5/31には、関係する団体の通常総会が神保町であり、その帰路、神保町駅に直結するビルの10階にある岩波ホールを久々に訪ねました。岩波ホールは、ミニシアタの草分けとして1974年(昭和49年)からスタートしたそうで、48年間、定評ある名画座として、大手配給会社の商業ベースに乗りにくい映画を上映してきました。各国(これまでで65か国になるそうです)での社会的な課題やその国独特の世相の断面を、映像を通して根強い固定ファンに提供してきたように思います。私も、1980~90年頃には、神保町の古本街を巡ったあとに、ここに寄ったことを思い出します。また、この世界の老舗として、全国のミニシアタのリーダ的な存在であり、ある意味のお手本でもあったようにも思います。
ところが、今年の1月に閉館が報じられ、理由は「昨今の新型コロナの影響による急激な経営環境の変化をうけ、これ以上の運営の継続は困難であると判断し、このような決定となりました」とのことで驚きました。近くの三省堂のビルも再建されるようで(今工事中です)、この辺りの街並みも様変わりしそうです。これからの映画事業の継続について受付の方に聞くと「今後のことはわかりません。」とのことでした。ホールのエントランスには創業時からの上映映画のポスターすべてが年代順に壁に貼られ(271作品になるとか)、ここ半世紀の世相の移り変わりをよく表しているように思いました。
誠に残念ですが、映像文化施設のひとつとして、公的な支援もうけて、公設民営のような形態で続けられなかったのかとも思います。
最後の上映作品「歩いてみた世界(NOMADO)ーブルース・チャトウィンの足跡」(6/4~7/29)のチケットが入手できましたので、近く再訪し、ここでの鑑納めにしたいと思います。
この日は、8,700歩コースでした。
2022年5月31日火曜日
岩波ホールの最終公演
2022年5月30日月曜日
2022年5月29日日曜日
五反田「かね将」
29日には、午後に五反田で集まりがあり、終了後に近くでかつてよく通った店に久々に仲間と立ち寄りました。2年前の焼酎ボトルがまだキープされているのには、驚きと感謝の気持ちともに、このところのコロナ禍による営業の制限で在庫が回転しなかったことの厳しさを感じます。店長ほか店員も健在でしたが、何人かは交替していました。また、メニューも変わりませんが、やはり多少の値上げはやむを得ないとの思いがします。やはり対面の飲ミュニケーションによるつもる話の風通しのよさは変わりません。
2022年5月28日土曜日
ヤマアジサイ
先週には、大船で「第27回自生アジサイ展ー今年も花を咲かせましょうー」を最終日前日でしたが観てきました。園芸用のガクアジサイや西洋アジサイとは別種で、ヤマアジサイというそうです。中部地方以南の1000m以上の山岳地に咲き、花は小ぶりで素朴な感じがします。自生する株の小枝を接ぎ木をして鉢植えにし盆栽のように小さく育てるそうです。園芸用のような庭に賑やかに咲く華やかさよりも部屋の片隅に置く可憐な生花のように感じます。鎌倉アジサイ同好会の方々の主催でした。
この日は、9,200歩コースでした。
2022年5月27日金曜日
成就院と御霊神社
先日には、極楽寺から江ノ電長谷駅への帰路、成就院と御霊神社(ごりょう)に寄りました。
成就院は鎌倉の全景が見える見晴台だったとか。今は、寺名からでしょうか、縁結びの寺になっていますが、かつては幕府の要衝だったようです。鎌倉では珍しく由比ヶ浜がよく見渡せます。左奥が鎌倉市街地です。知る範囲では、鎌倉で海が見える寺院は、ここと長谷寺、建長寺の奥山にある半僧坊くらいです。今年は海水浴場も再開されると報じられています。また、1番目の写真で参道の左手は紫陽花が植えられ、海を背景としたシーンは紫陽花のシーズンには見所のひとつにもなります。まだ少々早いようでが。?
