2025年3月16日日曜日

初めてのトルコ旅行 その2ーエフェソス遺跡と温泉石灰棚

 3/7には、アナトリア半島の最西端にある2つの世界遺産巡りです。午前には、海岸沿いの交易都市エフェソス近郊にある、スケールの大きさと保存状態の良さで知られる古代都市遺跡のエフェソス遺跡とアルテミス神殿、午後には、東に内陸を3時間程移動してパムッカレにある巨大な温泉石灰棚、を訪ねました。この日の朝は、アイワルクのホテルを6:30に出発するという結構な強行軍です。



 (1) エフェソス遺跡
紀元前2世紀〜紀元後2世紀頃に東西交易の集積地として栄えたエフェソスの街の中心部の遺構がいまもよく保存されています。ローマ帝国領となった時代の神殿、市庁舎、図書館、オデオン(音楽堂、劇場、会議場の兼用設備とか)、円形大劇場などと並んで商店街、娼婦宿、公衆トイレまで残っていました。石の文化の保存性の良さと歴史を残す強いマインドに感心させられます。


セルススの図書館。2世紀初頭エフェソスを
首府とするアジア州の長官だったセルススの
功績を記念して息子が建てた図書館。2万冊の
蔵書があったとか。知恵や美徳を象徴する
4体の女性像が見えます。保存の良さもさる
ことながらこの時期にそういう事実があった
ことが驚きです。世界の三大図書館の一つ
だとか。

オデオン。2世紀に建造された小さな音楽堂。
1500人を収容し、演劇やコンサートが上演
されたほか、議会所としても使われたそうです。
ドミティアヌス神殿跡。皇帝ドミティアヌスを
祀った神殿。皇帝暗殺後に破壊されたとか。
世の盛衰を感じます。
トラヤヌスの泉。紀元1世紀にトラヤヌス帝
に捧げられた泉。
プリタネイオン。紀元前3世紀からビザンツ
時代まで増改築が行われたエフェソス市庁舎

公衆水洗トイレ跡

工事中の円形劇場跡。紀元前3世紀に建築され
歴代のローマ皇帝によって増改築が行われて
きており、今も工事中でした。丘の斜面を利用
しており2万4千人を収容したとか。手前は3階
建ての舞台。紀元前のものとは思えません。
ハドリアヌス神殿。繊細な彫刻が刻まれています。

ハドリアヌス神殿。138年頃エフェソス市民の
クリンティリウスが皇帝ハドリアヌスに献上した
神殿とのこと。

メインストリートの列柱道路クレテス通り

円形大劇場。手前の舞台が修繕中でした。

(2) アルテミス神殿
エフェソスの主神アルテミスに捧げられた神殿跡で、紀元前3世紀にはアテネのパルテノン神殿をしのぐ大神殿だったそうです。当時は120本の円柱で支えられた神殿には高さ15mのアルテミス像が祀られていたそうです。今では、柱を一本残すだけで他はエフェソスの再建などに使われたそうです。この日には、その円柱の上に巣があるのでしょうか、コウノトリが舞い降りていました。ここは、エフェソス遺跡と対照的に、いまはなき往時を想像するばかりでした。


アルテミス神殿跡。アレキサンダー大王の
権勢がここまで及んだことが世界七不思議
だそうです。

残ったイオニア式円柱の上には
コウノトリが営巣中です。野生で
見るのははじめてです。

(3) パムッカレの巨大な石灰棚
パムッカレに着くと、近郊の台地に斜面を覆い尽くす真っ白な石灰棚が見えてきます。これが、台地の上から湧き出て斜面を流れ落ちる温泉の石灰成分が長年にわたり沈殿、凝結することでできた石灰華段丘とのこと。その規模は幅3Km、高さ100m、厚さ(奥行)300mと驚くばかりです。台地の頂上に上がると、温泉水をたたえた小さな丸い水たまりが無数にあり、一見棚田のような風変わりな光景です。早速にも温泉水の硬さを味わいたいところですがそれはかなわず、ここでは足湯(実際には足水でした)を経験しました。
この台地の上には、温泉保養や神託の地として発展した古代都市のヒエラポリス遺跡も残されており、絶景と聖地が隣り合わせという、観どころの多い世界遺産です。
因みに、パムッカレはトルコ語では「綿の城」の意味だそうですが、ここは綿花畑が多くオーガニックコットンの生産地だそうで、トルコ絨毯の原料にもなるそうです。

驚くのは、トルコの食料自給率は99%だそうです。移動中にも延々と続く小麦畑、オリーブ畑、ぶどう畑を見ました。小麦、オリーブ、綿花などの農産物の輸出、未発掘の膨大な遺跡などの観光資源や平均年齢34歳(日本は45歳です)と若い労働力、などを含めると基礎的な国力は高そうです。一方で、地政学上のリスクも多く抱えており、人口8,500万人(国土面積は日本のほぼ2倍)の中でシリア他から難民は1,000万人を占めており難民生活が長引くと家族も増え経済的負担は拡大しているようです。また、隣接する7か国(注)との問題は、同じイスラムスンニ派のシリアでの政変、ジョージアへのロシアの介入や長年続くクルド人組織(PKK:クルド労働者党)への対応など、日々絶えないとのこと。
また、このように11世紀までのビザンツ帝国のキリスト教の遺構をイスラム教の時代になっても温存して来たことに、オスマン帝国の宗教的な寛容さを感じます。人口比で90%がイスラム教徒だそうですから、10%を先の宗旨「啓典の民」の考え方で共存を貫いているようにも見えます。ビザンチン帝国からイスラム教のオスマン帝国に変わった時も、最上位のキリスト教会(イスタンブールのアヤソフィア)の宗旨替えはするそうですがそれ以下の教会はそのままだそうです。日本の戦国時代にある領主が変わるだけで領民は変らない穏やかな権力移転に似たところがあるようです。

この日は、12,200歩コースでした。ちょっと疲れました。

(注)トルコは、右回りに、ギリシャ、ブルガリア(欧州エリア)、ジョージア、アルメニア、イラン、イラク、シリア(アジアエリア)の7ヵ国と国境を接します。長いのは圧倒的にシリアです。因みに、トルコのアジアエリア(アナトリア、小アジア(Asia Minor))と欧州エリアの面積比は97:3だそうです。


 石灰棚上層部の光景。右奥にパムッカレの
街並みが見えます。

石灰層が岩のように凝固しています。左奥が
パムッカレの町です。

素足で足湯を楽しむ人々。手前の白は石灰で
背景の山の白は残雪です。

源泉のひとつです。見るからに硬そうです。

パムッカレに向かう途中で見た温泉郷台地と
石灰棚。まるで残雪のようです。手前麓が
パムッカレの町並です。

朝食のビュッフェではオリーブの種類が多く
甘いドレッシングをかけて食べます。
色も白黒、酢漬け、塩漬け、種子抜き、
焼き目がついたのなど。

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