2023年11月30日木曜日

地元小学校前の秋バラ

最寄りの市立南台小学校は自宅から50mほどにあり、その前の通りは定番の散歩道です。
先日11/19には、小学校前に見頃の秋バラを見かけました。この辺ではかなりの遅咲きです。小さな生徒達も、通学途中で、このような風景を、当たり前にさりげなく見ておいてほしいと思います。

2023年11月26日日曜日

今年も二の酉

 11/23は二の酉でした。 横浜では地下鉄阪東橋駅からすぐの横濱商店街に隣接する、いつもの金刀比羅大鷲神社(ことひらおおわし)に出かけました。今年は暦の関係で、三の酉がない年とか。人出はほぼコロナ禍前に戻っていました。随所で、熊手を買った顧客に、店員がそろって火打石や木拍子と337拍子の手拍子で景気をつける声が響いていました。縁起を担ぐ商売人やビジネスマンが1年前の熊手を担いで、新品と交換です。その前には、焼き鳥、焼きそばなどの、祭りの出店屋台も並び、こちらも大賑わいです。
地元の説では、「お酉さんが過ぎるともう正月」だそうです。
この日は、10,600歩コースでした。


            金刀比羅大鷲神社の鳥居には長い行列です。




2023年11月23日木曜日

弁天橋の屋形船も復活

先日 11/4には、桜木町弁天橋近くの「しまかぜ」の屋形船も復活し、賑わっていました。
この近くで孫娘のピアノ教室の発表会があり、その途中で見かけました。帰りには陽も落ちて横浜みなとみらい21(MM21)地区の夜景を背景にまた別の雰囲気があります。20年程前に一度送別会でここの屋形船に乗船したことがありました。


帰路での夜景も雰囲気が変わります。

2023年11月22日水曜日

皇帝ダリアも満開

 先日11/16には、散歩道と途中にある近所の庭先に咲く皇帝ダリアを見かけました。この時期の植栽としては目立つ存在ですが、2.5~3mの背丈には圧倒されます。高いものは6mにもなるそうでほぼ屋根の高さです。育てておられる方も、この時期の立派な草丈がよいと言われていました。
日が短くならないと花芽ができないため、近くに街灯や照明があると日が長いと感じ、花芽をつけないことがあったそうで、植える場所に注意しているそうです。




2023年11月16日木曜日

三渓園の秋 あれこれ

 

 11/16には、好天に誘われて、三渓園を訪ねました。
菊花展も開催中でしたが、園内の紅葉は1〜2週間ほど早かったようです。古民家「旧矢箆原家住宅」にマッチした菊の「生け込み」など、秋の深まりをゆっくりと感じてきました。
この日は、11,800歩コースでした。係の方の話では、夏の暑さで園内の紅葉の異変も心配されているようです。


大池にて。秋の陽射しの中で鯉も甕も。
古民家の軒先で。中国の来場者には珍しい
光景のようで、この前でにぎやかでした。


古民家縁先での簡素な
「生け込み」その1

11月のトンボ。この時期、鈍い動きです。
古民家の縁先では今年は菊の豪華な
「生け込み」その2も。

2023年11月14日火曜日

地元のユニークな秋のイベントー横浜矯正展ー

 地元の横浜市港南区は、10〜11月に市などの関連公共施設でのイベントをまとめて「港南ひまわりフェスタ」を企画しています。その中のユニークなひとつとして、区役所のすぐ奥にある横浜刑務所、横浜少年鑑別所の周辺で行われる「横浜矯正展」があります。今年は3年ぶりに11/4に「第51回横浜矯正展2023」が開催されました。
施設の公開とともに、構内では、机、家具などの木製品やカバン、ベルトなどの革製品、装飾品、麺などの食品など刑務所作業製品(「CAPIC製品」と言われ、安くて高品質と評判です)の展示・即売会をメインに、軽食などの出店や地元中学の吹奏楽などのステージイベント、横浜刑務所の取り組みのパネル展示、全国の刑務所に縁がある品の販売、などの内容です。中には行列ができていて、聞いてみると、横浜刑務所製のパスタと石鹸「ブルースティック」を求める列でした。TVでも紹介され評判だそうです。
歴史的には、横浜刑務所は、幕末の開国と同時に、伊豆国下田に作られた奉行所管轄の囚獄をルーツとするそうですが、その後2回ほど県内を移転し、関東大震災後に笹下地区に移転してきています。私はここ40年近く笹下地区に住んでいますが、このようなイベントや日常の生活を通じて、刑務所の地元住民への溶け込みを図ってきたようです。刑務所内は刑務官で管理されていますが、刑務官は職種的には警察官の系統で日頃から柔道、剣道の訓練をします。その道場が刑務所近くにあり(「斉信館」です)、地元の子供にも剣道、柔道の教室として開放され、先生や世話役も代々刑務官が厚意で務めています。かつて、うちの子供達もお世話になりました。また、地区内でも刑務官やそのOBの方が多くおられ、地域活動に協力的です。
今も900人前後の囚人を収容する(1200人まで収容可能)、必須の社会インフラのひとつとして、目立たないけれども忌避もされない存在であり続ける必要があると思っています。


