3/9には、トルコのアナトリア高原中央部に位置するカッパドキアの巨大奇岩窟群のポイントを一巡しました。ここは活発な火山地帯で厚い火山灰と溶岩が何層にも堆積されて、その後、火山灰層が凝固して凝灰岩となり長年の降雨などで部分的に溶けてこのような起伏の多い地形になったそうです。カッパドキアはトルコ語で「尖った要塞」の意味だとか。現物を観てよいネーミングと思いました。ここがツアー4つ目の世界遺産です。
珍しいのは、この地域の奇岩窟群のなかに造られた「地下教会」や「地下都市」が多く残されていることです。ここには2度にわたってキリスト教徒が隠れ住んだ場所だったそうです。始はじめは、初期キリスト教徒(Early Christian)(注1)が1〜3世紀に隠れ住んだ奇岩窟中の地下初期教会、地下墓地(カタコンベ)や地下住居が造られました。地下8階まであったとか。
2度目は、9世紀頃になって、ここの奇岩窟には、イスラムの圧迫から逃れるために、キリスト教徒が岩を掘って教会や修道院を造ったそうです。その中心がギョレメで、一帯には400〜500の教会があったとか。そのうちの30の教会がギョレメ野外博物館として公開されており、足早に巡ってきました。
凝灰岩が雨に洗われてできた自然の景観とともに、信仰と安全な生活を求めた当時の人々の生き抜く執念を感じます。それがイスラム国のトルコで観られるとは、尚更です。
この日は、9,300歩コースでした。
(注1)初期キリスト教
初期キリスト教(Early Christianity)は、キリスト教が誕生してから最初の数世紀にわたる時代を指します。この時代は、イエス・キリストの教えが広まり、初期の信者たちが共同体を形成し、迫害を受けながらも成長し教義を確立していった重要な時期です。
起源と成長: 初期キリスト教は、イエスの死と復活を信じるユダヤ人の小さな宗派として始まりました。その後、使徒たち、特にペテロとパウロの働きによって、ユダヤ人以外の人々(異邦人)にも広がりました。
教義と実践: 初期の教会では、イエスの教えや使徒たちの教えに基づいて、祈り、聖餐式(パンとぶどう酒の分かち合い)、洗礼などが行われました。ここでは、イエスの教えを基にした神への信仰、愛、謙虚さが重視されました。
礼拝はシンプルな形で行われ、多くの場合は信者の家などで集まっていました。信者が隠れて礼拝や埋葬を行う場として地下墓地(カタコンベ)が使用されることもありました。そのなかで、新約聖書の編纂や三位一体(父、子、聖霊)の教義が徐々に形成されました。
迫害と殉教: 初期のクリスチャンたちは、ローマ帝国やユダヤ教の指導者たちから迫害を受けましたが、その中で信仰を守り続け、多くの殉教者が生まれました。
この時代は、キリスト教が世界的な宗教へと成長する基盤を築いた重要な時期とされています。
重要な転機: 4世紀に入ると、ローマ皇帝コンスタンティヌスがキリスト教を公認し(313年)、その後キリスト教がローマ帝国の国教となりました。
この時代の美術や建築(例えば、壁画や教会建築)も「初期キリスト教美術」として知られ、その後のキリスト教文化や思想に大きな影響を与えました。(関連記事から引用・編集)
(注2) フレスコ画
古来の西洋での絵画技法のひとつ。この画法で描かれた壁画をフレスコ画と呼びます。フレスコ画法では、まず壁に漆喰を塗り、その漆喰がまだ「フレスコ(新鮮)」である状態で、つまり生乾きの間に水または石灰水で溶いた顔料で描く。やり直しが効かないため、高度な計画と技術力を必要とします。逆に、一旦乾くと水に浸けても滲まないことで保存に適した方法でした。
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