祀るため明治2年に創建され、太平洋戦争までの戦没者が祀られています)と特攻平和観音、知覧特攻平和会館が建てられています。もともと、知覧茶の産地だった静かなところが、1941年に操縦訓練用の大刀洗陸軍飛行学校知覧分教所になり(周辺の地形がハワイの真珠湾に似ていることも選定理由だったとか)、さらに終戦直前に沖縄戦の特攻基地となりました。特攻作戦が始まったのが終戦の1945年の4月6日で7月19日の第11次まで続いたとのこと。軍中枢では敗戦が見えていた頃であり、当時の戦況から相当な切迫感の中での難しい作戦だっと思えます。特攻平和観音の体内には特攻戦士の芳名を記帳した巻物が納められているとのこと。鎮魂の思いが、観音堂の周辺に建ち並ぶ多くの石灯籠からも伝わります。
観音堂の横には、松林の中に三角兵舎が残されています。半地下の簡素な兵舎で、外からは目立たない造りです。ここで、特攻隊員は出征の前の数日をここで過ごしたそうです。ここで家族に宛てた遺書などが多数書かれました。その時に切々と書かれた隊員の気持ちが伝わります。隊員は、10歳代後半から30代前半の有為な若者でした。
知覧特攻平和会館には、残された遺品が丁寧に展示されています。沖縄戦の特攻で戦死された隊員1,036名それぞれの気持ちが書かれており、どれもが後世に伝える内容です。私の郷里の舞鶴にも、引揚げ記念館があり、満州などからの引揚げ者の遺品が多く展示されていますが、今の日本人へ、二度とこのようなことを起こしてはならないという、多くのメッセージが含まれています。
最後には、鹿児島空港の側にある蒲生八幡神社を訪ね、推定樹齢1500年の大楠木(大クス)をみて、生命力を感じてきました。
短い旅行でしたが、行き残しをひとつ減らしたと感じながら、帰路につきました。
2025年2月4日火曜日
南九州の旅 その4ー知覧と蒲生八幡神社と大楠木(大クス)
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