10/25に平泉町(岩手県西磐井郡)の毛越寺(もうつうじ)、中尊寺、達谷窟(たっこくのいわや)などを訪ねました。こちらも当方には50年振りになります。以前来た時には、12世紀前期の平安末期に奥州藤原氏4代が築いた仏都として広大な山中に多くの堂をもつ古めかしい寺院と古い割に整然とした門前町、という印象でした。今回たずねて、あらためて、その印象を強くするとともに、当時10万人が住む、京都を模した地域の都だったことを思わせる碁盤の目の街づくりの形跡を感じました。また、2011年の世界文化遺産登録を経て、各施設が整備され、街並みも再開発されたとかで、訪れた寺院の歴史が丁寧に説明されているのに感心しました。世界遺産登録により地元は良好な保存責任を負うことの結果のようにも思えます。
この日の散歩は、26,000歩コースでした。ただし、毛越寺から中尊寺への移動にはたまたま来たタクシーをついつい使ってしまいました。
写真は、はじめの3枚が毛越寺とその近くで、次が達谷窟、最後が中尊寺金色堂(の保存館)です。
2021年10月30日土曜日
平泉・毛越寺での秋
鳴子峡探訪
50年ぶりに鳴子峡@宮城県大野市を訪ねました。
紅葉にはやや早い時期で雨模様でしたが、見応えのある100mの絶壁の秋を久々に楽しめました。以前(2011年の3.11東日本大震災までだそうです)は、陸羽東線の鳴子温泉駅から中山平温泉駅まで渓谷の大谷川(おおやがわ)川面沿いに長い遊歩道をゆっくり散策できた記憶がありましたが、今は鳴子峡中山平口(なるこ)と鳴子峡鳴子口両方から入れますが、崩落の危険を避けるために双方とも途中で折り返すようになっていました。断崖の紅葉は、変わらぬスケール感です。
この日は、21,000歩コースでした。
2021年10月17日日曜日
瀬戸神社の「疫病退散」、祈願成就か
この地区の郷社で初詣では賑わいます。3月頃から、当時のスケッチのように「疫病退散」祈願の幟がたてられ狛犬もマスク着用になりました。このところの新型コロナ感染の減少は、祈願がかなったことになるのでしょうか。そうあってほしいものです。
いずれにしろ、このような情景はこれ限りにしたいところです。
大昔、今日の金沢八景住宅地区一帯は大きな入江でした。この入江と浦賀水道に面する平潟湾とは、狭い水路状の海峡でつながっていました。この小さな海峡は、潮の干満の度に海水が渦を巻いて出入りする「せと(狭い海峡)」でした。これが瀬戸神社の名前の由来とか。鎌倉時代から今の形になったようです。
2021年10月15日金曜日
コキアの紅葉
関東では、秋にはコキア(ホウキ草)の紅葉がよく話題になります。その規模の大きいのが茨城県勝田市にある国立ひたち海浜公園です。今年は14日頃から1週間が見頃と聞き、緊急事態宣言の解除もあって、はじめて訪ねてみました。一部にまだ緑っぽい部分の残る株もありましたが、なかなか見応えがありました。他に、コスモスと蕎麦の花も満開で、何倍か秋を楽しめました。最初の写真の左上はコスモス畑です。
2021年10月13日水曜日
獅子ヶ谷の旧横溝屋敷
鶴見区獅子ヶ谷地区に復元された江戸末期~明治初期の農家の屋敷「旧横溝屋敷」を先日散策しました。
隣には、今も横溝家が住んでおられる現横溝屋敷があり、農家で雰囲気が似ているためにはじめは間違ってそこに入り込んでしまいました。移設して復元されることが多いなか創建当初の場所でそのまま保存されている珍しい古民家とのこと。リアルな歴史の重みを感じます。
自宅から1時間圏内に(最寄りは菊名駅です)このような堂々たる古民家があることに歴史を感じ(代々の世代継承が大変だったと推測します)、あらためて驚いた次第です。
2021年10月12日火曜日
蛇木杉@石老山顕鏡寺
