2024年4月20日土曜日

舞鶴港のクルージングと沖釣り


少し日をさかのぼりますが、先回帰省中の4/14に、舞鶴東港のクルージングと沖釣りのツアーに誘われ、同行してきました。
当日は好天に恵まれ、舞鶴に住む甥夫婦と3人で、青井地区(舞鶴西港の西側になります)にある青井マリーナを、5人乗りのレンタルボートで10時ころ出港しました。
甥は一級船舶免許をもち、小さいころから海好きで、このボートを利用し自分で運転して仲間と年に何回か海釣りを楽しんでいるようです。
はじめに舞鶴東港を一巡しました。海上自衛隊舞鶴総監部の諸施設、ジャパンマリーンユナイテッド(JMU)の船舶修理施設、海上保安学校の施設、戸島、蛇島、海上自衛隊教育隊、クレインブリッジ、関西電力の火力発電所、佐波賀、大浦、三浜・小橋などの集落を、いつもはとは違う視角からの景観です。その後、舞鶴港を出て、沖合の冠島周辺に向かい、そこで、甘鯛やレンコ鯛などを狙い、水深80m前後の水域で沖釣りを幾つかのポイントで楽しみました。聞くと、これまでよく釣れた場所の記録が残せるアプリがあるそうで、順にそこを巡ったそうです。いまは、エサは使わず、色、形、感触だけでなく匂いまでついたルアーがあるそうで、潮の速さに合わせて錘の重さを変えながらの釣りでした。4時間ほど釣り、5時にはマリーナに帰還です。
釣果は、ホウボウ、カサゴ(正確には別の名前でした)、甘鯛、レンコ鯛、フグ(これはリリースです)の4匹でした。いずれも赤い魚の収穫で、若狭湾の釣りらしいところです。
冠島は、東舞鶴市街地の北約28キロ、最寄りの海岸線(成生岬:なりゅうみさき)から約10キロ沖合の若狭湾に浮かぶ周囲4キロ程の無人島で、オオミズナギドリの繁殖地として島全体が国の天然記念物に指定され、生態調査などを除いて許可なく上陸することはできないそうです。これまでにも、学校の先生を中心にした地元の保護団体が定期的に生息状態の調査をしているということは聞いていましたが、こんなにすぐ近くで見るのは初めてです。
私も、小さな船で長時間の乗船は久しぶりで、以前三浦海岸沖で釣った時には船酔いに苦労しましたので、言われるがままに船酔い薬を飲みつつ、不安な気持ちで乗船しました。結果的には、珍しく海が静かであったことと私の年齢効果もあったのでしょうか(耳が聞こえにくくなって三半規管が鈍感になっています)、まったく船酔いの徴候は出ず、船上でおにぎりを食べながらの快適な船旅でした。
晴天の春の日の故郷で、クルージングも海釣りも満喫でき、誘ってくれた甥夫妻に感謝、感謝です。
青井マリーナ。停泊中のボートと同型の船に
乗ります。順次出航です。
個人所有の大型ボートも見かけます。
右のクレーンでボートを海に下ろします。
通常は陸揚げすることで、船体への貝
付着などがなく、船の寿命が延びる
そうです。中には、漁船も陸揚げして
いました。

今日運行する船は、素早くクレーンの下に
専用車で牽引され運ばれます。
ボートを次々と海上に下ろしています。

(同型船の)出港です。背景の山並みは
舞鶴東港の東側を西側から海越しにみた
景観です。

関西電力の舞鶴火力発電所。バイオマス燃料の
木質ペレットを混焼することで、CO2排出量を
削減しながら操業しています。手前はタモです。

蛇島。最近、戦時中の飛行機燃料貯蔵庫の
跡が話題でした。

修理中の艦番号175は護衛艦「みょうこう」
です。

クレインブリッジ。左側先の火力発電所の
工事資材運搬用に造られました。

小型船舶の航行ナビにも簡単な魚群探知
機能がついています。

舞鶴港の駄口東側の大浦半島博打岬

冠島に向かい北上します。

冠島。南から見ると2島が重なって見えます。
ここでも波は静かです。

本日の釣果です。いずれも赤い魚でした。
この写真は甥の撮影です。

若狭小浜方面。日差しが良いため海面が
霞んでいました。
舞鶴港の出口です。左奥の煙突は関電の
火力発電所です。

北上し、冠島をほぼ東から見ると
2島が離れてきました。

2024年4月18日木曜日

舞鶴実家解体工事28日目の状況 ー更地になりましたー


 舞鶴実家解体工事28日目 4/18夕方の現場の状況です。
今回も姉が撮影した写真をそのまま引用しています。
重機がなくなり、正面のブロック塀の上にモルタルが薄く盛られています。
4/18昼に水道局から電話があり、この敷地前の表通り中央で水道管に漏水が発生していることが分かったので(地上に溢れているわけではないそうです)、4/23に1日の予定で修理に入るが、当日敷地から出入りはないか、との確認でした。この工事との関りを聞いてみましたが、係の方は、施設の老朽化が原因と言われていました。このところ重い重機やトラックがここを通過したり、重機による解体工事で強い衝撃を地面にかけていましたので、道路地下の古い水道管に圧力がかかり耐久力に影響しなかったか、心配なところです。今回の工事が水道の幹線の寿命を早めたのであれば、申し訳なく思っています。
とまれ、これで、本解体工事は完了です。
土地売却の専任媒介契約をしている不動産業者によると、早速に、この土地の買い手が新たに現れたそうで、これからは売却のことも考えねばなりません。


