朝のラジオ番組「OK cozy up」で開催を知り、開催最終日3/5になりましたが、東京駅前のJPタワーKITTEビル 地下1階の東京シティアイにあるパフォーマンスゾーンを訪ねました。 企画は、「舞鶴引揚記念館・平和祈念展示資料館 合同展示キャラバン in 丸の内 戦後の『シベリア抑留』の歴史を伝えたい!」でした。
この1 月までの函館での同様の開催とつながったリレー企画でした。戦後80年を目前に、引揚の始まった昭和20年10月7日(1945年)から昭和33年9月7日(1958年)の最終船(確か白山丸と記憶しています)まで13年間の引揚港として使命を果たした記録の一端が実物や模型、パネルとして展示されていました。舞鶴港が、帰還の遅れたシベリア・モンゴルからの引揚港だったことから、当初は函館、浦賀、名古屋、神戸、仙崎(山口県長門市)、博多、浦頭(佐世保市)、鹿児島など16港が指定されていたそうですが、昭和25年以降には唯一の引揚港だったとして「引揚の舞鶴」が強調されていました。舞鶴での引揚者は通算して67万人(全引揚者の1割ほど)にのぼったそうです。
ほとんどの抑留者は、1946年の米ソ協定の成立により、昭和25年4月(1950年)までに帰還を果たしましたが、日本軍や満州国の元高官や諜報活動、ソ連研究、生物化学兵器の研究などに関与した人々2千数百人は、ソ連の一方的な裁判で戦争犯罪人とされ1950年以降も引き続き抑留されたことが、リアルに展示されていました。
引揚が終了する1958年といえば、私が11歳で小学校高学年の頃でした。その頃も、興安丸、高砂丸などの引揚船が入港するたびに、生まれ故郷で、引揚援護局のあった東舞鶴では、街中、とくに駅や商店街の人出が急に増えて騒々しくなり、ラジオでは引揚者の名前を繰り返し放送していた記憶があります。今から思うと、当時強くは感じていませんでしたが、戦争を経て苦難を経験し長く再会を待つ人々の凄まじい対面が街の随所であったことが想像され、胸が痛みます。
最近公開された東宝映画「ラーゲリ(強制収容所:ロシア語)より愛を込めて」でも取り上げられた山本幡男さんの手紙や遺品も展示され、タイムリな企画でした。
今日、冷戦終了後といわれながら、「新冷戦」として新たなロシアの脅威が身近に迫る中で、シベリア抑留の実態を直接に知らない世代に向けた、このような企画は大いに意義のあることと思いました。
また、引揚の記録を都内で発信しているのが、合同主催者の平和祈念展示資料館で、新宿西口の住友ビル(三角ビルです)33階に常設されていると知り、これから近くにいく折にはぜひ立ち寄ってみたいと思っています。
詳しくは、HPやこの企画の記者説明会でのYouTube動画も、下記のサイトに公開されています。
PRTIMES
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000002.000116238.html
YouTube:合同展示の記者説明会動画
https://www.youtube.com/watch?v=wXIoswDbOtM
この日は、7,000歩コースでした。
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