2025年12月7日日曜日

久々の秩父夜祭


 12/3には、秩父夜祭に0泊2日(帰りバス車中泊の意味です)のバスツアーで参加してきました。
この日午前中の曇雨から午後には晴れて、夜祭に格好の日和でした。ただ深夜にはその分しっかりと冷え込んできました。秩父での滞在時間は17~23時の6時間で、余り混まないとされる聖人通り沿いに3m程高く設けられた臨時の桟敷席付きでゆったりと自由に観ることができました。
秩父夜祭は、京都祇園祭、飛騨高山祭と共に日本三大曳山祭の一つで、江戸初期の寛永年間には存在していたという記録があり、三百数十年の歴史があるそうです。(注1)、(注2)
冬の夜の祭りということもあるのでしょうが、豪華で重厚な山車(だし;笠鉾と屋台の総称)の造りとそれを動かす曳き手たちの統一のとれた威勢の良さ、衣装の着こなし、山車に乗る囃子(はやして)やや屋根に乗り進行方向などを指揮する上乗り(うわのり)、四つ角でてこ棒を使って山車の回転を指揮、操作する仕掛人・梶方(かじかた)と呼ばれる人の手慣れた動き、などが印象に残ります。これらが荘厳さを醸し出しているように思いました。京都の祇園祭を昨年7月に観ましたが、祇園祭が大規模で女性的で繊細なのに対して、こちらは中規模ではっきりと男性的で勇壮です。公家の文化と武家の文化という違いを感じました。冬空の花火との取り合わせも、地元民の一年の締めくくりを盛り上げているように思いました。また、運営もきちんと組織化されて参加者の気合があっているなと随所で感じました。関東らしい素晴らしい伝統とあらためて感心した次第です。(注3)
それにつけても寒い夜で、桟敷席を21時頃には退散し、一般道からも自由に観覧し、巡行ルートをほぼ一巡し様々な角度から色んなシーンも撮影ができました。勿論桟敷席からの高い視点の撮影は貴重でした。混雑するイベントではよく前に並ぶ人の頭が入った写真ばかりになりますから。今回で祭の全体像が分かりましたので、来年にも個人で再度訪ねてみたいと思いました。そういうとツアー客の中には、毎年来ているという方もおられました。市内を一巡りして、
古い知人で秩父出身者が近くにいたこともあり、何度もここを推されていたのですが、これまでに一度、40年程前に短時間で秩父夜祭を個人で観たことがありました。いまから思うと西武秩父駅に21時頃降りて駅周辺をぶらぶらと観覧し、山車と冬の花火を観た記憶がありました。今回コースを一巡する中でこの時のワンスポット(1 時間弱の滞在でした)が全体と繋がりました。この時には寒さに耐えきれず熱いカップ酒をゴクゴク飲んだことを思い出します。冬の花火が当時の私には初めてで夏とは違う冷たい華やかさに驚いたことも思い出されます。今回の訪問で西武秩父駅前がたまたま花火の見所だったこともわかりました。
この日は、10,500歩コースでした。

因みに、昨年2024年7/13,14には京都祇園祭を初めて観覧しました。その時の様子を、当ブログに下記の記事にしてアップしていました。

祇園祭 前祭の一端「鉾建て、山建て」を巡る



本町屋台背後から。秩父神社向けて動き始める
ときでした。ダルマや宝船の刺繍が特徴とか。
発祥が秩父絹市からの由来を繋いでいます。

出発時の掛け声が響きます。

動き始めに周囲にも緊張感が漂います。

18時に6基の山車が秩父神社に集結し、神事の後
18時30分から順次街に繰り出します。

例大祭の前列。各町会の代表のようです。

中近笠鉾。総体黒漆で随所に金具を打ち、
二十四節季などの極採色の彫刻が見所。

同側面。この高さ、角度での写真は桟敷席
ならではです。

同背面

下郷笠鉾。

大きなてこ棒で90度回転させます。

だんご坂を通って御旅所に向かいます。

宮地屋台と羊山公園から打ち上げられる
冬花火

同背面

上町屋台。屋根は4基の屋台の中で最大で
軒の張出も大きく華麗な屋台。牡丹に唐獅子の
水引幕、鯉の滝登りの後幕の刺繍が見処との
こと。山車到着の間隔が30分程なのにも
驚きです。