御霊神社は、鎌倉時代前のこの地域の領主鎌倉権五郎を祭神とする小さな神社ですが、その後鎌倉時代の梶原景時のゆかりの場所でもあるようです(出陣前に弓を置いたと伝わる大きな木の㈱が保存されています)。ここは、江ノ電と境内が隣接する珍しい寺ですが、地元では鎌倉時代以前を偲ばせる寺として親しみをもって一目置かれています。電車と神社の組み合わせでよい撮影スポットでもありますが、鳥居の下に「境内は神域です。撮影禁止」と大きな看板が出ていることに今回気付きました。カメラファンは、日頃から寺社運営や見学者に迷惑をかけていることをあらためて妨げにならないよう撮影させてもらう気持ちが大切と感じました。確かに、見どころに長時間三脚を立てたり、通路を妨害するのは要注意です。昨今の傾向から、防衛策としてこういうケースは増えるように思います。
2022年5月25日水曜日
大船ペン彩スケッチ展示会
大船で通っていますペン彩スケッチ教室で展示会を開いています。一色先生ときのけんの展示作品をアップします。先生の作品については、撮影当日好天だったため映り込みがあり、後日撮り直しました。
2022年5月23日月曜日
梅雨時の極楽寺と力餅家
先日には、梅雨時が似合う極楽寺を、雨天の中でしたが訪ねました。鎌倉市の西端にある真言宗の小さな寺(鎌倉では唯一だそうです)で、江ノ電の極楽寺駅からすぐそばにあるため、近くの御霊神社(ごりょう)、長谷寺とともに人気のスポットです。元寇に際して異国降伏の祈祷を行い、また、鎌倉幕府滅亡後には勅命により国家安泰を祈る寺だったそうです。かつては広い敷地をもち、社会救済事業や土木事業にも熱心だった寺で、境内に多くの子院、病院施設もあったとか。写真2枚目の石臼は、千服茶臼・製薬鉢として、開山の忍性和尚が施薬院、らい病所、馬治療所などで使用したと伝わるそうです。
今も、規模は様変わりしていますが、境内の桜、藤、紫陽花や百日紅(巨木が残っています)の時期には、かつてを偲んででしょうか、参拝客でにぎわいます。
帰りには、近くの「力餅家」でザ鎌倉名物の力餅をはじめて買い求め、手土産にしました。
目立たない店で、以前来た時には気づかず通り過ぎていました。
この日は、軽目の7,800歩コースでした。
ここでのみの製造-販売とのこと。権五郎は平安
時代に鎌倉や湘南地域一帯を領地とした
鎌倉権五郎景政の武勇に由来するとか。
2022年5月22日日曜日
メトロポリタン美術館展と太平洋展
先日5/19には、新富町で用があり、その帰りに、六本木の国立新美術館に寄りました。丁度開催中のメトロポリタン美術館展と太平洋展を欲張って観てきました。両方とも規模の大きな企画でしたので、同じフロアでの展示でしたが、足早に回ってきました。
メトロポリタン美術館展は、昨年11~1月の大阪市立美術館での展示を終えた後の巡回展で、NYのメトロポリタン美術館展の所蔵作品から65点の展示でした。結果的には、観客側からすると、コロナ禍の中、この時期の方がゆっくりと観ることができたのかもしれません。そのうち46点は初来日だとか。15~16世紀の「信仰とルネサンス」の時代、17~18世紀の「絶対主義と啓蒙主義」の時代、19世紀の「革命と人々のための芸術」の時代に分けて、15世紀の初期ルネサンスの頃から19世紀のポスト印象派まで、西洋絵画の500年の歴史を実物ととも、その時代の傾向や時代間の違いを丁寧に示す展示でした。このように時代を通して系統だって見ることもなかった者からすると、わかりやすく大いに参考になりました。また、出展元のメトロポリタン美術館は、1866年パリでアメリカ独立宣言の90周年を祝うために集った米国人によって構想が提案され、明治初期の1870年に民間人によってNYセントラルパーク内の一角に設立されたとのこと。そこに、実業家や資産家、芸術家といった市民が創立者として尽力し、個人コレクタからの寄贈などによってコレクションを形成したそうです。最初は所蔵作品が0点だったそうですが、今は150万余点と、民間ベースでここまで成長したそうです。ここに、文化面でも、米国流の民間活力を感じます。