刑務所作業製品「CAPIC製品」として、
革製品や家具がよく売れています。

所内の製麺機で製造した人気のパスタとのこと。

所内の「単独室」を模擬した展示です。

いつもの矯正展入口の風船ゲートです。

隣の広場では港南ひまわりフェスタの一環として
「こうなん子どもゆめワールド」も人気でした。
友好都市の宮城県大崎市からも展示参加して
いました。シンボルのひまわり繋がりだ
そうです。一昨年には大崎市鳴子町の紅葉を
訪ねました。
「こうなん子どもゆめワールド」の風船ゲート
です。

刑務所構内を開放して行われる矯正展

横浜刑務所の外観です。今年は珍しく
パスタ試食の長い行列でした。

2023年11月13日月曜日

鶴賀流新内演奏会

 先日には、かつての同僚も演じる「鶴賀流新内演奏会-新名取披露-」に四谷区民ホールを訪ねました。都内営団地下鉄丸ノ内線新宿御苑駅から5分程のところにあります。
新内(しんない、「新内節浄瑠璃」の略称です)は、江戸浄瑠璃の一流派で若狭敦賀が創始者の生地だそうです。いまの十一代家元も「鶴賀若狭掾(つるが わかさのじょう)」と呼ばれ、人間国宝とのこと。この演奏会もこれまで国立劇場で開催してきたところ、ここ7年間の再築工事のため今年はここにしたと新名取披露で挨拶されていました。
はじめて新内浄瑠璃を鑑賞する機会でしたが、人の情念を歌のようなセリフと三味線で絞り出す表現力には圧倒されました。とくに、2人の会話の表現でも、声色を変えながら、澄んだ高音を含め大きく抑揚をつけた話しぶりには、同僚も相当な訓練が必要だったことと感心しました(同僚もそうですが、声のキーの高い人でないと務まらないようにも思えました)。後日談では、同僚は前日から風邪気味で有効と言われる薬を飲んで上演したそうですが、いつもの高音が発声できなかったと反省していました。
最後の「弥次喜多」の演目では、軽妙な掛け合いを演出されて、同僚の芸の幅を感じさせてもらいました(多くの心中物に対して「チャリ物」というそうです)。
また、外国人女性の浄瑠璃にも驚きましたし、踊り、人形、落語(話題の蝶花楼桃花(ちょうかろうももか)さんでした)との組み合わせもあるのには、そのバリエーションの広さを感じました。落語とは、赤い高座の上で演じるところが共通です。ただ、落語での紫の立派な座布団は使われていませんでしたが。
これからは、これを機会に、テレビなどで見過ごしていた浄瑠璃をじっくりと楽しみたいとあらためて思った次第です。
会場入口に敦賀市長の花がおかれているのも、鶴賀流新内は敦賀を発祥の地とすることによるそうで、私の郷里の舞鶴@京都府北部からすぐ近くの敦賀にこんな文化があることを知ったのも新たな収穫でした。
この日は、7,600歩コースでした。

(参考)「新内節」について(ネットの紹介記事から抜粋・編集しました) 
心中物を歌う豊後節(宮古路節)が江戸幕府によって禁止されたことを受けて宮古路豊後掾が帰京した後、門弟たちは、常磐津節、富本節、宮薗節などに名を変え、分派していった。そのうちの一人宮古路加賀太夫が延享二年(1745年)富士松薩摩を名のって富士松節(富士松派)を起こした。さらに富士松薩摩の門弟から鶴賀若狭掾が出て鶴賀節(鶴賀派)を立てたが、門人の一人鶴賀新内が宝暦・明和年間(1751年 - 1771年)にその美声によって人気を得、新内節を創始した。その後、「新内節」の名称が富士松・鶴賀両派を包摂するかたちで現在に至っている。

