横浜の古い歓楽地に野毛(のげ)があります。5月には全国の大道芸がここに集まりおおいに賑わいます(コロナ禍中は中止されていましたが)。近くに大岡川が流れており、京浜急行の日ノ出町駅と黄金町駅の間では、桜の頃に川の両側が市民の花見所になり、毎年多くの屋台も出店します。最近では船も出て(通常、桜木町沿岸の海でみられる屋形船もこの時期には大岡川で活躍します)川面からの花見客も増えています。
ここは、自宅から30分圏内の散歩コースでして、先日訪ねた折には、桜花とともに、射的など懐かしい屋台も復活し、ここではしばしのコロナ明けです。
この日は、11,500歩コースでした。
2022年3月31日木曜日
日ノ出町での花見風景
2022年3月30日水曜日
根岸森林公園の桜風景
自宅から1時間圏内の散歩コースに根岸森林公園があり、3/29には久々に訪ねました。ここは、幕末の横浜居留地にいた外国人たちが始めた競馬場の跡地で、本格的洋式競馬の発祥地だそうです。今も「旧第一馬見所」として見物席だった建物などが残されています。明治以降「根岸競馬場」となりましたが、その後、海軍、米軍が使用し、戦後に横浜市が、競馬コース跡地を含め、広々とした公園として市民に開放しました。今では、隣接して、JRAが支援する「根岸競馬記念公苑」、「馬の博物館」もきちんと運営されています。
この日は花曇りでしたが、桜もほぼ満開で、正面の桜山では桜木の樹齢も真っ盛りの頃で、現役のポニー厩舎に通じる馬坂の桜アーチは健在でした。
この日は、10,500歩コースでした。
2022年3月29日火曜日
スケッチ展出展の準備ーマット切り
5月にスケッチ教室で催すローカルな画展の準備が進んでいます。出展する絵を選んで、 3/26には、大船の画材店「アートフレーム」で絵にあわせて額縁を選び、マット紙の色とカットする位置を指定してきました。
これまで何度かマットをカットしてもらったことはありましたが、今回、初めて直にマット紙のカット作業を見させていただきました。2~3mmの厚紙でできたマット紙を、絵の表示するサイズに合わせて大きなNTカッタで45度の角度でカットします。サイズは作者の希望によって違うため、機械には馴染まず作品ごとの個別作業になるそうです。ポイントはカッタが斜めに入る専用のプラステックとメタルでできた1.5m程の定規です。カット時にわずかずつ定規がカッタで削られるため消耗品で、結構高価な定規だそうです。これがカット価格にも反映されているようです。
2022年3月27日日曜日
大岡川の染井吉野
3/26には横浜の近くでも染井吉野が咲き始めました。いつもの大岡川周辺の散歩道の途中にある下根橋@吉原からの様子です。大岡川では、こここから3Km程下流の弘明寺(ぐみょうじ、このブログ右欄の「きのけんのスケッチあれこれ」に正月の模様をアップしています)から海にそそぐ桜木町まで、両側に延々と桜並木と屋台が続き、この地域では評判の花見コースとなっています(今年は屋台の出店がコロナ禍で特定地区に制限されているようです)。下根橋近くの大岡川はまだ川幅も狭く目立たない小さな橋ですが、橋から直近で川に垂れ下がる花が見られ気に入っていまして、こ数年は通っています。今回の撮影中にもそうでしたが、通りかかる近所の人達や親子がそろってしばらく足を止めて「綺麗ね」と言いながら通り過ぎるローカルなポイントです。
2022年3月23日水曜日
衣笠山公園の一番桜
三浦半島の真中の山岳地の中に衣笠山公園があります。この地域での桜見物では定番となっているところで、3/23にここを訪ねました。ここでは、明治40年(1907年)、日露戦争での戦死者を慰霊するために記念碑を建て桜を植え始めたそうで、今では約2000本にもなるとのこと。因みに、横須賀市では、海軍の関係もあるのでしょうか、このように慰霊碑と周辺に桜や梅を植えた公園を多く見かけます。
昭和50年(1975年)から長くすぐ近く(南側)の武山(たけやま)で仕事をしていましたので、花見の時期には毎年ここに同僚と大きなシートを持ち込んで車座になり暗くなるまで賑やかな花見の宴でした。その頃にはまだ十分な照明がなかったようです。
しかし、ここ40年は訪れる機会がなく、足腰が元気なうちにもう一度と、久々に訪れた次第です。広々とした山腹に広がる桜林(ここでも若木による世代交代が進行中でした)や途中の急な坂道は変わりませんが、展望台や通路の完備、近くの三浦半島で最も高い大楠山(おおぐすやま)に通じるハイキングルートの開設、など、随分と綺麗になり整備されていました。
桜は咲き始めたばかりで、早速一番桜を撮ってきました。後にネットで知りましたが、この日が丁度開花日だったそうです。1週間後には花見盛りでしょうか。ただ、残念ながら、「さくら祭り」は前年に続きコロナ禍で中止だそうです。まん延防止措置も終了し、このようなイベント中止もこれ限りにしたいところです。
