2025年11月3日月曜日

秋の舞鶴帰省と墓じまい

 10/31-11/2には、墓じまいのために舞鶴に帰省しました。
このところ諸手続きもあり結構頻繁に帰省しています。
10/31の秋の冷雨の中、翌日の墓碑取壊し工事の前に最後の墓影を撮影しておきたいと思い、墓地に出かけました。気になっていた墓石の刻印などの撮影を行い、見納めとしました。
翌日11/1には朝0830から工事が始まり10時には墓石は取壊し・撤去され更地になりました。工事に当たっては、東京から駆け付けてくれた従兄弟と一緒に終始立会い、来られなかった親族の分を含めて見納めをしました。墓は簡単な石の構造物ですが(御影石と安山岩とのことでした)、親族の多くの思いを長年積め込んで、人の記憶にはその何倍も重く大きなものなのだとあらためて感じました。工事では、墓石は小さく砕かれ隣県の高浜に移送さ許可されたところに集積されて土に還ることになります。
取り上げた先祖の遺骨 本骨10体は、石材業者によって一旦乾燥され12/13に予定しています檀家寺の得月寺での永代供養墓への納骨(改葬・分骨)に伴う先祖供養法要に備えます。
なお、工事に先立ち、舞鶴市に提出していた改葬・分骨許可申請に対して、10/27付けで改葬・分骨許可証が自宅に届きました。正式には、この許可証を受けて業者は着工することになります。実際には、寺と合意できていれば、この手続きを踏まないケースも多いようです。
そこで、一句、

秋霖や百年越しの墓じまい
墓じまい想い連なる神無月

これで、親族への説明や檀家寺のご住職との相談から始まり、ここ3年くらいかかった墓じまいも、これで一連の段取りが半分くらい終わったことになります。半分肩の重荷を下ろしたように感じます。

その翌日11/2は、東舞鶴ではだるま祭りや地元三宅神社の子供神輿の日だったようで、いつになく街が賑わっていました。
また、前島埠頭では休日の好天だったこともあり多くの釣り客がでており、何もなかったのように、この時期いつも通り子アジ(豆アジ)のサビキ釣りが大漁でした。
この日午後には、地元の友人にも昼食会で経過を報告し、帰路につきました。

 
昭和3年建立の墓碑。97年に亘って親族の
先祖への想いが詰まっています。背景は
檀家寺の得月寺本堂、その先は東舞鶴港
です。
 

 
墓石取壊し後の墓地(左中央)。ポッカリと
空地になっています。
 

得月寺の永代供養墓。先祖の霊はここに
12/13に納骨し改葬して供養を続けます。
また、身近な横浜の納骨堂にも分骨し併せて
先祖供養をすることにしています。
 
舞鶴東港 東側
  
舞鶴東港 西側

五条公園でのだるま祭り。岐阜から来た
アルトサックス奏者が熱演中でした。

八島商店街。以前は街の賑わいの中心でした。
 
東舞鶴のかつての繁華街 八島商店街も
この日はだるま祭りで賑わっていました。

この時期どこの家でも屋内や縁側で干し柿造りを
します。こちらは畳屋さんですが舞鶴には
今も多くの畳店や表装具店が残っています。

三宅神社の例大祭に行われる子供神輿。
町内会を練り歩くそうです。

ざっと300匹は釣れています。

前島埠頭での味釣りはどの釣り人も大漁でした。

岸壁も大混雑です。背景は海上自衛隊教育隊
です。奥の先に突き出た桟橋は立入禁止ですが
この時期全くお構いなしでほぼ満席です。
この日はヘリ空母「日向」が接岸中でした。
中央です。

海自舞鶴総監部全景

こちらも120~150匹は釣れています



「大六丸」のメニューから

宿泊するホテルには「さざれ石の巌」が置かれて
います。ここは元海軍御用達の老舗旅館
「松栄館」の面影が残っています。しかも
一部が残る旧建屋の庭先にももうひとつの巌が
置かれています。

JR東舞鶴駅前。最近は駅前から高速バスで
京都駅まで出て新幹線ひかりで新横浜まで
帰ります。京都駅まで直通で1時間55分、
便利になりました。

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