重機も居なくなり更地になりました。

正面の隣地境界癖にモルタルが薄い
盛られています。

2024年4月16日火曜日

舞鶴実家解体工事26日目の状況

舞鶴実家解体工事も大詰めに入り、26日目 4/16の状況が、姉が現地で撮影した写真からわかりました。今回も、その写真をそのまま引用させてもらっています。
最終段階で多くの大きな丸い石がごろごろと土から出てきたそうです。建物の土台ということではなかったそうで、どういう経過で石が埋まったのか不明とのことでした。たまにあるそうですが、古墳などの遺跡でなくてよかったのかもしれません(笑)。
残った工事は、写真左奥にブロック塀を1.2mで切断しましたが、その上にモルタルをのせて形を整える工事と左右奥の隣地境界標識を設置する工事、となりました。工事終了を受けて市水道局が上下水の給水停止、メータ撤去の工事をし、終了となるそうです。それとともに、法務局へのへ建物滅失登記申請の手続きなどが残っています。
本解体工事は本日4/17で実質的に終了となります。
今回の取壊しでは、施主側で遺品整理をしたあとの残置物処理が3/16~3/21の6日間、その後の解体工事が3/22~4/17の27日間で、併せて33日の工事になりました。我々が実家の取壊しの相談をし始めてからほぼ3年になります。また、遺品資料によると実家の建屋ができたのが昭和16年4月(1941年)でしたので丁度83年で、4代に亘った、多くの人の生活拠点としての役割を終えたことになります。この建屋は、その1年前の昭和15年5月12日午前2時に近所からの類焼により焼失した後に、当時洋服店を営んでいた祖父によって再築されました。
今回は長い工事でしたが、大きな工程変更・追加、工期延長もなく、工事での怪我の報告を受けることもなく、隣近所のご理解もなんとか得ながら、終りを迎えられたことに、業務委託した不動産会社、請け負っていただいた工事関係者、ご近所の皆さま、親族の皆さま、関係の方々に、感謝するばかりです。
身内には、生れ育った舞鶴の実家をなくすということで、精神的にも物理的にも生活拠点のひとつがこれまでと変わるわけですが、その喪失感は、複雑な面はありますが、時間によって緩和され、それぞれにとって落ちつくべきところに着地することになるように思っています。


4/16に表通りから見た解体工事の全景
です。左手前にあったコンクリートも
撤去され、きれいな更地になり
ました。

2024年4月15日月曜日

舞鶴実家解体工事25日目の状況

 舞鶴実家解体工事25日目_4/15の状況について、姉が現地で撮った写真からわかりました。
この記事では、写真をそのまま引用させてもらっています。工事現場もすっかり様変わりしました。この日4/15に、私は帰省から横浜に戻りました。
一連の工事もいよいよ最終段階に入り、昨年10月に行いました隣地境界確定の立会で決まったように境界標識を設置する段取り、上下水の給水停止工事や土地登記申請の手続きなどの相談を始めています。


工事敷地の奥は地下埋設物の撤去も終った
模様で、整地が進んでいます。金庫や
石燈篭も撤去されました。

表通りから見た取壊し工事全景。左手前の店舗
だった部分のコンクリートが残っています。

2024年4月13日土曜日

舞鶴実家解体工事23日目の状況

 舞鶴実家解体工事23日目 4/13 16時〜17時頃の状況です。奥の境界壁は法定の1.2mに切断され、地下に埋まる石や基礎コンクリートを重機が土を濾すように除去しています。倉庫や離れのアルミ塀なども撤去されました。すっかり更地らしくなってきました。
撮影中に近所の3軒の方々とたまたま合流でき、これまでの経過やこれからの予定など、久々の世間話ができました。早いもので、4/18には終了予定です(当初は4/13完了の予定でしたが)。


2024年4月12日金曜日

お祖父さんの海軍帽子が「出土」

 

 4/10の舞鶴実家解体工事の現場を訪ねた際に、作業員の方から、海軍の帽子が出てきたことを知らされました。赤土にまみれた祖父の海軍下士官時代の帽子でした。
早速洗濯して見てみると、交付年月は大正3年12月となっており、舞鶴衣糧科が支給したことになっています。
祖父がこの年にこの帽子をかぶって撮った写真とも符合し、また、取壊し最中に見つかった経緯を含めて、祖父の数少ない最後の遺品として受け継ぎたいと思っています。