この日は、12,300歩コースでした。
2022年3月20日日曜日
港南桜道の陽光桜
2022年3月19日土曜日
和菓子店も春模様
散歩道で通る近くの和洋菓子店「うさぎや」も春めいてきました。こちらは、親子3代続く地元の老舗で、たまに季節の和菓子を買い求めます。大岡川沿いにあるこじんまりして目立たないお店ですが、先日通ると店先が春先の和菓子メニューのカラフルな幟で賑やかになっていました。早速にお断りして、スケッチさせてもらいました。地元タウン誌では、地元選出議員で甘党の前総理もここの愛用者のひとりとのこと。引退された2代目店主が花好きだそうで、店先にはいつも珍しい季節の庭花木が奥から出てきてさりげなく並べられ、散歩途中に楽しませてもらいます。
2年前には、地元町内会の長寿会から誕生祝にいただきました紅白饅頭もこちら製でした。その時のスケッチもアップしてみます。
大事にしたいお店です。
2022年3月12日土曜日
春早々の画展「洋々展」
先日3/11には、ここ10年通っていますスケッチ教室の一色先生が出展される「第1回洋々展」を桜木町駅近くの紅葉坂にある画廊(アートスペース イワブチ)に訪ねました。毎年5月に国立新美術館で開催される太平洋展に出展される太平洋美術会に所属される関東在住33名の方々による小品展(F4~10)でした。
制約の多かったコロナ禍の終息後を見据えて新たに起ち上げられた画界の動きの一端のようにも見えます。コンパクトで手作り感が漂う親しみのある展示に加え、スケッチ会を同時開催するという珍しい参加型の企画も含まれています。
一色先生の最近の作品集です。
一色 俊秀(@toshihideisshiki) • Instagram写真と動画
一色俊秀 作品 | 太平洋美術会 (taiheiyobijutu.or.jp)
展示では、力のこもった作品が多く、小品ならではの画題の選定や切り出し方など、おおいに参考になります。
2022年3月9日水曜日
大船での玉縄桜と春蘭
フラワーセンター大船植物園で早咲きの玉縄桜(たまなわざくら)が咲き始めたことを耳にし、3/9に大船に出かけてみました。丁度、開花がはじまった時期でしたが、半分くらい蕾もみられます。園内の説明によると、「玉縄桜は、ここで染井吉野の実生(みしょう,接ぎ木でなく種から発芽して生長している状態)から選抜育成されたオリジナルな品種です。早咲きで気温の低い時期に開花するため、鑑賞期間が2月下旬から3月下旬と長いのが特徴で、平成2年に種苗登録されました。」とあります。見たところでは、花が、染井吉野よりはやや白味が強く幾分小型です。南伊豆の河津桜ほどの早咲きではないようです。世代交代が進行中で、園内には、原木とは別に、若木20本程の玉縄桜ゾーンが新たに造られ、これからの生長が楽しみです。「玉縄」はこの植物園のある町名で、かつては近くに玉縄城もあったそうです。
この時期は、春蘭も最盛期でした。落ち着いた春の山野草の趣を感じます。たまたま聞いた報道では、3/10の「誕生日の花」が春蘭だそうで、その花言葉が「簡素で奥ゆかしい」、「控え目で飾らない」だそうですが、よく当たっていると思いました。
この日は、10,600歩コースでした。
2022年3月8日火曜日
60年振りの「ウェストサイドストーリー」
先日3/4、散歩途中で寄り道をして、近くのTOHOシネマ上大岡で「ウェストサイドストーリー」(2021年制作)を観てきました。
1961年制作の「ウェストサイド物語」のリメイクだそうですから、60年振りに観たことになります。当時、映画や演劇に詳しい友人から話を聞き、ミュージカルもよくわからないままに舞鶴にあった洋画専門の映画館でみた記憶があります。当時の映画館は入れ替えなしでしたので(2階には畳席もありました)居座って2度は見たように覚えています。中学2年の頃でしたが、当時この映画の挿入歌が評判で人気がありましたから、それを目当てに出かけたと思います。前作の印象が強かったこともあり、今作をみて、いくつか気の付いたところがありました。
・前作はミュージカルの舞台での歌や踊りがそのまま映画になったような印象でしたが、今作では、ニューヨーク・マンハッタンのウェストサイドで再開発のために取り壊されるビルの解体工事現場の特撮映像、移住者の寄せ集まるスラム街でのビル間を跨ぐ洗濯物干しの情景や体育館でのダンスパーティ会場のシーンなど、今流に加工・編集されたデジタル映像の映画として、様々の視点から立体的に動きを存分に伝える映像が印象に残りました。
