2025年9月15日月曜日

鶴岡八幡宮の例大祭と神幸祭

 9/15には、鎌倉の鶴岡八幡宮の例大祭と神幸祭(しんこうさい)を初めて観てきました。ようやく秋の気配を感じはじめた曇りの日の開催で、それまでの猛暑日に比べると動き易い日でした。
例大祭は、10時から本殿と舞殿で行われます。まず本殿で、神社本庁から献幣使(けんぺいし)(注1)を迎え、宮司以下の神職、巫女、八乙女が奉仕し、神前には鈴虫が供えられるそうですが、一般客には見えません。11時には本殿から関係者が舞殿に下り、舞の奉納を行います。
その後13時から行われる神幸祭は、大神様を神輿にお遷しして氏子区域を巡る祭礼です。神輿3基を氏子が担ぎ、錦旗、神馬、高張提灯、太鼓、盾、弓矢などを伴う500m程の行列が若宮大路を進み、二の鳥居で休止して折り返し、境内に戻ります。二ノ鳥居前の御旅所(神様の仮設の休憩所)では、緑の千早・緋袴姿の八乙女による「八乙女舞」が奉納されるとか。この日私は、緑の千早姿は見かけましたが、残念ながら八乙女舞は混雑で見れませんでした。神社の神幸祭は16時頃に終わり、その後16時からは地元町内会の神輿がここを練り歩くようです。なかなかのビッグイベントです。
翌日9/16には、流鏑馬神事(やぶさめしんじ)が行われます。これは鎌倉武士の狩装束に身を包んだ射手が境内を駆ける馬上から的を射抜いていく神事です。昨年2024年9月15日早朝に、鶴岡八幡宮で流鏑馬の稽古中に20代の男性が落馬し、意識不明の重体となる事故が発生し翌日の神事は中止になりましたが、今年復活したようです。また、この日17時には、例大祭でお供えした鈴虫を境内にある柳原神池のほとりに放つ鈴虫放生という風流な行事「放生会」もあるそうです。(注2) この日には残念ですが参加できず見逃しました。次の機会を楽しみにしたいと思います。
因みに、この前日9/14には、4時半から浜降式(はまおりしき)が行われ、宮司はじめ神職が由比が浜で身を浄めるために禊(みそぎ)をするとのこと。また、その日18時からは本殿で宵宮祭が行われ、翌日の例大祭に向けて神様に奉告されます。
あらためて、日本の伝統行事の重みの一端を感じる一日でした。
この日は、9,700歩コースでした。


神馬も。左の御者は外国人です。


  




大行列の半分ほどの通過です。
鉦もそのまま運ばれます。



行列の最後尾です。

鎌倉囃子で盛り上がります。
  


境内入口では子供の囃子連が演奏中です。
「雪の下」この近くの町名です。子供も
随所で協力しています。これも世代継承
でしょうか。

若宮大路があるのは置石町(おきいし)で、その
事務所です。聞くと、昔ここは水はけが悪く
道路に多くの細長い石が置かれていたとのこと。
段葛が路面より60~70㎝高いのはそのことも
あったかも知れません。
  
御旅所。神幸祭の行列の休憩・折り返し点になる
二の鳥居の奥に造られた仮設の神様の休憩所です。
左奥は八幡宮の三の鳥居、舞殿、本殿です。二の
鳥居と三の鳥居を段葛が結びます。到着した
午前10時半ではまだ静かな佇まいです。

(注1) 献幣使(けんぺいし)について
神社本庁(民間組織)または県神社庁が、全国の神社の例祭・鎮座祭・本殿遷座祭・式年祭などに際して、神社本庁を代表して幣帛(へいはく;神への捧げ物で現在は金銭が主)を供進するために派遣する使者。祭典に参列し、神社と神社本庁との精神的なつながりを象徴する。(神社庁HPから引用・編集)

(注2) 例大祭と放生会のこと
この祭りは、文治3年(1187年)に源頼朝が始めた鈴虫の「放生会」と「流鏑馬」が起源とされ、『吾妻鏡』にも記録があります。旧暦の8月15日(満月)に行われていたことから、海の神への祈りや自然への感謝が込められています。(神社HPから引用・編集)

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