10/11には県北にある相模湖の南側にみえる石老山(せきろうざん、702m)中腹にある石老山顕鏡寺を散歩しました。2019年と先の台風で登山道が崩れており、山頂は次の楽しみにして、顕鏡寺の先で折り返しました。
顕鏡寺は、参道にあたる石畳沿いの奇岩、巨岩とともに(高さ12m、幅17mの文殊岩など)、境内にある蛇木杉(じゃぼくすぎ)が評判です。蛇木杉は写真のように樹齢400年以上といわれ樹の太さ6.3mで、2本の長い根が、蛇が横たわるように地上に露出し上の鐘楼に向けて伸びています。長い方は(雄龍というそうです)21mあるとか。このくらいの樹齢の杉は地下にもこの深さの根を伸ばしているのでしょうから驚きです。
途中、バイクに乗った郵便配達の方に道を聞いたところ親切に写真付きでいろいろ教えてもらえました。ここは令和天皇が皇太子時代に登山されたところだそうで、見どころも多く外国からの登山者にも人気で、英語の標識が目立ちます。「半分、道案内役です」と気楽に応対されるのには親しみがもてると同時に、コミュニティにとって大切な役割をはたされているなと思いました。
月見のお供え
今年の中秋の名月は9月21日でしたが、8年ぶりに満月と重なると話題になりました。
そのころに、散歩で訪ねた茅ヶ崎里山公園にある古民家「谷の家」で、懐かしいお供え物を見かけてついつい撮ってしまいました。
月見のお供えはもともと中国の中秋節からきたそうですが、日本でもこの日の月を「芋名月」として、里芋やさつまいもをお供えする収穫祭の習慣があったようです。里芋は1株でも子芋、孫芋と増えていくので、子孫繁栄の縁起物とか。
この県立公園は、広さを順次拡大して成長する公園のようです。他の公園でもみられますが、県や市が地元の農家や山林地主と公園の土地借用の賃借契約を締結し借り上げてその管理業務をNPO法人や一般社団法人、企業法人(サカタのタネ、日比谷花壇など)に委託しているため、園内には立入禁止の現業農地や林地も混在しています。こうして、公園エリアを徐々に近隣に広げているそうです。県、市のみどりアップ計画の一環だそうで、荒れ地を増やさない、また農地と公園を共存させる現実的な方法かと思います。
近隣区の旧清水製糸場本館
ここ35年間住む横浜市港南区の西側に隣接する泉区に、明治44年(1911年)に興され大正12年(1923年)の関東大震災まで続いた清水製糸場の本館が移築され「天王森泉館(てんのうもりいずみやかた)」として残されています。先日の散歩で訪ねました。大正7年には県下45社(うち泉区には8社)の中でも5番目の規模をもち、蚕の繭を茹でる釜数も128あったそうです。近くの斜面緑地から和泉川にそそぐ豊富な湧水と労働力で、この近辺は当時新興産業である生糸の大きな生産地だったようです。地元の運営委員会の活動によって建物や周辺(湧水の森)がよく管理されていました。写真は今も裏庭に注ぎ続ける湧水とワサビ田です。
2021年10月9日土曜日
川瀬巴水展ー旅と郷愁の風景ー
10/9に、午前中に豊洲で孫の運動会の応援に参加した後、新宿SONPO美術館で川瀬巴水展を見てきました。ここ3~4年に開催された千葉市立美術館、平塚市立美術館での回顧展に続いて3度目の鑑賞でした。
今回は、明治~昭和にわたる76年の生涯を通じた多くの旅のなかで、必ずしも名所ではなく日常の風景を画いた連作(シリーズ)を中心に丁寧に展示されていました。中でも、浮世絵版画を現世風に復活した新版画の世界にいながら関東大震災での自宅画廊の焼失によるそれまでの画業の喪失、画壇での新版画の批判論争、海外からの注目、終戦などを契機とした、画風の変化が楽しめました。
木版画は、原画が色調などが異なりますが少なくとも数百点あるそうですから、絵画とは趣が違います。