・上記にもよりますが、歌や踊りが中心のミュージカル映画というよりも、一般の映画のところどころに歌や踊りが挿入されたという感じでした。前作でのジョージ・チャキリス(プエルトリコ系移民の不良少年グループ「シャークス」のリーダ ベルナルド役でした)の人間離れしたような踊りの印象が強かったからかも知れません。
・前作当時には、米国での移民グループ間が対立する中で、公園利用の勢力を争うグループ間でありながらの恋物語(「シャークス」リーダ ベルナルドの妹マリア(前作ではナタリ・ウッドが演じました)とポーランド系移民の不良少年グループ「ジェッツ」の元リーダのトニー(前作ではリチャード・ベイマーでした)が主役です)と悲劇的な結末、という映画でした。今作を見ながら、このような限られた場所での移民族間の対立が、この60年で様相が大きく変わり、民族間、世代・様々なコミュニティ間、国の間での分断として瞬く間に当時より格段に拡大し、日本社会はもちろん、米国内、さらには大国間の争いに及んでいる、とあらためて強く感じました。不幸にも今進んでいるウクライナ戦争は尚更です。
2022年3月6日日曜日
小田原の「雛の道中」
3/6には、小田原市内で開催中の企画「おだわら 雛の道中」の一端をのぞいてきました。この企画は、昭和30年頃まで小田原にあった「おくばりごと」という習慣を今流に拡げて再現したもので今年は18回目だとか(2/11~3/6)。この習慣は、女の子たちが小さな台所道具を詰めた箱を携え、家々を訪ねまわりままごと遊びに興じながら雛をめでるという慣わしで、それを市民、一般客にも開放した企画だそうです。今年は市内の公共施設や旧東海道小田原宿本町沿いの酒屋、薬屋、和菓子屋、割烹、蒲鉾店など商家25か所で行われました。
当日は企画の最終日でしたが、駆け足でそのいくつかを訪ねました。写真順に、
・清閑亭:明治期黒田長成侯爵(最後の福岡藩主の長男で、長く貴族院副議長だったとのこと)の別邸だった邸園に保存されている明治初期の雛飾りが展示されていました。ここは今年3 月末で閉園となるそうで、ラストチャンスでした。
・小田原宿なりわい交流館:早川の小田原港の魚料理店に伝わる雛飾りを展示していました。
・薬・和菓子店の「ういろう」:北条早雲に招かれて小田原に定住し薬と和菓子を同じ店舗で販売する外郎(ういろう)家に伝わる文政3年(1820年)の大雛が店舗の一角に展示されていました。男雛と女雛の左右の並びが逆になっています。
・済生堂薬局小西本店:漢方薬店主の母と伯母の雛人形(大正4,5年)、祖母の雛人形(明治中頃)が、店主奥さんの雛人形(昭和25年)に加えて店舗奥の蔵内の薬局用の百味箪笥前に展示されています。店主の説明では、小西家は戦国時代の小西行長の弟が小田原に移住した家系とのこと。江戸時代の飛脚が使っていた封書を入れて伝達する箱も残されているそうです。
・おだわら市民交流センターUMECO:昭和35年の雛飾りとか。
いずれも、宿場町小田原ならではの、身近なところにある脈々とした歴史を感じます。途中、小田原城三の丸の白梅も丁度盛りでした。
この日は、10,700歩コースでした。
清閑亭にて(明治初期) 清閑亭
「京橋の碑」と紫陽花
6/2午後には、7月の写真展への出展作のプリント色合わせのために、Fフォトギャラリー銀座を再度訪ねました。 その帰路には、銀座の隣町の京橋に出て、JR東京駅まで歩きました。途中、銀座中央通りと首都高速の交差点で、街中で咲き始めたばかりの紫陽花を見かけました。 ここは、江戸期には...
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長く地元で行きつけの飲み屋のひとつになっていた「養老の滝 蒔田店(まいた)」が29年間の営業を3/20で終了することになったことを知りました。市営地下鉄蒔田駅前に入居するビルの取壊し計画が具体化したこととコロナ禍以降の諸物価の値上がりで経営が急速に厳しくなったことが原因だそうで...
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3月央の取り壊し工事に先立って舞鶴実家に残された遺品類について、最後の整理を進めています。 その中でユニークなのが私製本の「水兵さんの遠洋航海 ー日露戦争直後のある青春ー」の大量の原稿です。 1978年(昭和53年)に、父が祖父の海軍舞鶴海兵団従軍中の日誌を13年かけて清書し、...
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2/8には、高校時代の関東在住者の同期会がありました。名目は「喜寿記念会」で、17人が集まり、同期生の消息、懐かしい話や終活の話などで、賑やかに愉しみました。福知山、京都在住の遠来者もかけつけてくれましたが、この日は米原ー名古屋間が雪で遅れ、1時間遅刻した参加者も出るほどでした。...