東舞鶴の水道源として利用されているのが与保呂川の上流にある「与保呂の水源地」です。小学、中学時代には、ここが遠足や見学の目標になっていました。また、家族でも、春は花見に、夏は泳ぎに(?!)、ここを訪ねたことを思い出します。いまは、途中の桜並木も整備され、花見の最終目標地にもなっているようです。
4/10には、絶好のタイミングでここを久々に訪ねることができました。途中緩やかな坂道が続き、自転車では結構きつく、休み休み出なんとかたどり着きました。ただ、内部が公開されるのは3/16〜3/31でこの日は門は閉まっていました。今年は、花の開花が1週間程遅れたことによるのでしょうか。
(参考)海軍と与保呂川水源
与保呂川は、京都府舞鶴市と綾部市を隔てる養老山(標高665m)に源を発し、舞鶴市街地を通り舞鶴湾へ注ぐ。1941年(昭和16年)に、中間域の与保呂地区に浄水場が設置された。
流域では堤防などに桜並木が設置されており、春の観桜シーズンには多くの観光客が訪れる。
歴史的には、1901年(明治34年)に舞鶴鎮守府が創設され、日本海側唯一の軍港として発展した歴史を持つ舞鶴市であるが、鎮守府創設にあわせる形で1898年(明治31年)に軍事水道の建設が開始され、1900年(明治33年)に与保呂川上流に桂貯水池が完成。さらに1905年(明治38年)には岸谷貯水池が完成し、与保呂川自体が軍事水道として活用された。現在では舞鶴市の与保呂地区をはじめ、東舞鶴全域で飲料水用や農耕用として利用されている。
(与保呂川 - Wikipedia より)
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