2024年7月13日土曜日

平成の大修繕後の姫路城

  スケッチの先生の故郷での個展を観るために相生(兵庫県)に向かう途中、姫路に途中下車し2泊して(姫路は山陽本線で相生の4駅手前です)、7/10には姫路城を訪ねました。
姫路城は、2009〜2015年に平成の大修繕が行われました。その期間中に一度ここを訪ねたことがあり、大きなテントに包まれた天守閣を拝観して残念に思った記憶があります。工事途中の2011〜2014年には、周りに足場が造られ一部が公開されて工事中の様子をすぐそばから拝観ができるようになっていましたので、私は、その臨時の拝観設備のできる前の2009〜2011年に来たようです。当時、修理中の拝観ができるという案内をみて、その頃にもう一度姫路を訪ねたいと思った記憶があります。実際には叶いませんでしたが。今回、6階すべてを初めてじっくりと拝観できました。
古くても使えるものは極力再利用することを修繕の方針としたそうで、縁の擦り切れた階段や内装などは十分に歴史を感じさせます。
修繕が終わった後は、城の全景を報道写真などで見て、随分と真っ白い城に様変わりしたな、と思っていましたが、今回観てその印象は払拭されました。といいますのは、白いのは瓦の保護のために漆喰を使うために外観が一時的に白く見えるそうです。改修後9年たつと大気風雨などの汚れで、他の城でもよく見るような、グレーの外観になっていくようです。別名の「白鷺城」は、当時の建築直後の真新しい白い姿かたちをこう呼んだのかもしれません。
街中を歩いていて、今も内堀と外堀の間に「中堀」の、高さ3mほどの石垣が保存されているのを見かけました。戦国時代にこの城の縄張りをした創設者の用心深さ(多分、当時の戦乱の世相があったのでしょうか)と城下町市民がこれまで保存を続けてきたこの城への執着心には、あらためて感心しました。
この日は、9,500歩コースでした。高低差があり結構大変でした。


鯱鉾(しゃちほこ)もしっかりと
睨みをきかせています。

石垣が上になるほど急峻になるように
積み上げられているのも特徴とのこと。


堂々たる城郭です。改修から9年経ちさほど
白い城ではありません。

西の大黒柱「西大柱」。東大柱とともに
2本で天守閣を支えています。
 

西之丸が広く保存されています。豊臣家滅亡で
激動の人生を送った千姫(お江(おごう):お茶々の
妹)が一時期ここで過ごしたというリアルな
物語性も、姫路城がいちはやく世界遺産になった
背景のひとつでしょうか。


南東側の近景

城の内堀の南東端に「城見台」が石台で
造られています。重臣の屋敷の跡地
だそうでここからの城の姿が良いと
されているそうです。鯱鉾との組合せを
含めて納得できます。

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