上町屋台背面

中町屋台側面

同正面。屋台前後の鬼板は4基の屋台の中で
最大で、天の岩戸開きなど神話物が特徴。

屋台の舞台で踊りなど民衆向けの演芸が
行われるのが特徴だそうです。

中町屋台の乗り手。監視と指揮が
役割とか。

塀の奥の御旅所。6基の山車が巡行を終えて
ここに集合し大事な神事が行われます。一般人は
この日は中に入れません。

見回り役のようです。こういう方を街中で
多く見かけました。

山車を出す町会の「会所」。4~5所見かけました。
引き締まった雰囲気が伝わります。

中町通りのじゃがバター屋さん。ここで
一服しました。じゃが芋大き目バターたっぷりで
600円でした。湯煙の陰にマスクの店主さんが
おられます。

巡行のメインとなる本町通り。両側は屋台が
並びます。この通りの奥右が秩父神社で巡行では
奥から手前に進みます。巡行開始1時間前です。
巡行のルートの通りだけがやけに幅が広いのが
わかります。これも長年の経験知でしょうか。

(注1)秩父夜祭について
秩父夜祭は、秩父の総社 秩父神社の「付けまつり」(付随するまつり)で、江戸時代には例大祭とともに、秩父絹の市が立ち(絹太市(きぬのたかまち)と呼ばれかつては三千〜四千両の取引がされました)、秩父の経済を潤しました。その市の大トリを飾る一大行事が秩父夜祭です、このため、「お蚕祭り」とも呼ばれます。
時は移り、今は市こそ立ちませんが、秩父に住まう人々の1年の総決算として変わりはありません。「夜祭」、「妙見(みょうけん;秩父神社に祀られる妙見菩薩のこと)さま」と呼ばれ、受け継がれてきました。
例大祭を彩るのが、笠鉾と屋台です。笠鉾2基、屋台4基の6基の曳山(山車(だし)とも呼ばれます)が、勇壮な屋台囃子を打ち鳴らし煌びやかに市内を巡行する様子は、勇壮な曳き手の勇姿と相絡まって冬の秩父を熱く魅せます。(秩父観光協会他の関連HPから引用・編集)

(注2)御旅所と曳山について
神話によると、秩父神社に祀られる妙見菩薩さまと武甲山に棲む龍神さまが、年に1度12月3日に、妙見菩薩を表している亀の形をした「亀の小石」(御旅所(おたびしょ)と呼ばれます)で逢い引きをすると伝わっています。亀は大地を、龍は天を表し、天と地が折り重なる祭りを意味します。曳山巡行では、神社から御旅所まで街を練り歩きながら移動(巡行)します。
そこで、御旅所は、巡行する曳山が向かう目的地のことです。曳家は舟を意味し、不老不死の実のなる木があると伝わる蓬莱山(ほうらい)に向かって航行します。(ツアーパンフレットから引用・編集)

(注3)笠鉾と屋台について
笠鉾(かさぼこ)は、屋根の上に大きな笠状の飾り(花笠・万燈など)を高く掲げ、非常に高く、祭りの中でもひときわ目立ちます。もともと神霊を迎える依代(よりしろ)的な性格が強く、古式を伝えます。
それに対して、 屋台は、二層構造で、上段は囃子方、下段は人形・彫刻を飾ります。豪華な彫刻・漆・金具で装飾されるのが特徴で、曳き回しに適します。江戸期以降に発展した、「観る祭り」としての要素が強いと言われます。
笠鉾と屋台を併せて「笠鉾・屋台」、「秩父の山車」(だし)と呼ばれます。
(関連HPから引用・編集)

0 件のコメント:

コメントを投稿

早春の取り合わせ風景―梅と菜の花のコラボー

 1/31には平塚の花菜ガーデンに久々に出かけました。この時期話題になる菜の花と梅の取り合わせをここで一見したいと思っての散歩コースの選択でした。菜の花と桜は同時期に咲くことが多いですが、梅と一緒に観るのは関東ではそう多くはありません。 結果的には正解で、白梅も菜の花も咲き始めた...