太平洋展では、作品の写真撮影は可能で、お気に入りの作品を140枚程撮影してきました。スケッチの先生の紹介でここ数回通っていますが、今年は、絵画部門で、同じモチーフで一人2作を組合せて出展する方が多かったのが印象に残りました。また、コロナ禍の影響でしょうか、彫刻、陶芸部門での出展数が減っているようで、早く戻ることを期待したいところです。因みに、主催する太平洋美術会は、明治中期に西洋美術界が混乱し、洋画排斥運動が起こった際に、洋画家たちが立ち上げた明治美術会が母体となり、その後、太平洋画会を経て太平洋美術会と推移してきたとのこと。日展と比べると民間ベースでやや洋画色の強い団体のようです。
この日は、大きな2つの美術展からの刺激が多く、未整理のままで、いささか、頭がもやもやと重い感じがしています。
この日は、11,400歩コースでした。
メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年|2022年2月9日(水)〜 5月30日(月)国立新美術館 (exhn.jp)
2022年5月21日土曜日
梅雨時の浄妙寺と鎌倉の地名
5/18には、報国禅寺と金沢八景に抜ける道路を挟んですぐ前にある浄妙寺を訪ねました。鎌倉市の北東部になります。ここは、鎌倉五山(建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺)の中で第五位の寺格をもつ寺で、かつては広大な境内を持つ寺だったようです。創建(開基)は、足利義兼で、今年の大河ドラマの主人公の北条義時の父北条時政の次女の娘婿に当たるそうですが、13人の御家人には含まれていないとか。とまれ、今では、浄妙寺は五山の中では一番親しみの持てる寺と勝手に思っています。敷地もほどほどでコンパクトにできていて、交通がやや不便なためか人出も少なく静かで、史跡は多く(足利尊氏の父足利貞氏の墓所でもあります)、石庭も見応えがあり、鎌倉の地名の由来となる古い伝説までも残っています(注)。さらに奥には茶室、石窯ガーデンテラスもありで、史跡としての魅力のほかにオプションが多いためか若い人の好みにも合っているようです。
(注)浄妙寺の東の山中に祠(ほこら)があり、地元では「鎌足稲荷」と呼んでいます。この近くには鎌埋地があり、鎌倉の名の由来といわれています。藤原鎌足は646年に鹿島神宮参詣の際に由比の里(現在の鎌倉)に宿泊しました。その際、夢に白髪の老人が現れて「不思議な力のあるこの鎌槍をこの地に埋めたならば、天下はよくおさまるであろう」というお告げを受け、白狐に導かれるままに鎌槍を浄妙寺の裏山に埋めた、と言われています。裏山はいまも稲荷山といわれています。(浄妙寺のパンフレットから)
梅雨時の報国禅寺と華頂宮旧邸
梅雨模様の中、わずかに晴れ間が覗いた5/18に、鎌倉では梅雨が似合う報国禅寺とそのすぐ奥にある華頂宮旧邸を久々に訪ねました。
報国禅寺は、鎌倉足利家(鎌倉公方4代)の菩提寺で、鎌倉時代末期の1334年に頼朝の家臣であった足利尊氏の祖父足利家時が先祖供養に開いたとされています。開山した仏乗禅師が詩歌を好んだことからこの地区(宅間というそうです)には歌人、文人が集まったとか。最近では、川端康成や林房雄がこの地区に住んだそうですからここならではの固有な魅力があるようです。
ここは、年を通じて湿気を感じる寺です。境内には、山門近くから冷やりとして苔が多くみられ、奥にはまだ若い孟宗竹の「竹の庭」があり、よく手入れされた竹林を楽しめます。この時期、季節の花も桜、石楠花、ヤマアジサイと続き、茶室もあり、若い人にはここと近くの浄妙寺を案内することにしているコースです。
華頂宮(かちょうのみや)旧邸は、明治期からの華頂宮侯爵家の住まいだったところで、げするのは昭和初期の建物だそうですが、当時の華族の雰囲気を残しています。そのためか、この時代のTVドラマのロケ地にもよくなるそうです。
この日は、10,800歩コースでした。
2022年5月15日日曜日
キビレと「Codaーあいのうたー」
