3/10には早朝5:05にホテルを出てバス1時間程でカイセリ空港に到着し、イスタンブール空港に向かいました。トルコ航空国内便で1時間40分で到着します。3/10~11でイスタンブールの旧市街と新市街を歩いて、限られた時間にスポットを回り、長い激動の歴史をもつ街のさわりを感じてきました。
イスタンブールは330年から1923年まで1700年間、ときの盟主は変っても首都でしたが、トルコ共和国発足時に、防衛上の理由から守りやすいアンカラを首都にしたそうです。人口は15 00万人、難民を含めると1700万人になるとか。欧州側がビジネスエリア、アジア側が住宅エリアになっているとのこと。トルコでは税金は全て国税で(地方税はない)アンカラが徴収し配分しているとか。
途中3/11朝にはボスポラス海峡のクルージングで海からも新旧市街を楽しみました。これまでとは違って、どこのスポットでも大変な人出の中の巡回でした。ここが、今回の旅行で最後 5番目の世界遺産です。因みにトルコには13の世界遺産が登録されていますので、大急ぎとはいえ1/3を巡ったことになります。
(1)スルタンアフメット・ジャミィ(ブルーモスク)
オスマン帝国建国後300年たった黄金時代にアフメット一世が命じ1616年に完成した巨大なモスクです。後述のアヤソフィアと並んで(すぐ隣りです)スルタンアフメットの丘でボスポラス海峡に向かって建っています。モスクの尖塔(ミナレット)が6基立つのも格式を示すそうです(これまでのトルコ国内では殆どが1~2基、稀に4基(皇帝の命による場合)でした。6基のモスクは国内で2つだけとか)。内部は大ドーム(高さ43m径23m)を中心に4つの副ドームが、さらに副ドームをいくつかの小ドームが支える構造で、堂々とした外観もさることながら中に大空間を作り出しています。2階部分のタイルやステンドグラスの装飾の色からブルーモスクと言われるとか。ドームには精細なタイルが敷き詰められ独特の厳粛さを醸し出しています。先のビザンツ帝国の象徴だった大聖堂アヤソフィアに対抗して造られたそうで、僅かづつ大きく造られているようです。この意味で、このアヤソフィアの建築様式が以降のイスラム建築に影響を及ぼしているとか。オスマン帝国はここでも既存文化を取り入れています。
ブルーモスクからの移動にはトラムを使い、オスマン帝国の国政が15〜19世紀に行われたトプカプ宮殿に向かいました。マルマラ海に向けた砲台(トプ)を備えた門(カプ)があったことからこの名がついたとか。ボスポラス海峡、金角湾、イスタンブール市街全体が見下ろせる小高い丘の上に建っています。帝王の門、表敬の門、会議の間、ハレム(宮殿内の女性たちの居住場所)、黒人宦官の部屋、厨房などがそのまま残されています。宝物館には、帝国崩壊後もほぼ散逸することもなく、86カラットのダイヤなどの宝飾品、刀剣から礼服まで保存されきちんと展示されています。殆どが献上品だそうで当時の権勢がうかがえる大変な歴史資産です。
ここは1842年に欧州での動きにならい自由と平等を掲げた大改革が行われた際に、狭隘化とともに生活や服装の欧州化が進み、新宮殿 ドルマバフチェ宮殿に移るまで利用されました。
スルタン(皇帝)の大広間
スルタン(皇帝)の大広間の天井。この
宮殿で最も豪華な部屋とのこと。
宮殿の入口 表敬の門。
宮殿に入る第二の門になる。
表敬の門のすぐ内側にある第2庭園の回廊
国政の会議や裁判が行われた議事堂。
皇帝は壁にある格子窓から会議の様子を
みていたとか。
側室の憩いの場
アメフット三世の図書館
広大な宮殿を囲む外壁の門 帝王の門。
宮殿に入る第一の門になる。
ビザンツ帝国時代360年に建てられてから騒動や火災に巻き込まれ今の形になったのが537年。1453年にオスマン帝国によってイスラムモスクに改修されるまで900年間キリスト教の国教会でした。トルコ共和国になって1934年には一旦は無宗教の博物館として公開されましたが、2020年には現エルドワン大統領によってイスラム教モスクに回帰しています。まさに時の盛衰に左右された歴史的遺構です。それにしても1500年前にこのような巨大ドームが建設されたこと、そして形を変えながらもこれまで生き残ってきたことに感銘を受けました(日本であればそのたびに取り壊されていそうです)。現在は、さすがに地震などで傾きが見られ補修を繰り返しているそうです。
(4)グランドバザールとエジプシアンバザール
グランドバザールはトルコ語で「屋根付きの市場」の意味だそうですが、ビザンツ帝国時から続く東西の品々の交流場所とのこと。迷路のような広い場内に、地区ごとに貴金属、陶器、タイル、絨毯、皮革、アンティークなどの専門店が5000店ほどずらりと並んでいて、見物には飽きません。結局、見るだけでした。
グランドバザールから10分程歩いたところに、エジプシアンバザールという香辛料、ドライフルーツやナッツ類など量り売りする乾物食品店街をも巡りました。エジプトから納められた貢物によって設立されたことからこの名がついたそうです。L字型の商店街で「スパイスバザール」とも呼ばれるとか。ここも、品物の多さに圧倒されてここでも見物どまりでした。
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