魚の話 2題

 ひとつは、先日、近くのJR新杉田駅内の魚屋で北海道産のビッグな「げんげ」を見かけたことです。それも、富山湾でとれる「げんげ」(「幻魚」と書き、鍋物の主役になったり、干物にされて格好の肴になります)に比べると、えらく大きな形に(体長 約40cm、この時期よく見かける北の魚「ドンコ」に似た体形、サイズで、当初私も見誤りました)、また、相当に安く売られている(1尾2切れ500円弱)のにも驚きました。
早速に購入し、煮付けにして試食したところでは、周りのとろとろした集めの膜で覆われ、残念ながら調理隅で顔形はわかりませんが、味はやや大味でした。やわらかい厚い白身で骨も細く柔らかく、産地、サイズに違いはあっても、十分に以前に食べ覚えのある富山産のげんげに似た食感でした。
ただ、中年の従業員に聞くと、プロにも珍しい魚のようで、「自分もまだ北海道産のげんげは食べたことがない」そうです。この知名度のこともあり、値付けも安いのかもしれません。
ふたつ目は、若狭小浜産の「小鯛の笹漬け」のことです。10月に帰省した折に、土産にいただきました。明治末から若狭で小鯛の豊漁の際に酢漬けとして販売されたのが始まりだそうです。京都の魚問屋の考案で風味と保存効果から笹の葉、杉樽が用いられたとか。小鯛を三枚におろした身を酢漬けにして小さな杉樽に重ねて積めますが、その身が笹の葉に形が似ていることから「笹漬け」と呼ばれています。そのまま刺身としても、握り寿司、箱寿司としても楽しめます。最近は高価になり、今回、久々に味わいました。
私も舞鶴にいる頃には、若狭湾沿いの海で、沖の船から釣りをしているときに、狙いの根魚にエサが届く前に、小鯛がかかって底まで仕掛けを下すのに苦労したことがあります。当時も小鯛の豊漁期だったのかもしれません。それほど若狭湾沿岸では小鯛が良く釣れます。


「げんげ」の切り身

小鯛の笹漬け

2023年11月9日木曜日

横須賀 観音崎灯台

 11/2には、40年ぶりくらいに観音崎を訪ねました。京浜急行浦賀線で馬堀海岸駅(まぼり)からバスで20分程のところにあります。途中に、走水(はしりみず)地区の防衛大入口、そのカッター訓練場を通ります。
観音崎は、東京湾の三浦半島側の入口で、対向するのが房総半島の富津岬(ふっつ)になります。この両岬間が東京湾で最短距離になり浦賀水道と呼ばれます。この日は好天でかすかに富津岬がみえます。40年くらい前には、富津岬へ家族でキャンプに出かけたこともありました。
現在の観音崎灯台は日本で最初につくられた洋式灯台で、今残るのはその4代目とのこと。現在は500m程離れた東京湾海上交通センターのレーダ式に置き換えられて、観音崎灯台は引退し見学者用に開放されています。確か、全国的に光放射による灯台はその役目を終えたと聞いたことがあります。江戸期に諸外国と結ばれた江戸条約に、列島要所の灯台建設がうたわれていたそうです。当時から西洋諸国は進出先でもインフラ建設という意識が進んでいたことがうかがえます。横浜山手の西洋館地区でも水道の整備を当時大規模にしています。帰りは、浦賀線ひとつ先の京急浦賀駅に京急バスで出ました。以前小さな子供連れで来た時より格段に公園として整備され、海岸から灯台への急な坂道も登りやすくなっていました。この日は、10,500歩コースでした。


観音崎灯台展望台から浦賀水道。
手前の山にはたまたま灯台の影が。
観音崎海岸_灯台上から

引退し開放されている観音崎灯台
観音崎海岸_公園入口
観音崎灯台入口

太平洋側です。
直ぐ近くの東京湾海上交通センター。
こちらが現役です。
東京湾側です。

観音崎灯台展望台

展望台から直下を

三叉橋 「三吉橋」

 6/10には、関係する産業用ドローンのユーザー団体の定時総会が新富町の銀座ブロッサム中央会館であり、午後から出掛けました。 ここには団体の事務所も近くにあることから、これまで何度も通ってきましたが、中央区役所と銀座ブロッサムの間にある妙に幅広い陸橋「三吉橋」(みよし)に少々違和...