この日は、梅雨入りを思わせる曇り空が少々明るくなってきましたので、近くの大岡川沿いを、春には良い桜が見られる長者橋から太田橋に向けて散歩しました(このブログでは20220401の記事「日ノ出町での花見風景」にもアップしています)。太田橋の麓で中学生3人が釣りをしていましたので、何を狙っているかなど話しかけていたところ、突然引きがありウグイと思っていたところキビレが釣れたと大騒ぎでした。エサはエビだそうで結構いいサイズです。調べてみると、黒鯛の子どものチヌでもないようで関西ではキチヌともいうそうです。比較的暖かい内湾、汽水域に生息し、ときどき河川を遡上することもあり「川鯛」とも呼ばれる美味な魚だとか。太田橋も海岸線から数Km遡上した汽水域になります。最近の海水温度の上昇で関東でも漁獲が増えているようで、千葉ではアサリ漁に影響がでているとか。中学生の話では、最近この近くでよくキビレが釣れると釣仲間では評判とのこと。身近な川でもこんな大物が釣れること、これもキッカケにして若い世代に釣りファン、魚ファンが増えてほしいものです。
この日は、その後寄り道をして、行きつけのミニシアタ「ジャックアンドベティ」で、最近アカデミー賞作品賞の受賞で話題の映画「Codaーあいのうたー」を観てきました。いまも満席の半分に人数制限をしているようでした(観客側から見ると快適ですが経営側からは大変です)。題名の「Coda(Child of Deaf Adults:耳の聴こえない親をもつ子供の意)」は、音楽記号CODA(下記にも引用しています。「末尾」「最後部」という意味で、楽曲や楽章の終り、曲中の大段落の締めを表すそうです)から「新たな章の始まり」の意味もこめているとのこと。漁業を営む耳の聴こえない両親、漁師を継いだ兄の家族のもとに、健聴者として生まれた高校生の娘が巣立つ物語でした。娘は、家庭での疎外感、世間からの疎外感、家族と社会との通訳という生まれながらの重い役割やプレッシャーに悩みながら暮らす中で、個性的な先生に見出されて歌唱への道を見つけて、反対だった家族の理解を得る工夫をしながら名門校への進学を決めて、家族を離れます。また、兄は、これまで大手卸企業に買いたたかれていた魚穫を地元の漁師仲間で魚卸の協同組織を苦労して立ち上げ、兄妹、家族それぞれの夢に向かって歩み始める、という、米国流ダイバーシティの前向きに成功した側面をうかがわせる陽気で味のある映画でした。キャスティングでも、実際の耳が聴こえない俳優を使って、聾家庭の生活での苦楽、漁場での緊急通報の聞き逃しによる事故未遂、手話のやりとりや通訳、手話に翻訳しながらの歌唱、などで迫真の演技が印象に残りました。
この日は、8,800歩コースでした。
また、いまはタモもビニール製です。
一節切尺八の対談と演奏会
5/30には、一節切尺八(ひとよぎり)の対談と演奏会「一節切尺八を知る!コンサート」に、江東区のティアラこうとう小ホールで参加してきました。地下鉄半蔵門線の住吉駅から歩いて5分程のところにあります。駅の傍の猿江恩賜公園(さるえ)(注1)の中にあります。 一節切尺八は、長さ30㎝...
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3月央の取り壊し工事に先立って舞鶴実家に残された遺品類について、最後の整理を進めています。 その中でユニークなのが私製本の「水兵さんの遠洋航海 ー日露戦争直後のある青春ー」の大量の原稿です。 1978年(昭和53年)に、父が祖父の海軍舞鶴海兵団従軍中の日誌を13年かけて清書し、...
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長く地元で行きつけの飲み屋のひとつになっていた「養老の滝 蒔田店(まいた)」が29年間の営業を3/20で終了することになったことを知りました。市営地下鉄蒔田駅前に入居するビルの取壊し計画が具体化したこととコロナ禍以降の諸物価の値上がりで経営が急速に厳しくなったことが原因だそうで...
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6/28〜7/4には、富士フォトギャラリー銀座で、写真仲間での写真展を開いています。今年で9回目となります。6/30には、半日の在廊当番でした。懐かしい多くの方々にもお会いでき有難く思っています。 いつもながら、同じ素材でも、事前のレタッチもそうですが展示室の演出(室内背景色、...