東京新橋生まれならではの「東京十二題」、「東京十二か月」、「東京十二景」、「新東京百景」、そのほかに「東海道風景選集」、「風景日本集 東日本編」、「風景日本集 関西編」、「朝鮮八景」、Apple創業者Steve Jobsの所蔵作品など、印象的でした。
横浜風の会展
10/4には、2012年から通っています大船のスケッチ教室でお世話になっています一色先生の属される第10回横浜風の会の絵画展を鑑賞してきました。毎年横浜みなとみらい地区にある地下鉄駅改札のすぐそばにあるこのサブウェイギャラリーMで行われます。水彩、油彩、彫刻の力作揃いでした。手とは別に、観る眼ばかりが経験豊かになります。
2021年10月6日水曜日
ススキ4題
・獅子ヶ谷横溝屋敷にて(横浜 港北区)
・恩賜箱根公園にて(箱根町)
・箱根やすらぎの森からの箱根神社(箱根町)
・相模原公園にて(相模原市中央区)
です。
2021年10月5日火曜日
秋の装い
散歩道で見かけた旬の花木たちです。今年は先週末10/1~3に台風と強風があり、コスモス畑は塩害を受けたり茎が薙ぎ倒され開花直前の花が散るなどの被害があったようです。庭先の百日草も見頃でした。三つ目は、蝶と花が対話中といったイメージから「なんの話してるのかな」と名付けようかと思います。最後のコキア(ほうき草)はこれから紅く色づくシーズンです。
ハローウィンかぼちゃにもマスク
このところ秋晴れが続きますが、3年前に引っ越した拙宅の裏には大きな金木犀の木があります。窓を開けていると、この時期には、いい香りが部屋に届きます。いわば、借景ならぬ「借香」でしょうか。
街なかではハローウィンに向けたかぼちゃランタンの装飾を見かけます。先日、通りかかった相模大野駅で写真のようなマスクをしたランタンを見かけて、思わず笑ってしまいました。このところ寺社の狛犬や地蔵もマスクをつけて久しいですが、長い緊急事態宣言も解除されて、このような情景が笑い話で終わるように、またこれを最後にしたいものです。
「京橋の碑」と紫陽花
6/2午後には、7月の写真展への出展作のプリント色合わせのために、Fフォトギャラリー銀座を再度訪ねました。 その帰路には、銀座の隣町の京橋に出て、JR東京駅まで歩きました。途中、銀座中央通りと首都高速の交差点で、街中で咲き始めたばかりの紫陽花を見かけました。 ここは、江戸期には...
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長く地元で行きつけの飲み屋のひとつになっていた「養老の滝 蒔田店(まいた)」が29年間の営業を3/20で終了することになったことを知りました。市営地下鉄蒔田駅前に入居するビルの取壊し計画が具体化したこととコロナ禍以降の諸物価の値上がりで経営が急速に厳しくなったことが原因だそうで...
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3月央の取り壊し工事に先立って舞鶴実家に残された遺品類について、最後の整理を進めています。 その中でユニークなのが私製本の「水兵さんの遠洋航海 ー日露戦争直後のある青春ー」の大量の原稿です。 1978年(昭和53年)に、父が祖父の海軍舞鶴海兵団従軍中の日誌を13年かけて清書し、...
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大阪を発つ 6/12には、中之島のNCBホテルを早めに出て、大阪でいまアジサイが評判と聞いた鶴見緑地公園に立ち寄りました。京阪中之島駅から京橋に出て大阪メトロ長堀鶴見緑地線で鶴見緑地駅まで行くと、ここはその駅前近くにあります。大阪市の東側で鶴見区と守口市にまたがるとか。鶴見緑地は...