2025年3月22日土曜日

初めてのトルコ旅行 その7 ーボスポラス海峡のクルージング

3/11はこの旅行の最終日で、イスタンブールの旧市街巡りとともに、午前中には ボスポラス海峡のクルージングをしてきました。このツアーのメインのひとつで、小さなクルーズ船一隻貸切のゆったりした1時間余でした。
その後、翌3/12深夜 2:35イスタンブール発のトルコ航空直行便で帰国の途につき、偏西風に押されて往路より2時間短い、所要時間11時間10分で羽田19:45着にて無事帰国しました。
今回の旅では、オスマン帝国の盛衰を間近でみて、おぼろげながらも輪郭をつかむことができました。これも機会に、中東の混迷の経緯をたどってみたいと思っています。また、もともとの中央アジアの遊牧民が土着民と融合してアルメニアに渡来、建国、拡大、縮小(原点回帰)してきたトルコが随所で受容性の高さを発揮した歴史もさることながら、自然の資産、未開拓の歴史遺産に恵まれそれをうまく活用しているなという印象をもちました。こちらの方も、貴重な事例としてこれから深めていければと思っています。
また、旅行中、様々な場面でトルコが親日国だなと感じました。同じウラル・アルタイ語族で、複数プレートが重なる地震国、ともに歴史的に一度拡張主義で失敗しています。これを機会にトルコの国をもっと全体として理解したいと思っています。


新宮殿 ドルマバフチェ宮殿。オスマン皇帝は
最後までここが本拠でした。1856年に完成して
います。

第二ボスポラス大橋の欧州側ふもとにある要塞 
ルメリ・ヒサール。1452年ビザンツ帝国配下の
イスタンブールを征服するため征服王メフメット
二世が4か月で建設したとか。

アジア側にあるベイレルベイ宮殿

第二ボスポラス大橋(黒海側)。全長1510m。
大成建設が建設しました。この橋の前で
船はUターンです。

富豪の別荘。自家用船も。左手山上に大きな
トルコ国旗が見えます。このような国旗掲揚は
旅行中随所で見かけました。

第一ボスポラス大橋(マルマラ海側)。

第一ボスポラス大橋の欧州側のふもとにある
オルタキョイモスク。1854年に建てられた
オスマン・バロック様式とのこと。

チュラーン・パラス・ケンピンスキー。
新宮殿の隣に1874年に建設された宮殿で、
皇帝の夏の別荘として使われていました。
1910年の火災の後復元され、いまは高級ホテル
として活躍しているそうです。
新宮殿正面。ヨーロッパ風です。皇帝滞在中の
海側の護衛は大変だったろうなとも思いました。

第一ボスポラス大橋(7月15日
殉教者の橋)。ボスポラス海峡の
マルマラ海側に1973年に英仏国に
よって建設されました。全長1.5Km
高さ65m。
海から観るアヤソフィア。4基の尖塔は
イスラムモスクに改修時に追加されました。

ガラタ橋の対岸ではニューモスクがライトアップ
されています。
この日の夕食はガラタ橋のふもとのレストランで
スズキのグリルでした。ここの名物とか。
他にもサバやマスのサンドもメニューに
ありました。

イスタンブール欧州区の旧市街と新市街を、
金角湾をまたいで結ぶガラタ橋。全長490m。
2層式で上層階が自動車、トラムが走り、
下層階が歩行者道とカフェやレストランになって
います。初代の橋は6世紀にできたとか。この橋は
魚釣りの名所でアジ(顔つきが日本のとはちょっと
違いますが)とボラが釣れていました。この日、
ゆっくりと歩いて渡りました。

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