松栄館での私製本「水兵さんの遠洋航海」の書棚展示

 この帰省中、松栄館のカメリア棟に宿泊しています。
昨日、古い趣を残す松栄館のレストランで食事をした際に、先回の帰省の折に、この一角にある書棚に展示を持ち掛け、承諾いただいていました「水兵さんの遠洋航海」の冊子にが展示されているのを見かけました。その時の経緯は下記にアップしています。
ここを訪れた方が、それとなく、こういう明治の頃に海軍に服役した舞鶴出身者の航海日誌を通して、日露戦争直後の歴史の一端を知ってもらえば有難く思います。

「私製本「水兵さんの遠洋航海」の松栄館書籍コーナーでの閲覧 」
(20240316に本ブログの下記に掲載しています)

https://kinoken33.blogspot.com/2024/03/blog-post_18.html


松栄館レストラン内に
展示されていました。
中段の青い冊子です。
レストランの奥には今も能舞台があります。

レストラン入口への通路には、初代舞鶴
鎮守府長官を務めた東郷平八郎の書が
軸として多く掛けられています。

舞鶴実家解体工事22日目の状況

 舞鶴実家解体工事22日目 4/22夕の状況です。左右隣地との鉄パイプの柵・足場もなくなりました。段々と更地らしく敷地内での見通しが良くなってきました。まだ、離れのアルミ塀、金庫、離れの石燈篭、風呂釜などが産廃処理の都合でしょうか、残っています。次第に記録写真としても撮影対象が減ってきました。


倉庫跡です。工事機材置き場に
なっています。

右側に隣地建屋と庭が見えています。

「与保呂の水源地」での祇園しだれ桜

 東舞鶴の水道源として利用されているのが与保呂川の上流にある「与保呂の水源地」です。小学、中学時代には、ここが遠足や見学の目標になっていました。また、家族でも、春は花見に、夏は泳ぎに(?!)、ここを訪ねたことを思い出します。いまは、途中の桜並木も整備され、花見の最終目標地にもなっているようです。
4/10には、絶好のタイミングでここを久々に訪ねることができました。途中緩やかな坂道が続き、自転車では結構きつく、休み休み出なんとかたどり着きました。ただ、内部が公開されるのは3/16〜3/31でこの日は門は閉まっていました。今年は、花の開花が1週間程遅れたことによるのでしょうか。

 (参考)海軍と与保呂川水源   
与保呂川は、京都府舞鶴市と綾部市を隔てる養老山(標高665m)に源を発し、舞鶴市街地を通り舞鶴湾へ注ぐ。1941年(昭和16年)に、中間域の与保呂地区に浄水場が設置された。
流域では堤防などに桜並木が設置されており、春の観桜シーズンには多くの観光客が訪れる。
歴史的には、1901年(明治34年)に舞鶴鎮守府が創設され、日本海側唯一の軍港として発展した歴史を持つ舞鶴市であるが、鎮守府創設にあわせる形で1898年(明治31年)に軍事水道の建設が開始され、1900年(明治33年)に与保呂川上流に桂貯水池が完成。さらに1905年(明治38年)には岸谷貯水池が完成し、与保呂川自体が軍事水道として活用された。現在では舞鶴市の与保呂地区をはじめ、東舞鶴全域で飲料水用や農耕用として利用されている。
(与保呂川 - Wikipedia より)



浄水場のすぐ下流です。


さらに下流に舞鶴医療センタが見えてきます。

2024年4月11日木曜日

舞鶴「与保呂川千本桜」

4/10には、前日の大雨から一転して好天に恵まれ、東舞鶴の街中を流れる与保呂川(よおろがわ)を自転車で水源池から河口までゆっくりと巡ってきました。「与保呂川千本桜」という言い方もはじめて知りましたが、十分名に相応しいともあらためて感じました。
もともと中流の舞鶴医療センタ(元は国立舞鶴病院でした)周辺の桜並木での「さくらまつり」から始まったそうですが、その後、下流にも上流にも植樹が進み今の「与保呂川千本桜」になったそうです。舞鶴医療センタ周辺の桜はた樹齢を重ね、苔をつけ、風格をだしています。
一方で、随所に伸び盛りの若木も多く、こらからが楽しみです。
最近は外国人も見かけるそうで、これからPRすると観光客が集まりそうです。
また、この並木の管理には街の医院も自主的に協力していると聞き、感心しました。


たまたま二組の親子が通りかかり
ました。
今日は水量が多く見応えがあります。





シンボル的な巨木です。


舞鶴実家解体工事21日目の状況

 舞鶴実家解体工事21日目 4/11 17時頃の状況です。
倉庫も取壊しが終わり、建物はすべてなくなりました。これから、隣地との境界壁の整備(ブロック塀は法定の高さ1.2mで切断します)、赤土の撤去と地下埋設物の撤去が続きます。

クリガニのカニ汁

 8/6には、孫の付き合いで目黒に出かけ、やや疲れて帰りに寄った寿司店(目黒駅ビル内の「寿司 活」でした)で、たまたま「大きいクリガニのカニ汁」をメニューに見かけました。この季節のクリガニについつい惹かれて注文してしまいました。今年3月にも陸奥湾のクリガニを珍しく大船で見かけ自宅...